第10話 国境を越える食卓
聖教国での長い一日は、国境の街始まって以来の、盛大な宴によって締めくくられようとしていた。
イグニス枢機卿の圧政から解放された街は、まるで生まれ変わったように活気に満ちている。
広場の中央には、ヴォルグさんと私が陣取る巨大な野外キッチンが設営されていた。
そこから立ち上るのは、食欲を刺激してやまない香ばしい煙だ。
「さあ、ジャンジャン焼くぞ! 腹を空かせた奴から皿を持って並びな!」
ヴォルグさんが豪快に笑いながら、鉄板の上で肉や野菜を踊らせる。
ダンジョンから持ち帰った『オーク・ポーク』や『マッシュ・キノコ』が、ジュウジュウと音を立てて焼けていく。
「エリス、こっちの鍋もいい感じだよ!」
ホルンが鼻をひくつかせて鍋を覗き込む。
私が担当しているのは、今回の冒険の集大成とも言える大鍋料理だ。
使うのはもちろん、伝説の食材『エリクサー・ライス』。
そして、ダンジョンの地底湖で獲れた『ケーブ・フィッシュ』や『クリスタル・シュリンプ(水晶エビ)』などの魚介類。
これらを、サフランに似たスパイス『サン・フラワーの雌しべ』と一緒に炊き込む。
「仕上げに、レモンを絞って……完成!」
私が鍋の蓋を開けると、黄金色の蒸気が立ち上った。
魚介の旨味をたっぷりと吸い込んだお米が、鮮やかな黄色に染まり、宝石のように輝いている。
赤やピンクのエビ、白い魚の身、そして緑の野菜が彩りを添える。
「『聖域の恵みたっぷり・特大パエリア』です!」
私が大声で告げると、待ち構えていた民衆から「わぁっ!」と歓声が上がった。
「いただきます!」
人々がスプーンで山盛りのパエリアを口に運ぶ。
『エリクサー・ライス』は炊き込みご飯にしてもべたつかず、パラリとした食感を保っている。
噛むと、魚介の濃厚なエキスと、お米自体の甘みがじゅわりと溢れ出す。
「うめぇ……! こんな美味い飯、生まれて初めてだ!」
「体がポカポカする……力が湧いてくるぞ!」
あちこちで笑顔が咲く。
昨日まで「食べることは罪」だと怯えていた人々が、今は口の周りを黄色く染めて笑い合っている。
「エリスさん、私もおかわりをいただけますか?」
お皿を差し出してきたのは、すっかり元気になった聖女ルミアさんだ。
彼女はすでに三杯目を平らげようとしていた。
「ええ、もちろん! たくさん食べてくださいね」
「はい! 私、今まで食べられなかった分を取り戻さなきゃいけませんから!」
彼女はスプーン一杯のご飯を、幸せそうに頬張った。
その食べっぷりは見ていて気持ちがいいほどだ。
「やれやれ……聖女様があんなに健啖家になられるとは」
苦笑しながら近づいてきたのは、新生聖騎士団長となったガロードさんだ。
彼の手には、ヴォルグさんが焼いた肉串が握られている。
「いいじゃないですか。食べる子は育つ、と言いますし」
「違いない。……だが、これからは食費の心配をしなきゃならんな」
ガロードさんは冗談めかして言ったが、その表情は憑き物が落ちたように穏やかだった。
彼は私に向き直り、真剣な眼差しで言った。
「エリス殿。改めて礼を言わせてくれ。貴女が来てくれなければ、私は一生、偽りの正義に縛られたままだった。……貴女が、この国と私を救ってくれたのだ」
「私はきっかけを作っただけです。国を変えたのは、ルミアさんと、ガロードさんたちの勇気ですよ」
「ふっ、謙虚だな。……だが、その『きっかけ』こそが、何よりも重要だった」
彼は私の手を強く握った。
「我々聖騎士団は、今日から生まれ変わる。清貧ではなく、民と共に『生』を謳歌する騎士として。ルミア様と、この国の食卓は私が守り抜いてみせる」
「はい。期待しています、団長さん」
遠くで、レオンハルト様が民衆に囲まれながら、エールを飲まされているのが見えた。
「黒狼様だ!」「英雄だ!」と慕われ、彼も満更でもなさそうだ。
この国はもう大丈夫だろう。
宴は夜遅くまで続き、聖教国の夜空には、希望の星が瞬いていた。
◇
翌朝。
私たちは荷馬車に荷物を積み込み、帰路につく準備をしていた。
ルミアさんとガロードさん、そして多くの街の人々が見送りに来てくれている。
「エリスさん、本当に帰ってしまうのですか? もっといてくださればいいのに」
ルミアさんが名残惜しそうに言う。
その頬は朝日のように血色が良く、もう「鳥籠の聖女」の面影はない。
「お店がありますから。イザベラさんが一人で頑張っていますし」
「そうですか……。では、約束通り、今度は私がお店に行きますね! 国賓としてではなく、ただのお腹を空かせた客として!」
「ええ、お待ちしています。とびきりの新作を用意しておきますね」
私たちは再会を約束し、馬車に乗り込んだ。
車輪が動き出し、手を振る彼らの姿が小さくなっていく。
「……良い国になりそうだな」
隣で手綱を握るレオンハルト様が呟いた。
「ええ。美味しいものを美味しいと言える国なら、きっと平和になります」
「違いない。……しかし、問題が一つある」
「問題?」
「ああ。今回の遠征で、君の料理の腕がまた上がってしまったことだ。……ライバルが増えるのは困るんだがな」
彼が真顔で悩んでいるので、私は思わず吹き出してしまった。
「大丈夫ですよ。レオンはいつだって、私の一番のお客さんですから」
「……その言葉、忘れるなよ」
彼は少し照れくさそうに前を向いた。
馬車は街道を進み、懐かしい王国の風を感じ始めた。
◇
数日後。
私たちは王都へと戻ってきた。
『騎士の休息』の看板が見えると、なんだかホッとする。
「ただいまー!」
ホルンが一番に扉を開けて飛び込んだ。
「おかえりなさい!」
出迎えてくれたのは、エプロン姿のイザベラさんだ。
彼女は少しやつれていたが、その目は充実感に輝いていた。
「ああっ、師匠! お待ちしておりましたわ! もう大変でしたのよ! 騎士団の方々が『エリスの飯はまだか』って毎日押しかけてきて!」
「あらあら、ごめんなさい。……でも、お店は無事みたいね」
「当然ですわ! 私が留守を預かっていましたもの、味は落としていませんことよ!」
彼女は胸を張った。
店内を見渡すと、掃除が行き届き、花も飾られている。
彼女なりに、必死に守ってくれていたことが伝わってきた。
「ありがとう、イザベラさん。お土産話と、新しい食材がたくさんあるわよ」
「まあ! それは楽しみですわ! さっそく厨房で検品しましょう!」
日常が戻ってきた。
ヴォルグさんは「王宮の厨房にも顔を出さねぇと、部下が泣いてるだろうな」と言って帰っていき、レオンハルト様も「溜まった書類仕事が……」と渋い顔で騎士団本部へ戻っていった。
その夜。
久しぶりの自分のベッドで眠ろうとしていた時、窓辺でホルンが夜空を見上げているのに気づいた。
「ホルン? どうしたの、眠れない?」
声をかけると、彼はビクリとして振り返った。
その手には、あのダンジョンで見つけた、黒く焦げたような種籾が握られている。
「……ううん、なんでもないよ、エリス」
彼は種籾をポケットに隠し、無理に作ったような笑顔を見せた。
「ただ、ちょっと……懐かしい匂いがしただけ」
「懐かしい匂い?」
「うん。……『エリクサー・ライス』があった場所、ボクの故郷の近くだったんだ」
ホルンは窓の外、遠い北の空を指差した。
「聖教国のもっと北。人間が入っちゃいけない場所……『魔族領』」
その言葉に、私はドキリとした。
魔族領。
強力な魔物と、魔族たちが支配する、未知の領域。
「この種籾からね、ボクのお母さんと同じ匂いがするんだ。……もしかしたら、『神の食材』の本当の持ち主は、人間じゃないのかもしれない」
ホルンの瞳には、複雑な光が宿っていた。
故郷への郷愁と、隠された真実への恐れ。
「……エリス」
「なあに?」
「もし……ボクが遠くへ行かなきゃいけなくなったら、エリスも一緒に来てくれる?」
それは、ただの子供の甘えではない、切実な問いかけに聞こえた。
私は彼の頭を優しく撫でた。
「当たり前でしょう。君はうちの大事な看板息子なんだから。地の果てでも、魔族領でも、美味しいご飯を作りについていくわ」
「……うん! ありがとう、エリス!」
ホルンは安心して、私のベッドに潜り込んできた。
すぐに安らかな寝息が聞こえ始める。
しかし、私は窓の外を見つめ続けた。
聖教国で見つけた伝説の米。
そして、ホルンの故郷である魔族領。
「食」を巡る物語は、国境を越え、種族を越えて、さらに大きな渦へと私たちを巻き込もうとしているのかもしれない。
「望むところよ」
私は小さく呟いた。
どんな場所でも、どんな相手でも。
私の料理で笑顔にしてみせる。
それが、『下働き令嬢』から始まった、私の最強の魔法なのだから。
夜風が、微かにスパイシーな、異国の香りを運んできた気がした。
(第3部 完)
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