46.打ち明けた秘密と魔女の取引
「あの二人との契約を解除して」
「……お断り、だねぇ」
かさかさに乾いた声なのに、翻意は難しい、そう感じさせる頑なな口調だった。
「解放したら、あの子たちは死んじまうよ」
使い魔になったことで病気が治ったわけではなく、今は膨大な魔力で肉体を変質させてそれを抑え込んでいる状態なのだろう。
使い魔の契約を解き、元の体に戻れば病魔は再びあの子たちを蝕み、その命を脅かすことになる。
けれどそんなのは、遅かれ早かれだ。
魔女は飲まず食わずでも問題はない。地脈から吸い上げる魔力が食事になるからだ。
逆に、この枯れかけた地脈からでは、魔女の肉体を維持するだけの魔力を得ることはできないだろう。目の前の魔女はいわば餓死寸前だ。
そして、魔女が死ねば使い魔の契約も破綻する。単に解除するだけよりもずっと、深刻な影響が出る可能性が高い。
私が赤ん坊のころ、形をなくした願望が呪いになってラプンツェルを殺しかけたことがあった。願いや執着は、それを向けた者が死んだ後のほうがずっと怖いものだ。
まして相手は魔女である。あの二人が死ぬだけならそれは運命かもしれないけれど、死ぬこともできず、完全に自我を失い魂をなくしてもなお動き続ける化け物にだってなりかねない。
――あなただって死ぬんだよ。
それを言葉にしても、仕方がない。
二人が人のまま死んでも、きっとこの魔女はもう生きてはいけない。
それならあの二人と一緒に死にたいとでも、思っているのだろうか。
もし二人が助かったって、あの子たちに帰る場所があるとは思えない。ほんの少し覗いただけで、あの家に帰ることが二人の幸せとは思えなかった。
このまま放っておいてやったほうが、魔女と二人の子供たちのためなのかもしれない。もし私が魔女のままだったら、きっとそう思っただろう。
でも、そうなったらテレサはどうなる?
この土地を継ぐカスパールや、その妹のフローリカは?
目の前の魔女はたぶんもう長くない。命が絶えれば契約は破綻し、魔力は再び地脈を廻り、ローベルト伯爵領はゆるやかに元の姿に戻るだろう。
でもそれが、いつになるのかは定かじゃない。
今の私は人間だ。村の人間の暮らしがどうでもいいなんて思うこともできない。
「………」
私の手は小さくて、ドアノブひとつ下げる力もない。
「ねえ、私と、取引しない? 私があの子たちを助けてあげる。その代わり――」
魔女の取引なんて、ろくなものじゃない。
するのも乗るのも、できれば避けたほうがいい。
それでも見過ごして、そっと立ち去ることができないならば、腹をくくる以外、ほかに手はなかった。
※ ※ ※
「姫様!」
悲鳴のような声とともに開けっ放しのドアをくぐり、テレサが部屋に飛び込んでくる。
色々な仕事を終えて手持ち無沙汰に椅子によじ登り、足をぷらぷらとしていた私を見つけると、感極まったように抱きしめてくれた。
「よかった。姫様、どうしてこんなところに」
「テレサ、心配してくれてありがとう。でも、まだやることがあるの」
私の口ではなく、ここまで先導してきたロビンが話し始めたことで、テレサは安堵ににじんだ涙をぬぐい、うなずいた。
「はい、姫様。話は道すがら、聞いておりました」
「やしきのみんなは、まだねてる?」
「ぐっすりと。私だけ目が覚めて、揺り起こしてみましたが……」
「だいじょーぶ、じかんがきたら、ちゃんとみんなめをさますよ」
椅子からよじよじと降りようとすると、テレサが抱き上げて、おろしてくれる。それから不安げな目できょろりと周囲を見回した。
「ここは一体……」
「まじょのいえだよ。あんないがなければ、たどりつけないようになってるんだ」
狩猟小屋までロビンに飛んでもらい、腕に巻き付いたままの蛇を介してマルグリットにテレサだけを起こしてもらった。明らかな異変の中、私がいないことに気が付いて動揺するテレサにロビンを介してすぐに迎えに来てほしいと伝え、そして今だ。
魔女の家と聞いて、さすがにテレサもおびえたようだった。だいじょうぶ、と声に出す。
「あのね、テレサ。もうわかってるとおもうけど、わたしも、あんまりふつうの子じゃないの」
「姫様……」
「ごめんね、だましてたわけじゃないんだ」
無垢な赤ん坊に無邪気な幼児にと、育児室のメンバーの前では思う存分子供ぶってきたけれど、中身はいろいろと違ってしまっている。
魔法使いや魔女のいるこの世界だ。私が普通でないということは、テレサももう察しているだろう。
それでもテレサは、私の前で膝をつくと、ふるふると首を横に振る。
「いいえ、いいえ……姫様は、変わらず私の姫様です。大切なこの国のお姫様で、アーデルハイド様です」
「……うん」
私も、そうでありたいと思っている。
「あのね、このりょうちでおきているいへんは、この家からはじまっているの。だから、わたしは、それを元にもどしたい」
テレサは真剣な表情になり、私の目を見て、しっかりとうなずく。
「おひとりで行動していた姫様が私をここに呼んだということは、何か手が必要なのですね?」
さすが、理性的で賢い、育児室の世話係の年長者だ。すくにそれに気づいてくれたようだった。
「なんでもお命じください。姫様」
私はここで起きていたこと、それによるこの数年のローベルト領の異変、魔女の一番の願いは、あの二人が命をつなぎ、その先も生きていくことだと告げる。
「まじょに、あのふたりとのけいやくを切ってもらう。そうしたらりょうちは元にもどるけど、ふたりはすごくよわっているから、テレサのおうちで保護してほしいの」
「父に頼みます。今でも幼い使用人が多いですし、回復するまで養生させて、我が家に迎えましょう。――ですが、話を聞く限り、契約を切るとあの少年と少女は……」
「だいじょうぶ! そこはわたしが、なんとかするよ」
「姫様。姫様が今より幼いころ、ひどく体調を崩され、体に痣が残る病に侵されたことがありましたね」
「……うん」
いつも穏やかでおっとりしていて、いいお姉さんという感じのテレサだけれど、王族の赤ん坊の世話係に抜擢されるくらいだ。教養と礼儀作法が叩き込まれているし、頭もいい。
私が普通ではない子供だというところから、そこにたどり着くまでこんなに早いとは思わなかった。
「わたし、もうパパとママにしんぱいはかけないよ」
「……危ないことは、なさいませんね?」
「だいじょうぶ」
自信満々にいうと、テレサはやっと安心したようだった。
そう、大丈夫。
私もあの時よりは大きくなったし、魔力さえ廻ればできることもたくさんある。
なにより、罪は罪のある場所へ、報いは報いが必要な者のもとへ。
それが順当というものだ。




