第4話 市場の封鎖と、騎士団長の決意
「……ダメだ。市場のどこにもない」
王都の中央市場。朝の活気でごった返すその場所で、私は絶望的な報告を聞かされていた。
目の前にいるのは、王都でも一、二を争う鮮魚店の店主、ガンスさんだ。
彼はいつもなら威勢よく「おう、エリス嬢ちゃん! 今日はいい『サン・クラブ』が入ってるぞ!」と声をかけてくれるのだが、今日は苦虫を噛み潰したような顔をして、視線を逸らしている。
「ガンスさん、お願いします。どんなに小さくても、傷物でもいいんです。『ドラゴン・サーモン』を売ってください!」
私はカウンターに身を乗り出して頼み込んだ。
一週間後の料理対決。
そのテーマ食材であるドラゴン・サーモンを手に入れ、試作を繰り返さなければ、あの天才料理人イザベラには勝てない。
けれど、ガンスさんは深く帽子を目深に被り直し、小声で囁いた。
「すまねぇ、嬢ちゃん。……俺だって売りてぇんだが、無理なんだ」
「どうしてですか? お金なら、適正価格の倍出しても構いません」
「金の問題じゃねぇ。『圧力』がかかってるんだよ」
彼は顎で市場の入り口の方をしゃくった。
そこには、見慣れない紋章――二頭の鷹が描かれた旗を掲げた馬車が停まっていた。
「今朝早く、あいつらが市場の組合長に話をつけに来た。『今後一週間、ドラゴン・サーモンを含む高級魚の全在庫を買い占める』ってな」
「買い占め……!?」
「ああ。表向きは『帝国皇子の滞在に伴う食材確保』だそうだ。だが、裏では『騎士の休息』には魚の骨一本売るな、と通達が出てる。逆らえば、俺たち弱小商人は店を畳むしかねぇ」
ガンスさんは悔しそうに拳を握りしめた。
帝国の紋章。ヴァレリウス殿下の手回しか。
公正な勝負と言っておきながら、兵糧攻めにするつもりなのだ。
「そんな……」
私は力が抜け、その場によろめいた。
背後から、温かい手が私の肩を支える。
「……やはり、そう来たか」
同行してくれたレオンハルト様だった。
彼は私服姿だが、その瞳には隠しきれない怒りの炎が宿っている。
「卑劣な。権力で食材の流通を止めるとは、美食家の風上にも置けん」
「レオン……」
「大丈夫だ、エリス。市場がダメなら、私が直接、他の街へ飛んで――」
「あら、無駄ですわよ」
凛とした、氷のような声が割って入った。
人混みが割れ、現れたのは純白のドレスのような料理服を身に纏った女性。
イザベラだ。
彼女の後ろには、数人の従者が大きな木箱を抱えて控えている。その木箱からは、冷気と共に強力な魔力の気配が漏れ出していた。
「イザベラ……!」
「ごきげんよう、庶民の料理番さん。食材探しでお困りのようですわね?」
彼女は扇で口元を隠し、冷ややかに微笑んだ。
「残念ながら、この国の主要な港、および養殖場からのルートは、全て我がガレリア帝国が契約を結びましたわ。あなたのような下賤な店に流れる最高級食材など、一匹たりともありません」
「そこまでして勝ちたいの? 料理人としての誇りはないわけ?」
私が睨みつけると、彼女は心外だと言わんばかりに肩をすくめた。
「誇り? 料理人にとって最大の誇りは、最高の食材を独占し、それを扱える地位にいることですわ。食材を確保する力もない無能さが罪なのです」
彼女は従者に合図をした。
従者が木箱の蓋を少しだけ開ける。
カッ!
眩い紅蓮の光が漏れ出した。
中には、ルビーのように輝く鱗を持つ巨大な魚が鎮座していた。
『ドラゴン・サーモン』。
体長は一メートルを超え、その身からは炎のような熱気が立ち上っているのに、表面は魔法で凍結保存されている。
「素晴らしいでしょう? これは帝国から特別に取り寄せた最高級品。……まあ、あなたには泥の中のナマズがお似合いですわね」
イザベラは高笑いを残し、悠々と去っていった。
市場の人々は、帝国の権威に怯え、遠巻きに見ていることしかできない。
「……くそっ!」
レオンハルト様が、近くの柱をドンと叩いた。
木製の柱がミシミシと悲鳴を上げる。
「すまない、エリス。私がついていながら、こんな真似を許すとは……!」
「レオンのせいじゃありません。……でも、これじゃあ練習どころか、本番の食材も……」
打つ手がない。
相手は国家権力だ。一介のレストラン店主と騎士団長個人の力では、流通そのものを覆すことはできない。
私たちは重い足取りで、店へと戻るしかなかった。
◇
『騎士の休息』の厨房。
いつもは香ばしい匂いで満たされている場所も、今日はお通夜のように静まり返っていた。
「……全滅か」
事情を聞いたヴォルグさんが、腕組みをして唸った。
「ドラゴン・サーモンはただでさえ希少な魔物だ。市場を通さずに手に入れるとなると、密漁団と接触するか、自分で釣り上げるしかねぇが……」
「自分で釣るなんて無理です。生息地は『嘆きの激流』と呼ばれる魔境ですし、あそこには凶暴な水竜がうようよしています」
私は地図を広げた。
王都から馬車で半日。そこにある大河の最上流部。
切り立った崖と、全てを飲み込む激流。
そこにドラゴン・サーモンは住んでいる。
「それに、ドラゴン・サーモンは魔法耐性が高くて、普通の釣り竿じゃ折られちまう。専門の漁師だって命がけだ」
ヴォルグさんが首を振る。
万事休すだ。
その時だった。
「……あのね、エリス」
カウンターの隅で、丸くなってミルクを飲んでいたホルンが、おずおずと口を開いた。
「なに、ホルン?」
「さっき、市場で見たあの女の人の魚……あんまり美味しそうじゃなかったよ」
ホルンの言葉に、全員の視線が集まる。
「美味しそうじゃない? でも、あれは最高級品だったはずだけど」
「ううん。見た目は綺麗だったけど……匂いが変だった。なんていうか、『古い』匂いと、『薬』の匂いがしたんだ」
ホルンが鼻をひくつかせた。
獣人族の嗅覚は、魔法による隠蔽すら見抜くことがある。
「たぶん、帝国で獲れてから時間が経ってるのを、魔法で無理やり凍らせて保存してるんだと思う。……あんなの食べたら、お腹壊さないけど、心が冷たくなるよ」
ホルンは悲しそうに尻尾を丸めた。
そして、小さな指で地図の一点を指差した。
「ボク、匂いが分かるんだ。……ここ。この川の奥から、すごく強くて、元気で、美味しい匂いがする」
彼が指差したのは、『嘆きの激流』のさらに奥。
人が立ち入ることすら禁じられた未開の地、『竜の滝壺』だった。
「ここには、帝国の手も及んでいないはずだよ。だって、誰も行けない場所だもん」
「誰も行けない場所……」
確かに、そこなら買い占めもされていない。
天然の、しかも最高鮮度のドラゴン・サーモンがいるかもしれない。
でも、そこへ行くには垂直な崖を降り、凶悪な魔物の巣窟を抜けなければならない。
「……よし」
沈黙を破ったのは、レオンハルト様だった。
彼は立ち上がり、壁にかけてあった自分のマントを羽織った。
「レオン?」
「私が行ってくる」
彼はこともなげに言った。
「市場の流通を止めることはできても、大自然の恵みまでは止められまい。私が直接現地へ行き、その『元気なサーモン』とやらを獲ってくる」
「む、無茶です! あそこは近衛騎士だって近づかない危険地帯ですよ!?」
「だからこそ、私の出番だろう」
レオンハルト様は、私に向かってニカッと笑った。
それは、かつて私のカツサンドを食べた時のような、少年のように無邪気で、しかし頼もしい笑顔だった。
「忘れたか、エリス? 私は『黒狼』だ。魔物退治は本職だぞ」
「でも……!」
「それに、君には最高の食材を使ってほしい。あの女が持っていた『薬臭い魚』なんかじゃない。君の料理にふさわしい、最高の一匹を」
彼は私の手を握り、力強く宣言した。
「必ず戻る。明日の朝までに、一番デカイのを担いでな」
「だ、団長! 俺も行きます!」
「水竜退治なら、元冒険者の俺の腕も役に立つぜ!」
厨房の裏口から、非番の騎士たちやヴォルグさんが名乗りを上げた。
「お前たち……」
「エリス嬢ちゃんの料理がかかってるんです! 俺たちの食生活がかかってるんですよ!」
「団長一人にいい格好はさせませんぜ!」
男たちが武器を手に集結する。
まるでこれから戦争に向かうかのような熱気だ。
「……分かりました」
私は覚悟を決めた。
ここで止めるのは、彼らの想いを無駄にすることだ。
「行ってらっしゃいませ。……その代わり、帰ってきたら最高のご飯を用意して待っていますから」
「ああ。約束だ」
レオンハルト様は私を抱き寄せ、額に軽く口づけをした。
「ホルン、案内を頼めるか?」
「うん! ボク、鼻だけはいいからね! 一番美味しいやつの居場所、教えてあげる!」
こうして、近衛騎士団長率いる『食材調達決死隊』が結成された。
彼らは夜の闇に紛れ、王都を出発していった。
残された私は、ただ待っているわけにはいかない。
彼らが命がけで獲ってきてくれる食材を、最高に美味しく調理するための準備をしなければ。
「ドラゴン・サーモン……熱を持ち、鱗が硬い魚……」
私はヴォルグさんが残してくれた文献を読み漁った。
通常、サーモンは熱を通しすぎるとパサつく。
だが、ドラゴン・サーモンは自ら発熱する性質があるため、加熱しても脂が溶け出さず、逆に身が締まってしまうらしい。
だからこそ、イザベラは「生(刺身)」や「冷製」で提供したのだ。
「でも、私が作りたいのは『温かい料理』……」
熱を加えても、ふっくらと柔らかく、そして脂の甘みを引き出す方法。
そんな魔法のような調理法があるだろうか?
私は厨房で一人、試行錯誤を始めた。
手元にあるのは、普通のサーモンと、代用品の『ファイア・イール(火ウナギ)』。
焼いてみる。煮てみる。蒸してみる。
何度も失敗し、焦げたり、硬くなったりする。
「……違う。これじゃない」
深夜の厨房。
疲労と焦りで視界が滲む。
イザベラの嘲笑が脳裏をよぎる。
『庶民には扱えない食材』。
「負けない……」
私は冷たい水で顔を洗った。
レオンハルト様は、今頃、冷たい激流の中で戦っているはずだ。
私がここで諦めるわけにはいかない。
ふと、ホルンの言葉を思い出した。
『あの魚、古い匂いと薬の匂いがした』
イザベラの魚は、凍結魔法でガチガチに固められていた。
過度な冷却は、細胞を壊し、旨味を含んだ水分を流出させる。
だから彼女は、ドリップが出ないように、さらに強く凍らせて「冷菜」として出したのではないか?
「なら、私は逆を行けばいい」
『高温』でも『低温』でもない。
魚が一番ストレスを感じない温度帯。
そして、ドラゴン・サーモンが持つ「熱」を利用する調理法。
「……カツレツだ」
閃きが降りてきた。
高温の油で短時間揚げる。
衣で旨味を閉じ込め、中は余熱で火を通す『レア・カツレツ』。
それなら、外はサクサク、中はとろけるような食感を実現できるはず。
だが、普通のパン粉では、ドラゴン・サーモンの強い脂に負けてベチャッとしてしまう。
もっと軽く、もっと香ばしい衣が必要だ。
私は棚を見た。
そこにあったのは、昨日ホルンがおやつに食べていた『木の実クラッカー』の残り。
そして、香草の『ドライ・バジル』。
「これだわ」
私はクラッカーを砕き、パン粉に混ぜた。
さらに、粉チーズと香草を加える。
試作の普通のサーモンで試してみる。
衣をつけて、高温の油へ。
シュワッという音と共に、香ばしい香りが立つ。
引き上げて、包丁を入れる。
ザクッ。
軽い音。
断面は鮮やかなピンク色のレア。
口に入れると、ナッツの香ばしさとチーズのコクが、サーモンの脂と絡み合い、決して重くならない。
「いける……!」
確信を得たその時、東の空が白み始めていた。
ドサッ……!
裏口の扉が開き、重い音が響いた。
私が駆け寄ると、そこには泥と水でずぶ濡れになった男たちが立っていた。
全員、ボロボロだ。鎧は凹み、マントは裂けている。
けれど、その顔は笑っていた。
「……ただいま、エリス」
先頭に立つレオンハルト様の肩には、信じられないほど巨大な魚が担がれていた。
朝日に照らされ、ルビーのように赤く輝く鱗。
まだ生きているかのようにビチビチと尾を跳ねさせる、正真正銘の『天然・ドラゴン・サーモン』だ。
「獲ったぞ。……とびきり元気なやつだ」
レオンハルト様が、白い歯を見せて笑った。
その頬には切り傷があり、血が滲んでいる。
「レオン……!」
私は彼に抱きついた。
魚の生臭さも、泥の匂いも気にならなかった。
ただ、彼の無事と、その献身が嬉しくて、涙が溢れた。
「ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます!」
「泣くな、エリス。……腹が減った」
彼がお腹をさすると、後ろの騎士たちも「俺たちも限界です!」と声を上げた。
ホルンも、レオンハルト様の背中から顔を出し、「ボク、一番に見つけたんだよ!」と胸を張る。
「ええ、すぐに! 最高に美味しい朝ごはんを作りますから!」
私は涙を拭い、厨房へと走った。
最高の食材と、最高の仲間、そして最強のパートナー。
全ては揃った。
あとは、私が勝つだけだ。
イザベラ、そしてヴァレリウス殿下。
帝国の美食なんて目じゃない、「愛と情熱の料理」を見せてあげるわ!
決戦の朝。
王宮広場には、すでに多くの観衆が集まり始めていた。




