38.西の別荘と不穏な空気
「ふわー、みずうみ、きれー!」
「アディ、体を乗り出しては危ないわよ!」
「姫様!」
外を見たいと駄々をこねて開けてもらった窓の向こうには、空の青を映し取った湖がきらきらと輝いて広がっていた。
思わず身を乗り出すと、しっかりとラプンツェルにお腹を抱えられて固定されてしまう。
「アディ、冷えないようにしてね。風邪をひいてしまうわ」
「あい!」
王都よりは温暖な地方と聞いていたけれど、それでも走る馬車の窓から吹き込む風は冬の冷たいものだ。もこもこに着ぶくれているとはいえ、剥き出しのほっぺはちょっと冷たい。
「まま、もり、かれてるね」
「そうね……。畑が不作であるとは聞いていたけれど、雨は例年通り降っているらしいのに」
湖も水位は十分に保っているように見えるし、水事情が悪いようには見えないのに、本来常緑樹の森であるはずの森はうっすらと茶色掛かっていて、ところどころ立ち枯れている木も目立つ。
街道に等間隔に並べられた糸杉は、天に向かって矢印を差しているようで、なんともおとぎの国っぽい雰囲気になるはずなのに、西に向かうほど樹勢は目に見えて弱り、力なくなっている様子だった。
魔女だった頃に生まれたのが深い森の中だったせいか、前世で人間だったときも森は好きだったし、休日には時々森林浴をしに郊外まで出かけたものだった。
人の管理している森は原生林とは違うし、あちらの世界には魔素や地脈の存在を感じることはできなかったけれど、目の前が緑に囲まれているだけで、なんともほっとしたものである。
どうやら今世も、私の森好きは変わっていないらしい。
それだけに、瀕死に見える森の風景には、なんともしょんぼりしてしまう。
マルグリットは人間には興味が薄いけど、話は早い。
冬の避寒に西の別荘に行かないかとパパとラプンツェルに持ち掛けてもらい、行きたーい! と思い切り賛成した結果、愛娘には甘い二人は常にない義理の姉の申し出に戸惑いつつ、了承してくれた。
パパは王都でお仕事があるので、一緒に来てくれるのはラプンツェルと乳母のマーゴ、世話係のいつもの四人に、警備隊が随行することになった。
マルグリットは私たちが乗っているのとは別の王妃用の馬車で移動しているけれど、旅に出てからはほとんど姿を現さない。
馬車の移動なんて億劫なことやってられなくて、ほうきで一足先に別荘に移動していても全然不思議ではないけれど、良くも悪くも近衛はマルグリットの奇行に慣れていて、特に問題になることもなかった。
――森まで枯れかけてるってことは、病気かなにかなのかなあ。
不作に関しても、日照りや目に見えて食害を行う害虫が出ているという報告はなさそうだし、あとは病気くらいしか思いつかない。
でも、森を弱らせる病気というのは聞いたことがなかった。森はゆっくりと新陳代謝して、何千年と脈々と続いていくものだ。病気ひとつで滅びるなら、そもそも大森林など形成されるわけもないし、あったとしてもそうした問題の解決法はわからない。
前世の私は特に大きな志も野望もなく、平凡な人生をのんびりと過ごす、ごくごく普通の一般人だった。折角文明が発達している世界に生まれたのだから、前世でもう少し専門的な何かを勉強しておけばよかったと思っても、後の祭りである。
「うー」
「アディ、もう窓をしめなさい。もう少しで別荘につくから、温かくね」
「はぁい、まま」
座面にちょこんと座り直すと、すぐにサラサが窓を閉めてくれる。少しだけ冷たくなった手をラプンツェルが握ってくれて、温かい手にほっとした。
王弟妃であるラプンツェルにはそれなりの役割や公務もあるので、日常ずっと一緒にいるのは稀だ。
隣国の王子であるクリスによると、両親を見るのは月に一度あるかどうかだと言っていたので、それでも同じ離宮で暮らして朝食は必ず一緒に食べて、たまにはベッドで三人で寝ることも許されている私は、王族としては破格に両親と一緒にいる時間が長い方なのだろう。
「ままとずっといっしょで、うれしい」
「いつもお留守番が多いものね。寂しかった?」
「んーん。おしごとがんばってるぱぱも、ままも、すき」
「ママもアディが大好きよ」
「えへへ」
ぎゅっと抱き着くと、ラプンツェルも優しく抱きしめて、そっと髪を撫でてくれる。
うーん、麗しきかな、母子愛。
ラプンツェルの愛情をたっぷりと感じながら、馬車は別荘に向かって走り続けた。
* * *
馬車が停まり、少ししてドアが開くと、まずマーゴが降りて、ラプンツェルのエスコートをする。続いてラプンツェルに抱っこしてもらって私が馬車を降りると、瀟洒な洋館の玄関には数人の使用人のお仕着せを着た人たちと、一際立派な身なりの紳士が待っていた。
青い髪と同じ色の立派な髭を蓄えていて、いかにも貴族の男性という振る舞いだ。ラプンツェルと向き合うと、宮廷人らしい貴族の礼を執った。
「お待ちしておりました、王弟妃ラプンツェル様、並びに王女アーデルハイド様。この地を治めております、ローベルト伯爵家当主、クラウス・エドアルト・ラ・ローベルトにございます」
「お出迎え、ありがとうございます、ローベルト伯爵。私はラプンツェル・レオノール・リッテンバウム。しばらくの間、どうぞよろしくお願いいたしますね」
「過分なお言葉、身に余る光栄でございます」
おお、ラプンツェルのフルネームを、齢三歳で初めて聞いた。
多分何かの式典なんかでは呼ばれているのだろうけれど、私はまだ表舞台に出る年頃ではないので、そうした行事は基本的に不参加である。
例外は魔力測定の時くらいだけれど、あれは私が主役だったのでノーカンだ。
元々ラプンツェルの名前は魔女だった私がつけたものだし、フルネームも何もなかったはずだけれど、パパと結婚するときにそれでは体裁が良くないとして何かしらの経緯を経てその名前になったんだろう。
「お部屋の用意は整っておりますので、まずはごゆるりと、おくつろぎください。王妃殿下はすでに部屋に入られており、晩餐はご一緒にということでした」
「そうさせていただきます。アディ、眠くない?」
「だいじょぶ! おにわであそびたい!」
「今日も元気ね」
抱っこされたまま頬擦りされて、きゃっきゃっと明るい声を出す。後続の馬車で世話係の三人と滞在中の荷物も到着し、次々と馬車を降りると、クラウスがはっと息を呑む。
「テレサ」
「お父様……。お久しぶりでございます」
世話係のお仕着せを着たテレサは、少し緊張した様子で父親であるクラウスに丁寧に礼を執った。
「息災そうでなによりだ。こんなに早く会えるとは」
「お父様。お仕事の最中ですので、また後ほど」
「ああ……また後でな」
どうやらクラウスより、テレサのほうが少し距離がある様子だった。
「妃殿下、庭で遊ぶならば、是非テレサに案内させてください。こちらの出ですので、周囲にも詳しいので」
「そうね。アディ、テレサと遊んでいてくれる?」
「はぁい!」
もう一人、年少組からカミラが一緒についてくれることになって、別荘の裏庭に下ろされると、てってってっ、と走り出す。
「姫様、走らないでください! 転びますよ」
「だいじょぶ! 風つめたーい!」
「ひめさまー!」
王宮の庭は今の時期、雪が降っていて滑りやすいのでそもそも地面に下ろしてもらえないことのほうが多い。自分の足で歩くにしても、もこもこに着ぶくれて帽子もかぶって、だれかと手をつなぎながらである。
幼児は心も体も衝動的で、乾いた地面に足を付けると自分でも走り出すのを止めるのは困難だ。追いかける二人の手をいたずらに避けながらふかふかの芝生の上を走っていると、ピィィ、と頭上で鳥の声がした。
「あら、あれ、姫様の部屋によく来る鳥かしら」
「まさか。王都から馬車で五日も離れているんですから、似たような別の鳥ですよお」
「そうよねえ、いくらなんでも」
二人はそう言い合っているけれど、勿論あれは、我が愛する使い魔、ロビンである。
籠にいれて運ぼうかと本人にも聞いてみたものの、誇り高き野鳥の血を忘れないロビンに拒否されて、ここまで飛んでついてくることになった。もっとも私とロビンは契約で繋がっているので、王都の半径くらいならば離れていてもお互いの居場所は大体わかるので、あちこちで食事をしたり羽を休めたりしていたようだ。
自分は私の言うことなんて最低限しか聞いてくれないくせに、あまり手下を困らせるなよという意思が伝わってくる。
「姫様、捕まえましたよお!」
「きゃー、あはは!」
カミラにがばっと捕まってしまい、甲高い笑い声をあげる。テレサもほっとしたように微笑んでいた。
「もう、走らないでくださいね。転んでお怪我をしたら旅行中ずっとお部屋から出してもらえなくなりますよ」
大袈裟に言うカミラにはぁいと返事をして、ふと視線を感じてそちらに目を向ける。
そこには二人の子供が立っていた。
年の頃はどちらも十歳くらいだろうか。短い髪の半ズボンの男の子と、スカート姿におさげを結んだ女の子だ。二人とも少しくすんだオレンジ色の髪とそっくりな顔立ちなので、きょうだいかもしれない。
「テレサ、カミラ、あれ、だぁれ」
「あら、近くの村の子供でしょうか」
奉公に上がるには明らかに幼な過ぎるし、普段着のままだ。村の子供かもしれないと言って、テレサが背を伸ばして二人に近づいていく。
「――あなたたち、ここで何をしているの?」
「父さんを探しにきました」
「家を探しにきました」
なんだか、妙に無機質な声だ。
カミラは、子供とはいえ見知らぬ者を私に近づけないようにだろう、腰を落としてしっかりと肩を抱いている。少し離れているけれど声が響かないほどではない。けれどもう少しはっきりと聞きたくて魔素を伸ばそうとしたのに、妙に手ごたえが感じられなかった。
「迷子なのかしら? それなら裏に回って、使用人に聞いてあげるから」
「もう行かなきゃいけません」
「戻らなきゃいけません」
テレサの言葉に二人は同じように抑揚のすくない声で告げると、踵を返して走り出す。
「あっ、あなたたち、まちなさい」
テレサの声を無視して、二人は手をつないだまま、あっという間に裏庭の木立の間に紛れて姿が見えなくなってしまう。
「警備隊に探すように言ってくるわ。カミラ、姫様を中に」
「はぁい。姫様ー、中で温かいココアを飲みましょう。ミルクたっぷりで、マシュマロも浮かべてもらいましょうね」
「わーい!」
カミラの言葉に子供らしく素直に喜んでみせて、手をつないで屋敷に戻る。
「――あのこたち、まいごなら、ちゃんとかえれるといいなぁ」
「大丈夫ですよお。村の子って強い子ばっかりですから、ちゃんと日が落ちるまでには帰れますよ」
「うん」
頷いて、なんだか嫌な気分がぬぐえない。
それが子供らしからぬ無感情な二人の子供を見たからか、緑色の褪せた木立ちと庭のせいか、それともこの辺りがやけに魔素が薄いせいなのか、なんとも判別がつかないのが、気持ち悪かった。




