45.それは確かに愛だった
生き物には、それぞれにふさわしい魔力の器がある。
それはおおむね生を享けた種族に依存する。時々そこから外れる存在も生まれることはあるけれど、それはあくまでイレギュラーなバグのようなもので、ほとんどの生き物はその器を超えた魔力を扱うことはできなくなる。
数少ない例外が、魔女や魔法使いとの使い魔の契約だ。
元々魔力の容量が少ない種族でも、契約によって肉体の魔力容量が変化し、その姿形が変わる。
たとえばロビンは黒ツグミと呼ばれる種族の小鳥で、もともと黒と灰が混じったような色をした種族だったけれど、赤ん坊だった私と契約したことで羽毛は真っ黒に染まり、私が幼児に成長して扱える魔力も増えたことで、今は元の種族とはまるで違う、ちょっとした鷹のような見た目に変わっている。
使い魔の種族や数は魔女の魔力に左右される。たとえばロビンが使い魔のまま元の小鳥の姿に戻りたいなら、使い魔を増やして使い魔に対する魔力を分散すればいい。
マルグリットが何匹も蛇と契約しているのも、一匹に集中すると巨大化しすぎるとかそういう理由だろう。
逆に、使い魔の元々の種族がある程度魔力に親和性が高かったり、そうでなくとも体のサイズが大きい場合は契約に必要な魔力が多すぎて契約不能に陥ることもある。
赤ん坊だった私がロビンを選んだ理由のひとつに、鳥は比較的契約に必要な魔力が少なくて済むからというものがあった。
魔女の使い魔が小鳥や小動物ばかりで、象やキリンがいないのも、そうした事情が絡んでいる。
また、元々の種族の知能の高さもかなり影響する。
人間は動物の中でも大型の部類だし、子供とはいえそれが二体。なまじな魔女では契約するのも、契約を維持するのも難しいはずだ。
それを無理やりつなぎとめる場合、いろいろな不具合が出ることになる。
一番に影響が出るのは、使い魔として支配しきれないということだろう。
ロビンは対応自体は塩だけれど、私の頼みは基本的には聞いてくれるし、危害を加えることもない。ガメついところもある小鳥だが、契約は常に話し合いをもって結ばれている。
私の使いをしているとき以外は鳥らしくそこらを自由に飛び回っているし、時々気まぐれに歌ったりもしている、多少見た目が変わっても黒ツグミとしての本能を忘れたわけではなく、普通に生きているのだ。
支配しきれていない使い魔は契約に抵抗する。その抵抗をねじ伏せる一番効果的な方法が、魔術や毒薬で自我を奪うことだ。
自我のない生き物はただの呼吸する死体のようなものだけれど、使い魔として操るなら十分だろう。
あとは、もともと自我が薄いか一時的に薄弱になっている場合は、時々自分の意思を取り戻して勝手に動いたりもするかもしれない。
どちらにしても、人間を、それも二人も使い魔にするなんて土台無理なのだ。マルグリットでも、前前世の私でも無理だ。
無理を通すには、魔女が扱える以上の魔力をどこかから、それも大量に無理やり引っ張ってくるしかない。
そんなことやろうと思ったことも、そもそも発想すらなかったけれど、この周辺の地脈があれほど弱り、魔素の濃度が薄かった理由が、ようやくわかった。
地脈が長い時間をかけて自然と流れる大河ならば、今は水源近くで水が吸い上げられて底のない穴に注がれている状態だ。下流まで水が廻らず、ひび割れて、その周辺の生態系にも甚大な影響を与えている。
これはもう本能に近い感情でしかないけれど、白樫を介して地脈から零れ落ちるように生まれた元魔女として、こんなことは到底許せない。
――ロビン、ドア、あけてくれる?
扉にたどり着き、ロビンに声を掛けると、この家に入ったときと同じように器用に脚を使ってノブを開けてくれた。
奥の部屋は、薬草と色々なものが乾いて風化したような、乾燥した匂いがした。
探していたもののひとつは、すぐに見つかった。
私の背丈よりも大きな鉄製の鍋は、使い込まれた黒鉄の色をしているけれど、腐食が始まり表面にぽつぽつと錆が浮き、大きなひびが入っている。
近づけば、表面にはびっしりと細かい装飾が施されていた。実用品でもあれば、何らかの儀式用のものでもあるのだろう。
この鍋にどんな歴史があるのか、私にはわからないけれど、長く魔術と関係のある用途に使われていたのは間違いない。
それが何十年、何百年と続くうちに、魔素がしみこみ魔力の器としての力を得て、とうとう、魔女を産み落とした。そんな光景が目に浮かぶようだ。
鍋の奥には小さなベッドが置かれていて、そこには枯れ木のような小柄な老婆が横たわっていた。
魔女と魔女がこの世界に生み出した存在は、母と子のような関係だ。私も白樫の木をとても大切に想っているし、白樫の木も何百年と私に寄り添ってくれた。
この魔女を世界に生み出した大鍋が、枯れて消えかけている魔女を救おうと自らの置かれた地脈から魔力を無制限に吸い上げているのが分かる。
それでもなお足りずに、魔女が死にかけていることも。
――ロビン、力を貸して。
だいぶ言葉が話せるようになってきたけれど、私の喉はまだ弱く、舌も短くて複雑な発音は難しい。ロビンの了承を得て、声を出す。
「私はアーデルハイド。大窯の魔女、私の声が聞こえる?」
魔女はしわの寄った瞼を持ち上げ、灰色の眼球がこちらに向けられる。
「地脈が弱り切っていて、この辺り全体に影響が出ているわ。すぐに、あの二人を解放なさい」
「で、きないねえ」
ガサガサに荒れた声だった。聞いているのがつらくなってくるくらい、苦しそうな呼吸の音が混じっている。
「子供とはいえ、人間を使い魔にするなんて、無理な話だわ。あなたは死にかけて、あなたを生み出した大鍋は割れてしまっている。土地はやせ細り森から生き物も消えてしまったでしょう。――どうしてこんなことをしたの」
「あの子たちは、もともと、ふたりで、よく、この家にきていたのさ。人の里には、居場所がない、そんなふたりだった」
しゃがれて切れ切れの声で、魔女は言う。
あの二人はある日ふいと現れて、雨の日は勝手に軒先でうずくまっていたこと。
太らせて食ってやると言っても寂しそうに黙るばかりで怖がる様子も見せないこと。
二人は会うたびに痩せていくので、勝手に食べればいいとお菓子を置いているうちに、次第に家はお菓子だらけになったこと。
最初のうちはそれで元気を取り戻したように見えたけれど、ある日娘を負ぶった少年が家の前で倒れていたこと。
ひどい発熱と、汗で濡れた服を脱がせば、体中傷だらけで痣まみれだったこと。
熱を冷ますと、人買いに売られる直前に二人そろって流行り病になったため、森に捨てられたこと。
魔法で回復しようとしたけれど、二人は体の外側だけでなく、内側も深く蝕まれていて、それではだめだったこと。
二人の命をつなぐには、肉体を変質させるしかなかったこと。
「……それで、使い魔にしたというの」
魔女と契約して魔力の器を広げ、そこに大量の魔力を注ぎ込めば、肉体は強靭な形に変質する。病魔を抑え込むことも可能だろう。
「それで、どれだけの犠牲が出たか、わかっているの?」
森から精気が奪われ、多くの生き物は住処を追われることになっただろう。
土地は痩せ、人は飢えた。
領主の娘であるテレサが意地の悪い貴族たちにさえ同情されるような結婚を決められたのだ、それ以前に庶民の娘や子供たち、年老いた者たちはすでに、残酷な決断をされた可能性のほうが高い。
「しらないね、そんなことは」
その答えは、実に実に、魔女らしい。
わかるよ、私にもそんな時代があったから。
ラプンツェルが可愛くて、ラプンツェル以外何もいらなくて。
あの娘がいなくなるなら、もう私も生きていなくていい。そう思うくらい、愛してた。
どれだけ歪んでいて、どれだけ間違っていたとしても、今ここにあるのも、まぎれもない、愛なのだ。




