第8話 決戦、守護者を満たせ!
「グオォォォォォォォッ!!」
地下空間を揺るがす咆哮と共に、『暴食の守護者』から伸びた無数の触手が、鞭のように襲いかかってきた。
「くっ、速い!」
レオンハルト様が剣で触手を弾き飛ばす。炎の魔力を纏った剣撃は、触手を焼き切るが、切り口からはすぐに新しい泥が盛り上がり、再生してしまう。
「物理も魔法も効き目が薄いぞ! キリがねぇ!」
ヴォルグさんが巨大なフライパンを盾にして、触手の連打を受け止める。
その横では、正気を取り戻したガロードさんと聖騎士たちが、必死に光魔法の障壁を展開し、私と調理場を守ってくれていた。
「持ちこたえろ! エリス殿が料理を完成させるまで、一歩も通すな!」
「おおおおっ!」
騎士たちの気迫は凄まじい。
だが、守護者の力は圧倒的だ。イグニス枢機卿の底なしの欲望を取り込んだ怪物は、刻一刻とその質量を増し、赤黒い瘴気を撒き散らしている。
「ハラガ……ヘッタ……全部……ヨコセ……!!」
怪物の咆哮は、ただの音ではない。
「空腹」という概念そのものをぶつけてくる精神攻撃だ。
油断すれば、立っているだけで生気を吸い取られそうになる。
「待っていて……。今、最高のご飯を食べさせてあげるから!」
私は戦場のど真ん中で、簡易コンロの前に立っていた。
私の目の前には、刈り取ったばかりの黄金の稲穂――『エリクサー・ライス』の山がある。
通常なら、脱穀して、精米して、浸水させて……と、炊き上がるまでに数時間はかかる工程だ。
だが、今の私には時間がない。
だからこそ、持てる全てのスキルと魔法を動員する。
「生活魔法、『精米』!」
私は稲穂の山に手をかざし、魔力を流し込んだ。
風魔法の応用だ。
渦巻く風が籾殻を一瞬で弾き飛ばし、中から白く輝く米粒だけを抽出する。
キラキラと舞い落ちる米の宝石たちを、大鍋でキャッチする。
「水は……これを使う!」
リュックから取り出したのは、ダンジョンの地底湖で汲んでおいた『聖水』だ。
不純物が一切ない、清らかな水。
これを米になじませる。
「火力全開! お願い、ヴォルグさんのフライパンみたいに熱くなって!」
私は魔導コンロの出力を最大にした。
さらに、自分の魔力も鍋に注ぎ込む。
『圧力』と『加熱』。
鍋の中の気圧を一気に高め、高温で米の芯まで火を通す。
お米のデンプン質を、爆発的なスピードで糖化させるのだ。
シュシュシュシュシュッ……!!
鍋から激しい蒸気が吹き出し始めた。
その蒸気には、穀物の甘く、芳醇な香りが含まれている。
「!?」
その匂いが漂った瞬間、暴れていた守護者の動きがピタリと止まった。
「イイ……ニオイ……」
怪物の巨大な目が、私の方――正確には、私の手元の鍋に向けられる。
「こっちを見たぞ! チャンスだ、引きつけろ!」
レオンハルト様が叫び、わざと隙を見せて怪物の注意を引く。
「あと少し……蒸らしの時間が必要よ」
私は焦る気持ちを抑え、鍋の火を止めた。
この数分が、米の味を決める。
その間に、トッピングの準備だ。
究極の卵かけご飯(TKG)。
主役は米だが、それを包み込む卵もまた、最強でなければならない。
「ホルン! イグニスの隠し倉庫にあった『あの箱』、持ってきて!」
「うん! 任せて!」
ホルンが瓦礫の山となった倉庫跡から、一つの木箱を抱えて走ってきた。
イグニスが隠し持っていた、最高級食材の一つ。
箱を開けると、中にはソフトボールほどの大きさがある、黄金色の卵が鎮座していた。
「『皇帝コカトリス(エンペラー・コカトリス)』の有精卵……!」
市場価格なら家が一軒建つほどの代物だ。
その黄身は、箸で掴めるほど濃厚で、クリのような甘みがあるという。
「これなら、『エリクサー・ライス』にも負けない!」
私は小さなボウルに卵を割り入れた。
とろりとした白身と、夕陽のように濃いオレンジ色の黄身。
そこへ、私の宝物である『黒しずく(醤油)』を数滴垂らす。
さらに、隠し味として、イグニスの倉庫から拝借した『トリュフ・オイル』をひと回し。
カチャカチャカチャ……。
軽く混ぜ合わせる。
完全に混ぜきらないのがポイントだ。
白身のドロッとした食感と、黄身の濃厚さ、そして醤油の塩気がマーブル状になるように。
「炊けたわ!」
私は大鍋の蓋を一気に開けた。
ボワァァァッ……!
真っ白な湯気が、キノコ雲のように立ち上った。
その瞬間、地下空間全体が、「炊きたてのご飯」という幸せの香りで満たされた。
腐臭も、血の匂いも、全てを浄化する聖なる香り。
「うおおっ……なんだこの神々しい輝きは!」
「米が……立っている!」
鍋の中を覗き込んだ騎士たちが息を呑む。
『エリクサー・ライス』は、炊き上がると一粒一粒が自ら発光し、まるで真珠の山のように輝いていた。
一粒が普通の米の倍ほど大きく、ふっくらとしている。
「さあ、仕上げよ!」
私は巨大な器(倉庫にあった鉢植え用の未使用の陶器)に、ご飯を山盛りに装った。
その中央に窪みを作る。
そこへ、先ほどの特製卵液を、静かに、そして大胆に流し込む。
トロォォォ……。
黄金色のご飯の上に、さらに濃い黄金色の卵が広がる。
熱気で醤油の香ばしさが立ち、トリュフの香りが高級感を添える。
最後に、刻んだ『ダンジョン・ネギ』と、パリパリの『ケーブ・ノリ(岩海苔)』を散らす。
完成だ。
『黄金の究極・卵かけご飯(TKG) ~皇帝の卵と黒しずくを添えて~』。
「レオン、道を開けて!」
私はその巨大な鉢を両手で抱え、戦場の最前線へと走り出した。
「エリス、危ない!」
「大丈夫! この料理は、あの子のためのものだから!」
私は守護者の目の前まで進み出ると、鉢を高く掲げた。
「暴食の守護者さん! お腹が空いてるんでしょう!?」
私の声に、怪物がゆっくりと顔を近づけてきた。
巨大な口からは、どろりとした涎が垂れている。
でも、その目はもう、破壊衝動に燃える赤色ではなく、美味しいものを前にした子供のような色をしていた。
「タベタイ……ソレ、タベタイ……」
「食べていいのよ。これは貴方がずっと守ってきた、お米たちからのプレゼントだから!」
私は鉢を、怪物の口元――触手で形成された受け皿のような場所へと差し出した。
怪物は躊躇った。
今まで、イグニスのどす黒い欲望ばかりを食べさせられ、腹を壊していた。
こんなに純粋で、温かいものを食べていいのかと。
「遠慮するな! エリスの飯は世界一だぞ!」
レオンハルト様が叫んだ。
「食ってみろ! そして思い出せ! お前の本当の役目を!」
その言葉に背中を押されたのか、守護者は触手を動かし、巨大な鉢の中身を一気に飲み込んだ。
ゴクリ。
巨大な嚥下音が響く。
そして、静寂が訪れた。
「……」
怪物の動きが止まる。
次の瞬間。
カッッッ!!!!
怪物の体の中心から、太陽のような光が溢れ出した。
「ア……アァ……」
口の中で、米粒が弾けた。
一粒噛むごとに、凝縮された生命力が溢れ出す。
甘い。
信じられないほど甘い。
そして、それを包み込む卵のまろやかさと、醤油の塩気が、味の輪郭を引き締める。
トリュフの香りが鼻腔を抜け、ネギのシャキシャキ感がアクセントになる。
熱いご飯が、冷え切った泥の体を温めていく。
イグニスの欲望という毒素が、米の浄化作用によって洗い流されていく。
「オイシイ……。アッタカイ……」
怪物の体から、赤黒い瘴気が抜け落ちていく。
泥の体が崩れ落ち、その下から現れたのは――純金でできたような、美しいスライムの姿だった。
それは、本来の『守護者』の姿。
「マン……プク……」
守護者は満足げに目を細め、その場にぺたりと座り込んだ。
そして、大きく口を開けると、ポーン!と何かを吐き出した。
「ぎゃあああああああッ!!」
粘液まみれになって転がり出てきたのは、気絶したイグニス枢機卿だった。
彼は守護者の体内(別空間)に保存されていただけで、消化はされていなかったらしい。
(まあ、あんな不味そうな欲望の塊、守護者だってお腹を壊すから吐き出したかったのだろう)
「やった……! 浄化成功だ!」
ガロードさんが剣を掲げて歓声を上げた。
聖騎士たちも、ヴォルグさんも、抱き合って喜んでいる。
「エリス!」
レオンハルト様が駆け寄り、私を抱きしめた。
「無茶をしやがって……! だが、見事だった」
「レオン……はい。あの子、喜んでくれました」
私は腕の中で、黄金のスライムを見つめた。
彼は私に向かって、ぷるぷると体を震わせ、まるで「ごちそうさま」と言っているようだった。
「これで、『聖域』は解放されたな」
ヴォルグさんがイグニスを縄で縛り上げながら言った。
「ああ。イグニスの悪事は白日の下に晒される。この国の歪んだ教義も、これで終わるだろう」
ガロードさんが、清々しい顔で頷いた。
戦いは終わった。
料理の力が、剣と魔法、そして長年の呪縛に打ち勝ったのだ。
「さあ、帰ろう。ルミア様が待っている」
私たちは『エリクサー・ライス』の一部を種籾として分けてもらい、イグニスを連行して地上への道を戻り始めた。
ホルンが、黄金のスライムに手を振った。
「また来るね! 美味しいご飯、持ってくるから!」
スライムは、私たちが姿を消すまで、黄金の光で道を照らし続けてくれていた。
地上に出ると、そこには満天の星空が広がっていた。
夜風が心地よい。
リュックの中には、世界を救う『神の食材』と、みんなを守った『おにぎりの思い出』が詰まっていた。
(さあ、次はルミアさんを元気にしなきゃ)
私は決意を新たにした。
『エリクサー・ライス』で作る最高のリゾット。
それを食べれば、きっと彼女も完全に復活するはずだ。
「お腹空いたな……」
「帰ったら、特大のTKGパーティーだな!」
笑い声と共に、私たちは街の灯りを目指して歩き出した。
聖教国の夜明けは、もうすぐそこまで来ていた。




