逃走
――強行突破をする。
エイミィはたしかにそう言った。だが、どうしようというのか。今はケントを背負っているせいで戦闘は困難を極める。今なら後方に逃げるのは容易いはずだ。
「エイミィ。悪いが、今は戦うことはできない。逃げるんだ。」
左右のホブゴブリンの動向を確認しつつエイミィを諌める。
「逃げることには私も賛成です。でも、それは後ろではなくて前です。後ろは行っちゃいけない気がします。」
そう言うなりエイミィは頭上に光球を浮かべ魔力の供給を始めた。ホブゴブリンに動揺の色が見える。
「ちょっと、エイミィちゃん!それはマズイわよ!動けなくなったらどうするの!?」
「クインさん、大丈夫です。昨日より使う魔力を減らしますから。――いきます!星爆!」
手に持った小さな光る球を前方のホブゴブリンの集団へ投げる。矢のように真っ直ぐに投げられた球は一瞬でホブゴブリンの前にある倒木に当たる。瞬間、激しい閃光が周囲を襲う。爆音で空気が震え、肌を灼くような暴風が吹き荒れる。
カナメは初めて見る光景に戦慄を覚えた。今朝、川原で見たエイミィの魔法による痕跡を思い出す。あの光景を生み出したのがこれなのかと思い至る。これは簡単に使用していい類の魔法ではない。暴発したら命にかかわることを直感した。
爆風が止む。耳鳴りのするなか正面を見ると、倒木は砕け、地面に黒く丸い凹みができていた。ホブゴブリン達は跡形も無い。
「さぁ!行きましょう!走りますよ!」
額に汗を滲ませながらエイミィが声を出す。
これにクインティナがいち早く反応する。カナメの肩を叩いて走るよう促した。
カナメはクインティナの前を走りエイミィを追いかける。背負われているケントは未だ魔法の影響で目と耳をやられていて状況が理解できていていないらしく、走り始めた際に驚きの声を出した。
3人が爆破された倒木の辺りを通過する頃になってようやくホブゴブリンたちが回復して動き始める。後方から不快な声が聞こえ始めた。
「エイミィ。助かった。初めて見たけど、とんでもない威力だな。」
「ちょっと、やりすぎちゃいましたね。前髪が少し焦げちゃいました。」
エイミィは走りながら前髪に手をやる。たしかに少し焦げている。
「あの魔法、あんなに熱いものなのか?」
「いいえ。昨日はそんなことなかったわよ。光も今より少なかったわ。」
クインティナも追いついてきた。この中では唯一、この魔法を最初から最後まで見ていた。だからこそ断言した。
「そうなんですね。じゃ、帰ったら検証ですね。」
「そうね。ところで、あの魔法の名前はなに?」
「星爆ですか?せっかくだからカッコイイ名前をつけちゃいました!」
「名前をつけたって⋯⋯。まぁいいわ。あとで恥ずかしくならなければ。」
起伏のある森の中を走り続ける。吐く息が白い。日の光が差し込まない森の中は暗く寒い。背中にいるケントも寒さから震え始めている。
ケントは体力が落ちているのもあるが、湿気の多い洞窟内で座っていたせいで服が濡れている。時間が経つにつれて体温が奪われる。時間が無い。
しかし、背後からは依然としてホブゴブリンの声が聞こえる。しかも先ほどよりも声が近い。徐々に接近されている。追いつかれるのも時間の問題だ。
「クインさん!追いつかれます!妨害用の魔法を使うので前に行ってください!」
「分かった!」
カナメは足を緩めてクインティナに先を譲る。クインティナとすれ違う時、息遣いが聞こえた。かなり荒くなってきている。足元が悪いことで想像以上に体力を消耗してしまっているようだ。
「石菱!」
走りながら魔法を放つ。カナメの後方の地面に石の撒き菱が大量に出現する。しかし、これを見てカナメは無力感に襲われた。
かつて、森の狩人たちとゴブリンの群れに囲まれた際に初めて使った魔法。あの時は全員で生き残るために使った。今回も森の狩人絡みで使うことになったが、あの時とは違う。森の狩人を助けられなかった。ケント以外はホブゴブリンにやられた。そして今、そのホブゴブリンから逃げようとしている。
「あぁぁぁぁーー!!!」
八つ当たりかもしれない。だが、抑えきれなかった。森の狩人を壊滅させ、ケントをこのような状態にまで追い込んだ群れに対する怒りを、目の前で石菱を踏んで混乱し始めたホブゴブリンに向ける。
ケントに持たせている杖に乱暴に魔力を流し引き抜いた。ケントが目の前で抜かれた剣に驚いて鞘を落としそうになる。
「全員落ちて消えろ!竪穴!」
剣を地に刺して魔力を流す。魔力の光が地を走り目の前で混乱して騒いでいるホブゴブリンの集団の足元に到達する。突如として直径5m程の穴が開く。その場にいたホブゴブリンはもちろんのこと、難を逃れた個体が後方から追いついてきた個体に押され穴へと落ちていく。
穴が発生したことによってバランスを崩した木々が音を立てて倒れる。倒れた木が当たり、周りの木の枝が折れ、乾いた音が周囲に響き渡る。
先ほど落ちなかったホブゴブリンは逃げ惑い、穴に落ちる個体、木の下敷きになる個体がおり阿鼻叫喚の光景となった。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯。」
カナメは目の前の光景に絶句した。木々が倒れ、空から森に光が差し込み、舞い上がった塵によって靄がかかったように見える。このような光景を自分が作り出したことに、ただただ驚き動きを止めてしまった。
前方を走っていたエイミィが音に驚いてこちらを見ている。何が起こったのか分からないといった様子だ。
「走って!」
クインティナの言葉で我に返り再び走り出す。だが、先ほどよりも体が重い。魔法の影響だ。怒りに任せて放ったせいで出力を誤った。ケントを背負った状態では長いこと走ることはできそうにない。徐々に走る速度が落ちていく。遂にはクインティナにまで抜かれた。
「2人とも、ごめん。もう、走れそうにない。」
「カナメくん、大丈夫?さっきの魔法のせいでしょ。」
「はい。ちょっと⋯⋯色んな感情が溢れてしまって。少し休めばまた動けるようになると思います。」
「妨害するだけで良かったのにあんな大技出すからよ。」
「ごめんなさい⋯⋯。」
「お2人とも、大丈夫です。森の景色が変わってきました。そろそろホブゴブリンの領域から出られそうですよ。」
周囲を見渡すと、たしかに景色が変わってきている。先ほどまでの起伏が減り平坦な場所が増えた。見慣れた外縁部付近の地形に似ている。
「良かった。さっきので追っ手を粗方片付けられたのかな。もう声も聞こえなくなってる。」
「そうみたいね。結果的にはあれで良かったのかしら。とはいえ、ここはここでファングウルフがいるから気を抜けないわけだけど。」
「でも、アクアリザードやハンタークロウに比べれば大した事ないです!私が全部倒してみせます!」
「エイミィ。そういうヤツが一番危ないんだ。」
「そうよ。もう星爆?を使うわけにいかないんだから。」
「う⋯⋯。と、とにかく、ホブゴブリンからは逃げられたようなので、もうそろそろ歩いても大丈夫そうですよ!」
「たしかに。ここだと下手に走るとファングウルフに狙われそうだからな。後ろを警戒しつつ歩いていこうか。とはいえ、今日中には街に帰りたいから急ごう。もう暗くなり始めている。」
木々の間から空を見上げると色づいてきていた。日暮れまであと2時間ほどだろうか。真っ直ぐ北上すれば暗くなるまでに森は出られるだろう。
「急ぎたいのは分かるけど、一度休憩しましょ。カナメくんが疲れてるとペースが落ちてかえって遅くなるわ。今も歩くのがやっとじゃない。」
「私もその方がいいと思います。ケントさんの容態も気になりますし。」
「2人とも、申し訳無い。」
「いいんですよ。ここまで1人でケントさんを背負ってきたんですから。」
「そうよ。私たちじゃケントを背負って走るなんてできないんだから。気にすることないわ。」
その後、しばらく歩いた先の木の下で休憩をとった。洞窟からここまで走り通しであったため、各々は想像以上に疲弊していた。ケントは何か言いたげではあったが、今は何も言わず水を飲んでいた。
こうして、体力を幾分か回復させた一行は、再び森の中を歩き始めた。日暮れが近づいていた。




