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【最終章完結】『「罰として下働きしろ」と言われたので、厨房で飯テロ無双します ~不味い飯に苦しむ王子を他所に、騎士団長と晩酌中~』  作者: 月雅
第4章

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第7話 魔王の覚醒と、炸裂する激辛の記憶


「……持ってまいりました、魔王様」


私は湯気を立てる丼を捧げ持ち、バルコニーの玉座へと続く階段を一歩ずつ登った。

手に伝わる器の熱さが、私の鼓動とリンクしているようだ。


丼の中では、漆黒の『ブラック・ライス』の上に、溶岩のように赤く煮えたぎる麻婆豆腐がかかっている。

仕上げにたっぷりとかけた『デビル・サンショウ(魔界山椒)』が、鼻を突き抜けるような痺れる香りを放っていた。


「陛下! なりませぬ!」


メルジーナ将軍が、私の前に立ちはだかろうとする。

彼女の顔は蒼白で、その蛇の尾は不安げに床を叩いている。


「それは劇物です! ただでさえ弱っておられる陛下の胃腸に、そのような刺激物を入れれば……ショック死する可能性だって!」

「退け、メルジーナ」


ゼスト様の低い声が、将軍の動きを縛った。


「余は……確かめたいのだ。この胸の高鳴りが、ただの飢餓による幻覚なのか、それとも……」


ゼスト様は私を手招きした。

私はメルジーナ将軍の横をすり抜け、玉座の前に丼を置いた。


「……すごい色だ。毒沼のようだな」


ゼスト様は丼の中身を覗き込み、自嘲気味に笑った。

しかし、その目は釘付けになっている。

『ヘル・ペッパー』の赤。

『ブラック・ライス』の黒。

『スノー・トーフ』の白。

そして、ツヤツヤと輝く脂の照り。


「香りは……悪くない。いや、脳髄を直接揺さぶられるようだ」


彼は震える手で、レンゲを手に取った。

匙ですくう。

とろりとした餡が絡んだ豆腐と挽肉、そして黒い米が一体となって持ち上がる。


「毒見は不要だ。……いただくぞ」


ゼスト様は意を決して、それを口へと運んだ。


パクッ。


その瞬間。

時が止まったかのような静寂がバルコニーを包んだ。


ゼスト様の動きが停止する。

目を大きく見開き、口元を押さえたまま、身動き一つしない。


「へ、陛下……?」


メルジーナ将軍が恐る恐る声をかける。

次の瞬間、ゼスト様の喉の奥から、呻き声が漏れた。


「ぐっ……うぅ……ッ!!」


「陛下! やはり毒が! 衛兵、回復魔法を!」

「違う! 近寄るな!」


ゼスト様が片手で将軍を制した。

彼の額には、玉のような汗が噴き出している。

顔は紅潮し、目は涙で潤んでいる。


「痛い……! 舌が、焼けるようだ!」


ゼスト様は叫んだ。

それは苦痛の叫びのようでありながら、どこか歓喜を含んでいた。


「熱い! 口の中が火事だ! 喉が痺れる!」


『ヘル・ペッパー』の突き刺すような辛味と、『デビル・サンショウ』の電流のような痺れ。

それは、呪いによって灰色の膜に覆われていた彼の味覚中枢を、ハンマーで叩き割るような衝撃だった。


「感じる……! 痛みを! 熱を! 何年ぶりだ、この感覚は!」


彼は叫びながら、二口目を口に放り込んだ。


痛み。

その直後に訪れるのは、爆発的な旨味の奔流だ。

『フロスト・ボア』の脂の甘み。

『魔界味噌』の芳醇なコク。

そして、それらを全て受け止める『ブラック・ライス』の力強い穀物の味。


「……味が、する」


ゼスト様が呆然と呟いた。


「ただの刺激ではない……。辛さの奥に、肉がいる。味噌がいる。そして、この黒い米が……優しく甘い!」


咀嚼するたびに、米の甘みが辛さを中和し、また次の辛さを欲させる。

無限のループ。

呪いの霧が晴れ、鮮やかな色彩を持った「味」が、彼の脳内で花火のように炸裂していた。


「うまい……。うまいぞッ!!」


ゼスト様のレンゲが加速した。

ハフハフと熱い息を吐きながら、夢中で丼を掻き込む。

汗が滴り落ちるのも構わず、ただひたすらに食べる。


「陛下が……あんなに野蛮に……」

「信じられん。あの陛下が、おかわりを欲するような目で食べておられる」


下の中庭から見上げていた兵士たちが、どよめきと共に感動の声を上げる。

彼らもまた、同じ料理を食べ、その熱狂を共有しているからこそ分かるのだ。

あの料理には、魂を燃やす力があることを。


「すごい勢いだ……」


レオンハルト様が感嘆の声を漏らす。

隣で見ていたヴォルグさんも、ニカッと笑って親指を立てた。


「へっ、さすがはエリスの料理だ。魔王の呪いごと吹き飛ばしちまったな」

「うん! お婆ちゃんの黒いお米が、魔王様の体の中で光ってるのが見えるよ!」


ホルンが嬉しそうに尻尾を振る。

そう、ただ辛いだけではない。

シルバさんから譲り受けた『ブラック・ライス』には、魔族の魔力を正常化し、活力を与える効果がある。

激辛スパイスで味覚の扉をこじ開け、黒米の魔力で呪いを浄化する。

これは料理であり、最強の「解呪薬」なのだ。


「ふぅーっ! はふっ! んぐっ!」


ゼスト様は、最後の一粒まで米をすくい取り、丼を空にした。

そして、大きく息を吐き出した。


「……っぷはぁッ!!」


その顔は、汗で濡れ、涙でぐしゃぐしゃだったが、憑き物が落ちたように晴れやかだった。

蒼白だった肌には血色が戻り、瞳には力強い光が宿っている。


「……生き返った」


ゼスト様は自身の両手を見つめた。

指先から、赤黒いオーラではなく、澄んだ強大な魔力が溢れ出している。


「体が軽い。魔力が、指の先まで満ちているのを感じる。……これが、食事の力か」


彼はゆっくりと立ち上がり、私を見た。


「エリスと言ったな」

「はい」

「見事だ。……余の完敗だ」


魔王が、一介の料理人に頭を下げようとした。

私は慌てて手を振った。


「頭を上げてください! 私はただ、お腹を空かせた方に料理を出しただけです」

「いや、これはただの料理ではない。余の魂を救済する儀式であった」


ゼスト様は真っ直ぐに私を見据え、そしてニヤリと笑った。

その笑顔は、初対面の時の不機嫌なものではなく、悪戯っ子のような魅力的なものだった。


「辛かった。痛かった。……だが、最高に楽しかったぞ」


「光栄です、魔王様」


会場が割れんばかりの拍手と歓声に包まれる。

兵士たちが「魔王様万歳!」「激辛万歳!」と叫んでいる。


その歓喜の輪の外で、一人だけ立ち尽くしている者がいた。

メルジーナ将軍だ。


「……嘘です」


彼女は震える手で眼鏡の位置を直そうとしたが、指が滑った。


「あんな……あんな非効率な刺激物が……。陛下の呪いを解いただと? 数値上はありえない……私の計算では……」


彼女の足元には、誰にも拾われなかった『栄養ブロック』が転がっている。

誰も見向きもしない。

兵士たちは皆、口の周りを赤く染め、満足げに腹をさすっているのだ。


「メルジーナ」


ゼスト様が、冷ややかな声で名を呼んだ。

メルジーナがビクリと肩を震わせる。


「貴様の理論は正しかったのかもしれん。栄養素、カロリー、摂取時間……すべてにおいて、あのブロックは優秀だったのだろう」


「は、はい! そうです! ですから陛下、これからは再び……」


「だが」


ゼスト様は言葉を遮り、空になった丼を指差した。


「そこには『感動』がなかった」


「……感動、ですか?」


「そうだ。飯を食って、熱いと思い、辛いと叫び、美味いと笑う。……その心の動きこそが、余たち魔族に欠けていた『生のエネルギー』だったのだ」


ゼスト様はバルコニーの手すりに手を置き、中庭の兵士たちを見下ろした。


「見ろ、あの兵たちの顔を。貴様のブロックを食っていた時、あんな風に笑っていたか?」


メルジーナは中庭を見た。

かつては人形のように無表情だった部下たちが、今は汗だくになりながら、生き生きとした表情で語り合っている。

「辛かったな」「でも美味かったな」「明日も頑張れそうだ」と。


「……う……」


メルジーナは言葉を失った。

彼女が追求した「効率」の果てにあったのは、死なないだけの軍隊。

エリスが作った「非効率」な料理が生んだのは、生きる力に溢れた軍隊。

勝負の結果は、誰の目にも明らかだった。


「私の……負け、ですか……」


彼女はその場に膝をついた。

蛇の尾が力なく床に横たわる。


「……約束通り、俺たちの要求を飲んでもらいますよ」


私はメルジーナの前に立った。

彼女は見下されると思っていたのか、身を固くして目を閉じた。


しかし、私は彼女の目の前に、小さな丼を差し出した。

中には、まだ温かい麻婆豆腐丼が入っている。

(レオンハルト様がこっそり確保しておいてくれた分だ)


「……これは?」

「罰ゲームです」


私はスプーンを彼女に握らせた。


「貴女も食べてください。自分の舌で、兵士たちが何を感じたのか確認するのが、将軍としての義務でしょう?」


「……私に、これを食べろと?」


「ええ。食べれば分かります。貴女が切り捨てた『無駄』の中に、どれだけの宝物が詰まっているか」


メルジーナは躊躇った。

彼女にとって、これは敗北の味であり、自分の信念を否定する行為だ。

しかし、漂ってくるスパイスの香りが、彼女の冷え切った体を誘惑する。

彼女の腹が、小さく鳴った。


「……くっ」


彼女は意を決して、スプーンを口に運んだ。


パクッ。


「……んぐっ!!」


辛い。

彼女の蛇のような舌が、ピリピリと痺れる。

こんな刺激的なもの、食べたことがない。


でも。


「……なに、これ」


辛さの奥から、温かい旨味が広がる。

凍えていた内臓が熱を持ち、指先まで血が巡っていく感覚。

それは、彼女が長い間忘れていた「満腹感」という幸福だった。


「あ……あぁ……」


彼女の目から、涙が溢れ出した。

計算式では導き出せない、圧倒的な現実。

美味しい。

悔しいけれど、どうしようもなく美味しい。


「……温かい……です……」


彼女は泣きながら、二口目を食べた。

プライドも効率も、麻婆豆腐の熱さと共に溶けていく。


「ふふ、よかった」


私は彼女の肩に手を置いた。


「美味しいって思えたなら、貴女もこっち側の住人ですよ」


「エリス殿……」


ヴォルグさんが、もらい泣きしながら鼻をすすっている。

レオンハルト様も、満足げに頷いていた。


「これにて、一件落着だな」


ゼスト様が笑い、宣言した。


「勝負はエリスの勝ちだ! 約束通り、貴様らを賓客として迎えよう! そして……」


彼はニヤリと笑い、私を見た。


「余の舌は蘇った。……ということは、分かるな? エリス」


「え?」


「麻婆豆腐だけでは足りん。……『甘いもの』だ。先ほど台無しになったプリン……あれをもう一度所望する!」


やはり、そこに来ましたか。

魔王様、甘党の血が騒ぎ出したようだ。


「はいはい、分かりました。お口直しですね」


私は苦笑いしながら、再び調理器具を手に取った。

激辛の後は、甘いデザート。

それは万国、いや、魔界共通の真理なのだから。


こうして、魔王城での激辛対決は、全員が汗と涙(と鼻水)を流す大団円で幕を閉じた。

しかし、これで終わりではない。

味覚を取り戻した魔王様が、今度は別の意味で暴走し始めることを、私はまだ知らなかった。


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