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【最終章完結】『「罰として下働きしろ」と言われたので、厨房で飯テロ無双します ~不味い飯に苦しむ王子を他所に、騎士団長と晩酌中~』  作者: 月雅
第3章

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第2話 清貧という名の飢餓

「我々はガレリア帝国および王国からの特使だ。道を空けろ」


レオンハルト様が低い声で告げると、聖教国の騎士たちは一瞬怯んだように後ずさった。

大陸最強と謳われる「黒狼」の覇気は、国境を越えても健在だ。

しかし、彼らの中心にいた一人の男だけは、鋭い眼光でレオンハルト様を睨み返してきた。


「特使だと? そのような不浄な匂いを纏った者たちがか」


男は、白銀の鎧に赤いマントを羽織っていた。

整った顔立ちだが、頬はこけ、目の下には濃い隈がある。

彼もまた、飢えているのだ。


「私は聖騎士団長のガロード。この街の治安と、枢機卿猊下の命による『清めの儀式』を守る者だ」


ガロードと名乗った騎士は、痩せ細った腕で長剣の柄を握りしめた。


「現在、この街は『大断食』の最中にある。食という俗世の欲を断ち、魂を浄化しているのだ。他国の者が土足で踏み入り、食料などという穢れを持ち込むことは許さん」


「穢れ、だと?」


レオンハルト様の眉がピクリと跳ねる。

その背後で、ヴォルグさんが巨大な包丁を肩に担ぎ直した。


「おいおい、騎士様よ。後ろを見てみろ。あんたが守ってる民衆が、今にも倒れそうじゃねぇか」


ヴォルグさんが顎で示した先。

広場の隅では、痩せこけた子供たちが力なく座り込み、母親らしき女性が祈るように手を合わせている。

彼らの目は虚ろで、生きる気力すら失われかけている。


「あれが浄化された姿か? 俺には、ただの餓死寸前に見えるがな」

「黙れ!」


ガロードが叫んだ。


「これは試練なのだ! 肉体の苦痛を乗り越えた先に、真の救済がある! それを邪魔する悪魔の誘惑には屈しない!」


彼の瞳には、狂信に近い光が宿っていた。

話が通じない。

彼らは本気で、飢えることが正しいと信じ込まされているのだ。


「……行くぞ、エリス」


レオンハルト様が私の肩を引き寄せた。


「ここで剣を抜くのは簡単だが、それでは彼らを『殉教者』にしてしまうだけだ」

「ええ……そうですね」


私は広場の中央、燃え盛る炎の中で灰になっていく食材たちを睨みつけた。

カボチャが、小麦が、干し肉が。

黒い煙となって空へ消えていく。


(許せない)


料理人として、これほどの冒涜はない。

でも、力ずくで止めれば、私たちはただの侵略者になってしまう。


「場所を変えましょう。……作戦変更です」


私たちは騎士たちの包囲を押し返すように堂々と歩き、広場の端、風上にあたる場所に陣取った。


   ◇


「エリス、どうするつもりだ?」


荷馬車から調理器具を下ろしながら、ヴォルグさんが尋ねる。

ホルンは怯えて私のエプロンにしがみついている。


「正面突破がダメなら、搦めからめてを使います」


私は大鍋を取り出し、簡易かまどにセットした。


「彼らは『食べることは罪』だと教え込まれています。言葉で説得しても無駄です。だから……」


私はリュックから、乾燥させた『コカトリス』の骨と、干し野菜を取り出した。

コカトリスは猛毒を持つ魔物だが、適切に処理された骨から取れる出汁は、黄金色に輝き、滋養強壮に劇的な効果がある。


「本能に訴えかけます。生物として抗えない、『食欲』という本能に」


「なるほど、匂い攻めか」


レオンハルト様がニヤリと笑った。

彼は手慣れた様子で薪を割り、火を起こす。


調理開始だ。


まずは、鍋にたっぷりの水とコカトリスの骨、そして臭み消しの『サン・ジンジャー(太陽生姜)』を入れて強火にかける。

この生姜は、食べた者の体を芯から温める効果がある。


グツグツ……。


湯気と共に、濃厚な鶏ガラの香りが立ち上り始めた。

まだ味付けもしていないのに、その香りは強烈だ。

断食で感覚が研ぎ澄まされている彼らにとって、この匂いは暴力に近いだろう。


「うっ……」


遠巻きに監視していた聖騎士の一人が、喉をゴクリと鳴らしたのが見えた。


「まだまだよ」


私は鍋から骨を取り出し、そこへ洗った『パールライス』を投入する。

さらに、細かく刻んだ『冬人参』と『薬膳大根』を入れる。

消化に良く、弱った胃腸を優しく動かすための食材だ。


コトコト、コトコト。


お米がスープを吸い、ふっくらと膨らんでいく。

鍋の中は黄金色のスープとお米が混ざり合い、とろりとした粥へと変化していく。


仕上げに、味の決め手を入れる。

瓶に入った『岩塩』と、ほんの少しの『黒しずく(醤油)』。


ジュワッ……。


醤油が熱い粥に垂らされた瞬間、焦げたような香ばしい香りが爆発的に広がった。


「な、なんだこの匂いは!」

「たまらない……腹が、勝手に……」


広場にいた民衆たちが、ふらふらと立ち上がった。

彼らの視線は、虚ろな祈りから、私たちの鍋へと釘付けになっている。


「仕上げです!」


私は最後に、溶き卵を回し入れ、刻んだ『ヒーリング・ネギ』を散らした。

鮮やかな黄色と緑が、黄金色の粥に彩りを添える。


『特製・コカトリス出汁の回復薬膳粥』の完成だ。


「さあ、みなさん! 薬ですよ!」


私はお玉で鍋を叩き、声を張り上げた。


「これは食事ではありません! 体を温める『薬』です! 断食の辛さを和らげるためのスープですから、罪にはなりませんよ!」


詭弁だ。

でも、極限状態の人には、食べるための「言い訳」が必要なのだ。


「く、薬……?」

「そうだ、薬なら……神もお許しになるはず……」


一人の男性が、よろめきながら近づいてきた。

その後ろに、子供の手を引いた母親が続く。


「待て! 近づくな!」


ガロード団長が立ちはだかった。

彼は必死の形相で叫んだ。


「それは悪魔の罠だ! その匂いに惑わされるな! 一口でも食べれば、お前たちの修行は無に帰すぞ!」


しかし、彼の声には以前ほどの力がない。

なぜなら、彼自身の腹が、盛大に「グゥゥゥゥ」と鳴り響いてしまったからだ。


「団長、でも……子供が……」


部下の騎士も、槍を持つ手が震えている。

目の前には、湯気を立てる黄金色の粥。

鼻腔をくすぐる鶏出汁と醤油の香り。

それは、死にかけていた彼らの生存本能を、強烈に揺さぶっていた。


その時。

一人の少女が、ガロードの横をすり抜けて走り出した。


「もういや! おなかすいたの!」


「あっ、こら!」


少女は私の前まで来ると、転ぶようにして鍋を見上げた。

ガリガリに痩せ、目は窪んでいる。

私はすぐにお椀に粥をよそい、ふうふうと冷ましてから差し出した。


「熱いから気をつけてね」

「……うん!」


少女は震える手でお椀を受け取り、スプーンですくって口に入れた。


パクッ。


「……!」


少女の目が大きく見開かれた。

とろりとしたお米が、舌の上で優しく解ける。

コカトリスの濃厚な旨味が、乾いた体に染み渡っていく。

生姜の温かさが胃袋から広がり、指先まで血が巡るのが分かる。


「おいしい……っ! ママ、これ、すごくおいしいよ!」


少女の頬に、みるみるうちに赤みが戻った。

その笑顔は、どんな高潔な説教よりも雄弁だった。


「ああ……」


それを見た母親が、泣き崩れながら駆け寄ってきた。

もう、誰も止められなかった。


「私にもください!」

「俺にもだ! もう限界だ!」

「薬だ、これは薬なんだ!」


民衆が雪崩を打って押し寄せた。

ヴォルグさんとホルンが、手際よくお椀を配っていく。


「並んで! みんなの分はあるから!」

「慌てて食べると喉に詰まるぞ! ゆっくり噛むんだ!」


広場は一瞬にして、巨大な野外食堂へと変わった。

あちこちから「美味い」「生き返る」という声と、啜り泣く音が聞こえる。

灰色の絶望に包まれていた街に、料理の湯気と共に「生気」が戻っていく。


「……馬鹿な」


ガロード団長は、呆然と立ち尽くしていた。

彼が守ろうとしていた秩序が、たった一杯の粥によって崩壊したのだ。


「これが……穢れだと言うのか……?」


彼の目の前で、粥を食べた老人が、杖なしで立ち上がり、空に向かって感謝の祈りを捧げていた。

苦痛に耐える顔ではなく、満ち足りた笑顔で。


私はお椀を一つ持ち、ガロードの前に歩み寄った。


「団長さん」

「……くっ」

「貴方も食べてください。民を守る騎士が倒れてしまっては、誰も守れませんよ」


私は粥を突き出した。

香りが、彼の鼻先をくすぐる。

拒絶しようとする理性と、渇望する身体。


「私は……枢機卿猊下の命を……」

「猊下の命と、貴方の命。どちらが大切ですか?」


レオンハルト様が横から口を挟んだ。


「それに、部下たちを見てみろ」


ガロードが振り返ると、部下の聖騎士たちも、剣を置いて民衆と一緒に粥を啜っていた。

「うめぇ」「体が熱い」と涙を流しながら。


「……負けた、のか」


ガロードは膝をつき、震える手で私からお椀を受け取った。

そして、一口啜った。


「……ッ」


彼もまた、涙を流した。

美味い。

ただひたすらに、美味い。

これが罪なわけがない。これは「命」そのものだ。


「……温かいな」


彼が絞り出すように言った言葉は、敗北宣言であり、人間への回帰だった。


こうして、私たちは「匂い」という武器で、最初の砦を突破した。

街の人々は食事を取り戻し、私たちを受け入れてくれた。


だが、これで終わりではない。

広場の奥、街一番の高台にある大聖堂のバルコニーから、冷たい視線が注がれていることに、私は気づいていた。


「……おのれ、不浄な料理人め」


イグニス枢機卿。

赤い法衣を纏ったその男は、手にしたワイングラスを握りつぶさんばかりに震わせていた。

その背後には、山のように積まれた果物や肉――民から奪った食料の残骸が見え隠れしている。


「聖女ルミアまで汚染されてはたまらん。……『聖域』を閉ざせ」


彼の命令により、街の奥にあるダンジョンへの道が、重厚な扉によって閉ざされようとしていた。

そこには、ホルンの仲間の手がかりと、ルミアを救うための食材が眠っているはずなのに。


戦いは、まだ始まったばかりだ。


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