32.パパとママとアーデルハイド
そこからしばらくは、アリの巣に水を流し込んだような大騒ぎだった。
「五つ全てが光ったということは、全属性を持っている、いや、お持ちであるということだぞ!」
「しかも、あの輝き方だ……どれほどの魔力を有しているか……」
「魔法使いであることは間違いないが、二属性以上は稀、三属性は極めて稀です。全属性は、伝説の中にしかいないはずでは」
「間違いなく王国、いや、大陸始まって以来のお方のはずです」
「静粛に! 静粛に!」
パパに抱っこされたままラプンツェルの元に戻って、ともかく控室にと促されてからも、会場はずっとこの調子だ。
どうも、魔法の属性によって水の魔法を持っていたら、水の女神レイニアのステンドグラスが、土魔法を持っていたら地母神ガイヤのステンドグラスがというようにどれかが光り、かつ持っている魔力の量でその輝き方が違うということらしい。
いや、人間の魔法使いがどんなふうに判明するかも、それがどういう意味なのかも、知らなかったんだもん。知っていたとしてもゼロ歳もとい一歳児に回避する方法があったとも思えないし、どうしようもなかったはず。
「アンリ、私たち、どうなるのかしら」
パパの腕から椅子に座ったラプンツェルに移動して、しっかりと抱きしめられる。妖精のようにきれいなのに、その顔には強い不安が浮いていた。
「前例のないことだけれど、おそらくアディは決して国から出ない立場になるだろうね。それはまあ、いいとして、おそらく王位継承権が私から繰り上がるだろう。それもいいのだが」
いいの? いいのかパパ。
「このままだと、アディには大量の求婚が届くだろうな……国内だけではなく、大陸中から縁談が押し寄せるだろう。まったく、腹の立つことだ」
パパの「どうでもよくなさ」はどうやら、そこに集中するらしい。いや、それこそどうでもいいよ。何人求婚者がいたって、どうせ結婚は一人としかできないんだから。
そりゃあ諸国漫遊の旅に出ようなんて考えていたわけではないけれど、王女として立ち行かなくなったら、そういう生き方もアリかなあとは漠然と思ってはいた。
アーデルハイドちゃんはバリバリに王家の血筋のお姫様だから、クリス以外にこんな痣だらけでもいいよって奇特な人が現れても市井に下るっていうのは現実的じゃない。王様とマルグリットの間に子供が出来ない以上、まあ、傍系王族として飼い殺しになる可能性もゼロじゃないけど、そんな生き方は憂鬱だし、それならなんとか出奔しちゃうのも一つの選択肢ではあった。
でもまさか、パパより継承権が繰り上がるとは想像もしていなかった。魔力の質とか強さって、そんなに優先されるとは思っていなかったのだ。
というかパパより上って継承権一位しか残っていない。つまり実質、皇太子扱いだ。
「うぁー」
重い……今までだって継承権二位だったけど、ともかくパパがいるし、パパとラプンツェルの仲の良さならいずれ弟だって出来るんじゃない? くらいに思っていた。
でも多分、魔力の強さと属性の多さは、地脈とつながったせいだ。魔女だった頃は全ての魔法が使えるのなんて当たり前だったから考えたこともなかったけど、人間はどうやらそうではないんだろう。
今の時点で接続している地脈が細いことと、白樫の木がまだ若木であることから、魔女だった頃と比べれば本当に大した力は使えないというのが自分自身の評価ではあるけれど、どうやら今のアーデルハイドちゃんは、今でもちょっとだけ魔女らしい。
そっかあ、人間のお腹から生まれても魔女になったりするんだ。やっぱり寿命の方も大分怪しい。これまでは多少発育が早い方だと思われている程度だけれど、ちゃんと人間の速度で大人になれるのだろうか。
なにかあったとしても、魔力が強すぎるからとかなんとか、いい感じに周りの大人が曲解してくれることを祈るしかないかな。そんなことを考えていると、抱きしめているラプンツェルの腕に、ぎゅっと力が籠められる。
「大丈夫よ、アデル。何も怖くないわ」
「あぅ」
「何があっても、ママとアディは、パパが守るからな」
「……んっ」
なにより、両親の強い愛情がある。それが続く限り、アーデルハイドちゃんは無敵だ。多分。
* * *
さすがにそれからはあまり暮らしが変わらない、というわけにはいかなくなった。
まず割とすぐに、暮らしていた王宮の片隅の離宮から本宮のすごくいいところに部屋を移すという話になった。パパがラプンツェルに贈った庭園からはかなり遠い宮だ。
どう抵抗しようかと考えていると、これについてはマルグリットが急に環境を変えるのはよくないだろうと王様に進言してくれた。王様の王様としての評価はよく知らないけれど、マルグリットに夢中であることは間違いないらしく、この案は割とするっと通ったようだ。
王宮内の噂を収集していると、子供が出来ない王妃が皇太子として王弟の子を据えるのを忌避したって、結構な陰口を叩かれていて、悪いなあとは思ったけれど、マルグリットは全くこれっぽっちも気にしていない様子だった。
次の変化は、パパとラプンツェルが離宮に引っ越してきたことだ。
王族は親子や夫婦であっても別の宮を使うのは珍しくない。夫婦と子供でひとつの宮、それも離宮で暮らすのはかなり異例のことらしくて、これも結構な貴族たちの噂の種として使われた。
それから、アーデルハイドちゃんに各国から縁談が大量に持ち込まれるようになった、らしい。
今までもそれなりにそういう話はあったようだけれど、ゼロ歳児だしちゃんと成長するかも分からないので、今までは様子見だった他の王家や豪族からバンバン話が来ているらしい。
クリスはめずらしく渋い表情で、うちの兄上も名乗りを上げたよと漏らしていた。
クリスとは白紙を前提にした保留とはいえ、婚約の本決まりギリギリまで行ったのに、そのお兄ちゃんが結婚相手に名乗りを上げるなんてことあるんだ。王族って怖い。人の心ってある? と元魔女に思われたらおしまいのような感想を抱いたものである。
クリスの母国の思惑も一枚岩ではないらしく、年明け前に帰国の予定も立ち消えになったらしい。今の時点でアーデルハイドちゃんの婚約者として一歩リードしているのは、間違いなくクリスなので、その立場をキープしておきたい大人の事情というものだろう。
そんな感じで周囲はなにかと騒がしく、細々とした変化もあったけれど、悪いことばかりでもなかった。
パパに第二妃をあてがおうという話はするっと消えたらしい。
それには少し、ざまあみろ、って気持ちはあった。ちょっとだけね。
* * *
初雪が降ると庭園は一気に冬の様相が強くなった。花は姿を消して、常緑樹を除いてほとんどの木も葉を落とし、美しくも寂しい雰囲気だ。
パパとラプンツェルに寄り添ってもらいながら、ぶ厚い靴ともこもこの毛皮のコートを着て、よちよちと歩く。大理石の東屋を通り過ぎ、小さな扉をくぐれば、この冬のアーデルハイドちゃんのお気に入りの庭にたどり着く。
元々は形だけ移築したらしい家も、今は内部がきれいに整えられていて、テーブルや椅子が置かれ、ちょっとしたお茶を楽しめるようになった。パパに抱き上げられてソファに座り、足をぷらぷらとさせているとメイドたちがお茶と、アーデルハイドちゃんには温かいミルクを入れてくれる。
「アディ、寒くない?」
「んっ!」
「アディは寒さに強いな。子供とはそういうものらしいが」
これまで愛称が違っていたのは、二人があまり一緒に時間を過ごす余裕がなかったからで、一緒に暮らすようになって、ラプンツェルはアーデルハイドちゃんのことをパパと同じく「アディ」と呼ぶようになった。
アデルって呼ばれるのも好きだったけどね。でも、ラプンツェルが呼んでくれるなら、どっちでもいい。
色んなことが変わったし、これから先がどうなるか分からないけれど、パパとラプンツェルに挟まれて上手にミルクを飲めるようになった。幸せだ。
「ぱぁぱ」
「どうした、アディ」
「まま」
「なあに、アディ」
二人は子供の意味のない問いかけにちゃんと答えてくれる。
愛しそうに、大事そうに。
ああ。
生まれてもう一年が過ぎたというのに、最近ようやく、産声を上げたような気がする。
大好きなパパ。
大好きなママ。
私はアーデルハイド。
大好きな家族の間に望まれて生を享けた、魔法使いでちょっとだけ魔女で、お姫様のアーデルハイドだ。
どんな未来になったって、この幸せな始まりだもの。きっと全部、なんとかなる。
アーデルハイドの人生は、始まったばかりだ。
完結しました。ご愛読ありがとうございました。
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