第10話 決着のローストビーフと、美食外交の結末
「……ば、馬鹿な。私の『飢餓の結界』が……ただの食事ごときに破られるなど……!」
地下水路の最深部。
異端審問官の男は、信じられないものを見る目で私たちを凝視していた。
彼の周囲に展開されていた赤黒い魔力の壁は、ヴァレリウス殿下の紫炎と、私たちの「満腹パワー」によってガラスのように砕け散っていた。
「食事ごとき、ではありません!」
私は一歩前に出て、叫んだ。
「貴方がたは『神の食材』だなんて言って、命を粗末にしました。でも、食事は誰かの命を奪うための儀式じゃない。命を繋ぎ、明日を生きるための活力なんです!」
「黙れ俗物! 神への供物が口を利くな!」
男は激昂し、懐から黒い水晶を取り出した。
それはドクンドクンと脈打ち、周囲の泥人形たちを吸収して巨大な怪物へと変貌していく。
「ならば、貴様ら自身を苗床にしてやろう! 食らえ、『暴食の泥巨人』!」
天井に届くほどの泥の巨人が、雄叫びを上げて拳を振り上げる。
その質量攻撃は、地下空洞を崩落させかねない威力だ。
「チッ、往生際の悪い!」
ヴァレリウス殿下が舌打ちをし、魔導師団に防御障壁を展開させる。
しかし、巨人の拳は障壁ごと私たちを押し潰そうと迫ってくる。
「……させない!」
その時、小さな影が飛び出した。
ホルンだ。
「ホルン!?」
「ボクたちの仲間を……これ以上いじめるな!」
ホルンが両手を広げると、彼の体から眩い翠緑の光が溢れ出した。
それは、世界樹を守護する一族だけが持つ浄化の光。
光は地下空間を満たし、泥巨人の体に絡みつく。
「な、なんだこの光は!? 私の泥が……崩れていく!?」
「今だ、レオンハルト!」
殿下の合図と共に、レオンハルト様が疾走した。
その剣には、ヴァレリウス殿下の炎の魔力が付与されている。
「我が愛する人々の食卓を脅かす者は……斬るッ!!」
炎を纏った一撃が、泥巨人の核である黒水晶を一刀両断した。
パリーンッ!!
水晶が砕ける音と共に、巨人は泥水へと還り、崩れ落ちた。
異端審問官の男はその衝撃で吹き飛び、壁に叩きつけられて気絶した。
「……終わったか」
レオンハルト様が剣を納め、息を吐く。
地下空間に静寂が戻った。
「やった……ボクたち、勝ったんだ……」
ホルンがへなへなと座り込む。
私は彼に駆け寄り、強く抱きしめた。
「凄かったわ、ホルン! 君がみんなを守ったのよ!」
「エリス……うん、うん!」
檻から救出された獣人たちも、涙を流してホルンを称えている。
ヴォルグさんとイザベラも、泥だらけの顔で安堵の笑みを浮かべていた。
「ふん。まあ、余興にしては楽しめたな」
ヴァレリウス殿下は、マントの埃を払いながら、気絶している異端審問官を冷ややかに見下ろした。
「この男と部下たちは、我が帝国が拘束する。聖教国が王都の地下で何をしていたのか……たっぷりと吐かせてもらうとしよう」
「よろしいのですか? これは王国の管轄ですが」
レオンハルト様が問うと、殿下はニヤリと笑った。
「貸しにしておいてやる。それに、聖教国の横暴は帝国にとっても目に余る。外交カードとして使わせてもらうさ」
殿下はそこで私に向き直り、悪戯っぽく片目を閉じた。
「その代わり……分かっているな、エリス? 私の活躍に見合うだけの『美味い飯』を用意しろ」
◇
数日後。
事件の後処理も落ち着き、王都には平穏が戻っていた。
今日は、ガレリア帝国への帰国が決まったヴァレリウス殿下の送別会だ。
場所はもちろん、『騎士の休息』。
「……ほう。これはまた、豪勢だな」
貸切の店内で、殿下は目の前の料理を見て感嘆の声を漏らした。
テーブルの中央に鎮座するのは、巨大な肉の山。
『ムームー牛』の希少部位、テンダーロインを低温でじっくりと焼き上げた『特製ローストビーフタワー』だ。
表面は香ばしく焼き色がついているが、ナイフを入れた断面は美しい薔薇色。
溢れ出る肉汁が、さらに食欲をそそる。
ソースは二種類。
一つは、肉汁と赤ワイン、そして『黒しずく(醤油)』を煮詰めた和風グレービーソース。
もう一つは、ピリッとした辛味がアクセントの『西洋ワサビ』のクリームソースだ。
「さあ、存分に召し上がってください。私たちからの感謝の気持ちです」
私が切り分けると、殿下は優雅にフォークを刺した。
まずはグレービーソースで一口。
「……んッ」
殿下が目を見開く。
柔らかい。驚くほど柔らかい。
噛む必要がないほどしっとりとした肉質。
赤身の濃厚な旨味が、醤油ベースのソースと絡み合い、口の中で爆発する。
「美味い……! 脂がしつこくなく、いくらでも腹に入る。それにこのワサビソース……鼻に抜ける香りが肉の甘みを引き立てている!」
殿下の手が止まらない。
隣では、ヴォルグさんや騎士たち、そして元気になったホルンたちも、山盛りのローストビーフに食らいついている。
「肉だー! 肉祭りだー!」
「このマッシュポテトと一緒に食うのが最高なんだよなぁ!」
イザベラも、以前のような気取った態度はなく、幸せそうに肉を頬張っている。
「……悔しいけれど、美味しいですわ。低温調理の温度管理、勉強になります」
「ふふ、イザベラさんも随分とたくましくなりましたね」
宴は盛り上がり、笑顔と話し声が絶えない。
ヴァレリウス殿下はワイングラスを傾けながら、ふと真剣な表情で私を見た。
「エリス」
「はい」
「やはり、帝国に来る気はないか?」
一瞬、店内が静まる。
レオンハルト様が鋭い視線を向けるが、殿下はそれを手で制した。
「……と言いたいところだが、諦めよう。お前の料理は、この場所で、この者たちと食べるからこそ美味いのだとな」
殿下は少し寂しげに、しかし清々しく笑った。
「あの地下水路で、お前が薄汚いパンを配っていた時……正直、羨ましいと思ったよ。あんなに美味そうに飯を食う連中は見たことがない」
彼はグラスを掲げた。
「だから、この店は残しておく。私がいつかまた、腹を空かせて訪れた時のためにな」
「ありがとうございます、殿下。……いつでもお待ちしています」
殿下は次に、イザベラを見た。
「イザベラ。お前は……どうする?」
「……私は」
イザベラは立ち上がり、殿下に深く頭を下げた。
「私はここに残ります。エリス師匠の元で、もっと学びたいのです。『心』のある料理を」
「そうか。……精進せよ」
短い言葉だったが、そこにはかつての主従としての、最後の情けが含まれていた。
◇
翌朝。
王宮の門前で、帝国の馬車列が出発の準備を整えていた。
「世話になったな、レオンハルト」
「いえ。殿下の協力がなければ、王都は火の海になっていたでしょう。感謝いたします」
レオンハルト様とヴァレリウス殿下が握手を交わす。
昨日の敵は、今日の友。
食を通じて結ばれた絆は、意外と強固なものになっていた。
「エリス」
馬車に乗り込む直前、殿下が私を呼んだ。
「一つ、忠告しておいてやろう」
「忠告、ですか?」
「ああ。聖教国のことだ」
殿下の表情が曇る。
「捕らえた異端審問官を尋問したが……奴らは単独で動いていたわけではない。聖教国の枢機卿クラスが、この件に関与している可能性がある」
「枢機卿……」
「奴らが探していた『神の食材』。……それは獣人だけではないらしい。奴らの聖典には、『伝説の食材』の記述があるそうだ。あらゆる病を治し、死者すら蘇らせるという究極の食材がな」
死者すら蘇らせる食材。
そんなものが実在するのだろうか。
「奴らはそれを求めて、手段を選ばないだろう。……気をつけろよ、エリス。お前のその『美味しい料理を作る力』もまた、奴らにとっては狙うべき対象かもしれん」
殿下はそう言い残し、馬車へと消えた。
馬車列が遠ざかっていくのを、私たちは見送った。
「……不穏な置き土産だな」
レオンハルト様が呟く。
確かに、不安はある。聖教国という巨大な組織が、まだ何かを企んでいるとしたら。
でも。
「大丈夫ですよ、レオン」
私は彼の腕をとった。
「どんな敵が来ても、私たちは負けません。だって、私たちには『美味しいご飯』と、頼れる仲間がいるんですから」
私の言葉に、レオンハルト様は優しく微笑み、私を抱き寄せた。
「ああ、そうだな。……君がいる限り、私は無敵だ」
「それに、まだ開発中の新メニューもたくさんあるんです。聖教国の人たちだって、美味しいものを食べさせれば、きっと分かり合えますよ」
「ははっ、君らしいな」
私たちは顔を見合わせ、笑い合った。
初夏の風が、王都を吹き抜けていく。
『騎士の休息』の看板娘(?)となったホルンが、店先で手を振っているのが見える。
厨房では、ヴォルグさんとイザベラが、今日のランチの仕込みで言い争いながらも楽しそうだ。
私の「下働き」から始まった物語は、レストラン経営、そして国家間の料理対決を経て、さらに大きく広がろうとしている。
次なる舞台は、未知の食材と神秘が眠るという、聖教国方面かもしれない。
どんな冒険が待っていても、私の手にはフライパン、心には愛。
そして隣には、世界一食いしん坊な騎士団長様。
さあ、今日もお腹を空かせたお客様のために。
開店の時間だ!
(第2部 完)
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