第5話 迷宮の焼き鳥と、隠された欲望の道
「……気をつけて。この先、空気の色が変わってる」
ホルンが鼻をピクピクさせながら、足を止めた。
『聖域の洞窟』の中層エリア。
青白く光る苔に照らされた道は、地下とは思えないほど広く、そして静まり返っていた。
「空気の色、か?」
「うん。甘い匂いがするけど……その下に、ビリビリする嫌な匂いが隠れてる。たぶん、『麻痺花』の群生地だ」
ホルンの警告に、レオンハルト様が足元の小石を拾い、前方の闇へと投げた。
カツン、と石が地面に落ちた瞬間。
天井から黄色い粉末がバサリと降り注いだ。
もし私たちが歩いていたら、全身に麻痺毒を浴びて動けなくなっていただろう。
「……なるほど。天然のトラップというわけか」
「さすがだぜ、ホルン。お前の鼻がなけりゃ、今頃俺たちは床でピクピクしてたな」
ヴォルグさんがホルンの頭を撫でる。
ホルンは「えへへ」と照れながらも、頼もしい顔つきで先導を続けた。
「こっちの脇道なら安全だよ! それに……すごく美味しそうな『お肉』の匂いがする!」
お肉の匂い。
その言葉に、私たちの足取りが少しだけ軽くなった。
ダンジョン攻略における最大の楽しみ、それは「現地調達グルメ」だ。
◇
脇道を抜けると、開けた空間に出た。
そこには、岩肌と同化したような巨大な鳥が、翼を休めていた。
体長は三メートルほど。全身が岩のように硬い羽根で覆われている。
「『ロック・バード』の親玉……いや、『グラン・ロック・バード』か!」
レオンハルト様が剣を構える。
その殺気を感じ取り、巨鳥が目を覚ました。
「ギョエエエエエッ!!」
鼓膜を突き破るような怪鳥音。
グラン・ロック・バードが翼を広げ、突風と共に私たちに襲いかかってくる。
そのクチバシは岩をも砕く威力だ。
「エリス、下がっていろ!」
レオンハルト様が前に出る。
風圧をものともせず、一瞬で懐に潜り込む。
「硬い羽根など、我が剣の前では紙切れ同然!」
銀閃が走る。
鋼鉄のような羽根ごと、巨鳥の脚の腱を断ち切る。
バランスを崩した巨鳥が体勢を立て直そうとしたところへ、ヴォルグさんが躍り出た。
「今日のメインディッシュは鶏肉だァッ!」
彼が振り下ろしたのは、愛用の巨大鉄フライパン(特注ミスリル製)。
ゴォォォンッ!!
鐘のような音が響き、フライパンの一撃が巨鳥の脳天を直撃した。
巨体はドサリと地に伏し、動かなくなった。
鮮やかな連携プレーだ。
「ふぅ……いい運動になったな」
「へっ、こいつぁ上玉だぜ。見てみな、この太ももの筋肉」
ヴォルグさんがナイフで羽根の隙間を確認する。
岩のような外見とは裏腹に、その内側には弾力のある赤身肉が詰まっている。
普通の鶏肉よりも味が濃く、噛みごたえがありそうだ。
「よし、解体しましょう! 部位ごとに分けて、一番美味しい食べ方でいただきますよ!」
◇
私たちは安全な場所に『調理場』を設営した。
ヴォルグさんの手際よい解体により、巨大な鳥はあっという間に精肉へと変わった。
「今回は、この新鮮なモモ肉とムネ肉を使って……『ダンジョン串焼き(焼き鳥)』にします!」
私は肉を一口大に切り分けた。
合わせるのは、道中で採取した『ダンジョン・ネギ』だ。
普通のネギよりも太く、加熱するとトロリと甘くなる。
肉とネギを交互に串に刺していく。いわゆる『ねぎま』スタイルだ。
「タレは、私の秘蔵っ子を使います」
小鍋に『黒しずく(醤油)』、酒、砂糖、そして潰したニンニクを入れて煮詰める。
とろみがつき、甘辛い香りが漂い始めると、それだけで白飯が食べられそうだ。
簡易コンロに網を乗せ、串を並べる。
ジュウウウゥッ……!
脂の乗った肉が熱で縮み、香ばしい煙を上げる。
ネギに焦げ目がつき、甘い汁が滲み出る。
あらかじめ塩を振った『塩焼き』と、タレを絡めて二度焼きする『タレ焼き』。
二種類の香りが混ざり合い、洞窟内を最高の居酒屋へと変えていく。
「……たまらん。この匂いだけで酒が三杯はいける」
ヴォルグさんが喉を鳴らす。
レオンハルト様も、真剣な眼差しで串を見つめている(敵を見る時より真剣かもしれない)。
「焼き上がりました! 熱いうちにどうぞ!」
私は焼き立ての串を皿に盛り、皆に配った。
「いただきます!」
まずは、塩焼きから。
レオンハルト様が串にかぶりつく。
カリッ、プリッ。
皮目はパリパリに焼けているが、身は弾力があり、噛むたびに肉汁が弾ける。
シンプルな塩味が、グラン・ロック・バードの濃厚な旨味をダイレクトに伝えてくる。
「美味い……! 地上の鶏とは比べ物にならない弾力だ。だが決して硬くはない」
「ネギと一緒に食べると最高だよ! 中がトロトロで甘いんだ!」
ホルンが口の周りを脂で光らせながら叫ぶ。
次は、タレ焼きだ。
甘辛いタレが絡みつき、炭火(魔法の火だが)で焦げた醤油の香ばしさが鼻を抜ける。
「こっちはご飯が欲しくなる味だな!」
ヴォルグさんが持参したパンに肉を挟んで豪快に食べている。
「エリス、君は天才だ。こんな過酷な場所で、これほど豊かな食事ができるとは」
「ふふ、食材が良いからですよ。ダンジョンの恵みに感謝ですね」
私も串を頬張った。
美味しい。
疲れが吹き飛び、体の中から活力が湧いてくる。
やはり、冒険には美味しいご飯が不可欠だ。
◇
食事が終わり、片付けをしている時だった。
ホルンが洞窟の壁際で、何かを見つけて手招きした。
「エリス、レオンお兄ちゃん! こっち来て! 変なものがあるよ」
私たちが行ってみると、そこには不自然に平らな岩があった。
苔が削り取られ、人が頻繁に行き来したような跡がある。
さらに、その脇には――。
「……これは、ワインの空き瓶?」
地面に転がっていたのは、明らかに高級なクリスタルガラスの瓶だった。
ラベルには『ガレリア帝国産・特級赤ワイン』の文字。
「イグニスの野郎だ」
ヴォルグさんが吐き捨てるように言った。
「こんな高級酒、冒険者が持ってくるわけがねぇ。枢機卿の私物だ」
「ということは、この先に奴の『隠し場所』があるということか」
レオンハルト様が岩を調べると、微かな魔力の流れを感じ取った。
隠し扉だ。
彼は剣の柄で特定の場所を叩き、魔力を流し込んだ。
ズズズズズ……。
重い音と共に、岩壁がスライドし、奥へと続く人工的な通路が現れた。
ダンジョンの自然な洞窟とは違う、綺麗に舗装された道。
そこからは、ひんやりとした冷気と共に、数え切れないほどの「食材」の匂いが漂ってきた。
「……すごい匂い。フルーツに、お肉に、お魚……全部混ざってる」
ホルンが鼻を押さえた。
「行きましょう。イグニス枢機卿の『清貧』の正体を暴くために」
私はリュックを背負い直した。
ここから先は、ただのダンジョン攻略ではない。
人の欲望が作り出した、歪な迷宮だ。
私たちは舗装された通路へと足を踏み入れた。
その先に待ち受けるのが、伝説の食材『エリクサー・ライス』だと信じて。
◇
通路を進むこと数十分。
私たちは、巨大な地下空間に出た。
「な、なんだここは……!」
ヴォルグさんが絶句した。
そこは、天然の鍾乳洞を利用した、巨大な「冷蔵倉庫」だった。
氷魔法を付与された魔導具が並び、空間全体を低温に保っている。
棚には、木箱が山積みにされていた。
『マッシュ・キノコ』の干物、『ケーブ・フィッシュ』の燻製、さらには地上では見たこともないような色の果実や野菜。
それだけではない。
帝国や王国から「没収」したと思われる、酒や調味料、高級ハムなども所狭しと並んでいる。
「これ全部、独り占めしてたのかよ……」
「民には草を食ませておいて、自分はここで宴を開いていたわけか」
レオンハルト様の拳が震えている。
これはただの贅沢ではない。国一つを養えるほどの備蓄量だ。
食を支配し、人を支配するための悪意の塊。
「……許せない」
私も怒りで視界が赤くなりそうだった。
食材は、誰かの胃袋を満たしてこそ価値がある。
こんな暗い場所に閉じ込められて、誰にも食べられずに腐っていくなんて。
「エリス、見て! あそこ!」
ホルンが空間の最奥を指差した。
そこには、ひときわ厳重な扉があった。
そして、その扉の隙間から、神々しいほどの黄金の光が漏れ出している。
「……あれが、『神の雫』?」
私たちは顔を見合わせた。
イグニスが最も隠したかったもの。
そして、私たちが求め、聖女ルミアを救うための最後の鍵。
「行こう。あの中に答えがある」
レオンハルト様が扉に手をかけようとした、その時だった。
「――そこまでだ、ネズミども」
背後から、冷徹な声が響いた。
振り返ると、通路の入り口を塞ぐように、完全武装した聖騎士団が立っていた。
そして、その先頭にいるのは――。
「ガロード団長……?」
私たちが粥を食べさせ、和解したはずの聖騎士団長ガロード。
しかし、今の彼の目は虚ろで、まるで操り人形のように生気がなかった。
その首には、禍々しい紫色の宝石が埋め込まれたチョーカーが巻かれている。
「『隷属の首輪』か……! イグニスの仕業だな!」
レオンハルト様が叫ぶ。
ガロードは震える手で剣を抜き、悲痛な声で告げた。
「……すまない。体が、勝手に……。逃げてくれ……!」
「逃がすわけがないだろう?」
騎士たちの後ろから、赤い法衣の男――イグニス枢機卿が姿を現した。
彼は勝ち誇ったように笑い、手にした杖を掲げた。
「よくぞここまで辿り着いた。私の宝物庫へようこそ。……だが、生きて帰れると思うなよ?」
「イグニス! 貴様、自分の部下に何を!」
「忠誠心が足りない犬には、首輪が必要だということだ。……殺れ、ガロード。その料理人たちを切り刻み、私のコレクションの肥料にせよ!」
イグニスの命令と共に、ガロードの体が強制的に動かされる。
目からは涙を流しながら、彼は私たちに向かって突進してきた。
「くっ、やるしかないのか!」
レオンハルト様が剣を構える。
しかし、相手は操られているだけの味方だ。本気で斬るわけにはいかない。
絶体絶命のピンチ。
だが、私はリュックの中身を握りしめた。
剣では救えないなら、私の武器で戦うしかない。
操られた心すら溶かす、とびきりの「ご飯」で!
「ヴォルグさん、防御をお願い! 私、調理します!」
「はあ!? こんな状況でか!?」
「こんな状況だからこそです! ガロードさんの目を覚まさせるには、言葉よりも味が必要です!」
戦場でのクッキング・バトル。
聖教国の闇を晴らすための、負けられない戦いが始まった。




