第1話 高熱の少年と、北を指す黒い種
聖教国での冒険を終え、私たちが王都に戻ってきてから数日が経った。
レストラン『騎士の休息』は、今日も大盛況だ。
聖教国から持ち帰った『エリクサー・ライス』を使った新メニュー、特製リゾットやパエリアを目当てに、開店前から長い行列ができている。
「いらっしゃいませ! 空いているお席へどうぞ!」
看板息子のホルンが、元気な声でお客様を案内する。
その茶色いふさふさの尻尾が、忙しなく左右に揺れている。
「エリス、追加オーダーだ! 『ドラゴン・サーモンのカツレツ』が二つ!」
「はい、ただいま!」
厨房では、私とヴォルグさん、そしてイザベラさんが、戦場のような忙しさの中でフライパンを振るっていた。
ジュウジュウと肉が焼ける音、包丁がまな板を叩く小気味よいリズム。
漂う香ばしい匂いが、お客様の笑顔を引き出していく。
平和で、幸せな日常。
聖教国での激しい戦いが嘘のように、穏やかな時間が流れていた。
しかし。
その日常は、唐突に終わりを告げた。
ガシャンッ!!
ホールから、何かが砕けるような激しい音が響いた。
「……ホルン?」
私がフライパンの手を止めて振り返ると、そこには床に散らばった食器と、その真ん中でうずくまる小さな背中があった。
「ホルン! どうしたの!?」
私は調理場を飛び出し、彼の元へ駆け寄った。
抱き起したホルンの体は、火傷しそうなくらい熱かった。
「はぁ……はぁ……エリス……」
ホルンの瞳は虚ろで、呼吸が荒い。
いつも元気な耳も尻尾も、力なく垂れ下がっている。
「熱いわ! ヴォルグさん、イザベラさん、お店をお願い! 私はホルンを医務室へ!」
「おう、任せろ! エリスはあいつについててやれ!」
店内にざわめきが広がる中、私はホルンを抱きかかえ、店の奥にある休憩室へと急いだ。
◇
「……原因不明、ですね」
往診に来てくれた医師は、困り果てたように首を横に振った。
「風邪でも、食あたりでもありません。何らかの強力な魔力が、彼の体内で暴走しているようです。私の回復魔法では、熱を下げることすらできません」
「そんな……」
私はベッドの脇で、ホルンの手を握りしめた。
彼の体は小さく震えている。
聖教国から帰ってきて以来、彼は時折、北の空を見上げてぼんやりしていた。
あれは、体調が悪くなる前兆だったのだろうか。
「エリス……」
その時、非番だったレオンハルト様が、血相を変えて部屋に入ってきた。
知らせを聞いて、騎士団から駆けつけてくれたのだ。
「ホルンの具合はどうだ?」
「熱が下がらなくて……お医者様も原因が分からないって」
レオンハルト様は沈痛な面持ちでベッドに近づき、ホルンの額に手を当てた。
「……酷い熱だ。これはただの病気ではないな」
彼は騎士としての勘で、異常な魔力の波動を感じ取ったようだ。
その時だった。
ブゥン……。
ホルンのポケットから、低い唸るような音が聞こえた。
同時に、黒い光が漏れ出し始めた。
「な、何!?」
私がホルンのポケットに手を入れると、指先に硬い感触があった。
取り出したのは、一粒の種籾。
聖教国のダンジョンで見つけた、あの『黒く焦げたような種籾』だ。
それは今、脈打つように明滅し、禍々しくも力強い魔力を放っていた。
そして、私の手のひらからふわりと浮き上がり、空中でピタリと止まった。
その先端は、窓の外――北の方角を指している。
「……北か」
レオンハルト様が鋭い声で呟いた。
「この種が、何かを呼んでいるのか? それとも、呼ばれているのか」
「北……。ホルンが言っていたわ。彼の故郷は、聖教国のもっと北だって」
私はホルンのうわごとのような呟きに耳を傾けた。
「……かえらなきゃ……おかあさん……くろい……こめ……」
「黒い米……」
点と点が繋がった気がした。
この種籾は、ただの食材ではない。
ホルンのルーツに関わる重要な鍵であり、今の彼を苦しめている原因なのだ。
そして、それを解決する方法はきっと、この種が指し示す場所にある。
「……レオン。この方角の先には、何があるんですか?」
私の問いに、レオンハルト様は少し躊躇ってから、重い口調で答えた。
「聖教国の北には、『嘆きの壁』と呼ばれる巨大な山脈がある。そして、その向こう側は……人間が足を踏み入れてはならない禁断の地。『魔族領』だ」
魔族領。
強力な魔物と、魔法を操る魔族たちが支配する極寒の地。
人間との交流は断絶しており、生きて帰った者はいないと言われる場所。
「……魔族領」
私は種籾を握りしめた。
ホルンの熱は、どんどん上がっている。
このままでは、彼の命が危ない。
「行きます」
私は顔を上げた。
「エリス?」
「ホルンを連れて、魔族領へ行きます。そこでこの種籾の正体を突き止めて、ホルンを治す方法を見つけます」
「正気か!? あそこは王国の騎士団でさえ近づかない場所だぞ!」
レオンハルト様が私の肩を掴む。
彼の瞳には、深い心配の色が浮かんでいた。
「君を失うかもしれないんだぞ。……行かせられない」
「でも、ホルンを見殺しにはできません!」
私は彼の手を握り返し、真っ直ぐに見つめた。
「レオン。貴方は言いましたよね。『私がいる限り無敵だ』って。……私は、自分の料理と、貴方の剣を信じています。だからお願い、一緒に行って」
「……」
レオンハルト様は言葉を詰まらせ、そして深いため息をついた。
その表情から、迷いが消えていく。
「……はぁ。君には敵わないな」
彼は私の額に、コツンと自分のおでこを当てた。
「分かった。行こう、地の果てでも魔界でも。近衛騎士団長の剣にかけて、君とホルンを守り抜いてみせる」
「ありがとうございます、レオン!」
「おっと、水臭いじゃねぇか。俺を置いていく気か?」
扉の向こうから、野太い声がした。
ヴォルグさんが、腕組みをして立っていた。
その後ろには、心配そうにこちらを見ているイザベラさんの姿もある。
「ヴォルグさん……」
「魔物の肉を捌くなら、俺以上の適任はいねぇだろ? それに、可愛い弟分の一大事だ。一肌脱いでやるよ」
ヴォルグさんがニカッと笑い、力こぶを作ってみせる。
イザベラさんが一歩前に進み出た。
「師匠。お店のことは私にお任せください」
「イザベラさん……」
「聖教国での留守番で、私も成長しましたわ。ヴォルグ料理長直伝のハンバーグも、師匠のオムライスも、もう完璧に作れますもの」
彼女は凛とした表情で胸を張った。
かつては敵だった彼女が、今では一番信頼できる後継者になってくれている。
「ありがとうございます。……お願いします、私たちの帰る場所を守ってください」
「はい! 必ず!」
こうして、新たな旅のメンバーが決まった。
私、レオンハルト様、ヴォルグさん、そしてホルン。
目指すは北の果て、魔族領。
私たちは大急ぎで旅支度を始めた。
極寒の地へ向かうのだ。防寒具はもちろん、体を温めるための食材やスパイスを大量に用意しなければならない。
「『ヘル・ペッパー(激辛唐辛子)』に『ボルケーノ・ジンジャー(火山生姜)』……あと、味噌と醤油は必須ね」
私は倉庫にある調味料を、リュックの許す限り詰め込んだ。
魔族たちがどんな食生活をしているのかは分からない。
でも、美味しいご飯が通用しない種族なんていないはずだ。
「待っててね、ホルン。絶対に治してあげるから」
眠り続けるホルンを、レオンハルト様が背負い紐で背中に固定する。
ヴォルグさんは巨大な包丁とフライパンを担ぎ、私は愛用の魔導コンロを持った。
夜明け前。
私たちは静まり返った王都を出発した。
冷たい風が北から吹いてくる。
その風の匂いは、これまで嗅いだことのない、厳しくも神秘的な香りがした。
「行くぞ。……魔王が待つ国へ」
レオンハルト様の号令と共に、馬車が走り出す。
『下働き令嬢』の料理旅、第4章の幕開けだ。




