第1話 行列のできるレストランと、招かれざる美貌の客
王都の大通りから一本入った石畳の路地。
そこに、昼時になると騎士や街の人々が長蛇の列を作る店がある。
木の看板に彫られた店名は『騎士の休息』。
かつて王宮の厨房で下働きをしていた私、エリス・フォン・メラルドが、近衛騎士団長レオンハルト様との婚約を機に立ち上げた洋食レストランだ。
「ホルン、3番テーブルに『ロックポテトの熱々グラタン』をお願い!」
「はーい! 任せて、店長!」
厨房の小窓から声をかけると、私の腰ほどの背丈しかない小さな店員が元気よく返事をした。
彼は最近雇った、リスの獣人族の少年、ホルンだ。
ふさふさの茶色い尻尾を揺らしながら、自分の顔よりも大きなグラタン皿を器用に運んでいく。
「お待たせしました! 火傷しないように気をつけてね!」
ホルンがテーブルに皿を置いた瞬間、客席から歓声が上がった。
「うおおお! これだこれ! この焦げ目がたまらねぇ!」
「チーズの匂いだけで酒が飲めるぞ!」
非番の騎士たちが、涎を垂らしそうな顔で皿を覗き込んでいる。
今日のランチの主役は、今が旬の『ロックポテト』だ。
岩のように硬い皮を持つこの芋は、じっくり加熱するとねっとりとした甘みを増す。
それを薄くスライスし、特製のホワイトソース――濃厚な『ムームー牛』のミルクとバターをたっぷり使ったベシャメルソース――と交互に重ねる。
間には、塩気の効いた『ギガント・ポーク』のベーコンを挟み込み、一番上には『ゴールデン・チーズ』を山のように盛ってオーブンへ。
グツグツ、コトコト。
私の目の前では、次のオーダー分のグラタンが、オーブンの中で美味しそうな音を立てていた。
表面のチーズが狐色に焦げ、その隙間から白いソースが噴火のように溢れ出している。
チリチリ……という焼ける音と共に、芳醇なバターと焦げたチーズの香りが厨房いっぱいに広がる。
これぞ、食欲を直撃する冬の最強メニューだ。
「よし、焼き上がり!」
私は分厚いミトンをつけて、鉄板を取り出した。
パセリを散らし、ホルンに渡す。
「エリス、こっちのオムライスもあがったぞ」
隣のコンロでフライパンを振っていた巨漢の男が、額の汗を拭いながら声をかけてきた。
王宮料理長のヴォルグだ。
彼は非番の日になると、こうして「修行」と称して手伝いに来てくれるのだ。
「ありがとうございます、ヴォルグさん。……ふふ、やっぱりヴォルグさんのオムレツは綺麗ですね」
「へっ、師匠に褒められると照れるぜ。だが、あのとろとろ具合はまだ師匠には敵わねぇよ」
ヴォルグが豪快に笑う。
店内は満席。活気ある声と、食器が触れ合う音、そして何より「美味しい」という笑顔で溢れている。
かつて「地味で華がない」と婚約破棄され、薄暗い厨房へ追放された私。
けれど今は、こんなにも温かい場所にいる。
私はジュウジュウと音を立てるハンバーグをひっくり返しながら、幸せを噛み締めていた。
◇
ランチタイムの怒涛の忙しさが過ぎ、日が傾き始めた頃。
ようやく客足が落ち着き、私たちは遅めのまかない休憩をとっていた。
「ぷはーっ! 働いた後の『麦スカッシュ』は最高だね!」
ホルンが炭酸飲料を一気に飲み干し、口の周りに白い泡をつけて笑った。
「よく頑張ったわね、ホルン。君のおかげで助かったわ」
「えへへ、ボク、鼻が利くからね! お客さんが『水が欲しい』って思う前に匂いで分かるんだ!」
獣人族特有の鋭敏な感覚は、ホール係として優秀すぎる才能だった。
ヴォルグも満足げにサンドイッチを頬張っている。
「しかしエリス、最近客層が変わってきたな。騎士団の連中だけじゃなく、貴族の馬車も増えた」
「ええ。ありがたいことですが……少し目立ちすぎているかもしれません」
私は窓の外を見た。
王宮での「伝説」――ガレリア帝国の宰相を唸らせた一件や、カレー事件――が広まり、予約の問い合わせが殺到しているのだ。
嬉しい悲鳴だが、私はあくまで「街の食堂」として、誰もが気兼ねなく来れる店であり続けたいと思っている。
カランカラン。
その時、ドアベルが優しく鳴った。
ランチ営業は終了の看板を出しているはずだ。
私が振り返ると、そこには見慣れた、そして待ちわびた人影があった。
「……ただいま、エリス」
長身を黒い軍服に包み、腰に長剣を携えた黒髪の男性。
近衛騎士団長、レオンハルト・ヴァン・アークライト様だ。
「おかえりなさい、レオン」
私が駆け寄ると、彼は張り詰めていた表情を一瞬で崩し、愛おしそうに私を見つめた。
公務中の「黒狼」としての鋭い眼光は消え、大型犬のような柔らかい雰囲気になる。
「すまない、遅くなった。帝国からの使節団の対応で手間取ってしまってな」
「お疲れ様です。……お腹、空きましたか?」
「ああ。君の顔を見たら、限界を超えた」
彼はふらりとカウンター席に座り込んだ。
その様子を見て、ヴォルグがニヤニヤしながらホルンに目配せをする。
「おっと、ここからは『専用席』の時間だな。俺たちは裏で明日の仕込みをしてくるぜ」
「えっ、でもまかないが……」
「いいから行くぞ、ホルン。邪魔しちゃ悪い」
二人が気を利かせて厨房の奥へと消えていく。
店内には、私とレオンハルト様の二人だけになった。
「ふふ、ヴォルグさんたちったら」
「……感謝しよう。エリスを独占できる時間は貴重だからな」
レオンハルト様が私の手をそっと握り、指先に口づけを落とした。
付き合い始めて数ヶ月経つが、この真っ直ぐな愛情表現にはまだ慣れない。
顔が熱くなるのを感じながら、私は尋ねた。
「今日は何を作りましょうか? 疲れているなら、消化に良いリゾットなどが……」
「いや、ガツンといきたい。……カツサンドなんて、できるだろうか」
「カツサンドですね。任せてください」
私は厨房に戻り、パンを切った。
今日使うのは、脂身の甘い『キング・ボア』のロース肉だ。
厚切りにした肉に、塩胡椒で下味をつける。
小麦粉、溶き卵、そして粗めの生パン粉をしっかりと纏わせる。
鍋の油は170度。
肉を静かに投入する。
シュワワワワ……。
細かな泡が肉を包み込み、心地よい音が静かな店内に響く。
レオンハルト様はその音をBGMに、リラックスした様子で目を閉じている。
衣がきつね色になったところで引き上げる。
余熱で中まで火を通すのがポイントだ。
その間に、ソースを作る。
野菜や果物を煮詰めた濃厚ソースに、ケチャップとマスタード、すりごまを混ぜ合わせた特製ダレ。
休ませたカツを、このタレにどぶんと浸す。
それを、千切りキャベツと共にパンで挟み、重しを乗せて少し馴染ませる。
最後に包丁で三等分にカット。
サクッ。
衣の軽快な音が、完成の合図だ。
「お待たせしました。『キング・ボアの特製カツサンド』です」
皿を置くと、レオンハルト様は喉をゴクリと鳴らした。
分厚い肉の断面はほんのり桜色。衣にはソースが染みて黒光りしている。
「いただきます」
彼は大きな手でサンドイッチを掴み、豪快に口へと運んだ。
ザクッ、ジュワッ。
噛み締めた瞬間、サクサクの衣の中から、ボア肉の甘い脂が溢れ出した。
ソースの酸味とキャベツのみずみずしさが、肉の重さを打ち消し、次の一口を誘う。
「……んんっ」
彼は眉間の皺を完全に消し去り、陶酔の表情を浮かべた。
「美味い……。肉が驚くほど柔らかい。それにこのソース、マスタードの辛味が絶妙だ」
「疲れが取れるように、少し味を濃いめにしてみました」
「ああ、生き返るようだ。やはり君の料理は、どんな回復魔法よりも効く」
彼は夢中でカツサンドを平らげていく。
その食べっぷりを見ているだけで、私は胸がいっぱいになる。
最後の一切れを食べ終え、彼がホットコーヒー(カッファ)で一息ついた時だった。
「……そういえば、帝国からの使節団の話ですが」
彼が少し声を潜めた。
「ガレリア帝国の第二皇子、ヴァレリウス殿下が来ている」
「皇子様が? それはまた大物ですね」
「ああ。彼は『美食の暴君』と呼ばれるほどの食通でな。今日の晩餐会でも、王宮の料理にほとんど手をつけなかったらしい」
ヴォルグさんが苦労していたのはそのせいか。
美食の国として名高い帝国。その皇子ともなれば、舌が肥えているのも無理はない。
「面倒なことにならなければいいのだが……」
レオンハルト様がカップを置いた、その時。
カランカランカラン!!
閉店したはずのドアベルが、乱暴に鳴り響いた。
誰だろう? ヴォルグさんが鍵をかけ忘れたのかしら。
「申し訳ありません、本日はもう――」
私が言いかけて、言葉を失った。
入ってきたのは、この路地裏の店には似つかわしくない、煌びやかな衣装を纏った青年だった。
月光を紡いだような銀色の髪。
アメジストのように透き通った紫の瞳。
その美貌は、絵画から抜け出してきたようだが、漂わせている空気は傲慢そのものだった。
背後には、屈強な護衛を二人従えている。
「……ここか。微かに美味そうな匂いがすると思えば、こんな薄汚い小屋とはな」
青年はハンカチで鼻を覆い、蔑むような目で店内を見渡した。
「なっ……」
私が言い返す前に、レオンハルト様が立ち上がった。
先ほどまでの穏やかな空気は消え、騎士団長としての殺気が放たれる。
「……ヴァレリウス殿下。なぜこのような場所に」
「おや、近衛騎士団長ではないか。こんな所で油を売っているとは、王国も暇なのだな」
ヴァレリウスと呼ばれた青年は、鼻で笑った。
彼が、噂の第二皇子!?
「私は腹が減っているのだ。王宮の晩餐会に出された餌が、あまりにも不味かったのでね」
彼は私の前に進み出ると、値踏みするように上から下まで眺めた。
「お前がここの主か?」
「……はい。店主のエリスと申します」
「ふん、冴えない女だ。だが、先ほどのカツサンドとやらの匂い……悪くはない」
彼は勝手に一番奥の席――レオンハルト様の隣の席にドカリと座った。
「作れ。私が満足するものをな」
「……お客様、当店はもう閉店時間でして」
「聞こえなかったか? 『作れ』と言ったのだ」
ヴァレリウスは紫の瞳を細め、愉しげに、しかし絶対的な命令口調で言った。
「もし私の舌を満足させられなければ……この国の食文化レベルの低さを理由に、貿易関税を三割引き上げると父皇帝に進言してもいいのだぞ?」
「なっ……!」
それは、明らかな脅迫だった。
たかが一軒のレストランの料理で、国益を左右するというのか。
レオンハルト様が剣の柄に手をかけようとする。
だが、相手は他国の皇子。ここで騎士団長が剣を抜けば、それこそ国際問題だ。
私はレオンハルト様の腕にそっと触れて制した。
そして、店主としての顔つきで、傲慢な客に向き直った。
「……承知いたしました」
売られた喧嘩だ。料理で殴り返してやる。
「ただし、当店は庶民の店です。皇子様のお口に合うような高級食材はございませんが?」
「構わん。その貧相な食材で、私を驚かせてみせろ」
ヴァレリウスは冷ややかに笑った。
その表情は、面白いおもちゃを見つけた子供のようだった。
「もし不味ければ、この店は即刻取り潰しだ。……さあ、見せてもらおうか。噂の『下働き令嬢』の実力を」
平穏だった私のレストラン経営は、この夜、唐突に終わりを告げた。
最強の騎士団長との甘い夜は、帝国の暴君によって波乱の幕開けへと変わってしまったのだ。




