第14話 トイレの輪舞曲
「”革命”も”無限のワルツ”も僕の曲じゃない。リジは誰が作ったかも知れない古い曲が好きなんだ」
モモはティバーとまた二人になった。周囲の音を背に、二人は再度会話に興じる。彼らのいなくなった場所は少し寂しい気がして、モモはしばしの間その空間を見ていた。
「楽しくない音楽もあるんだね、あの人はくるしそうだった」
「まあ、時として音楽は人になにかを伝える。リジにとって、さっきの曲は聴きたくても聴き難いものってことさ。彼女にとって、無限のワルツは"音楽"ではなかったかも知れないな」
「今の曲、吹いててつまらなくなかったの?」
「ははは! つまらなくないよ、演奏はどんなに暗くても楽しめるものだ」
ティバーが声を上げて笑う。どうやらモモの質問がツボに入ったらしく、彼はしばらく飲み物を口にできなくなった。
「それに……音とは、世界を探求するアプローチでもある。数理的でも哲学的でもない手法で、まったくの異端派だけどね。だから、すべての音が音楽になってしまうのもつまらないことなんだ」
「世界……?」
「そう、世界。すべてに通じる美しさを求めることだよ」
答えを先に求めるものには、決して届かない場所を見つけたい。
ティバーには心から求めるものがあった。だからこそ、やりきれない思いをしたこともある。
「ある時ふと、知りたいと思ったんだ。"音"とはなにかと。知りたかった」
「フレディやリジも?」
ティバーは首を振った。
「彼らは違う。歴史に残る"音楽家"だよ。影響し合ってまた素晴らしい音楽を創るだろう。僕だって、もう知りたがりは諦めたんだ」
ティバーは少し昔のことに意識を飛ばした。思い出すのはオンボロのあばら家。そして、そこにいた日々のこと。
「さっき、僕には帰るところがないって言ったね。でも二度と帰れない家なら、あるんだ。──そこには友人たちがいた」
ティバーには、かけがえのない友人たちがいた。互いの努力を認めあって高め合える友人たちが。
「昔の僕は、プライドしか能のない人間だった」
僕は一人だった。音と音楽にしか興味がなくて、周りはみんな低俗な愚か者だと思っていた。その低俗なことが、人にとって最も価値あるものとされることに気がついていなかったんだ。バカだと低能だと、下に見ていた人々の方が余程賢かった。
人と違うことが特別で優れていると自惚れていた。
絵も金も音楽も、人が価値があるとするから価値があることすら知らなかったんだ。
──彼らと出会う前までは。
「変な友人たちがいたよ。星の数を数えるのが好きとか、鳥と喋れるとかね。僕らはみんな、"他人の言うことをきく"という才能が絶望的に無かった」
思い出話をするティバーの表情はきらめいていて、数年ほど歳を巻き戻したかと見まごうほどだった。
かつての光景に心を奪われている姿は、哀れに叶わぬ懸想けいそうをしている様子にも見える。そして、それは事実であった。
「でも僕は自分が思っているより強い人間じゃなかったんだ。だから、失った。もう僕には"帰る場所"がない。家も居場所も……。欲しかったもの、叶えたかった夢……全部だよ、全部失ったんだ」
今はもう、彼らの好きだった曲ばかりが頭に流れてとめどない。
思い出が苦しくて、感情を失ってしまいたいと願ったこともある、でもそうしたら彼らが好きだと言ってくれた音も消えてしまうから。それはイヤだった。
ティバーは、彼らと出会ったからこそ"自分の中"に生まれた音楽を拠りどころにして生きているのだ。
「もう二度と手に入らないと分かっているから、だから眩しいだけだと言い聞かせてはいるんだけどね」
友人とは離れ難いもの、大切なものだと説く、"帰る場所"を失った人間の物語は痛切だった。
そして、ティバーの話を聴くモモは真剣だった。それは他人事の話ではないと幼心に感じ取っていたからかもしれない。
「ねえ、どうして。お家だったんでしょ。みんないなくなってしまったの?」
一拍ほど思考して、ティバーは口を開いた。
「逃げたからだよ。僕らは諦めて逃げ出したんだ」
「みんな?」
「そう、みんな」
ティバーはもう心の中で清算はつけているようで、自らや友人たちの選択を悔いるような様子はなかった。
「なにから逃げたの?」
「なにから……だろうね、言葉にするのは難しいな」
言い淀んだティバーは、分かりやすくするために例え話を切り出した。
「モモくんには大好きなお兄さまがいるだろう?」
「うん」
「なら、お兄さまと同じくらい大切なものとどちらかを選ばなくてはならなくなったら、どうする?」
モモは困ってしまった。モモには兄と同じくらい大切なものなんてありえないのだ。考えることもできなかった。
「困る」
「困る、ね。そうだよね、でも選ばなくてはいけないんだ」
「やだよ、意味わかんないもん。兄さまが一番大切なのに」
ティバーはうんうん頷いた。
「意味わかんない、そうか。じゃあ選ばないで逃げちゃうか」
──逃げちゃう。その響きの悪い言葉にモモは顔をしかめた。でも、得たものはあった。ティバーの言いたいことが分かったのだ。
「おにいさんたちは、逃げちゃったんだ」
「ご名答、伝わって良かった。酷いものだろ、あんなの選べっこなかったさ」
ティバーは天井を見上げて大きく伸びをした。モモも真似をすると、彼は苦笑して手元にあった酒をがぶ飲みした。
「この国は表向き平和だけれど、外の世界はそうでもない。……モモくんはもう少し大きくなったら、知ることになるだろうね。人の命や願いが軽々しく押し潰される世界だ。今は戦争がないだけ、まだマシかもしれないけど」
旅のなかで見てきた多くの国では、こう考えられているんだ。"戦争でない時とは、すべて戦争の準備期間だ"とね。
そして、アホらしいほどの莫大な金が使われる。その皺寄せは売られる子供や捨てられる老人、機械のように働く労働者へ向かうというのに。
「戦争や軍拡を見て見ぬふりをしている連中は、愚かにも肯定している人間も、ほぼ例外なくその恩恵を受けている──資源や食糧、あるいは娯楽のために。反吐が出るよな、他人が傷ついて、死んで、殺しあうお陰で僕らは旨い飯が食えるんだよと平気でいる」
それは、自らをも嘲るような吐露だった。
「その重みに耐えきれなくて僕は旅をしているんだ。誰の敵にも、誰の味方にもなりたくないから。偏った人付き合いもイヤだしね。正義を思い込まされるのは……もう懲り懲りだ」
空になった酒瓶をだらんと下げて俯くティバーの姿に、モモは兄の姿を重ねていた。
いつもきらきらしている兄が、暗くなってしまう瞬間。それはいつも戦争の話の時だった。
「ぼくの兄さまはね、ご飯の時に話してくれるんだよ。おいしいご飯はあたりまえじゃない……戦争の時は酷かったって」
"戦争がないだけの時代じゃなくて、誰もがご飯をおいしく食べられる時代にしなくちゃいけない"とは、モモの兄、アレヴターウェンの言である。
兄の言葉はモモの頭の中にしっかりと刻み込まれていた。
「モモくんのお兄さまは戦争に出ていたのか?」
「そうだよ。あまり話してくれないけど……兄さまも戦争は大嫌いだよ。この世界のしくみは間違ってるって、いつも言ってるもん」
「……そうか。そんな人もいるんだな。いつかまた会えたら、モモくんのお兄さまとも話ができるといいな」
存外の感動に、ティバーは心からの笑みを溢してそう言った。
「それにね、ユカさんも言ってたよ。ぼくの兄さまなら、"世界を変えられる"って」
「そのユカさんというのは?」
「兄さまの知り合いの人、よくお家に来るんだ。具合が悪くなってね、いつもすぐにお手洗いに行っちゃうけど」
モモが思い浮かべるのは、不健康を絵に書いたような人だ。モモに興味があるらしく、よく話しかけられるので記憶に残っていた。
「へぇ、私の友人にもそんなのがいたよ。ある時なんて、気分が良くなるからって便所の前で歌わせられた。間違いなく最高傑作だったけどね」
「どんな曲だったの?」
「ふむ、ではモモくんには特別に贈ろう。ああ……懐かしいなあ」
ティバーは再び楽器を手にして、記憶から呼び覚ます。今はもう語り合えない、音を心地いいと言ってくれた友人のことを。
本当に、本当に久しぶりにティバーは”思い出”を奏でた。
その曲名は、トイレの輪舞曲。なんともふざけた最高の傑作である。
ティバーが歌い終えると、いつの間にか二人の周りには人だかりができていた。なんと、この店に来ているほぼすべての人が注目していたのだ。
「おおい! みんな、ティバーの機嫌が最高だぜ!」
リジ=フェレンが大声でそう囃はやし立てると、ルシエルの店はドッと沸いた。
どうやら、彼女には場を盛り上げる才能が有るらしい──もちろんティバーの音楽が素晴らしいものであることの証左でもあったわけだが。
「おにいさんの音楽、みんなお気に入りみたいだよ」
「そのようだね。モモくんはどうだった?」
「最高だった! ねえ、もういっかいやって! すてきなおんがくにはすてきな魔法がなくっちゃ!」
ウィリはティバーが再び歌い始めると、よく遊んでいるお花の魔法を披露した。
十······百······千······、数え切れない無数の花びらがモモとティバーの周りを舞う。
ひとつの芸術が完成するのを感じたティバーは、ここ何年もなかった高揚と喜びを感じた。
大盛り上がりのなか、その他にもティバーは曲を次々と披露した。ノリがよく、誰もが踊り出してしまうような音に包まれて、店はダンス会場になった。
見よう見まねでモモも体をひねったり、足でステップを踏んだり。喉が痛くなるほど笑って、足が痛くなるほど踊った。
少し遠くへ目をやると、アドリアやポーデ、チグイルも晴れやかに踊っているのが見える。
音楽ってすごいな。モモはそう思った。
だって、ここにいる人々はみんな楽しそうなのだ。
モモは歓声を上げて、音楽に身を委ねるのだった。
夜が静かになる前、月を戴く下でヴィナットレー家とモモは帰路につく。
モモは明日こそ兄に会えると期待で心が沸き立つのと同時に、心にぽっかりと穴が開く心地も感じていた。
不思議な心地で、モモにはよく分からない感情であったが、それは確かにおばあさんやカーチイル、ティバーと離れてしまう寂しさであった。
ぼくの"帰る場所"、ぬくもりに包まれた部屋。どうしてだろう、今思い出す窓のない部屋は、とても暗くて狭苦しいものだ。
そうは思っても、モモはそこに帰りたかった。
その後、ヴィナットレー家まで気合でたどり着いたモモだったが、疲れ果ててすぐに寝入ってしまうのだった。
音の止んだ店内、隅のテーブルでリズ=フェレンがぼーっとしていると、フレディの影から、すぅっと子供のような背丈の男が現れた。まるで霞の様に薄白く、磨かれた石膏のように滑らかな肌をしている。はて──瞳の色だけが深緑に瞬いている。
二人は顔を見合わせると穏やかに微笑みあった。
「やあ、ノイ。君のとこの秘蔵っ子、とてもきれいな花の魔法を見せてくれたよ。ちゃんと見てたかい?」
「リズ、見てたよ。呼んでくれて良かった。ウィリがこんなところにいたなんてね」
「家出かな? 連れて帰っちゃうの?」
「いいや、せっかくの冒険だからね。邪魔をしたくないから、あとは見守るだけさ」
リズ=フェレンは胡乱な目で彼を見る。
「過保護なのか放任なのかわからんな、君は」
「今日の礼はあとでたっぷり渡すよ。ありがとう」
そう言い残し、ノイ・グリーンベールは再び椅子の影に入って消えていった。
そして、テーブルに突っ伏したまま寝たふりをキメていたフレディがむすっと起き上がる。
「君も話をすればよかったのに」
「エルフなんて関わらないほうがいい」
「ノイは気狂いエルフだ。そう気にするなよ」
「僕は君と違って、元々、そう多くの人と関わりたくないんだ」
フレディは機嫌を損ねたようで、また狸寝入りを始めた。
「まったく。そうだね、内向的なのも君の美点さ」
リズ=フェレンは鍵盤に手をかける。気難しい友人に贈り物をあげよう、と。
「リクエストはあるかい? 君のためのコンサートを
開いてあげるよ」




