第4話 立ち塞がる枢機卿
「……教育的指導、だと?」
狭い聖女の居室に、ドスリと重い空気が満ちた。
イグニス枢機卿は、脂ぎった顔を醜く歪め、レオンハルト様を睨みつけた。
「王国風情が、この国の枢機卿に剣を向けるか。外交問題になるぞ」
「構わん。貴様の行いは人道に反する。帝国のヴァレリウス殿下も承知の上だ」
レオンハルト様が一歩も引かずに言い返す。
その剣先はピタリとイグニスの喉元に向けられていた。
背後では、ヴォルグさんがフライパンを構え、私がルミアさんとホルンを庇うように立っている。
「ふん……野蛮な」
イグニスは鼻を鳴らし、懐からハンカチを取り出して額の汗を拭った。
その時、ふわりと甘い香りが漂った。
「……くんくん」
私の背中で、ホルンが鼻をひくつかせた。
「エリス……このおじさん、すごくいい匂いがする」
「えっ?」
「『ジュエル・トリュフ』と……『ドラゴン・フォアグラ』の匂いだ。あと、すごく高いワインの匂いもする」
ホルンの言葉に、部屋の空気が凍りついた。
『ジュエル・トリュフ』も『ドラゴン・フォアグラ』も、金貨何枚もする超高級食材だ。
しかも、どちらも濃厚な脂と香りが特徴で、決して「清貧」や「断食」とは縁のない代物である。
「な、何を言うか! 不浄な獣風情が!」
イグニスが慌てて身を引いた。
その狼狽ぶりは、図星であることを雄弁に語っていた。
「なるほど。民には草の根をかじらせておいて、自分は隠れて美食三昧というわけか」
ヴォルグさんが低い声で嘲笑う。
「さぞかし美味いだろうな。皆の犠牲の上で食う飯は」
「黙れ! これは……そう、神への供物を毒見していただけだ!」
苦しい言い訳だ。
ガロード団長が、信じられないものを見る目で枢機卿を見つめていた。
「猊下……。まさか、聖域の封鎖もそのためなのですか?」
「な、何のことだ」
「街の奥にある『聖域の洞窟』。あそこには貴重な薬草や食材が自生しているはずです。民が飢えている今こそ開放すべきだと進言しましたが……貴方は『神聖な場所だから立ち入り禁止だ』と」
ガロードさんの声が震えている。
尊敬していた上司の裏切り。
イグニスは独占していたのだ。ダンジョンから湧き出る富と食材を、自分だけのものにするために。
「ええい、うるさい!」
イグニスが杖を床に叩きつけた。
すると、部屋の入り口に控えていた異端審問官たちが、不気味な魔力を練り始めた。
「ガロード! 貴様は解任だ! そしてこの不届き者たちは、聖女をたぶらかした罪で処刑する!」
「やらせるかッ!」
レオンハルト様が踏み込もうとした瞬間、私は叫んだ。
「待ってください! ここで暴れたら、ルミアさんが!」
今のルミアさんは、ゼリーを食べて少し回復したとはいえ、まだ衰弱している。
狭い部屋で魔法が飛び交えば、余波だけで命に関わる。
レオンハルト様がギリリと奥歯を噛み締め、動きを止めた。
イグニスはそれを見て、勝ち誇ったように笑った。
「ほう、人質(聖女)の命は惜しいか。……ならば、こうしよう」
彼はねっとりとした視線を私に向けた。
「お前たちは『食は命』などとほざいたな? ならば証明してみせろ」
「証明?」
「この街の奥にある『聖域の洞窟』――お前たちがダンジョンと呼ぶ場所へ行き、最奥にある『神の雫』を持ち帰ってみせろ」
『神の雫』。
その名を聞いたガロードさんが息を呑んだ。
「猊下、それは伝説上の秘薬です! 実在するかも定かではないし、あの洞窟は凶暴な魔物の巣窟……生きて帰った者はいません!」
「だからこそだ」
イグニスは意地悪く目を細めた。
「もし持ち帰れば、お前たちの主張を認めよう。ルミアへの治療も許可するし、私も身の潔白を証明するために蔵を開放しようではないか」
「……もし、断れば?」
「即刻、異端者としてこの場で処刑する。ルミアも連座だ」
選択肢などなかった。
これは体好いい「厄介払い」だ。
私たちを危険なダンジョンに送り込み、魔物に始末させるつもりなのだ。
でも。
「……分かりました。受けます」
私は真っ直ぐにイグニスを見据えて答えた。
「エリス!?」
「大丈夫ですよ、レオン。それに……」
私はホルンを見た。
彼は怯えながらも、窓の外――ダンジョンのある方向をじっと見つめている。
「あっちから、すごく強い匂いがするんだ。……ボクの仲間たちの匂いと、もっとすごい『ごちそう』の匂いが」
ホルンの鼻がそう言うなら、間違いなくそこに「ある」。
イグニスが隠している秘密も、獣人たちの行方も。
「交渉成立ですね、枢機卿」
「フン、威勢だけはいいな。……精々、魔物の餌にならないよう祈ることだ」
イグニスはマントを翻し、部下たちを連れて部屋を出ていった。
嵐のような緊張感が去り、私たちは大きく息を吐いた。
◇
「すまない……私の力が足りないばかりに」
ガロードさんが、壁を殴りつけて悔しがった。
「謝らないでください、ガロードさん。貴方はルミアさんを守ってくれたじゃありませんか」
私はベッドで眠るルミアさんの布団を直した。
彼女は安定した呼吸で眠っている。
とりあえずの危機は脱したが、完治にはもっと栄養価の高い食事と、心のケアが必要だ。
「ガロードさん。私たちが戻るまで、ルミアさんをお願いできますか?」
「……ああ。命に代えても守り抜く。イグニスには指一本触れさせん」
騎士団長の目には、もう迷いはなかった。
彼は「盲目的な信徒」から、「守るべきものを知る騎士」へと戻っていた。
「よし、行こうか」
レオンハルト様が装備を確認する。
私たちはルミアさんに別れを告げ、大聖堂を後にした。
◇
街の北側に位置する『聖域の洞窟』の入り口は、巨大な鉄格子で封鎖されていた。
しかし、イグニスの命令書を見せると、警備兵たちは青ざめた顔で道を開けた。
「本気か? あそこに入ったら二度と出られないぞ……」
「お気遣いなく。私たちは『食材調達』に行くだけですから」
私はリュックを背負い直した。
中には調理器具と調味料。そして、これまでの冒険で培った経験が詰まっている。
「さあ、ダンジョン攻略開始だ!」
一歩足を踏み入れると、そこは別世界だった。
ひんやりとした空気。
壁や天井には発光する苔が張り付き、ぼんやりと青白い光を放っている。
そして何より。
「……うん、間違いない。ここは『食材の宝庫』だぜ」
ヴォルグさんが鼻を鳴らした。
入り口付近には、すでに見たこともないキノコが群生している。
笠がパンケーキのようにふっくらとした『マッシュ・キノコ』に、茎がアスパラガスのように瑞々しい『スピア・グラス』。
「聖教国の人たちは、こんな宝の山を放置していたなんて」
「『不浄な魔境』と恐れられていたからな。手つかずの自然が残っているわけだ」
レオンハルト様が剣を抜き、先頭を進む。
ホルンが鼻をクンクンさせながらナビゲートする。
「こっちだよ! 右の通路から、甘い匂いがする!」
私たちはホルンの指示に従い、地下へと続く迷宮を進んだ。
「シャァァァァッ!!」
突如、天井から巨大な影が降ってきた。
体長二メートルはある大蜘蛛だ。
「『ポイズン・スパイダー』か!」
「任せろ!」
ヴォルグさんが巨大なフライパンをフルスイングする。
ゴスッ!という鈍い音と共に、蜘蛛は壁に叩きつけられて絶命した。
「ふぅ……いきなり大物ね」
「毒があるから食用には向かねぇな。次へ行こう」
私たちはさらに奥へ進む。
すると、今度は地底湖のような場所に出た。
透明度の高い水の中を、銀色の魚影が走り回っている。
「あれは……『ケーブ・フィッシュ』!」
私は思わず声を上げた。
洞窟内の綺麗な水で育つ魚で、臭みがなく、脂が乗っている高級魚だ。
市場でも滅多にお目にかかれない。
「確保します! レオン、お願いします!」
「魚釣りか。任せておけ!」
レオンハルト様が水面に手をかざし、魔法を放つ。
水柱が上がり、数匹のケーブ・フィッシュが打ち上げられた。
ピチピチと跳ねる銀色の魚体。
丸々と太っていて、見るからに美味しそうだ。
「よし、ここをキャンプ地とする!」
私は宣言した。
腹が減っては戦(ダンジョン攻略)はできぬ。
イグニスに『神の雫』を持って帰る前に、まずは私たちがこの恵みを味わわなくては。
私は簡易コンロを展開した。
ヴォルグさんが手際よく魚を捌く。
内臓を取り出し、切り込みを入れる。
「シンプルに塩焼きもいいけど……今日はちょっと洋風にしましょう」
私はスキレット(鋳鉄製のフライパン)に、たっぷりのオリーブオイルと、刻んだニンニク、鷹の爪を入れる。
火にかけると、食欲をそそる香りが洞窟内に充満した。
そこへ、先ほど採取した『マッシュ・キノコ』と、一口大に切った『ケーブ・フィッシュ』を投入する。
ジュワァァァァ……!
オイルの中で食材が踊る。
魚の皮がパリッと揚がり、キノコがオイルを吸って艶やかになる。
仕上げにパセリを散らせば完成だ。
「『ダンジョン産・白身魚とキノコのアヒージョ』です!」
バゲット(持参したパン)を添えて出す。
「いただきます!」
レオンハルト様が、熱々の魚をフォークで刺し、オイルごと口に運ぶ。
「……ッ! 熱い、けど美味い!」
淡白な白身魚に、ニンニクの効いたオイルが絡みつく。
噛むとジュワッと魚の脂とオイルが溢れ出し、キノコの旨味が追いかけてくる。
残ったオイルをパンに浸して食べれば、もう止まらない。
「うめぇ! このキノコ、肉みたいに味が濃いぞ!」
「魚の皮がパリパリで美味しいよぅ!」
ヴォルグさんとホルンも大絶賛だ。
暗くて湿っぽいダンジョンが、一瞬にして賑やかなバルへと変わった。
「こんなに美味しいものが沢山あるのに……地上の人たちは飢えているなんて」
私はアヒージョを食べながら、ふと思った。
イグニスは、この豊かさを独り占めするために、ここを封鎖していたのだ。
「神聖な場所」という嘘で、民を遠ざけて。
「許せないわね」
「ああ。必ず暴いてやろう。このダンジョンの最奥にあるものを」
レオンハルト様が力強く頷いた。
お腹も満たされ、気力も十分。
「行きましょう。イグニスが隠している『秘密の倉庫』と……『神の雫』へ」
私たちは再び歩き出した。
目指すは最下層。
そこには、想像を超える「何か」が待ち受けている気配がしていた。




