第5話 決戦、赤と白のコントラスト
王宮前広場は、かつてない熱気に包まれていた。
特設された巨大なステージ。その周りを埋め尽くす何千もの観衆。
貴族も平民も、そして騎士たちも、固唾を呑んで中央を見つめている。
「これより、王国対帝国の親善……いえ、威信をかけた料理対決を執り行う!」
司会進行役の文官が声を張り上げた。
審査員席には、ガレリア帝国のヴァレリウス殿下、我が国の宰相、そして公平を期すために招かれた食通の冒険者ギルドマスターの三名が座っている。
ステージの右側、帝国の調理台にはイザベラが立っていた。
彼女の周りには、氷魔法で冷やされた調理器具が並び、冷気でうっすらと霧がかかっている。
その足元にあるのは、先日市場で見せびらかされた『養殖・ドラゴン・サーモン』の冷凍ブロックだ。
「遅いですわね、庶民さん。怖気づいて逃げ出しましたの?」
イザベラが優雅に扇を仰ぎながら挑発する。
開始時刻ギリギリになっても、私の姿がなかったからだ。
「お待たせいたしました!」
群衆をかき分け、私が声を上げた瞬間、会場がどよめいた。
私の後ろに続く、黒い軍服の一団――レオンハルト様率いる近衛騎士団の姿に、人々が道を開ける。
そして、彼らが担いでいる「それ」を見て、全員が息を呑んだ。
「な、なんだあれは!?」
「魚か? 燃えてるぞ!?」
レオンハルト様たちがステージにドサリと置いたのは、体長一メートルを超える巨体。
その鱗は溶岩のように赤黒く輝き、内側から発する熱で周囲の空気を揺らしている。
まだ生きているかのようにエラが動き、鋭い牙が光る。
「『天然・ドラゴン・サーモン』……お持ちしました」
私が息を切らしてステージに上がると、審査員席のヴァレリウス殿下が身を乗り出した。
「ほう……! 『嘆きの激流』にしかいない天然物か。まさか本当に手に入れてくるとはな」
「野蛮ですわ!」
イザベラが顔をしかめて叫んだ。
「そんな野生の個体、泥臭くて食べられたものではありません! それに見てごらんなさい、あの熱気! 食材として管理されていない証拠ですわ!」
「管理されていないのではありません。これが、この子の『生命力』です」
私は熱を放つ魚体にそっと触れた。
指先が火傷しそうなくらい熱い。でも、嫌な熱さじゃない。命の灯火だ。
レオンハルト様たちが、命がけで繋いでくれたバトン。
「始めよう、エリス。私たちの勝利のために」
レオンハルト様が、ステージ脇で剣を突き立て、守護者のように立った。
その姿に勇気をもらい、私はイザベラに向き直った。
「さあ、始めましょうか」
鐘の音が、高らかに鳴り響いた。
◇
「まずは下処理ですわ!」
イザベラが動いた。
彼女の調理は、まるで舞踏のように美しかった。
氷魔法で凍結されたサーモンブロックに、魔力を帯びたナイフを滑らせる。
シャッ、シャッ、シャッ。
硬い鱗ごと皮を剥ぎ、身を透けるような薄さにスライスしていく。
凍っているため、身崩れなど一切しない。機械のように正確な薄切りが、氷の皿の上に並べられていく。
「美しい……」
「さすがは帝国の天才だ」
観衆からため息が漏れる。
彼女が作るのは、先日店で出したものの完成形だろう。
最高級のヴィネガーと、希少な香草を使った冷製カルパッチョ。見た目の美しさと、冷たい喉越しを極めた一皿だ。
対して、私は。
「熱い……でも、負けない!」
私は汗だくになりながら、巨大なサーモンと格闘していた。
天然のドラゴン・サーモンは、包丁を入れると高熱の蒸気を噴き出す。
普通の料理人なら手を火傷してナイフを落とすだろう。
だが、私は生活魔法『断熱』を手にかけ、ヴォルグさん直伝の解体技術で刃を進める。
ザクッ、バリバリッ!
硬い骨を断ち切る音は、イザベラの優雅な音とは程遠い、野性的な響きだ。
だが、切り開かれた身を見た瞬間、ヴァレリウス殿下の目が輝いた。
「素晴らしい赤だ……」
鮮烈なサーモンピンク。
程よくサシ(脂)が入り、熱によって脂が表面に滲み出ている。
それは、冷凍されたイザベラの魚にはない、瑞々しい艶を持っていた。
私はその身を分厚く――贅沢に三センチほどの厚さにカットした。
「なっ、そんな分厚く切ってどうするつもりですの!?」
イザベラが嘲笑する。
「ドラゴン・サーモンは脂が強い魚。そんな塊、脂っこくて胸焼けしますわよ! 薄く切って冷やすのが正解なのです!」
「いいえ。この脂は、熱を通すことで甘みに変わるんです」
私は切り身に塩胡椒を振り、調理台に用意した衣をたっぷりとまぶした。
昨日開発した、砕いた『木の実クラッカー』と粉チーズ、そして乾燥バジルを混ぜた特製パン粉だ。
そして、大鍋に用意した油。
温度は高温の190度。
「いきます!」
私は衣をまとった切り身を、油の中へ滑らせた。
ジュワァアアアアアアッ!!!!
広場中に、爆音が響き渡った。
水分と脂が弾ける音。
それは、観衆の喧騒を一瞬でかき消すほどの迫力だった。
そして、すぐに立ち上る香り。
ナッツの香ばしさ、焦げたチーズのコク、そして加熱されたサーモンの甘い脂の匂い。
風に乗って運ばれたその香りは、観衆の胃袋を直撃した。
「うっ……なんだこの匂い!」
「腹が減る! たまらなく腹が減るぞ!」
「さっきまでイザベラ様の料理が綺麗だと思ってたけど、今はあの茶色いのが食べたくて仕方ねぇ!」
イザベラの料理が「視覚」を支配するなら、私の料理は「嗅覚」と「本能」を支配する。
私は油の音に耳を澄ませる。
パチパチという音が、少し高く、軽くなった瞬間。
衣はカリッと揚がり、中はまだレアの状態。
ここだ。
「引き上げます!」
ザバッ!
網杓子で救い上げたカツレツは、黄金色の鎧を纏っていた。
余熱で火を通している間に、ソースを仕上げる。
イザベラの冷たいソースに対抗するのは、濃厚かつ爽やかな『特製タルタルソース』だ。
茹でた『コカトリスの卵』を粗く潰し、マヨネーズと混ぜる。
そこに投入するのは、王国の特産品『雷ピクルス』のみじん切りだ。
雷ピクルスは強烈な酸味と、ピリッとした刺激を持つ。
これが、ドラゴン・サーモンの強烈な脂を中和し、さっぱりと食べさせてくれるはずだ。
「盛り付け!」
大皿に、揚げたてのカツレツを乗せる。
その上から、白と黄色、そして緑が混ざり合ったタルタルソースを、雪崩のようにたっぷりとかける。
彩りに、真っ赤な『太陽トマト』と、鮮やかな緑の『クレソン』を添えて。
「完成です! 『天然ドラゴン・サーモンのレア・カツレツ ~あふれるタルタルソースを添えて~』!」
同時刻。
イザベラも最後の仕上げを終えていた。
「こちらも完成ですわ。『氷晶の芸術 ~至高の冷製仕立て~』」
二つの皿が、審査員席へと運ばれる。
一つは、氷の彫刻のように冷たく美しい、白と透明の芸術品。
もう一つは、湯気を立て、香ばしい匂いを撒き散らす、茶色と白の塊。
対照的な二皿を前に、ヴァレリウス殿下はニヤリと笑った。
「面白い。静と動、冷と熱か。……では、実食といこう」
◇
まずは、イザベラの料理からだ。
ヴァレリウス殿下は、透き通る切り身をフォークで刺し、口へ運んだ。
「……ふむ」
彼は目を閉じ、味わう。
「美しい味だ。魔法で締められた身はプリプリとした弾力があり、噛むほどに上品な脂が広がる。ヴィネガーの酸味も洗練されている。……文句のつけようがない、完成された宮廷料理だ」
「光栄ですわ」
イザベラが優雅にカーテシーをする。
他の審査員たちも、「これは素晴らしい」「芸術だ」と絶賛している。
高得点は確実だ。
「だが」
殿下が目を開き、少しだけ寂しげに呟いた。
「……腹にはたまらんな」
その言葉の意味を、イザベラは理解できなかったようだった。
「次は、エリスの料理だ」
殿下が私の皿に向き直る。
揚げたてのカツレツ。
ナイフを入れると、ザクッという音と共に衣が割れ、中から鮮やかなピンク色の断面が現れた。
その中心部はまだ生で、艶やかに光っている。
「ほう、レアか。加熱しすぎるとパサつくサーモンの欠点を、衣で守ることで克服したか」
彼はたっぷりとタルタルソースを絡め、大きな一口を頬張った。
ザクッ、ジュワッ、トロッ。
殿下の動きが止まった。
口の中で、いくつもの食感と味が爆発した。
ナッツ入りの衣の香ばしさ。
半生サーモンの、ねっとりと舌に絡みつく濃厚な甘み。
そして、それらを洗い流すような、雷ピクルスの刺激的な酸味と、タルタルソースのまろやかさ。
「……ッ!!」
殿下の美貌が歪んだ。いや、蕩けた。
「熱い! 冷たい! 甘い! 酸っぱい! なんだこの情報の奔流は!」
彼は叫んだ。
「イザベラの料理が『静寂な湖』なら、これは『荒れ狂う嵐』だ! 口の中で竜が暴れまわっているようだ!」
「で、殿下!?」
「美味い! 暴力的に美味いぞ!!」
理性が吹き飛んだようだった。
殿下はナイフとフォークを高速で動かし始めた。
一口食べるごとに、「うまい」「熱い」と呟き、額に汗を浮かべている。
他の審査員たちも同様だった。
冒険者ギルドマスターは「この野性味、たまらねぇ! エールを持ってこい!」と叫び、宰相は「こ、これが揚げ物か? 信じられんほど軽い!」と涙目になっている。
会場に漂う匂いに、観衆も限界を迎えていた。
ゴクリ、ゴクリと喉を鳴らす音が、広場中に響く。
誰もが、あの茶色い塊にかぶりつきたいと願っていた。
「そ、そんな……」
イザベラが蒼白な顔で後ずさった。
彼女の美しい氷の料理は、まだ半分以上残っている。
対して、私の皿は、三人の審査員によって瞬く間に空っぽにされていく。
「おかわりはないのか!?」
「ソースだけでもいい、パンをくれ!」
審査員たちの皿がピカピカになった時、勝負の行方は誰の目にも明らかだった。
ヴァレリウス殿下は、ナプキンで口を拭い、恍惚とした表情で私を見た。
「……エリス」
「はい」
「私が間違っていた。……帝国の食材を使えば美味くなるのではない。お前が作るから、食材が輝くのだな」
彼は立ち上がり、高らかに宣言した。
「勝者、エリス・フォン・メラルド!」
わぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!
地響きのような歓声が上がった。
帽子が投げられ、口笛が鳴り響く。
レオンハルト様がステージに駆け上がり、私を強く抱きしめた。
「やったな、エリス! 最高の勝利だ!」
「レオン……はい、勝ちました!」
彼の腕の中で、私は安堵の涙を流した。
勝った。
店を、仲間を、そして私たちの未来を守りきったのだ。
その喧騒の影で。
イザベラは膝をつき、呆然と自分の料理を見つめていた。
溶け始めた氷の水が、まるで彼女の涙のように皿を濡らしていた。
「……なぜ? 私の料理は完璧だったはず……美しかったはずなのに……」
「美しさと美味しさは、違うものだよ」
小さな声がした。
見ると、ステージの袖からホルンが顔を出していた。
「エリスのご飯はね、食べると体がポカポカするんだ。お姉ちゃんの料理は、見てると寒くなる。……ご飯は、温かいほうがいいよ」
その純粋な言葉が、イザベラの胸に突き刺さる。
彼女は唇を噛み締め、肩を震わせた。
勝負は決した。
だが、物語はまだ終わらない。
敗北したイザベラ、そして私の料理に魅せられすぎたヴァレリウス殿下。
彼らがこのまま大人しく引き下がるとは、思えなかった。
そして、客席の奥。
熱狂する群衆の中に、一人だけ冷ややかな目でステージを見つめる、白いローブの人物がいたことに、私はまだ気づいていなかった。
その胸には、『聖教国』の紋章が刻まれていた。




