魔女の綺麗な死に方
「私、魔女なの。」
それが彼女の最大の秘密だった。この世にそんな非科学的なものがあるとは思えず、僕はにわかに信じられずにいた。しかし、彼女と過ごすにつれその考えは崩れた。彼女は本当に魔女だったのだ。
彼女と出会ったのは僕の住んでいるマンションの屋上だった。そこで彼女は壁に寄りかかっていたのだ。
「あれ、花崎さん?なんでここに…。」
「あなたは…黒石君……?」
そこで僕は彼女が血を流していることに気づいた。
「っていうかなんでそんなに血が…?大丈夫か?」
彼女はそれには答えず、ずるずると彼女の体が滑っていった。僕はとりあえず救急車を呼んだ。
救急車に運ばれ、命に別状はなく、ひとまず安心した。運ばれてから数時間が経ちようやく彼女は目を覚ました。
「花崎さん気が付いた?」
薄く開いている瞼を見ながら僕は言った。
「黒石君…。ありがとう。助かったわ。」
「ところで花崎さんはなんで僕のマンションにいたの?」
彼女は少し考えるかのように目を瞑った。そして目を開いて言った。
「私、魔女なの。」
時が止まったかのように感じた。僕は耳を疑い
「魔女?」
と聞いた。
「そう。私はあそこで『負』を取り除いていた最中だったの。」
そこから彼女は、自分は魔女の一族だということ、『負』という人間の汚い感情を取り除くのが自分の務めだということを話してくれた。
「魔女によって務めは違うのか?」
「えぇ、そうよ。私のお母さんは魔女の研究員で、魔女の血がなにかに使えるのか研究しているの。お父さんは普通の人間。そして、私は『負』を取り除いているときに、自分の身体が『負』に乗っ取られそうになって離れたの。その反動で血が流れちゃったんだ。」
あまりにも現実離れした内容だった。僕は信じられず、黙っていた。すると彼女はふふっと笑った。
「信じられないっていう顔しているね。じゃあ私と一日過ごしてみる?」
こうして僕は彼女と過ごすことになった。
退院した翌日、僕と彼女は僕のマンションに行って『負』というものを呼び起こした。
黒い靄みたいなものが空に浮かぶ。
「これが『負』。これをね…」
彼女はそれを手で掴んだ。そしてその黒い靄は白い靄と変わっていった。
「これで溜まっている『負』は消えた。また溜まったら取り除きに来るの。どう?あなたここに住んでいるのでしょう?心が軽くなったんじゃない?」
僕は頷いた。誘導されて答えたわけではなかった。少し、何かが取れたような感覚があったのだ。
「これで分かった?」
「信じられないけど、本当だったんだ…。」
「この町はあきらかに他の町より『負』が多い。しかも、小さい『負』が何個も重なって、とても大きい『負』になっている。まさしく自殺が多い町だね。」
そう、この町は年々自殺者が増えている。理由は色々あるだろうが、主に中高生が多いというのはいじめが原因だろう。
「でも私が来たからには、この町を変える。そのためにここに来たんだから。」
彼女は魔女だ。この町を救うために来た。毎日様々な『負』を五つほど取り除いている。そして魔女は寿命が短いらしい。
「魔女は人間と何か違うところはあるのか?」
「よくおとぎ話で魔女は不老不死とか言われているけど、実際には短いの。魔法を使えば更に短くなる。この世に責務を果たさない魔女など存在しない。だから、余計に生きられる時間が少ないの。」
「じゃあ花崎さんも…?」
彼女は躊躇うことなく頷くと言った。
「私は人を一人でも多く絶望から解放することが何よりの幸せなの。後悔なんてしない。」
僕はそっと唇を嚙み締めた。
彼女と僕は、それからもずっと『負』を取り除くために色々な場所に行った。駅にも学校にも大きなビルにも。学校には大きな黒い靄もあった。それらは簡単にすべてを取り除くことはできなかった。そして彼女に教えられたことがある。
「いじめというものは、もちろんられる側の黒い靄が大きくあるけど、する側にも小さな黒い靄があるんだ。」
「ということはする側にも何かしらのストレスがあるということなのか?」
「うん。私にはそれの元凶を取り除くことはできない。だから、ここで取り除けたとしても、それは一時的なものに過ぎない。」
「じゃあ何度取り除いても、、また同じように『負』が溜まるのか?」
「そうなの。溜まってきたと思ったときに取り除きに来るしかない。それでも間に合わない時もある。心というのは繊細で脆くすぐに傷ついてしまう。一度ひびが入ればそれを修復するにはかなりの時間がかかる。心ははかないのものだから。」
僕はそれを聞いて、黙ることしかできなかった。
「黒石君の命を守ることができてよかった。」
彼女はそう言い、僕の手を取った。
「これからも私を見守っていてほしい。」
それが彼女からの告白だった。
彼女は『負』を取り除いていくにつれ、身体が黒く染まっていった。茶髪だった髪が真っ黒になったとき、僕は思わず聞いた。
「花崎さんって髪染めたの?」
「あぁ…この髪の事?」
「うん。」
「これは魔女の寿命を表すもので、魔法を使い果たすと、全身が黒く染まり、灰になるんだ。」
びっくりさせて悪かったねと言うように彼女は僕に悲しそうな顔を向けた。僕はそんな顔をされるのが嫌で
「魔法なんて使わないでいいよ。僕とこれからも一緒にいてくれよ。」
と言った。それでも彼女は首を横に振り
「私は責務を全うしなければいけないの。だから最期の日までよろしく頼むよ。」
と返してきた。
それからも彼女は魔法を使い続けて、『負』を取り除いていった。それに伴って彼女の髪の次は足が黒くなっていった。僕はそんな彼女を見て胸が痛くなった。そして僕がそのことを彼女に伝えるたびに
「私ならまだ大丈夫。」
そう言われ、どんな顔をすればいいのか分からなくなり、俯いてしまう。
「黒石君、私が最期を迎えたとき、託したいものがあるの。だから、そんな下を向かないでほしいな。ほら顔を上げて?」
彼女の身体のほとんどが黒色に染まってしまった日、彼女と僕はマンションに来ていた。
「黒石君、私はこの責務を果たせばもうこの世にはいられないでしょう。」
僕は聞きたくなくて、耳を塞いだ。それでも彼女は構わず続けた。
「私が言ったこと覚えてる?あなたに託したいものがあるっていうこと。」
彼女はポケットから小さな瓶を取り出した。
「これは私の、魔女の血。これを飲めば、私の責務を引き継ぐことができる。飲むか飲まないかは自由だから、これはあなたが魔女になる意志があるなら飲んでほしい。」
差し出された瓶を手に取り、僕は涙を流しながら聞いた。
「僕が今これを飲んで、この黒い靄を取り除ければ花崎さんは死なないで済むの?」
彼女は首を振る。
「これは私が死んでからじゃないと効果が発動しないの。……そんなに泣かないで、私は受け取ってくれてうれしかったよ。」
そう言うと彼女は目を瞑った。
「だめだね…黒石君のことを好きになっていたみたい。こんなにも死ぬのが嫌になるなんて…好きになれてよかった。最期にあなたに魔法をかけさせて。」
彼女は僕に近づくと強く抱きしめてきた。
「これからも死にたくならないように、傍にいてあげる。」
そして彼女は最期の責務を全うした。そしてあっという間に身体全体が黒く染まり、灰になった。彼女がいた場所には一輪の青いカーネーションが置いてあった。
彼女が亡くなって、僕は生きる理由を見失いながらも生きている。彼女にかけられた最期の魔法は僕には効かなかったみたいだ。彼女が亡くなってから僕は何もできずにいた。ただただ彼女がいたときの記憶に浸りは、現実を思い出し、空っぽになった心を埋めようと彼女からの最初で最後の贈り物を握るだけの日々。だるさが身体を蝕んでいく日々。
僕はふと屋上に行きたくなった。彼女に呼ばれた気がした。彼女との最初と最期の思い出が詰まっているマンションの屋上。
「……。」
彼女がいつもしていた行動を思い出す。すると待っていたかのように『負』が目に映る。
「お前を取り除けばこのだるさの塊は取れるのか、それとも今までの事全部忘れちゃうのか?彼女がいたこと、彼女が魔女だったこと、彼女が僕に教えてくれた全てを忘れちゃうのか?」
『負』は当然ながら何も答えない。僕は瓶を取る。
「彼女は僕がこれを飲んで、引き継ぐことを望んでいるんだろうな。」
僕は一気に飲み干した。魔女の血といえど人間の血と変わらない。生臭さが鼻につく。
そして黒い靄を手に取る。手の中でそれが白く変わっていくのが分かる。やがてそれのすべてが白く変わったとき、自分の身体に重い何かが肩に乗るのを感じた。しかしそれは一瞬の事で、すぐに消えた。
僕は涙を流した。
「ちゃんと魔法は効いているようだ…。」
未だに置いてある一輪の青いカーネーションを手に取り自分の部屋に持って帰った。
僕は死にたかった。何もかもがうまくいかない。何もする気が起きず、ただただ平凡な日が続くだけ。家では両親と過ごすこともほとんどないくらいには過ごしている時間が合わない。学校ではイキっている奴にののしられ、いじめられるばかり。そんなつまらない日々に光をくれたのが彼女だった。あの日僕は飛び降りる気で屋上に向かったのだ。だが、倒れている彼女を見過ごすわけにはいかなかった。そして彼女に命を救われ、いつもと違う日々を過ごすことができて、この世界には楽しいものがこんなにもあるというのを教えてくれた。そんな彼女の最後の願いを聞き入れないわけがないだろう。
そして僕は魔法使いになった。彼女が精一杯生き、責務を全うしたこの証を僕が後世に伝えようじゃないか。
完結作品です。