1.平穏な時間、そして
小説初心者がのんびり緩く書いてます。
暇潰しにでもなれば幸いです。
「あぁっ……!間違えちゃったぁ……!!」
突然、厨房に響く声に驚いて声の主を見ると、彼女――門間千秋が慌てふためき、泣きべそをかいていた。
「あき、どうしたの!?」
「あきじゃないったら!ちーあーきぃ!!」
訂正が秒で返ってきた……元気だな。大丈夫そうだ。くるりと向きを変えて自分の作業に戻ろうとすると、泣きそうな声が追いかけてきた。
「ちょっとちょっとぉ……!なんで無視するのー!?可愛い幼馴染がこんなに困ってるのに……」
自分で可愛いとか言っちゃう?まあ、ほんとに可愛いんだけどね。こんなこと本人の前では言えないけど。
「あはは……ごめんごめん。で?千秋、どうしたの?あ、フライヤーのタイマー鳴ってるよ?」
「ああんっ!ちょっと待ってったらっ!いま上げますよー……っと」
急いでドーナツフライヤーの網かごを上げる千秋。彼女が動くたびに揺れる、存在感ありまくりの体の一部分にどうしても目が行ってしまう。ほんとスタイル良いな。読者モデルでも通用しそうだ。小さい頃はぺったんこだったのに、何を食べたらああなるのか。
それに、君ってもっと男の子っぽかったはずだよね?年中、半袖半ズボンで遊んでたし。数年で一気に女の子っぽく変わるなんて実に不思議だ。
千秋が側を通る度に花のような甘い香りもするし、弾ける笑顔も素敵だし、きっとモテるんだろうな。
実際、バイトの皆とも物凄いスピードで打ち解けてるしね。2年もこの店にいる僕よりも、皆とわいわい仲良くできるのってほんと天性の才能としか思えないよ。まだバイト始めてから1ヶ月近くしか経ってないはずなのに……僕がコミュ症なだけ??
僕たちはいまベーカリーカフェ『アルテミス』でアルバイトの真っ最中。この辺りの地域では珍しくカフェも併設されてるからか、お昼時や夕方はいつも目が回るような忙しさだ。それだけ人気なのは、やっぱり店長が考案した数々のパンたちが美味しいからだよね。
焼きたてパンの香りはなんだかこう、心がホッとするような温かくなるような、そんな気持ちにさせてくれて僕も大好き。
今はお昼のピークが終わって店内も少し落ち着いてきたところだ。このあと休憩入って、そしたらまた仕込みをして、夕方に向けてパンをせっせと焼かないとね。
カリカリのウインナーを巻いたウインナーパン、ピリッとした辛さが人気のビーフカレーパン、口どけしっとりのふわっふわメロンパン、クルミをふんだんに練りこんだ生地が食欲をそそるクルミあんパン……。
どれも人気が高く、昼時や夕方に焼きたてを出すとあっという間に売り切れてしまう。あ、そうだ!今日は土曜日だし、いつもよりお客さんが沢山来るかもしれないな。もう少し焼く量を増やしておこう。僕は午後の仕込み表を持って厨房から店内へと向かった。
メロンパンは最近、売り切れちゃうから追加……と。あ、バケットも残り少ないな。これも増やすか。ウインナーパンはこれでOK。お?クリームパンとリングドーナツも結構、売れてるな。よし、もう少し追加しよ。あと、朝食用に結構、イギリスパンも売れるからな。これも足しておこう。
ちなみに、僕は焼き担当。2年間焼きをやらせてもらえたお陰で、パン棚の量を見てあと何をどのくらい追加したらいいかが、なんとなく分かるようになってきた。なので、最近は店長に代わって追加の仕込み量を僕の裁量で決めさせてもらっている。
店長にはとてもよくしてもらってほんと感謝だよ。新しいこともどんどんやらせてもらえるし。将来、自分の店を持ったら絶対、店長みたいな頼りになる店長を目指そう。
まだフライヤーの側でなにか四苦八苦してそうな千秋はドーナツ担当だ。最初はレジ担当だったんだけど、そのスタイルと可愛さから男性客に人気になりすぎてしまったんだ。口説く輩が続出してしまって、その度に僕に泣きついてきてお互い仕事にならない事態になってしまった。
そのため、店長に配置転換を相談して、僕がしっかり仕事を教育するならという条件で厨房に変えてもらった。いまや千秋もすっかり厨房の人間だ。
ある日突然、新人紹介で千秋がこの店に現れた時はほんと驚いたな。アルバイトを探してるとは聞いてたけど、まさか同じ店でやるとはね。まあ、少しでも知ってる人がいた方が安心するんだろうから、ここに決めたのかな。
最初の挨拶で「りゅうせ~い!きたよーっ!!」ってぶんぶん手を振られたのはとっても恥ずかしかったけどね。その後、バイト仲間の男共に嫉妬心丸出しの質問攻めにあったのは辛かったな……。
「てーん、じょーうっ!りゅーう、せーいっ!く~んっ!!カム・バック!トゥ・ミー!だよぉーっっ!!」
……うん、フルネームを叫ぶのはやめようか。皆、見てるから。なぜか僕を可哀想な目で見てるから。千秋が何言ってるかワカラナイ……ボク、ワカラナイデゴザルヨ。
「流星君、ほら、彼女がお呼びよ?」
そう言って微笑むのは、パンを店の棚に並べる品出し担当の美香さんだ。店長の奥さんでもあり、聞けば僕の大学のOGでもあるそうだ。
そんな訳で普段から店のことだけでなく、私生活のことについてもよく相談に乗ってもらってるとても頼りになる女性だ。
「ちょっ、美香さん、ち、違いますよ。まだ彼女じゃありませんから。変なこと言わない下さい」
「へ~?まだなんだ?」
いたずらっ子みたいな笑いを浮かべる美香さん。
「え?あ、いや……まいったな、からかわないでくださいよ」
「あはは。ごめんね?でも、ほら、早く行ってあげた方がいいわよ?ちーちゃん、さっき『新製品』開発しちゃったみたいだから」
ん?新製品??
「千秋、そんなところから大声で呼ばないでよ。恥ずかしいよ」
「あ!やっと来た!も~!!流星、おっそ~い!!そんなことより、これどう!?美味しそうじゃない!??」
そう言って何か見たことのあるような……ないような……カラっと揚がった物体を見せてくる千秋。んん??なにこれ?うちの店にこんな形のドーナツはないはずだけど。しかも、これおっきすぎ……まあ、揚げ色はいいと思うよ、揚げ色はね。
「うん!我ながら美味しそうな色に揚がったわ!!」
「千秋……それ、もしかしてメロンパンじゃない……??」
「うん!!」
ウインクしながら元気よく答える千秋。凄く得意気なのはなんでなんだろう?
「そういえばさっき、間違えたって言ってたのはそれのこと?え……?メロンパン揚げちゃったの??そこのラックにあんドーナツあるけど、まさかそれと間違えたの!?見た目が全然違うじゃん!揚げる時に分かるでしょーが!?」
「あはは!流星、早口すぎ!小鳥がピーチクパーチク鳴いてるみたい!あはっ!か~わいい!!」
なんだろう?この謎の敗北感は。
「わ、私だって、わざと間違えたわけじゃないよ?メロンパンの焼く前ってよく見たことなかったから、ちょ~っと見てみようかなって思って」
「それで?」
「ああん、りゅうせいったら、怒っちゃヤ。それでねそれでね、焼きたてメロンパン食べたいなーって考えてたの。それで、そろそろあんドーナツ揚げよかなって思ってフライヤーの中に入れたの!そしたら、なんとメロンパンだったの!!凄くない??」
え?どこらへんが凄いの?僕の理解力が悪いのかな?
「ち、千秋……」
「流星……」
……いやいやいや。なんで近寄ってくるの?いま呼び寄せたわけじゃないからね?分かるでしょ??恋人同士が抱き合うみたいな感じで寄ってこないで!?そんな雰囲気じゃなかったよね?いま。
「りゅうせい……ぇぃっ」
な、なんか当たってる……!?柔らかいのが当たってる!?未知の果実がすぐそこに!!だめだ……甘い香りがいつもの何倍にも感じる。なんだか頭がぼーっとしてきた。
「……もうひと押し……ぇぃぇぃっ」
うぐぅっ!!ぷるんぷるんしてる!なんかぷるんぷるんしてるーっ!!!なんだこれは……!?これが噂の女神の領域!?あぁこれが!これこそが!
……フィールド・オブ・ゴッデス!!!
「ちーちゃん、もうそのくらいで解放してあげなさいね?」
「はぁ~い!」
はぁはぁっ……あ、危なかった。美香さんの声が掛からなかったら、抱きしめちゃってたかも。危険だ。実に危険だ。千秋は自分の魅力が分からないのかな……?幼馴染とはいえ、冗談でも男にそんなことやったらダメだってこと教えてあげないと。
「ち、千秋、冗談でも好きじゃない男にそんなことやったらダメだよ?勘違いさせちゃうからね?千秋は可愛いんだから、相手の男が本気にしちゃうよ?」
「か、かわいいって……もうっ……ばかちん」
「にぶちんねぇ。流星くん、そういうとこよ?」
千秋と美香さん、2人から呆れられた。え?なんで?
あのあと、結局、千秋が揚げてしまったメロンパンは商品に使えるはずもなく廃棄になるはずだったんだけど……今日は一日不在の店長に代わって美香さんから特別にということで、従業員のおやつとして控室で皆に振る舞われることになった。
「美香さん、千秋がすみません。メロンパン無駄にしてしまって。」
「いいのよ。ちーちゃんだって、わざとやったわけじゃないし普段、真面目に働いてくれてるもの。間違いは誰にでもあるわよ。それに、流星君のせいじゃないわ」
「でも、教育係は僕ですし……」
「流星君も真面目よね。だいじょーぶ!うちの人もこの場にいたら私と同じことを言ったと思うわ」
「美香さん、流星、ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げる千秋。その様子はさっきまでの元気はなくしおれている。きっと食材を駄目にしてしまったことを悔いているのだろう。千秋も遊び半分で仕事をするような女の子じゃないしな。
「ちーちゃんももういいのよ。次、またがんばろ?ね?」
「美香さん……はい!」
美香さん、優しいな。千秋も反省してるみたいだ。僕も頑張ろう。千秋と上がり時間一緒だし。帰りにコンビニでなんか奢ってあげようかな。
バイトが終わって店を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。春の夜らしい、のどかで暖かな風が僕と千秋の間を通り抜けていく。夜空を見上げると、柔らかな光を帯びた朧月が視界に入った。霞んでぼんやりと光るその姿は、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
ふと隣を見ると、千秋も一緒に見上げている。美しく儚げな空の宝石に見とれているようだった。
特に決めているわけじゃないけど、バイト終わりの時間が大抵、千秋と重なる。そのため、僕たちは必然的に一緒に帰ることが多かった。
2人で並んで歩く心地良さ。僕は千秋と過ごす、このたわいのない時間が好きだった。ま、恥ずかしくて本人には言えないけどね。
「ふぅ、今日も忙しかったな」
「ほんとだね。そうだ!夕方、私の揚げたドーナツをお客さんが美味しいって褒めてくれたの!嬉しいな~!」
嬉々として話す千秋。よかった。もうすっかり元気を取り戻したみたいだ。
「ちょっとそこのコンビニ寄らない?お腹減ったろ?なんか奢るよ」
「え~!!いいの!?やったぁ!もう、流星ったら。そういうとこよ」
また千秋がくっついてきた。千秋の体温が感じられて恥ずかしかったけど、心地良かった。温かかった。一緒に過ごせるこんな日がずっと続くといいな。
あーぁ、僕が千秋の大切な人になれたらいいのに。でも、僕は……お兄ちゃんだからな……。
『りゅうせいくん、ずっと私のお兄ちゃんでいてね?約束だよ!?』
「――――い、――せい!……流星!?どうしたの??」
呼んでも反応がなかったからか、心配そうに上目遣いで見つめてくる千秋。その顔は反則級にヤバいって。
「ううん、なんでもないよ。ただ、千秋がいてくれて良かったなと思ってさ」
「え……?それって……?うん……私も!私も流星がいてくれて良かった!」
なんとなく目が合ってお互いに微笑む。すると、千秋が何か言いたそうにしている。
「どうしたの?」
「うん……あのね、私、ずっとずっと流星に言いたいことが――」
その時、千秋の背後で小さな鳴き声がした。
「みゃみゃ……にゃー……」
子猫だ。まだ小さいな。親はどこだろ?道路の向かいの茂みから這い出してきたらしく、体中に葉っぱをくっつけている。
「きゃーっ!可愛いっっ!!あの子、ひとりなのかなぁ??」
道路を渡りたいんだろうか?ヨチヨチ歩きでこっちに来ようとしているのが見えた。あの子猫、危ないな。そう思った瞬間、視界の端に猛スピードで迫ってくる何かを捉えた。
「トラックだ!!」
ふらふらしてる!?居眠りしてるのか!!?
「あぶないっっ!!!」
「えっ?きゃーーーっっっっ!!!」
何かが激しくぶつかる音。ふっ飛ばされる体。全身に走る痛み。アスファルトに叩きつけられる衝撃。この世の全ての恐怖と悲しみを含んだような悲痛な叫び声。そして、何かドロッとしたものが体から流れ出る感覚……。
……何も見えない……。
……何も聞こえない……。
……何も感じない……。
……僕の意識はぷつりと途切れ、闇に飲み込まれた……。
拙い文章を読んで下さり、ありがとうございます。
次回以降もよろしくお願いします。