初めての街
3台の幌馬車が荷台を揺らしながら進んでいる。ところどころある地面の凹凸により、時折車体が大きく揺れる。
地面は乾いており、馬車が進めば砂埃が舞う。後ろをついて歩いていればそれだけで土まみれになってしまいそうだ。
村を出てから2日。カナメはその馬車の中にいた。しかしその表情は暗い。椅子に腰をかけて俯いている。カナメは今、激しく後悔していた。
当初、ハインツに従業員用の幌馬車に入るよう言われたときは胸が躍った。馬車に乗るのが初めてであったためだ。馬車から見る光景はどうなのか、どれだけ速く進むのか、馬車内ではどんな会話が繰り広げられるのか。全てが楽しみであった。
ところが、蓋を開けてみれば周りを見る余裕など無かった。馬車に乗ってしばらくは良かった。その目に映る景色は今まで見続けてきた景色だというのに、目線の高さが変わり勝手に景色が動いていく様は全く別の物を見ているようで新鮮で面白かった。しかし、それも最初のうちだけであった。次第に激しい揺れにより臀部に痛みを覚え始めた。無理も無い。馬車が揺れるたびに木の椅子に臀部が叩きつけられるのだから。周りの従業員たちは笑いながらその様子を見ていた。だが、問題はそこからだった。臀部の痛みを堪えるために試行錯誤していると、気分が悪くなってきた。馬車酔いだ。カナメの顔色を見た従業員が慌てて馬車を止め休憩に入った。このような休憩が道中で何度か発生した。そのため、予定より少し遅れてしまっているらしい。申し訳なくなる。
「カナメくん、大丈夫かい?」
ハインツが声をかけてくれた。迷惑をかけているうえに、こちらに気を遣わせてしまうなど申し訳なさすぎる。
「お気遣いありがとうございます。昨日よりはだいぶ良いので気にしないでください。」
青白い顔をして無理矢理作ったような笑顔で返答する。
ハインツは心配そうにカナメを見ていたが、本人がいいと言うのならということで街への道を急いだ。
その後、昼休憩を挟んだことによりカナメの体調は回復した。とはいえ、今馬車に乗ると食べたものを全て吐き出してしまいそうなので、しばらくは馬車の横について歩くことにした。
馬車の外を歩いていると馬の蹄の音や馬車が軋む音が聞こえる。これはこれで楽しい。少し気分が楽になってきた。
そんなことを思っていると、視界の先にあった森が途切れ、視界が一気に広がる。眼下には広大な畑が見え、その先に巨大な街並みが見える。遂に街に着いたのだ。
「凄ぇ⋯⋯。」
街のあまりの巨大さに圧倒された。街は巨大な壁に囲われており、その高さは村にあるどれよりも高い。物見櫓でさえ小さく思えてしまう。そして壁の内側の街には住宅が立ち並び、街の中央部分には壁よりも高い塔が建っている。その塔の横にある建物は教会だろうか。遠くから見ても分かる程大きい。
よく見ると教会と壁の間にもう一つ壁がある。外側の壁に比べ高さが無い。周辺の住宅より少し高いくらいだ。
街の後方には大きな川が流れている。その川に接する所にある見張り台で壁は止まり半円状になっている。だが、その川の先にも小さいながら街が作られ、低めの壁に囲われているのが見える。街と街は橋で繋がっているようだ。
「驚いたかい、カナメくん。」
ハインツが声をかけてきた。
「はい。驚きました。街ってこんなに大きいんですね。俺のいた村なんて本当に小さかったんだなと思いました。」
「そうだね。オークリーはもともと辺境の開拓村だからね。」
「辺境だったんですね。その認識も無かったです。というか自分の村の名前も初めて知りました。」
自分のいた環境が辺境だったと知り驚くと同時に、村の名前を知らなかったことに恥ずかしさを覚えた。
「なに、それを知れただけでも大きな一歩だよ。ちなみになんだけど、あの街もこの国では辺境の扱いだよ。だから一部の人はこの街を『辺境都市』と呼んでいる。」
この事実に改めて驚愕する。
「え!?あんな大きな街でも辺境都市なんですか!?てことは他の街はもっと大きいってこと!?」
あの街よりも大きな街。想像もつかない。
「ハハハ!あの街より大きな街は首都のフェアウィンと、交通の要衝であるクロスフォードの2つくらいかな。ちなみにあの都市の名前はリヴェンデールだよ。」
さすがにあの規模の街はそう多くはないようだ。なんとなくホッとした。
「さ、そろそろ行こう。早く行かないと宿が取れなくなるぞ。」
カナメはハインツに促されるまま馬車に乗り込んだ。どうやら街に入ったら宿に泊まるらしい。だが、その宿にも限りがある。今、壁の前に出来ている行列には多くの商人が見えるが、他に2つあるという門からも同様に入ってきているとなると宿泊先を探すのも困難を極めるそうだ。最悪の場合、橋を渡った先に行って宿泊しなくてはならなくなるそうだが、その辺りは治安が悪いらしく商品を盗まれることもあるため避けたいとのことだった。
畑の間にある街道を通った先には街の中に入るための列があり、それに並ぶ。遠目にも見えていた商人の他にも武装した傭兵が大勢いる。父の話では、街には魔物狩りのために傭兵が集まってくるのだという。この傭兵たちもそうなのだろうか。
周囲を観察しているうちに、列はカナメの番になった。入市税として10,000ルクを門番の兵士に渡す。一緒に入ったハインツ等は5,000ルクだったのだが、これは行商人だから減税されているとのことだった。なお、この街の住人であれば入市税は免除されるそうだ。住人であることを示すためには証明書が必要なるのだが、それを得るためには定住することや定職に就くことが求められる。例外として街の外で活動する傭兵がいるが、無条件というわけではなくその街にある傭兵ギルドの発行する証明書を所有していなければならないらしい。
無事、門を抜けると、そこには1本の太い通りがあり、その両側に露店が立ち並んでいた。野菜を売る店、アクセサリーを売る店、料理を提供する店等、様々な店がある。祭りかと勘違いしてしまうほどだ。
この通りは買い物をする住人たちで溢れかえるほどの人がいた。村の全住民よりもこの場の人の方が多いのではないかと思うほどの数だ。思わず気持ち悪くなってしまった。
「おや?カナメくん、大丈夫かい?まさか、人酔いかい?」
ハインツが声をかけてきたが、これは心配してのものではない。面白がっているようだ。
「人酔い⋯⋯というものが何かは分かりませんが、この人の多さを見て気持くなったので、そういうことなのでしょう。」
ハインツがニヤニヤしているが、それに対して何かを言う気力も無い。とにかく早くこの場から離れたい。
「ハインツさん、宿、取りに行きましょう。」
力無く宿取りを提案した。今日はハインツの厚意により宿を取ってもらえることになっている。費用も負担してくれるらしい。しかし、翌日からはハインツも仕事があるため、自分で宿泊の延長をするなり新しい宿を探すなり何とかするということで話がついている。
「そうだね。じゃあこっちについてきなさい。とりあえずいつもの宿に行くことにしよう。」
ハインツたち商隊が動き出し、その後ろからフラフラとした力無い足取りでついていく。周りを見ると気持ち悪くなりそうなので、馬車の方だけを見て歩くことにした。
しばらく歩くと、先程までとは打って変わって静かな雰囲気の通りに来た。周辺の建物は宿屋のようだった。しかし、どの宿屋も馬小屋はついていない。考えてみれば宿泊時に馬や馬車はどうするつもりなのだろうか。その辺に繋ぎ止めておくわけにもいくまい。
不思議に思い考えていると、商隊の従業員が1軒の宿屋に入っていった。その宿屋を見ると確かに馬小屋があり、馬車を置くスペースもある。しかし、建物が大きく豪華だ。他にも大きな宿屋がいくつかあるから、ここが特別高級ということはないのだろうが、今まで素通りしてきた宿屋に比べれば高級なのは明らかだ。ここに泊まるつもりなのか?ここに泊まるのだとすると、自分には分不相応であるとしか言いようがない。自分のような田舎者が泊まる場所ではない。
先程入っていった従業員が出てきた。ハインツに笑顔で報告している。ここに泊まれるようだ。
「カナメくん、きみの部屋もここに取ったから、今日はここに泊まるといい。」
「あの、ハインツさん。こんな立派な宿、僕が泊っちゃいけない気がするんですが……。」
「なに、大丈夫さ。今日はここで旅の疲れを癒せばいい。」
「逆に疲れてしまいそうです。ちなみに、ここはいくらなんですか?」
「ん?延長する気が無いなら聞かない方がいいぞ。本当に休めなくなる。」
豪快に笑うハインツを見ながら、カナメは顔を引き攣らせた。果たしてしっかり休むことができるのだろうか。不安な一夜を迎えるのだった。
通貨について
まず、この世界の通貨は金本位制です。そのため全ての通貨は金と交換可能ということで価値が維持されています。
通貨単位はルク。硬貨や紙幣があります。
通貨は王立造幣局で作られています。
一般的な労働者の毎月の賃金は30万リオンです。これを基準に物価を考えてもらえると助かります。
中世風の世界観にこの考え方は違和感があるかもしれませんが、あまりにも便利な考え方なので流用します。