51.パパの不在と不穏な事件
基本的には平穏な幼児生活を送っている私だけれど、その日、朝食室でいつものようにラプンツェルの隣の席について、きょろりと周囲を見回して、肩を落とす。
「ママ、今日もパパ、いないの?」
しばらく朝食の席に顔は出せなくても、晩餐は一緒だったり日中に戻ってきたときにハグしてくれたりしていたパパだけれど、ここ数日はそれすらなくなってしまった。
私は王族としてはかなりべったりと両親がそばにいて甘やかされてきたけれど、それだけに数日パパと全く会えないのはだいぶ寂しい。どうやら仕事で城外に出ていることが多いらしくて、魔素を操ってどこにいるかを探ってもヒットしないことも多く、日に日にしょぼくれた気持ちになってしまう。
パパは王弟で第一王位継承者という王宮の中でも重要な地位にいるけれど、同時に役職として王宮近衛師団の長も務めている。
王宮近衛師団は、王宮内の警備、王族の警護のほか、王都の治安維持や国の軍事行動なども兼ねた、前世で言うなら警察と軍隊を足したような組織のことだ。
リッテンバウム王国は平和な国で、パパも毎日朝食はラプンツェルと私と摂ることができる程度には時間に余裕があったはずなのだけれど、最近そのワークバランスが崩れているらしい。
ラプンツェルや乳母のマーゴ、世話係たちも一緒にいてくれるのでそれほど深刻に寂しいという気持ちにはならないものの、やはりパパのあの、私がニコニコしているとイケメンを台無しにしたように崩れる相好を見ない日が続くと、物足りないものである。
ラプンツェルは寂し気に微笑み、そっと手を伸ばして私の頭を優しく撫でてくれる。
「パパはお仕事に行っているの。そのうち帰ってくるから、そうしたらいっぱい抱っこしてもらいましょうね」
「うん」
ラプンツェルを困らせたいわけではないのでそう言われて素直にうなずき、朝食を済ませたものの、やっぱりその日はなんだかちょっと寂しかった。
食事を少し残した私の髪を優しく撫でて、いつもの侍医の訪問と問診を終え、ラプンツェルは身支度を始めた。
基本的に安静に過ごしているラプンツェルではあるけれど、王弟妃として臣下との交流を完全に断つのは難しいらしく、今日は侯爵夫人のお茶会に顔を出すのだという。
まだおなかも膨らんでいないので、すらりとした淡いオレンジのドレスを身に着けて、初夏だけれどふわっとした暖かそうなストールを羽織る。
「殿下、宝飾品はいかがしましょうか」
「そうね……あまり身に着けたい気分ではないけれど」
ラプンツェルは何もつけなくても本人が最高の美女ではあるものの、あまりに簡素な装いで行けば、招いた相手に恥をかかせることになってしまう。
そうした振る舞いに、ラプンツェルはとても敏感だ。結局真珠のネックレスと揃いのイヤリングに、同じく小さな真珠を編み込んだ小さなティアラを髪に差す。
「どうかしら」
「とてもお綺麗です、殿下」
ラプンツェルの着付けをしていたカミラとエリナはほう、とため息を吐きながら答える。実際、今日もラプンツェルは、世界一きれいだ。
絹の光沢もラプンツェルの豊かに波打つ金の髪にはかすむようだし、真珠で統一されたアクセサリーも煙ぶるような青い瞳にまず視線を奪われてしまう。元継母の欲目を抜いても、十人いたら全員が振り返る美しさだろう。
「ママ、今日もとってもきれい!」
「ありがとう、アーデルハイド。今日はママもお出かけだけれど、いい子で待っていてね。みんなのいうことをちゃんと聞くのよ」
「はぁい!」
マーゴを伴って出かけたラプンツェルを見送り、今日の授業は昼食の後に礼儀作法が入っているだけなので、私は自室で自由時間だ。
いつもなら先生たちが持ってきてくれた幼児向けの教本を眺めたりするのだけれど、今日はテレサだけを傍において、窓を開き、ソファにぽん、と腰を下ろす。
「テレサ、しばらくぼーっとしてるけど」
「はい、おそばにいます」
テレサは控えめに微笑んでうなずく。それに安心して目を閉じて、ゆっくりと魔素で城内を探った。
パパが城外に出ているとしても、その理由を探るくらいは城内でもできるはずだ。
近衛師団の建物に意識を向けると一部の兵士は訓練中で、建物の中では文官たちが忙しそうに意見を交わしあっている。
このあたりはパパの気配を探すことが多い。魔素を通しての探索は音や気配なんかはよく分かるけれど、目で見るほど視界の精度は高くない。それでも何度かこのあたりを探る間に、何人か、あ、これはこの人だなと分かる人もできた。
今いるのはパパの側近に近い立場の、騎士団の中でも比較的責任のある立場の人たちだ。どうやら何か重要なことを話している最中らしくて、声は重く、雰囲気もちょっと怖かった。
ばしっ、と乱暴に書類を机に叩きつけたような音が響く。
「昨日も新たに行方不明者が出たそうです。これで王都内ではわかっているだけで八人、うち、城内の下働きの者が三人です」
「偶然というには、比率が高すぎるな」
「全員が、何らかの仕事や用事を済ませるために城を出て戻ってこなかったという形です。外出届も偽装された痕跡はなく、同室の者にも行方をくらませるような理由は思いつかないそうで」
ピリピリとした空気の中、騎士服を身に着けたおじさんたちは厳しい表情で意見を交わしあっていた。一瞬、妖精が通り過ぎたように沈黙が落ち、椅子に座って腕を組み、ひげを生やした年配の騎士が、唸るように言う。
この人はダナン卿。伯爵家の出身で、騎士の中でも責任者のひとりなので、男爵並みの身分を与えられている壮年の騎士だ。パパと一緒に騎士団の慰問に行った時、何度か遠目で見たり、挨拶を交わしたこともある。
「……人狼が現れたことを前提に、調査を行うべきだろうな」
「ダナン卿!」
「わしとて考えたくはないが、可能性から目をそらしていても仕方があるまい。最悪の事態を想定して動き、違っていた時に取り越し苦労だったと笑いあったほうがマシだろう」
「しかし、小規模な都市ならばともかく、王都に人狼が出たとなると、表沙汰になれば事ですよ」
「王室の権威の失墜にもつながりかねません」
若い騎士たちが口々に言うのに、ダナン卿が軽く首を横に振った気配がする。
「当面は秘密裏に調査を行っていくしかあるまい。ただ、現場に出る者はそれを想定して動いたほうがいいということだ。人間の悪党が相手ならともかく、本当に人狼だったとしたら、犯人を現行犯で発見しても返り討ちに遭う可能性すらある」
息を吞む、その音すら魔素越しに伝わってくるようだった。
彼らの話を盗み聞くに、パパが多忙になった原因の発端は、王宮に勤める下女が街にお使いに出たまま戻らなかったことらしい。
王宮に勤める使用人の中でも、王族や貴族が多くいるエリアに勤めるのはそれなりに教養のある訓練された層だけれど、それより下の下級使用人になると掃除や洗濯という単純な作業を行う、あまり教育の行き届いていない人間も増えてくる。
一応、そうした使用人も出身の村や町を収める町長や代官などから推薦を受けた身元がはっきりしている人たちで、一般的にはそれなりに信用できる層らしいのだけれど、魔素を操って情報収集をしているとき一番迂闊でそんなこと人前で話していいの? というような話をしているのも、こうした下級使用人たちだ。
出身の村に恋人がいたり、お使いで王宮から出たときに異性に声を掛けられて恋人を作ったり、器量がいいと高価な贈り物と引き換えに貴族の遊び相手になったり……この世界的には悪いことをしているわけではないけれど、風紀がちょっと怪しい、そういう印象のある人たちなので、ふらりと出かけたまま帰らなくても、恋人と駆け落ちしたのだろうとしか思われていなかったらしい。
前世が一般日本人だった感覚が残っていると、この世界の人の命って軽いよなあって驚くことが結構ある。
世界も時代も感覚も全部違うのだから、前世の価値観を引きずっている私のほうがズレているのだろうけれど、人ひとりいなくなって、まあ駆け落ちしたんだろうねで終わる適当さにびっくりする。
いなくなったのがその下女一人ならそれで済んだのだろうけれど、そこから次々と、王都内で若い女性ばかり行方不明になる事件が続いたらしい。
共通点といえば全員が十五歳から十八歳くらいの未婚の女性で、商会のお嬢さんとか貴族の家の侍女見習いとか、ただの平民より少し気を遣わねばならない立場の女性ばかりだったみたいだ。
そうしているうちに王宮の勤め人から二人目の行方不明者が出て、その時点で城内には注意喚起がなされたみたいだけれど、先日、三人目が消えてしまったという。
さすがに三人目ともなるとみんな警戒していて、用事や買い物も男性の使用人に任せていたらしいけれど、その日は数人で固まって出かけて、気が付いたらその一人の姿が見当たらなくなっていたということで、騎士たちは難し気に眉を寄せ、苦い表情を浮かべていた。
今のところ死体が発見された様子がないことから、とうとう人狼が出たのではないかという疑惑を否定しきれないところまで来てしまったらしい。
道理で、王宮近衛師団を率いるパパが忙しくしているわけだ。
人狼はすごく厄介だ。魔女ならばどうということはないけれど、人間にはかなり手に余る存在である。
人狼は人間の間ではおおむね、森に住む狼の中から頭がよく魔力に適性のある個体が人の姿に化けたものと言われているけれど、実際のところは色々なルーツがある。
私がぱっと思いつくのは、人間に悪霊が取りつき、その魔力で肉体が変質したもの。
飢饉などが理由で生前人間を食べた者がその死後に呪われて、不死の怪物となってさまよっているもの。
少し変わったところでは、人狼と人間のハーフなんてものもいた。
色々な種類がいるけれど、共通しているのは、人に紛れて人を騙し、そして人を食うというところだ。
人狼は大抵の場合暴食で、一度狩場と決めた人間の共同体で獲物を狙う。好むのは若い女性や子供だけれど、えり好みせずに老人から屈強な男性まで誰でも襲うタイプもいる。
人間を襲って無力化し、暗がりに引きずり込んで肉を食らい血をすすり、狡猾さから死体を隠して証拠を隠滅する。全員が顔見知りのような農村ならともかく、共同体が大きいほど入り込まれると駆除が難しい、それが人狼というものだ。
でも、人狼はその厄介さに比例して数はすごく少ない。魔法使いと同じくらいだろうか。
それはそうだ。駆除が難しい人食いがうようよいたら、人間がここまで繁栄できたわけがない。結局人狼が食べるペースより人間が増えるペースの方が早いし、一対一では敵わなくとも群れになった人間は案外恐ろしいものである。
魔素を引き上げて、意識を私室に戻し、瞼を開く。
目を閉じたときと同じく、テレサが近くで静かに見守ってくれていた。
窓に向かって使い魔たちを呼ぶと、今日も今日とてもつれあうように室内に飛び込んでくる。
このふたり、もしかして私が見ていないところでもずっとこんな風に争っているのだろうか。
それはそれで、だいぶ心配になるよ、契約主としては。
「ロビン、モイラ、城下を探ってくれる?」
私も大分魔力が強くなったし、宮殿内を超えてある程度の範囲なら探れるようになったけれど、城下町全体を覆うほどではない。
そういう細かい部分は機動力の高い使い魔に頼むほうがいい。
「人狼が出たって噂を中心に、王都の中を見回ってほしいの。危ない感じがしたら深追いはしなくていいから」
モイラはまかせて! という感じで、ロビンは渋々さを隠さないが、二匹とも了承し、飛び立っていった。
「姫様……」
話を聞いていたテレサが不安げに声を掛けるのに、にこっと笑う。
「大丈夫。念のためだし、きっとなんともないよ」
「はい、きっと」
胸の前で腕を組んでうなずくテレサにもう一回大丈夫と言って、窓の外を見上げる。
初夏の空はきれいに晴れ上がっていて青く、不吉さなど少しも感じさせないのに、この空の下で何か不穏なことが起きているようで、胸にもやもやとしたものが満ちていった。




