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【最終章完結】『「罰として下働きしろ」と言われたので、厨房で飯テロ無双します ~不味い飯に苦しむ王子を他所に、騎士団長と晩酌中~』  作者: 月雅
第4章

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第2話 味のない国


王国の最北端にそびえ立つ『嘆きの壁』。

雲をも突き抜けるその巨大な山脈を越えた先には、一面の銀世界が広がっていた。


「……寒いですね」


私はマントの襟をかき合わせ、白い息を吐いた。

ここが、人間が決して足を踏み入れてはならない禁断の地、魔族領だ。

空は鉛色に淀み、太陽は薄い膜の向こうで力なく輝いているだけ。

肌を刺すような冷気が、防寒着の隙間から容赦なく入り込んでくる。


「エリス、大丈夫か? 身体強化の魔法をかけようか?」

「平気ですよ、レオン。カイロ代わりの『ホット・ストーン』を持っていますから」


私は懐に入れた温石おんじゃくを握りしめた。

背中のホルンは、レオンハルト様の分厚いマントの中で守られ、今は安定した寝息を立てている。

ひとまず、最悪の峠は越えたようだ。


「へっ、とんでもねぇ場所だな。生き物の気配がまるでしねぇ」


ヴォルグさんが巨大な包丁を杖代わりにして雪道を歩く。

その視線の先、雪原の向こうに、黒い石造りの城壁が見えてきた。


「あれが、魔族の街か……」


私たちは顔を見合わせた。

いよいよだ。

敵意を持たれるかもしれない。攻撃されるかもしれない。

でも、ホルンを救う手がかりは、あの街にある。


「行こう。……警戒は怠るなよ」


レオンハルト様が剣の柄に手をかけ、私たちはその城門へと足を踏み入れた。


   ◇


街の中に入って最初に感じたのは、奇妙なほどの「無臭」だった。


王国の街なら、昼時にはパンが焼ける匂いや、スープを煮込む香りが漂っているものだ。

しかし、ここには何もない。

生活臭すら希薄で、ただ冷たく乾燥した風が吹き抜けているだけ。


街を行き交う魔族たちは、青白い肌に角や翼を持ち、人間とは明らかに違う姿をしていた。

彼らは皆、無表情で、どこか機械的に動いている。


「おい、エリス。あれを見ろ」


ヴォルグさんが小声で囁いた。

通りのベンチで、一人の魔族の男が食事――らしきものをとっていた。

彼が手に持っているのは、レンガのような灰色をした四角いブロックだ。


ガリッ、ボリッ。


彼はそれを無造作にかじり、水で流し込んでいる。

表情は一つも動かない。まるで、砂を噛んでいるようだ。


「……あれが、ご飯?」

「粘土細工に見えるが……」


レオンハルト様も眉をひそめる。

その時、ブロックを食べていた魔族が、ふとこちらに顔を向けた。

そして、鼻をクンクンと動かした。


「……?」


彼の瞳孔が開き、焦点が私たちに――正確には、私たちが背負っているリュックに釘付けになった。


「……いい匂いがする」


彼が掠れた声で呟いた。


「なんだ、この匂いは……?」


彼だけではない。

周囲にいた魔族たちが、次々と足を止め、私たちの方を向き始めた。

無表情だった彼らの顔に、困惑と、そして飢えた獣のような色が浮かぶ。


「まずいな。囲まれるぞ」


レオンハルト様が私を背に隠す。

次の瞬間、石畳を蹴る音と共に、武装した一団が現れた。

漆黒の鎧に身を包んだ、魔王軍の兵士たちだ。


「貴様ら! 何者だ!」


隊長らしき大柄な魔族が、槍を突きつけてきた。

牛のような角が生え、鼻からは荒い息を噴き出している。


「人間か? どうやって結界を抜けた! スパイだな!」

「待て! 我々は争いに来たわけではない!」


レオンハルト様が叫ぶが、兵士たちは殺気立っている。

しかし、奇妙なことに、彼らはすぐに襲いかかってこない。

槍を構えつつも、鼻をひくつかせ、落ち着きなく視線を泳がせているのだ。


「隊長……こいつらから、妙な匂いがします」

「ああ……なんだこれは。嗅いだだけで、口の中に水が溜まる……」

「この匂い、危険です! 思考が乱されます!」


彼らは私たちのリュックから漏れ出る、スパイスや食材の残り香に反応しているのだ。

食事という概念が希薄な彼らにとって、それは未知の刺激なのだろう。


「ええい、黙れ! 怪しい術を使うに違いない! 捕らえろ!」


隊長が号令をかける。

レオンハルト様が抜刀しようとした、その時。


「待ってください! 貴方たち、お腹が空いているんじゃありませんか?」


私が大声で叫ぶと、隊長の動きがピタリと止まった。


「……は?」

「そのブロックみたいなもの……食べていて楽しいですか? 体は温まりますか?」


私は一歩前に出た。

レオンハルト様が止めようとするが、私は首を振って制した。

言葉で通じないなら、いつもの手を使うしかない。


「私たちは料理人です。貴方たちに毒を盛るつもりも、害を与えるつもりもありません。……ただ、寒そうにしている人を見ると、放っておけないだけです」


私はリュックを下ろし、その場で魔導コンロを展開した。

殺気立つ兵士たちの目の前で、堂々と調理器具を並べる。


「な、何を始める気だ! 武器か!?」

「いいえ、厨房です」


私はニッコリと笑った。


「寒い時は、温かい汁物が一番です。……少し時間をください。貴方たちが食べたことのない『最高のご馳走』を作ってみせますから」


   ◇


「ご馳走だと? ふざけるな!」


隊長は激昂したが、ヴォルグさんが立ちはだかり、無言の圧力で彼を牽制した。

その隙に、私は調理を開始する。


今日作るのは、極寒の地で冷え切った体を芯から温め、ガツンとした旨味で脳髄を揺さぶる一杯。

『特製・熱々豚骨味噌ラーメン』だ。


まずはスープ作り。

通常なら豚骨スープは何時間も煮込む必要があるが、私には魔法がある。


「『圧力プレッシャー』!」


寸胴鍋に、道中で狩った『フロスト・ボア(氷猪)』の骨と水を入れ、風魔法で内部気圧を極限まで高める。

さらに、火力を最大に。

骨の髄液が一瞬で溶け出し、スープは白濁した濃厚な色へと変わる。


そこに合わせるのは、聖教国で大活躍した『特製合わせ味噌』に、すりおろしたニンニク、生姜、そして香ばしい『すりごま』をたっぷり混ぜた味噌ダレだ。


ジュワッ……!


味噌ダレをラードで炒め、そこに豚骨スープを一気に注ぐ。

爆発的に広がる香り。

獣の脂の甘い匂いと、焦がし味噌の芳醇な香り、そしてニンニクの食欲をそそる刺激臭。


「な、なんだッ!? この暴力的な匂いは!」

「鼻が……鼻が喜んでいる!?」


兵士たちがどよめく。

無機質だった街の空気が、一気に色づいていくようだ。


「麺、行きます!」


王都から持参した、コシの強い『イエロー・ウィート』の縮れ麺を茹でる。

茹で上がった麺を湯切りし、丼へ。

その上から、熱々の濃厚味噌スープを注ぐ。


トッピングは豪華に。

とろとろに煮込んだ『ボア肉のチャーシュー』。

甘い『ゴールデン・コーン』と『バター』。

シャキシャキの『もやし』と、刻んだ『ネギ』。

仕上げに、黒胡椒をぱらり。


完成だ。


「お待たせしました! 『極寒の地で食べる、至高の豚骨味噌バターコーンラーメン』です!」


ドンッ、と置かれた丼から、猛烈な湯気が立ち上る。

バターがスープの熱でとろりと溶け出し、味噌と混ざり合って黄金色の油膜を作っている。


「さあ、隊長さん。毒見を兼ねて、どうぞ」


私は箸を差し出した。

隊長は警戒していたが、本能には勝てなかった。

彼の喉仏が、大きく上下した。


「……くっ、誘惑魔法か……! いいだろう、我が屈強な胃袋で消化してやる!」


彼は意を決して箸を受け取り、見よう見まねで麺を持ち上げた。

黄色い縮れ麺に、濃厚なスープが絡みついている。

フーフーと息を吹きかけ、口へと運ぶ。


ズルッ、ズルズルッ……。


静寂な街に、麺をすする音が響き渡った。


「……ッ!!」


隊長の目が、飛び出さんばかりに見開かれた。


熱い。

口の中が火傷しそうなくらい熱い。

だが、その熱さが心地よい。

豚骨のクリーミーなコクと、味噌の塩気、そしてニンニクのパンチが、舌の上で暴れまわる。

溶けたバターがまろやかさを加え、コーンの甘みが弾ける。


「な、なんだこれは……!?」


隊長の手が止まらない。

麺を飲み込むと、胃袋がカッと熱くなった。

今まであの灰色のブロックしか入れてこなかった胃が、歓喜の産声を上げている。

全身の血流が良くなり、指先までポカポカとしてくる。


「うまい……! うまいぞおおおおっ!!」


彼は丼を両手で持ち上げ、スープを直接飲み干した。


「この汁……! ただのお湯ではない! 命のエキスだ!」


完食。

一滴も残さず飲み干した彼は、呆然と空の丼を見つめ、そしてハラハラと涙を流した。


「俺は……今まで何を食っていたんだ……」


「隊長!? 泣いているのですか!?」

「俺にも食わせてください!」


部下の兵士たちが雪崩れ込んできた。


「はいはい、並んで! みんなの分もありますから!」


ヴォルグさんが麺を茹で、私がスープを注ぐ。

レオンハルト様も苦笑しながら、列の整理を手伝ってくれた。


「熱っ! うめぇ!」

「体が燃えるようだ!」

「母ちゃんに食わせてやりてぇ……!」


厳めしい魔族の兵士たちが、ラーメンを前にして子供のように泣き、笑っている。

その光景を見て、私は確信した。

どんな種族でも、美味しいものは美味しいのだ。


「……信じられん」


涙を拭い、正気を取り戻した隊長が、私に向かって膝をついた。

それは最敬礼の姿勢だった。


「人間よ……いや、食の女神よ。無礼を働いたことを詫びる」


「女神だなんて。ただの料理人ですよ」


「いや、これは奇跡だ。我々魔族は、長らく『食』をただの栄養補給としか考えてこなかった。……だが、貴女の料理は、忘れていた魂の熱さを思い出させてくれた」


隊長は立ち上がり、部下たちに号令をかけた。


「総員、武器を収めよ! この方々は我々の敵ではない! ……賓客として、魔王城へ案内する!」


「魔王城へ?」


「ああ。我が主、魔王ゼスト様もまた、食に興味を失い、心を閉ざしておられる。……貴女ならば、あるいは王のお心をも溶かせるかもしれん」


魔王ゼスト。

この極寒の地を統べる王。

彼が食に興味を失っている?


背中のホルンが、身じろぎをした。

懐の黒い種籾が、ドクンと強く脈打った気がした。


「行きましょう、エリス」


レオンハルト様が私の肩に手を置いた。


「魔王に会えば、ホルンのことも、この国のことも分かるはずだ」

「ええ。それに、お腹を空かせた王様がいるなら、放っておけませんから」


こうして、私たちは魔王軍の護衛(という名のラーメン信者たち)に囲まれ、魔王城へと向かうことになった。

灰色の街に、ラーメンの残り香と、微かな希望の熱気が漂っていた。


一方その頃。

魔王城の玉座の間では、一人の男が退屈そうに頬杖をついていた。


「……不味い」


彼――魔王ゼストは、手にした栄養ブロックを床に投げ捨てた。


「何も味がしない。砂を食っているようだ。……ああ、どこかに俺様の舌を満足させるものはいないのか」


彼の瞳は深く沈み、絶望的なほどの虚無を宿していた。

彼が失ったのは、単なる食欲だけではない。

「生きる喜び」そのものだった。


最強の魔王にして、最悪の拒食症患者。

私の次なるお客様は、一筋縄ではいかない予感がしていた。


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