44.お菓子の家と子供たち
「あれっ」
細い地脈を辿っていたはずなのに、気が付けばローベルト伯爵邸が見えるところまで戻ってきていた。
貴族のたしなみのひとつに狩りがあり、位が高くなるほど狩猟を楽しむのは優雅で勇猛であるという風潮があるため、領主の屋敷は森の中にあることが多い。
その森は領主の私的な財産になるので、その地に住む領民でもおいそれと立ち入ってはいけなくて、勝手に木を切ったり木の実を取ったりなんていうのもご法度だ。
そうして保全された森でキツネや鹿などが増えて、それらが狩猟の獲物になる。豊かな森を持つのは一種のステータスで、王宮でもよく貴族が本領には立派な森があって、豊かで鹿が、イノシシが、いや熊がと自慢し合っていた。
これだけ地脈が弱っていると、動物の気配も他の土地に比べてかなり薄い。さらに進んでいくと、伯爵邸を大回りする形で軽い上り坂になっていて、木立ちの合間から私たちが滞在している狩猟小屋を俯瞰できる位置になった。
ここの斜面を降りていけば、すぐに裏庭だ。大人だと少し目立ちそうだけれど、体の軽い子供ならば行き来できるかもしれない。
前世の弟の身軽さを思い出しながら、さらに斜面を登っていくと、だんだん道は細くなっていって、半ば獣道のようになっていった。
さすがに息が切れてきて、ロビンもいい加減にしろと髪を摘まんで引っ張ってくる。ここで転んだら服が泥だらけになるのは明らかだし、皆が眠っているからといってあからさまに外を出歩いていた証拠を残すわけにもいかない。
そろそろ引き時だと納得して、引き返そうと思ったところで不意に背の高い雑草が開け、木立が途切れて平地に出た。
「わっ」
自分の背丈ほどもある草を掻き分けて進んでいたので、力加減を誤って一歩、二歩とたたらを踏む。それからきょろきょろと、辺りを見回した。
そこだけ不自然に木々が途切れていて、月の光がよく差し込んでいる。魔力で強化した目には少し眩しく感じるほどだ。
足元の草は全て枯れていて、黒と茶色が混じったような枯草の色になっていた。森の円形脱毛症みたいになったその土地の真ん中に、場違いなくらい可愛らしい、小さな家が一軒建っている。
遠目からみると、レンガ造りの家だ。茶色の壁に瓦を張ったとんがり屋根。丸い窓が並び、立派な扉がついている。
けれど、そろそろと近づくと壁のレンガは土を焼き固めたものとは違うつるりとした質感で、チョコレートの匂いがする。窓の縁取りは波型に型抜きされたビスケットで、ドアの傍に置かれている桶の端を摘まんでみるとあまり力を入れなくてもぱきりと割れる。
口に入れる気にはなれないけれど、クッキーだこれ。
そこら中に甘い甘い匂いを放っている、それはお菓子でできた家だった。
マルグリットが見たら大喜びしそうだなあ。いや、マルグリットはあれで結構な美食家だから、得体のしれないものを食べたりはしないかもしれない。
何しろ王宮の料理人が作るお菓子目当てに王妃をしているような魔女だ。舌は相当に肥えているだろう。
家は細かいところまでよくできていて、今朝作ったクッキーやビスケットにきちんと工程を経て作ったチョコレートという風情だった。
「んー?」
こんなもの、人間が作って維持できるわけがない。
間違いなく強力な魔法使いか、魔女のしわざのはずだ。
でも、どうしてこんなものを?
魔女は人間のように食事を必要としないし、マルグリットだってあれは趣味で食べているようなものだ。ましてこんな魔素の薄い土地で、一体何をどうして、こんなことをする必要があるのだろう。
背伸びしてドアノブに手を伸ばしてみたものの、三歳児の身長では届かなかった。なにか踏み台になるものはと思ったけれど、ビスケットの桶やクッキーの椅子に土足で乗るのも気が引ける。
この距離ならなんとかならないだろうかと魔素を操ってみたものの、集めた端からすうっと霧散していった。
「んー」
打つ手なしだ。小さな体が不便だと思うことは多いけれど、久しぶりに切実に身長が欲しいと思う。
どうしようもなくて肩を落とすと、肩に止まっていたロビンが羽ばたき、頭に飛び乗った。髪に足が絡んで正直痛いと思っていると、小型の鷲くらいのサイズの脚でドアノブを掴むと、くい、と下に下げてしまう。
どうやらビスケットでできているらしいドアは、それで静かに開いた。
「………」
声には出さないものの、つながった意識から盛大なドヤが伝わってくる。
私だって手が届けばどうとでもなったんだからね、と使い魔と張り合っても仕方がない。素直に感謝しつつ、開いた隙間からそっと中に入る。
ドアを開けると広間につながっていて、天井からは明かりのついていない蝋燭たてがぶら下がっている。壁際の暖炉には黒い鉄鍋が掛けられていて、それをかき混ぜるための木製のおたまがいくつか壁に引っ掛けられていた。
窓際には薬草をまとめて乾燥させたものがいくつもぶら下がっていて、棚には毒草を詰めた瓶や何が入っているか謎の小さな壺が並んでいる。視線の高さから死角になってはっきりと見えないけれど、中央に置かれたテーブルの上は何か色々なものが置かれている影がちらちらと見えている。
香辛料や薬草の匂いに混じって漂うほんのり甘い匂いは、お菓子のものではなく、毒の成分だ。
昔、幼子だったラプンツェルと一緒に暮らしていた村の家を思い出す、外のカラフルかつ夢のような外観とは打って変わり、中はいかにも魔女の住処という趣だった。
誰もいないのだろうかとぐるりと周囲を見回して、窓から差し込む月明かりから逸れた暗がりに二人の子供が立っているのに、ぴゃっと飛び上がる。二人は目を閉じていて、私が入ってきたのに気づいていない様子だった。
――まさか、この体勢で寝ている?
そんなわけあるかと思ったけれど、おそるおそる近づいてみても、二人は全く反応しなかった。僅かに呼吸している音が聞こえてくるので、死んでいるわけではないことに、ほっとする。
赤茶色の髪の少年と、同じ色の髪をおさげにしている少女だった。間違いない、初日に裏庭で見た、あの二人だ。
カスパールと同じ年くらいだと聞いていたけれど、間近でまじまじと見れば、本当にまだ幼い子供だった。幸い栄養状態は悪くなさそうで、子供らしく頬はふっくらしていて、髪も綺麗に整えられている。
庶民の子供としては、きちんと手を入れて育てられている雰囲気で、とてもあの環境の悪いパン屋の子供たちとは思えない。
同じ年頃の、別の子供なのだろうか。それにしたって、なんでここに?
そろそろと手を伸ばして、女の子の方の手に触れてみて、肌を通して伝わってきた強い魔力に思わずぱっと手を引く。
肩に止まっていたロビンも驚いた様子で、何度かばたばたと羽ばたきをした
――なに、これ。
ごくりと喉を鳴らし、今度は触れるギリギリの位置で手をかざしてみる。
どちらの子供も、まるで人の形をした魔力の塊みたいだった。
こんなに強い魔力がパンパンに詰まっていたのでは、人間の自我が保てるとは思えない。普通に生きて歩き回っている方が、どうかしている、そんな状態だ。
生き物にはそれに見合った魔力の器がある。その器以上に魔力を詰めれば、どうしたって生き物として変質してしまう。
たとえば人間として生まれても、生まれ持った魔力が強すぎれば魔女じみた存在になる魔法使いや、私自身のように。
もしくは、魔女と契約をして存在をつなげたことで器が拡張されて、姿が変化する、使い魔のように。
「………」
そこまで考えて、ごくりと喉を鳴らし、もう一度、室内を見回す。
――魔女がいるはずだ。
なんて馬鹿なことをしたんだろう。こんなこと、魔女として生を享けたなら思いつかないような、本当に馬鹿げたことだ。
人間を、それも複数の人間を、使い魔にするなんてことは。
じり、と並んで立ち尽くしたまま動かない二人から後じさり、テーブルを迂回して、奥に続くドアに向かう。
こんな馬鹿なことは、即刻、辞めさせなければならない。
元魔女としても、現この国のお姫様としても。
一人の人間としてもだ。




