第10話 領主秘書官ユカ
ルットラのその言葉でアレヴターウェンの顔に緊張が走る。
”急報”というものは、得てしてあまり良い知らせではない。
それも、補佐官が二人も出張ってくるなど猶更だ。
唇を噛んで一呼吸置き、アレヴターウェンはルットラへ話を促した。
「いいか、絶対にショックを受けると思うが」
「家のことはテオエラに任せているはずだ。余程のことか……? 一体何があった?」
アレヴターウェンには自身がショックを受けるような急報について、てんで見当もつかなかった。
「それが……ウィリディスがいなくなったらしい」
「……は?」
一旦思考の停止したアレヴターウェンが発することのできたのは、それだけだった。
「”昼寝の時間にいなくなった”ということだ。その後の消息は不明」
ルットラは努めて気遣って情報を伝えたが、その衝撃を緩和することは叶わなかった。
アレヴターウェンはゆらりと立ち上がり、頭の中を整理するために部屋を行ったり来たりする。こんな時でも冷静になろうとする自分を評価したいが、心情的にはパニックになったほうが楽だった。
「ウィリがいなくなった」
声に出して事態を受け止めようとしても、心が拒否しているようにうまく理解ができなかった。
「どういうことだ? ウィリが、自分で家を出たということか? そんな馬鹿な。あの子は外に知り合いもないというのに」
「家中に不審な者がいるはずねえし、異常な魔法も感知していない。普通に……家出だろ。坊主もいい加減外に出たかったのさ」
ルットラの嘆息を横目に、指を切り裂き血を掌に滴らせ、瞑想をするようにアレヴターウェンは意識を遠く離れた自らの屋敷に飛ばす。
……確かに結界魔法も防御魔法にも異常の痕跡は見られず、平常と変わらぬ有様であった。弟の存在を感じない以外は。
眉間にしわを寄せ、黙したままアレヴターウェンは続けてルットラの報告を聴いた。
「行方が分からなくなってから、少なくとも半刻は経つらしい。坊主の昼寝の時間は見張らないようにと、誰かさんが命令していたようでね」
その誰かさんとは勿論アレヴターウェンのことである。
ウィリディスに関して、彼は万全であるということはないと考えていた。最善を尽くしたところで限度はある、だから弟が心穏やかに過ごせる時間は必要だとしていたのだ。
……それが裏目に出るとは。
額に険しい皺など出来たらウィリに嫌われてしまうと思いながら、自分自身への深い落胆にアレヴターウェンはすでに癒やした指先で眉間の皴をなぞった。
「そうアレヴを責めないでやってくれ。覚悟も準備もできていなかったのは僕らも同じだ」
擁護をするユカへ、ルットラはしらけた目線を向ける。
「はあ、お前はいつもアレヴの味方をするよな」
「責任の所在はひとまず置いておこう。今一番の問題は、姿も分からない小さな子をどうやって探すかということだ」
「まさか……! アレヴ、嘘だろ。ウィリディスに変身魔法まで教えたのか?」
ルットラが絶望に満ちた悲鳴を上げるが、弟第一のアレヴターウェンには響かなかった。
「あの子は優秀だ。身を守るすべは十分に備えさせている」
「馬鹿……なんてことを……。こうなっては仕方がない。捜索方法を変えるよ、まったく」
ルットラは呆れたまま首を振って早足で部屋を後にした。
扉の壊れた部屋に残ったのはアレヴターウェンとあと二人。
その内のユカの姿を視界に入れると、アレヴターウェンの体から力が抜けた。
いつだって彼の中での最上位にいる弟が行方知らずになってしまったのだ。その衝撃はすでに疲弊している彼に致命的なダメージを与えていた。
足元から崩れ落ちたアレヴターウェンをすぐさまレレルとユカが支える。
「アレヴ様……お気を確かに」
しばらく固まっていたレレルは、傷ついた上司を最大限に気遣った。
「幾度も見た悪夢が現実に現れて、そうだな……思っていたより、きつい」
皮肉気に言うアレヴターウェンにユカが肩を貸した。
「大丈夫なわけないな。さあ、アレヴ。僕は君にとって友人思いの友人か?」
その言葉に、アレヴターウェンは目を見開いてユカへ視線を向けた。
至近距離を許しているその様子は、レレルにとって上司の信頼を見せつけるものにも見えた。
「本当か……? 頼んでもいいのか?」
ユカに懇願するアレヴターウェンは、わがままを言っていると分かっている子供のようだった。しかし、その実はもっと厄介なものだ。
心底嬉しそうなユカの表情にアレヴターウェンが気づいていないはずがない。
「ウィリを迎えに行きたいんだ」
アレヴ様の本気の懇願に逆らえる筈もないだろうに……また、故意でやっていらっしゃる。レレルはこの先の展開が読めた。
そして、その推察は大当たりとなる。
「ウィリくんは何か特別な事情があって外に出たんだ。今ごろ寂しくなって泣いているよ。あとは引継ぐから、はやく迎えに行ってあげて。ウィリくんが待ってる。僕が来たのは迷惑ではないだろう?」
「迷惑だなんて、正反対だ。……ユカに任せるよ」
「そうだね、了解。ではお互い頑張ろう」
どちらからともなく、互いにハグをする。その時、アレヴターウェンが震えているのに気づいたユカは、受け止めるように微笑んだ。
「たまには友人の役に立ちたいからね」
「まさか普段からそんなバカなことを思ってはいないよな? 俺は友人に利害など求めない」
「……分かってるよ、ごめん。でも、期待はしないでくれよ。裏切るから」
おちゃらけたユカに、アレヴターウェンは安心したように頬をほころばせる。
「期待してるさ。きっと大ポカをやらかしてくれるってね」
「そこまで信用が重いと荷物になるなあ」
どのぐらい信用してるかは分かっているだろう? そう伝えるようにアレヴターウェンはユカの肩を叩き距離を取る。
しかし、ユカは離れ行こうとする深緑を引き留め、懐から小綺麗な巾着を取り出した。
「ああ、待って。エリルさんからお小遣いが届いていたから持ってきたんだ。迎えに行くのに使うといい」
「ありがとう。……ああ、良かった。ジハゼル貨幣だ、エリル従姉さんに使えないと愚痴ったかいがあった。あんな高いもの送ってくるなって」
中を確認したアレヴターウェンは複雑な心境になる。あの従姉にとって、自分はいつまで小遣いを渡す対象であるのかと。
世界最高の安定性を誇るラグドール貨幣はしかし、価値が高すぎて国家間の大取引ぐらいにしか使われない。つまり、市井ではほぼ流通していないのだ。
だからといって、巾着に入ったジハゼル貨幣の価値がない訳では勿論ない。指の長さほどの細長い三角柱のその貨幣は、トキタスアの通貨、ジハゼルの最高貨幣であった。
「彼女にとってはたった一人のかわいい従弟だ。仕方ないさ……気を付けて。いってらっしゃい」
「ああ。ユカ、レレル、いってくるよ」
最後の最後に、アレヴターウェンはレレルへ視線を向ける。
「レレル、面倒だろうがユカを頼んだよ。こちらのことは心配するな」
「おい、面倒ってのは酷いな」
「畏まりました、お任せください」
レレルへ短く首肯を返したアレヴターウェンは次の瞬間、その場から姿を移していた。
何度見ても溜息を吐つくほど鮮やかで無駄のない魔法である。即座に、余韻からレレルは気持ちを切り替えた。
なにせ、これからの問題は残されたこちらであるのだ。
リソースを役目に割き過ぎて、ウィリディスを蔑ろにしてしまったという焦りと恐怖。アレヴターウェンはできる限り平静を装って話していたが、本当の彼の平静を知っている二人が騙されるはずもない。
そんなアレヴターウェンを見て──いや、ユカが“視て”いたのは別のものかもしれないが──二人とも、此度ばかりは、優先させてあげたかった。
「ルットラに着いてきて正解だったな。さて、レレルさん。今までの議事録を貰えるかな」
ユカがレレルに頼んだのは、魔導機械で記された会合の議事録である。機械によって記録された議事録をすぐさま手渡しながら、彼女は抱いた疑問を投げかけた。
「本当にご必要ですか?」
レレルは自分で口にしていてもおかしな質問だと思ったが、相手が相手なら妥当な質問だと言えた。もしも、ユカという人物に関する噂が本当ならばだ。
「お守り代わりにね、あとお茶を入れてくれると嬉しいな。アレヴは誰にでもレレルさんのお茶を自慢するから。実は飲んでみたかったんだ」
「承りました。では、少々お待ちください」
「ありがとう」
近場のテーブルに腰を預けた後にも、ユカは受け取った分厚い議事録を開く様子はなく、彼は先程までアレヴターウェンが座っていた場所をただじっと見ていた。
レレルは彼と会うのは初めてだったが、最近、アレヴターウェンが特別に推挙して補佐官に収まったユカに関して、聞く噂が途切れることはなかった。
詳しく聞いたことはないが、噂によるとどうやら彼には人や物の心や記憶が“視える”らしいのだ。
なんと、好奇心がくすぐられる人物だろうか。もしもこちらの考えていることが分かるとしたら。
「あ、砂糖もミルクもいらないよ。熱めでお願い」
──わざわざ好みを探らなくて便利だわ。なんて、今のこれは偶然?
「承りました、ユカ様」
使い慣れたお茶セットを使うレレルは、実はひねくれた素直な人間であった。
つまりは大人ぶっている心根の素直な人間である。
そんな彼女の本音はこれだ。”心が視れるだなんて全くもって面白すぎる!”。
彼女のお茶入れという特技が磨かれたのは、前触れもなく機嫌を損ねる両親の機嫌を取るためだったが、まさか人の役に立つと分かったときは驚天動地であった。
添える茶の味や香りが会合や会談の成果に影響するなんて誰が信じるだろう。レレルの匙加減ひとつで思考を鈍らせることも、気分を上下させることも自在に可能だなんて、最高にクールだった。
よって、その彼女の能力を見出したアレヴターウェンにレレルは絶対の信頼を置いているというわけだ。
そして今、その信頼は彼の采配にまで伝染している。
アレヴ様が業務を引き継がせるような人だもの、このぐらいイカレてないとみんなきっと納得しない。だってずるいでしょ、アレヴ様に“任せる”だなんて言われちゃって、頼られて! 任せる! わたくしだって言われたことないのに!
……というか、心が"視える"人を魅了するってアレヴ様やっぱりスゴすぎない?
と、こんな具合だ。
完璧な茶の作法、真面目な顔でそんなことを考えているレレルを、ユカはくすくすと堪え切れない様子で観察していた。
「ユカ様、麗人族と話したことは?」
そんなユカを無視して──もしくは漏れ聞こえる笑い声を遮るように、レレルはまた問いかけた。
「あるよ、なければさすがに代理なんて引き受けないさ。麗人族がもしまた話したいと言っても対応できるよ。彼らは僕なんかに会いたくないかも知れないけどね」
「つまり、わたくしの心配は無用と?」
「うん」
ユカが言うならそうなのだろうとレレルは納得した。そして、せっかくの機会を逃さず自らの好奇心を満たすことにした。
「アレヴ様とはいつ出会われたのですか」
「数年前ここで。トキタスア美術館に飾られていた、ある抽象画の前で会ったんだ。モラルを題名とした大きな絵で──アレヴはその前にいた。どんな風景にも映える人だと思ったよ。僕が生まれてから出会ったほかのどんな人間よりも美しい人だと思った」
「綺麗でカッコいいですからねえ。分かります」
「いや、まあ見目も気にならなかったとは言えないが、心がね……美しかったんだ」
思い出すように宙に視線を投げて、ユカは回想する。
「そして、確か僕が話しかけたんだ。図らずも口をついてしまった。何を考えているのかってね。アレヴったら絵を見ているのに、考えているのは弟のことだけだった」
「アレヴ様は、ウィリディス様を本当に大切に想っていらっしゃいますから」
「そう。"なにより"も大切にね……そのお陰で、称賛も嘲笑もアレヴにとっては同じなんだ」
ユカは部下にここまで心酔される、友人のことを思う。
人々の尊敬と崇拝の対象である彼は、出会ったばかりの自分すら刹那の内に魅了した。
彼の持つ人に対する影響力と”願い″の傍にいたら楽しいと確信させられてしまった。
弟がいるだけで自分は幸せなのだと言った友。強い感情というのは何であれ醜いものだが、彼のそれはきめ細やかな旋律だった。個人が求める最高の高揚をあたえるものだった。
だから、なによりも大切なものを失った自分は、応援せずにいられなかった。
美術館の一角、ある絵画の前で出会った。出会って、話をして、彼の領に遊びに行って──そして。
「アレヴは、俺を"友人"だと言ってくれたから、補佐官になった」
「友だちだから?」
「そうだよ。友は人生の宝物って言葉を知らない? なるべく近くに居るべきなんだよ」
よくわからないと顔にも書いてあるレレルに、ユカは話を続ける。
ユカにとって彼女の悪意のない好奇心は好ましく、応えてあげたいものだったのだ。
「話題も合った。僕が潰してしまったけれど、僕の生まれも支配階級だったし。まあ、一番気が合うことは、嘘を吐き続けることが償いになると思っているところかな。過去から目を背けることができないんだ。僕の場合は、母を泣かせたことだけど」
「アレヴ様を支配階級だとお思いですか?」
国からのアレヴターウェンへの扱いを鑑みるとレレルには全くそうは考えられなかった。
「実状は関係ない。思ってるよ、役目を以て産み出されたのだから。……ああ、そういえば母親も似ているな。お互い賢い母を持った。意志が強く、自由で勇気があって。気楽に、人に縛られない生き方をする聡明な人たちだった。幸せは与えられるものではないと……好きに生きろと」
そこまで聞いたレレルは、ちょうどの時間になったお茶を提供する。
「どうだい? 丁度いい時間だったろう?」
「はい。ユカ様、さすがですわ。魔法のようにぴったりでした」
カップを取り上げて口をつけるユカは、まるでどこぞの貴族かのように優雅な所作をしていた。
壁際に立とうとしたレレルを、ユカが目で制する。
「同じ秘書官なんだ。おしゃべりでもしよう」
向かいに座って一息つくと、気が抜けて、アレヴターウェンの前では吐露しえなかった不安が思い出された。
「ウィリ様はご無事でしょうか?」
私のお茶を誉めてくれる、あのお方の心が唯一休まる場所はウィリ様の側だけ。安全で害を受けない屋敷の中だけ。
レレルは、アレヴターウェンにその場所を失ってほしくはなかった。
彼女の心を安心させるように、ユカは微笑んだ。
「あの子に危害を与えられる人間はいないよ。逆に、あの子が人を傷つけるのは簡単だ、特に魔法なんていう武器があれば尚更。いつか来るべき時が来てしまった……アレヴは覚悟が出来ていなかったのに。それだけはちょっぴり心配だね。アレヴの願いは、なかなか難しいから」
そう答えたユカは、とても遠いところを見ているようだった。




