50.新しい使い魔と人間の魔法
昼下がり、与えられた本の大きな文字をなぞっていると、開け放した窓から二羽の鳥が絡み合うように部屋に転がり込んできた。
大抵はしばらくしたら気が済んで落ち着くので放っておくけれど、今日は少しじゃれあいが長く、黒い羽根が飛び始めたので割って入ることにする。
「ロビン、モイラ。もう、喧嘩しないの!」
むんずと掴んで二羽の鳥を引き離す。どちらも契約主である私に傷をつけることはないので、ぴたりと興奮した動きをとめた。
「今日はなんで喧嘩してるの」
意識をつなぐと、ロビンが捕まえた芋虫をモイラに横取りされたらしい。
「モイラ?」
先輩の獲物を奪うような真似をするのは、どの群れにおいてもトラブルの元だ。名前を呼ぶとモイラのほうは、その前に砂浴びしていたモイラの傍でロビンも砂浴びを始めて、砂粒が目に入ったのだと苦情を言ってくる。
わざとじゃないなら許してやりなさいと言いたいところだけれど、まあ、わざとだろうな。そう思っていると抗議の思考がロビンから伝わってくる。
「わかった、わかったから。今日は葡萄を用意したから、ふたりとも仲良く食べてよ。ローベルト伯爵領から届いたばかりの、甘い葡萄だよ」
性格は違えど切り替えが早いのは元黒ツグミの性なのか、どちらもころりと機嫌を直してくれた。
ガラスの器に盛った数粒の葡萄をつつき、いくつもあるのにわざわざ一つの葡萄を取り合いまた少し揉めて、ばたばたと羽を震わせ、また葡萄に集中する。
モイラは三か月ほど前に新たに使い魔に迎えた子だ。ロビンと同じ黒ツグミで、見た目もよく似ているけれど、生まれつきなのか左右の羽に一筋白い羽が生えていて、それがいい目印になる。
以前から、私の成長に合わせて扱える魔力の量が増えるにしたがってロビンの体も大きくなっていくことへの苦情があったので、ロビンへの報酬の始まる五年目をきっかけに、新たに使い魔を迎えることになった。
テレサという私の理解者であり協力者を得たことも幸いだった。多少自由に動ける範囲が増えたとはいえ、私は幼児でお姫様だ。私室以外では大抵誰かがそばにいるので、私の女官であるテレサが報酬の果物を私のデザートのていで用意してくれるのは、本当に助かる。
やや困ったことといえば、新入りのモイラと先輩であるロビンの仲があまりよくないということだ。黒ツグミはあまり縄張り意識の強い種族ではないけれど、どちらも年頃の雄なので、あまり近くにいると対抗意識のようなものが生じてしまうらしい。
「喧嘩しないの。ほら、こっちはロビン、こっちはモイラが食べて」
また羽根をばたばたやりあっている使い魔たちにため息をついて、食べかけの葡萄を二つにわける。しばらく腹を満たしていたけれど、報酬を受け取った後ロビンは毛づくろいをはじめ、モイラは私の肩に飛び乗って、頬にすりすりと体をこすりつけてきた。
ロビンは契約主にビジネス対応の契約主義だけれど、モイラは甘えん坊で構われたがりだ。多少ロビンへの対抗意識があるのかもしれないけれど、その分よく働いてくれる。
「今日は王宮を適当に飛び回って、なにか耳を引く話があったら私に伝えてくれる?」
今の私はかなり高い精度で魔素を操ることができるし、王宮の敷地内ならどこでだれがどんな話をしているかまで探ることができるけれど、情報が多すぎると疲れてしまうので、必要のある時でなければこのふたりに適当に情報を集めてもらうことのほうが多い。
ぴちち、と二匹は応えて、開いた窓から飛び立っていった。
さて、読書の続き……と思っていると、ノックの音が響き、メイドのミリアムが入室してくる。
「姫様、ゾフィー先生がお見えになりましたよ」
「はぁい!」
ミリアムは、結婚して私の世話係を辞したサラサの補充で入った子で、麦わら色の髪に紫の瞳の、鼻から両頬に向けてそばかすの散った十七歳くらいの可愛い子だ。
母親も王宮に勤めるメイドで、まだ十代だけれど子供の頃から小間使いをしておりキャリアが長く、仕事ぶりもしっかりしているということでこの離宮付きになった子だった。
五歳になってから、少しずつだけれど私にも王族としての教育がはじまった。
といっても、字の練習をしたり、簡単な物語を音読したりお絵かきをしたりと、内容は幼児らしいものばかりだ。
礼儀作法の授業も椅子に座る姿勢とか、音楽は世話係たちと大きな声で歌を歌うとか、体力を付けるために庭を走り回ったりすることもある。
王族の教育ってがちがちに厳しくて、問題を間違えると手の甲を鞭で叩かれたりするのかなあなんて適当なイメージで思っていたけれど、考えてみればそんな教育をしていたらパパや伯父さんがあんな感じになるわけもない。
雰囲気は全然違うけれど、パパも伯父さんも自分の決めたことは頑として貫く意思の強さみたいなものがある反面、おおらかで細かいことはあまり気にならない、なんというか、おおざっぱなところがある。パパはラプンツェルが魔女に育てられたというのも全然気にしていないみたいだし、王様は王妃の仕事を一切やる気がなく王妃宮に閉じこもってデザート三昧のマルグリットに何の不満もないらしい。
他の国がどうか知らないけれど、そんな二人をはぐくんだリッテンバウム王国の王室は比較的子供の発育を考えた、緩やかな教育のようだ。
「ゾフィー先生! こんにちは!」
「こんにちは、姫様。本日もお元気ですね」
「はい!」
応接室で待っていたゾフィー先生は、魔法学を教えてくれる先生で、先月から週に二度、訪ねてくれるようになった。
本業は宮廷魔術師で、中々のエリートらしい。
魔術師というのは魔法使いほどではないけど人間としては結構な魔力量を持つ、魔法の研究職なのだそうだ。
一般的にこの世界で魔法を行使する中で最も人口が多いのが、この魔術師である。
魔法使いと呼ばれるレベルになると、ひとつの国に二、三人いれば結構いるなあという方らしいし、その全員が国に仕えているわけでもないので、幼児の私の教育係としては順当な人選なんだと思う。
ゾフィー先生はいつもニコニコとしているし、優しいし、ゆっくりと話を聞いて丁寧に答えてくれるので、私はすぐに彼女に懐くことになった。先生のほうも最初は王国唯一の姫の相手ということで緊張していたみたいだけれど、最近は打ち解けたように話してくれる。
「今日は簡単な魔法陣の書き方を練習してみましょう」
机につくと先生は紙とペンを取り出し、私の前に広げてくれる。ペン先にインクをつけ、紙に丸を二重に書いて、その丸の円周に沿うように文字を書き込む。
「このインクは魔力を練りこんだ特殊な処置をしたもので、魔法陣を描くときは必ずこのインクでなければ同じ陣を描いても効力はありません」
私はまだ習っていないけれど、風よ来たれという文言と、その強さ、時間などの指定が書き込まれる。
それを書き込んだあと、三角を上下をひっくり返して中央に書き込む。これは魔素を周辺から集めるためのシンボルで、一番簡単な魔法陣だ。
この状態では導火線のない爆弾のようなものなので、何も起きない。爆弾を爆発させるには、火花が必要だ。
先生は細い杖を取り出すと、中央の星をトントン、と二回叩く。それで魔力を直接魔法陣に注いで術が発動し、ふわっと風が数秒間、噴出して私の髪や服のフリルを揺らす。
「わぁ! すごいですね!」
私の周りには魔女のマルグリットや時々顔を出す魔法使いのセルジュ、強い聖魔法の使い手であるクリスなどもいるけれど、力の使い方が理不尽の塊なので何の参考にもならない。
などと、あの三人の前で言えばそれをお前が言うのかという目で見られそうだけれど、私が求めているのは魔女の魔法の使い方ではなく、人間の魔法使いの魔法である。教えられてもいないのにあれこれできるなんて不自然この上ない。テレサにはバレてしまったけれど、可能な限り周りを心配させない程度のスピードで成長したいところである。
「魔法は陣なしでも発動させることができますが、こうした手順を取ることによって、安定して毎回同じ結果を出すことができるので、通常魔術師は魔法の行使には陣を利用するのが一般的です」
「はい!」
魔女は魔素を自由に操り魔法を構築することができるので、魔法陣、つまり魔素に形を与える指示を別で処理するなんてことはしたことがない。
こういうのも中々、新鮮である。
先生の書いた魔法陣は、周囲の魔素を取り込んで魔法を発動したことでインクの効力が切れたらしく、元の白い紙に戻っていた。
たぶんインク自体が、何か透明な液体に濃度の濃い魔素を溶かしたものなのだろう。自力で強い魔力を操るのが難しい分、こうした工夫で魔法を行使しているらしく、人間の発想は面白い。
「先生、私も書いてみていいですか?」
「はい。お手本はここに」
普通のインクで描いたらしい魔法陣の見本を出されて、それを見ながら映していく。
風よ来たれ。時間は五秒間。強さは木の葉を舞い上げるくらい。指示を書き入れて魔素吸収用の六芒星を書き込む。
これ、方向や範囲を指定しても面白そう。炎の魔法なら簡易焚火にできたりするんじゃないだろうか。
いや、たぶん長時間はこのインクが持たないのだろう。インクの量を増やす、つまり単純に魔法陣のサイズを大きくすれば、時間を延ばしたり勢いを強くしたり、調整は利きそうだ。
「できました!」
五歳ではまだまだ握力が弱いので、円は結構歪んでしまった。自分で描いてみてゾフィー先生はほぼ正円を一発描きだったことに気づいて、普段から練習しているのだろうと納得する。
「では、魔力を入れてみましょうか。今日は私がやりますね」
こう歪んでいてはまともに発動しないのではないかと思ったけれど、先ほどと同じように六芒星の中央をトントン、と叩くと風がふわっと舞い上がった。
「わあ、すごい! できた!」
「姫様は、本当に優秀ですのね」
はしゃぐ私とは裏腹に、ゾフィー先生は頬に手を当てて、ほう、と息を吐いた。
「文字もどんどん覚えていると聞いていますし、すぐに私がお教えできることは終わってしまいそうです」
「ゾフィー先生の授業、楽しいよ?」
先生は優しい人にこしたことはないし、知らないことを教えてもらうのは楽しい。
私が魔法を使うのに苦労しないのは、転生特典としか言いようがないけれど、人間のやり方を知っているほうが将来的には何かと便利だろうとも思う。
「それならよろしゅうございました。……魔法使いの中には、真理を求めすぎて深淵に呑まれてしまったり、強すぎる魔法の力に溺れた結果心が揺れ、バランスを崩してしまう者も少なくありません。姫様には、まずは魔法は便利なものであるというより先に、楽しく、好ましいものだと思っていただきたいです」
「はい!」
いい子のお返事をすると、ゾフィー先生は、これからいくつかの魔法陣を覚えていきましょう。姫様ならすぐに上手に描けるようになりますよと丁寧に言ってくれた。
多少気ぜわしいことも多いけれど、私の日常はおおむね、こうして平和に過ぎていくのだった。




