40.きょうだい愛と微妙な空気
馬車に乗るとそれまでの元気のよさが嘘のようにモジモジしていたフローリカだけれど、ちらちらとテレサを見て、頬を赤くする。
「お姉様、お会いできて、うれしいですっ」
「ふふ、フローリカ。大きくなったわね。私のこと、覚えている?」
「おぼえてます! 一緒にベリーを摘んだこととか、お姉様が王宮に行く前の夜、たくさん泣いたこととか……」
「あの時のあなた、まだ姫様とそんなに変わらなかったものね。すっかりお姉さんになっていて、驚いたわ」
テレサが優しく言って、フローリカの頭を撫でると、フローリカは真っ赤になったあと目じりに涙をじわりと滲ませた。
「えへへ……」
「お姉様、お手紙をくれるたびに僕がフローリカに読んでやったんですよ! 王宮に黒いツグミがいて、ピンクの薔薇が咲いていて、お屋敷の天井に付くくらい高く吹き上がる噴水があるんですよね!」
「王宮のホールのダンスパーティはすごく華やかで、夜通しダンスをしていて、みんな素敵なドレスを着ているんですよね!」
サラサやカミラ、エリナは一週間から十日くらいいなくなることがたまにあったけれど、赤ちゃんの頃から記憶する限り、テレサが私の傍を離れた日は一日もなかった。ローベルト伯爵領までの距離を考えると、一度も里下がりをしていないことになる。
フローリカは七歳と言っていたから、四歳で別れてそれっきりだったんだろうか。手紙はよく書いていたみたいだけれど、それじゃあ思い出もおぼろげになるだろうし、仲の良さそうなきょうだいなのに、寂しかったのではないだろうか。
うんうん、たくさん話をするといいよ。そう思いながら三人の会話を聞いていると、テレサがそっと私の背中を撫でてくれる。
「二人とも、姫様に領のいいところをお伝えできる? 私も帰郷は久しぶりだから、色々とお話してちょうだい」
私が会話から取り残されていると思ったのだろう、そう言ったテレサに、二人は勢いよくうん! と言った。
「うまやに一昨年生まれた仔馬が、僕のものになりました! お世話も僕がしているんですよ! 来年から乗る訓練もはじまるんです!」
「んーと、村のパン屋に新しい夫婦がきました。でも、新しい夫婦になってから、パンが美味しくなくなったって、村の子たちが言ってました」
「去年は葡萄がほとんど収穫できなくて、何か悪い病気だったみたいです。西側の畑は、ほとんど潰すことになったっていってました」
「西側の畑はお父様とお母様がご結婚された記念に新しく造成したものだから、そろそろ寿命が近かったのでしょうね……」
「イザベラお姉様も行儀見習いに出てしまって、とても寂しいです」
「お姉様は、領に、戻られないのですか?」
フローリカが寂し気に聞くと、隣に座ったカスパールに肘で突かれてしまう。
「ばか、それは言うなって約束してただろ」
「だってえ……」
ぐす、と洟を啜るフローリカに手を伸ばし、テレサは微笑んだ。
「そうね。お姉様もそろそろお嫁にいかなければならないし、難しいかもしれないわ」
ぽろっ、と涙をこぼしたフローリカに困った様子のテレサの袖を、くいくいとひっぱる。
「テレサ、アディがこういうとき、ママはぎゅっとしてくれるよ」
「姫様……」
「久しぶりに会ったんでしょ? フローリカのこと、ぎゅっとしてあげて」
生まれてからほぼずっと傍にいたのだ、テレサが愛情深く優しい性格なのは、よく判っている。
弟妹を可愛がっている様子なのに、隣に私がいるから仕事モードが抜けなくて、それを態度に出せないのだろう。
「……フローリカ、おいで」
「っ、お姉様!」
「イザベラもいなくて、寂しかったわね。カスパール、お兄ちゃんとして、フローリカの面倒を見ていて、立派だわ」
「いえ、僕なんて……お姉様に比べたら、まだまだです」
馬車の椅子から飛び降りて、フローリカが座っていた場所に移動する。戸惑ったようにこちらを見るカスパールに、どうぞ、とさっきまで自分が座っていた位置をさした。
「ばしゃがとまったら、またこうたいしようね」
身分上、私が世話係であるテレサの横を譲るなんて本当はあっちゃいけないことなんだろう。
まあでも、ラプンツェルは二人は友達になってほしいって言っていたし、馬車の中のことなんて全員が口を噤んでいたら外には分からないし。
王族でもお姫様でも、プライベートはあってもいいと思う。
「カスパール」
フローリカを抱いた腕とは反対の手を差し伸べられて、カスパールはおずおずと、テレサの隣に座り、顔を伏せた。
「……会いたかったです、お姉様」
その声はちょっと震えていて、私は窓の外を眺めて、しばらくの間きょうだい水入らずを見ないふりしていた。
* * *
村にたどり着いて馬車を降りると、なんというか、変な雰囲気だった。
見た目はのどか、といえるくらいの村だ。灰色の石造りの壁に赤い煉瓦のとんがり屋根の建物が並んでいて、ちょっとだけ、赤ん坊だったラプンツェルと暮らしていた村に雰囲気が似ている。
畑を耕して家畜を飼って、水車で麦を挽いてパンを焼く、ごく普通の農村に見えるのに、空気が重いというか、暗い。道を行くひとたちも領主であるローベルト伯爵家にぺこりと頭を下げるけれど、すぐにそそくさといなくなってしまった。
「麦も葡萄も不作が続いているので、みな、不安に陥っているのです。なぜかまだ若い鶏も、卵を産みにくくなっているそうですし、牛の乳の出も悪いとか」
「そうなのね……」
カスパールの言葉に、テレサは沈んだ声で応じる。
三年ぶりの帰郷で故郷が暗い雰囲気になっていては、思うところも大きいだろうし、そうした苦境がテレサを望まない結婚に追いやっている原因なのだから、とても明るい気持ちになれるはずもない。
「ママ、フローリカちゃんたちとむらを見てきていーい?」
「いいわ。私たちは村長さんに会ってくるから、テレサと騎士の言うことはちゃんと聞くのよ?」
「はぁーい!」
ラプンツェルにとっては行楽というより王弟妃としての視察の一面も強いのだろう。本来なら同道しているマルグリットがやる仕事だと思うけれど、当然マルグリットにそんな気があるわけもないのだった。
「アディちゃん、どこ見たい? あっちが牧場で、あっちが葡萄畑。麦畑は、今はなんもないけど少し奥に森があるよ」
「むぎばたけが見たい!」
葡萄畑も気になるけれど、この世界で最も重要な作物は主食であり家畜の餌にも転用できる麦だ。
極端な話、他の作物が収穫できなくても麦さえなんとかなっていれば巻き返しはできる。それくらい重要な作物である。
ローベルト伯爵領は名産品の葡萄が不作であるのが経済難の始まりだったらしいけれど、最近は麦の収穫量も減っているらしい。
主要作物と名産品の両方に問題がある状態ならば、麦の立て直しが最優先だ。
騎士二人についてもらってテレサと手をつなぎながら村を歩いている間も、辺りの雰囲気はあまりよくない。遠目でこちらを見てささっと路地裏に入ってしまう人や、私たちが通りかかるとあからさまに窓を閉めてしまう家もあるくらいだ。
魔素を操って聞き耳を立てることができれば、どんな話をしているのかも分かるけれど、あまり心地よく見られていないことくらいは伝わってくる。
ローベルト伯爵は、困窮している領民のために蔵を開けたと聞いているけれど、暮らし向きが厳しいのでは、為政者への不満は募る一方だろう。
貴族にとって備蓄用の蔵を開けるのは、最後の最後の手段だ。場合によっては家の存続すら危ぶまれる、そのレベルの話である。
――そうでなければ、テレサに身売りのような結婚をさせることもなかったはずだ。
クラウスも、会ってみれば決して悪い父親のようには見えないし、きょうだい仲も良さそうだ。
テレサが結婚で不幸になれば、カスパールもフローリカも、どれほど悲しむだろう。
「アディちゃん、麦すきなの?」
「むぎは、そのちほうのはってんのきそだから」
考え事をしていたせいでついそう言ってしまって、もっと子供っぽい言い方をした方がよかったなと思ったけれど、すこし遅かった。
フローリカは目を丸く見開いて、はぁー、とため息をつく。
「アディちゃん、なんかおとなっぽいねえ」
「……えへへ」
「姫様はとてもご利発であられるのよ、フローリカもたくさんお勉強しましょうね」
「はーい!」
いつの間にか、カスパールはそこらへんに落ちていたらしいちょうどいい枝を手にして少し前を歩いている。
少年と少女と幼女の歩調にあわせて、一同はゆっくりと麦畑に向かって進んでいった。
 




