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美術アカデミー・クラロッシの建物の前で、山神園は一つ大きな空気を胸いっぱいにしてから吐き出して、最初の一段目の階段に足を運んだ。
巴里にも空気があり、日本と同じように呼吸ができることが不思議であった。この階段も建物も通りすがる人もみな本物の西洋である。日本で拵えて身につけた西洋もどきのドレスが全裸でいるように恥ずかしい。
園は武士の娘であるという尊厳だけで立っていた。そして選ばれてここにいるという自負が彼女を支えていた。ここで技術を学んで日本に持ち帰るという大義を果たし、恩義に応えなければならない。彼女は親だけでなく、渡欧に尽力してくれた教会や政府関係者たちにも律儀に感謝していた。
「山神園ヤマガミソノと申します。日本から参りました。」
開け放たれた教室の入り口で、背筋を伸ばした園は特訓を重ねてきたフランス語の中でも、何万回も繰り返した一文を初めて西洋人に対して口に出した。
「Solo? ・・・ソロ?寂しい名前だな。」
入口に突っ立って挨拶をする珍しい学生に、数人の学生の中から野次が飛んで笑いが起こる。東洋人に対する偏見をソノはまだ知らなかった。
「そんなことないわよ。自立した強さがあるわ。」
即座にパメラが横やりを入れてソノを助け、
「ソロ、よろしく。」と近寄って右手を差し出した。
「はい、あぁ、いいえ、Sonoです。私はソノです。」
ソノはこわばった頬を極力緩ませて、ゆっくり説明するとぎこちなく硬い握手をしてみた。西洋人にはソノという発音がうまく伝わらず、ソノは半ば諦めてソロと聞こえても返事をするようになった。
パメラは自分の隣にソノのイーゼルを用意してやると、座るように身振りで促した。




