43.夜の村と弱った地脈
まだ日が沈んだばかりだったので、村にたどり着くと、そこかしこの家には灯りがともり、ささやかだけれど人の気配があった。
気配を消しているとはいえ、注視されればそこにいるのはバレてしまうのでできるだけ足音を立てずにゆっくりと進む。
幼児の体で一歩一歩も小さいけれど、幸い体力は十分にある。昼間、魔女の気配を感じた場所に向かって進んでいると、ぴぃ、と甲高い声が響き、羽音と共にロビンが舞い降りてきた。
「ロビン、寝てていーよ」
私の魔力が増えたことでロビンもできることが増えたけれど、魔素の少ない土地では王宮にいるときほどの力は出ないはずだ。親切心でそう言ったのに、毎日が塩対応の使い魔から呆れたような感情が伝わってくる。
そりゃあ契約中に契約主になにかあったら、つながっている使い魔だって無事ではいられないけれど、そんな危ないことをするつもりはこれっぽっちもない。
私に何かあったら育児室のみんなは責任を追及されるだろうし、パパとラプンツェルだって悲しむことになると分かっている。
ただ、この世界で目覚めてからずっと一緒にいてくれた、優しい姉のようなテレサのために、できることをしてあげたい。それだけだ。
危険を感じたら一目散に逃げだすよ。私だって三度目の生を大事にするつもり満々なんだから。
そう伝えたものの、ロビンはふんっ、とでも言いそうな仕草でそっぽを向いた。どんどん態度が大きくなる使い魔を仕方なく肩に乗せて、再び歩き出す。
ちょうど昼間、魔女の気配を感じたあたりまで来たけれど、今は違和感のようなものはなかった。昼間よりは静かで、その分風の音や小さな生き物の気配を感じる、その程度だ。
昼間とは逆の方向に進んでいくうちに、ガシャーン! と何かが割れる音が響いてきて、ぴょんとその場で小さく飛び上がる。なんとなく、ロビンと視線を交わし合い、ほうっと息を吐いた。
どうやら、昼間のパン屋の夫婦がこの時間になっても飽きずに喧嘩をしているらしい。
よくやるなあ。何をそんなに怒る理由があるんだろう。かつてラプンツェルをたぶらかしたパパに対して怒り心頭だった頃を丸っと棚に上げそんなことを考えていると、昼間よりはっきりと、怒鳴り声が聞こえてきた。
「このろくでなしのごく潰し! 酒なんか飲んでる暇があるなら、薪のひとつでも拾ってきたらどうなんだい!」
「うるせえ! お前こそ水でも汲んできたらどうなんだ! まともに粉も運べない役立たずめ!」
おおう……声が聞こえると、すごい迫力である。アーデルハイドの人生には存在も怪しい罵倒の言葉に、いっそ現実感が感じられないくらいだ。
普段魔素を操って王宮のあちこちで盗み聞き、もとい情報収集をしている私だけれど、貴族の会話というのは本当に持って回った回りくどい表現が多く、美辞麗句に見せかけた当てこすりの形を取っているのが殆どだ。直接的に相手を侮辱したり罵倒したりなんてことは滅多にないし、あるとしたら名誉決闘を前提とした、まさに命がけだろう。
こそこそと近づいて、窓の外に積み上げられている木箱や廃材を見つけ、よじ登って中を覗き込む。
パン屋というだけあって、レンガを組んで作った大きな窯に作業台、粉を練るための桶や小麦粉を入れているのだろう麻袋など、それらしい道具があちこちに転がっている。
そう、転がっている。中はお世辞にも片付いているとは言い難く、小麦粉が白く粉を吹いたようにうっすらと部屋の中を覆っていた。
あまり衛生的とは言えないし、ここで焼いたパンを食べるのはちょっと抵抗があるかもしれない。
パン屋は、領主が直轄している職人で、窯を使うごとに料金がかかり、それを領主におさめている。基本的にパン屋以外でパンを焼くことは禁止されているので、住民は主食のためにどうしてもパン屋を利用しなければならないし、そのたびに少額ずつでも税金を徴収されるので、パン屋は基本的にその共同体では嫌われ者だ。
自然と性格がひねくれやすくなることもある、かもしれないけれど、さすがにこれは行き過ぎな気がする。
「お前、村でなんと言われているか知っているか。継子殺しの鬼継母だとよ! 最近じゃパンもろくに焼いてくれと言われやしねえ。ここを追い出されるのも時間の問題だろうよ!」
「あんたの腕が悪いせいじゃないか! 何が苦労はさせないから一緒に来てくれだ。騙しやがって、この詐欺師ッ!」
おかみさんと思しき人が手元にあった皿を掴み、放り投げる。それは壁際の壺に当たって、またガシャン! と派手な音を立てた。
あの調子でお皿やら壺やら割っていたら、早晩割るものがなくなりそうだ。
「あたしゃ、元々子供なんて大嫌いだったんだよ! あんたが子供たちは兄夫婦に預けるっていうから結婚したのに、嘘つき!」
「仕方ないだろう、まさかあんな年増の兄嫁に、今更子供ができるなんて思わないじゃねえか!」
「だからあんたは役立たずだってんだよ。腹に子がいる女なんか、どうにでもできるだろう!」
――うわあ。
ストレートに引いてしまって、そっと覗き込むのをやめる。
庶民の家らしく、作業場と居間がひとつしかないタイプで、それ以外に部屋もなさそうだ。空を見上げて、ロビンに上を見てくるように頼むと小鳥とはいえない大きさになった使い魔は、やれやれというように私の肩から飛び立った。
ロビンはくるくると夜の空を旋回し、屋根裏の光取り用の窓を覗き込んで、さほど間を置かずに降りてくる。
屋根裏にも誰もいないと伝えられて、むむむ、と唇を引き締める。
一部屋しかない一階にも、屋根裏にもいないとしたら、この家の子供はどこにいるのだろう。
――継子殺しの、鬼継母。
いくらなんでも、本当に殺したりはしていないはずだ。それなら住人から領主に話が行くだろうし、そんな夫婦がいる場所を世話係とお姫様と子供たちだけで歩かせる許可を出すわけがない。
実際に殺したわけではなくても、やったんじゃないかと思われている状況なのだろうか。
だとしたら、子供たちはやはり、この家にはおらず村でも見かけない状態になっている可能性が高い。
この家はひどく環境が悪そうだし、子供を育てられるような状況ではないと思う。
でも、カスパールと同じくらいの年の子供では、独立するのも難しい。
奉公に出したり孤児院にやったなら、迎えが来たはずなので、村人だって知っているはずだ。
家出しているのだとしても、水だって食事だって要る。こんな小さな村でどこかに隠れているというのも、難しいだろう。
小さな村だし、どこかの家に保護されているならそれだって噂になるはずだ。
「うーん」
じゃあ、この家の子はどこへいったのだろう。
『父さんを探しにきました』
『家を探しにきました』
無機質で、あまり感情を感じさせないあの二人がこの家の子供たちだったとしたら。
それは一体、どういうことなのだろうか。
「ピッ」
肩に戻ったロビンに、そろそろ戻れと告げられる。
確かにここにいても、得られるものはなさそうだ。木箱からよじよじと降りて地面に着地して、ふと思いついて、手のひらで地面に触れる。
王宮のものとは比べ物にならない、やせ細った地脈が可哀想だ。
――どこかで、せき止められている?
ビィ、と再び、ロビンが鳴いた。
分かってる。ラプンツェルが帰ってくるまでに、屋敷に戻らなければならない。
体力はそこそこあるとはいえ、幼児の足だ。大人並みの速さで移動するというわけにもいかない。
でも、何度もマルグリットに頼ることもできないだろうし、ラプンツェルが留守の今夜は、絶好の機会だ。
――あと少しだけ。
使い魔はあきれ果てた様子であったものの、歩き出した私の肩に黙って止まっている。
気配を消したまま、地脈を辿り、歩き出した。




