39.使い魔とお友達と自慢のママ
王家の別荘というと大仰な感じだけれど、冬の間滞在する狩猟小屋のような建物なので、それなりの規模はあっても王宮にある離宮などに比べると、ちょっと大きめのお屋敷という感じでアーデルハイドに生まれてからこちら王宮から出るのは初めての私からすると、結構こじんまりとしているように感じる。
ロビンの目を通して上空から見下ろせば、全体としてはコの字型の建物で、前庭には馬車止めがあり、建物の裏手はちょっとした庭園になっている。
大きなホールのある正門を挟んで西側の二階がマルグリットの部屋に、東側二階が私とラプンツェルの滞在する区画に割り当てられていた。
離宮から王妃宮に移動するのに馬車を使っていたのを考えれば、マルグリットへのアクセスはぐっと近い。三歳児とはいえ自分の足で歩いていけるほどだ。
とはいえ、現実的には私が一人でふらふらするのは難しいので、朝食の後、今日もカミラとエリナに付き添ってもらってマルグリットの部屋の前まで送ってもらった。廊下は寒いので、十時の鐘が鳴ったら迎えにきてくれるように頼んでおく。
「まるぐりっと、だいじょうぶ?」
部屋に入ると、カーテンが引かれて中は薄暗かった。黒髪を長く伸ばしたマルグリットはこれまた黒いネグリジェ姿のまま、長椅子に気だるげに横たわっている。
マルグリットはラプンツェルとはまたちがった意味で絶世の美女という容姿だけれど、そうしていると、退廃的な雰囲気の絵画みたいだった。
「地脈と離れているだけでも少し怠いのに、これだけ魔素が薄いとさすがに困るわね。これだと大きな術を使うのは難しいと思うわ」
魔女は自らを生み出したものと自らの庭園により、地脈から吸い上げる力が活動するためのエネルギーになる。
マルグリットの場合、王宮そのものが彼女の庭園であり、その下を走る巨大な地脈から吸い上げる力で絶大な魔力を思うままに操っている。
マルグリットの興味は人間の作るお菓子だけなので、それで何か問題が起きているわけではないけれど、何かしら野心のある魔女ならば色々と大変だっただろう。
私自身、魔女だった頃は白樫の枝と共に何百年と放浪したことがあったし、地脈と接続していなくても少しだるいとか使える力が減る程度で、命に関わるということはないけれど、その上これだけ魔素の薄い場所となると息苦しさくらいは感じているはずだ。
「あなたは平気なの?」
「わたしはぜんぜん。ごはんだけでもだいじょうぶ!」
「そう、ならいいわ」
マルグリットは、人間の生態や在り方なんてものには全然興味がない。私が魔女でないことは説明してあるけれど、地脈に接続する自分の木を持っていることについてはそんなこともあるだろうくらいで、あまり深く考えていない様子だった。
実際、母親のお腹から生まれた私は生粋の魔女というわけではないし、まかり間違ってラプンツェルの耳に入ることだけは避けたいので、誰にも生まれる前のさらにその前に魔女だったなんて情報を開示する気はないので、現在身近にいる中で唯一私がちょっと変わった幼児であることを知っているマルグリットがそのことに関して無関心でいてくれるのはありがたかった。
「私は王宮に戻るまで、あまりここから動かないから、あなたは気を付けるのよ」
「うん、むりはしないでほしいし、わたしはだいじょうぶだよ。ままと視察にいって、おひるは、村でたべるから、ついでにまわりをみてくるよ」
「この子を付けるから、何かあったら頼りなさい」
そう言ってマルグリットが軽く指先を振ると、どこからともなくちょろり、と小さな黒い蛇が出てきた。
ちょろちょろとこちらに這ってきたので屈みこむと、ちいさな蛇は腕の袖から隠れる位置でくるんと丸まり、大人しくなる。
ぱっと見は真っ黒な腕輪みたいだ。私の体には呪いがツタの形に似た黒い痣になって体中を這っているので、黒くて細い蛇はそれに紛れて分かりにくい。
「強く念じれば、私につながるようになっているわ」
赤ん坊の私の腕を掴んで吊り上げていたこともあったというのに、マルグリットも随分丸くなったものだ。
「ありがとー。なまえ、なんていうの?」
「黒5よ」
五匹目の使い魔ということだろう。
ロビンを引き合いに出すまでもなく、魔力を介して契約した使い魔は基本黒くなるので、個別の名前は実質、数字のところだけだ。
さすがマルグリット、なんの情緒もない名前の付け方をする。
ロビンに鳥1なんてつけたらものすごく抗議されそうだけれど、黒5はそれで特に不満はないらしく、大人しくしていた。
ということは、普段見かける使い魔が黒1なのだろうか。
いや、領地に一番大きな子がいると言っていたので、あの子は黒2なのかもしれない。
「クロゴ、よろしくね」
せめて名前っぽく呼んでみたものの、仕事に忠実らしくクロゴはぴくりとも反応しなかった。ひんやりとしていた体もあっという間に体温に馴染んで、そこにいることも忘れてしまいそうだ。
呪いの痣に紛れてそう目立たないとは思うけれど、マーゴ、四人娘に見つかったら悲鳴を上げられること間違いなしなので、気を付けるようにしよう。
マルグリットは抜け目なく王宮から専任の料理人を連れてきたので、運ばれて来た焼き菓子を摘まみながら、その日の午前中はゆっくりと過ぎていった。
* * *
ふわふわのコートを着せてもらい、ラプンツェルと共に馬車に乗って三十分ほど走ったところで、このあたり一帯を収めているローベルト伯爵家のカントリーハウスにたどり着く。
馬車での道行きものんびりとした農村そのものという感じで、この辺りは人の数より羊のほうが多いのだとテレサが教えてくれた通り、大きな牧草地が広がっている。
「妃殿下、姫様、ようこそいらっしゃいました」
「クラウス卿、本日はよろしくお願いします」
ラプンツェルが丁寧に淑女の礼を執ると、テレサの父親ことクラウス卿は恭しく頭を下げた。
私がまだ赤ん坊で、ロビンがまだ比較的小さかった頃は日がな一日やることもないので王宮に滞在している貴族から下働きまで色々な噂を盗み聞きしていたけれど、貴族の本領にある屋敷は基本的にどこも壮麗で、王族の訪問を非常に名誉として捉えるらしい。
先代の王様どころか五十年前に王族が来てくれたなんてことすら自慢の種にしている貴族もいたくらいで、いつか王族が訪問してくれることを夢見て本領の屋敷を磨き上げ、手入れに余念がないのだという。
その情報通り、ローベルト伯爵邸も見た目はとてもきれいだし、意匠も凝っている。庭が色あせているのは、今が冬だからということもあるだろう。
決定的に違和感があるというほどではないけれど、なんだか指先に小さな棘が引っかかるような、些細だけれど心地よくない感じが付きまとっている。
なんだろうな、これと思っていると、一緒についてきた世話係四人もちょっと困惑を滲ませていた。
――あ、そうか。
ラプンツェルと私が訪問することもあって、玄関の前には使用人たちが並んでいるけれど、本邸にしては、出迎えてくれた使用人が少ないのだ。
それも全員が若い。つまり、あまり経験がなく、雇うのに一番お金がかからない年頃の子ばかりだ。
それに気づくと、メイドのお仕着せのサイズが少し合っていないとか、庭の植木も整えられているように見えてほんの少し歪んでいて、庭師の腕が良くないのだろうとか、伝わってくるものがある。
「本日の視察は、私が同行させていただきます。鄙びた田舎ですが、のどかで平和ですので、のんびりと散策していただければ幸いです。それと、こちらは我が家の長男と三女になります。姫様の遊び相手にどうかと思い、連れてまいりました」
「はじめまして、カスパール・アルノルト・ラ・ローベルトと申します、十歳になりました」
「フローリカ・エリーゼ・ラ・ローベルトです。七歳です!」
カスパールは鼻と頬にそばかすの散った活発そうな少年で、フローリカは胸元まで伸ばした髪をおさげに結んでこれまた元気そうな少女だった。
二人ともテレサと同じ深い青色の髪に紅茶色の瞳をしていて、全員すごくよく似ている。
「初めまして。娘のアーデルハイド。三歳になったの、仲良くしてあげてくださいね」
「アディです。よろしく!」
二人は優しく言ったラプンツェルにぽーっと見惚れて、それから気を取り直したようによろしく! とにかりと笑う。
うんうん、我が母は美しかろう。
魔女だった頃は人間の美醜などよく分からなかったし、ラプンツェルのことも無条件に可愛いとしか思っていなかったけれど、人間としての美的感覚を身に着けた今となっては、その美しさに時々二度見してしまうくらいだ。
「アディちゃん、仲良くしてね!」
フローリカはにかりと笑うと、ずいっと身を乗り出してきてむんずと手を掴まれた。
「村まで一緒の馬車でいこー!」
「うんっ」
「こらっ、フローリカ!」
焦ったように声を上げるクラウスに、ラプンツェルはころころと笑っている。
「いいのよ。あの子に小さなお友達がいないことを、私も夫も気にしていたの。仲良くしてあげてちょうだい」
ラプンツェルのとりなしで、テレサをお目付け役に、子供だけで馬車にまとめてもらえることになった。
「アディちゃんのママ、すっごく美人じゃない!? びっくりしちゃった」
「僕も……あんな綺麗な人、生まれて初めて見た。笑ったら花みたいで、いい匂いがして」
「なんかまぶしかった!」
「それ!」
目的の村に着くまで二人は拙いながら非常にポジティブにラプンツェルを褒めてくれたので、私もかなりいい気分だった。




