27.愛しさと寂しさと呪いの主
セルジュが言うには、呪いは結局、アーデルハイドちゃんが生まれた前後に病気で亡くなった、とある貴族の令嬢が元になっていたらしい。
やっぱりというかなんというか、パパには婚約者候補が数人いたんだって。あくまで候補で、将来王弟妃として内定していた特定の令嬢はいなかったみたいだけれど、それでもそれなりにやんごとない血筋のご令嬢たちが数人、正式な候補者となっていたんだそうだ。
何しろ伯父さんこと王様が、出かけた先でマルグリットを拾ってきて王妃にしてしまった。マルグリットは人間の文化は好きな様子だけれど、結局魔女だ。王妃の執務なんて出来るわけもないし、最初からやる気もない。おまけに何年経っても子供が出来ないので、王家の女主人の仕事をこなす役割は王弟妃に賭けられていたのは、多分自然な流れだったんだろう。
パパがそんな王宮を息苦しく思って外を駆け回っていたのも、自分で見初めたラプンツェルをこまめに通って口説き落とした気持ちも、なんとなくだけれど理解出来なくもないなと思った。
前世で弟がいたから余計にそう思うけれど、お兄ちゃんが自由にしているのに弟の自分が家のために国のために将来を考えてと周りから結婚相手の候補者を決めてきて、さあどうぞと並べられたら、思春期の男の子は反発するものだと思う。
それはそうとして、候補者に選ばれた女の子たちも、可哀想だ。パパは娘の立場という欲目を抜いてもイケメンだし、女の子に優しいし、ちゃんと仕事を終わらせてから会いに来てくれるので真面目でマメだし、ラプンツェルとアーデルハイドちゃんへの態度からも分かるように、大変に愛情深い。
おまけに王位継承権は一位だからそうそう臣籍降下もなく多分生涯王族だろうし、王様に何かあったら次の王様になるかもしれない。もし臣下に降りることがあっても、公爵位くらいはもらえるだろう。
子供が生まれれば、上手くいけばその子が将来の国王になる可能性も十分にあり、貴族の政略結婚の相手としては相当な優良物件といえる。
ここまで条件が良かったら、そりゃあ貴族の娘としては期待しちゃうよね。単純に優しいイケメンってだけで、パパは十分モテの素養があるし。
でも、そんな空気に嫌気が差したパパは逃避するようにふらふらと出かけては、ある時しばらく行方不明になってしまった。そうしてようやく帰ってきたと思ったら全身傷だらけの上に、この人と結婚すると言ってどこから連れてきたともしれない超絶美少女を伴っていた。
王様もそうだけど、王族としての責任感がないのはパパの方だし、数人いる候補者の一人とはいえイケメンと結婚して将来はワンチャン王妃、もしくは国母と夢見ていたその令嬢たちも、いい面の皮だ。
散歩の時になんとなく視線を感じていた、ラプンツェルとアーデルハイドちゃんにいい感情を抱いていない人達も、その令嬢たちや、彼女たちの近くにいた親しい人たちなのかもしれない。
ラプンツェルを恨むのは筋違いだ。絶対に間違っている。
でもきっと、こういうのは理屈ではないんだろう。
「該当するのは大臣の一人で伯爵の娘、マデリーンだな。実家の爵位は伯爵家だが、血筋はとびきりよくて財産家でもある。お前のパパとは幼馴染みと言えないこともない関係で、有力候補の一人だったらしい」
マデリーン嬢はラプンツェルが王宮に迎えられてすぐに病気で寝付くようになってしまったけれど、王弟妃がスムーズに懐妊したこと、無事アーデルハイドちゃんが生まれたこともあって、その死は王家の慶事にひっそりと埋もれてしまったらしい。
そりゃあ、やりきれないだろうなあと思う。寝込んでも死にかけても一応婚約者候補だったパパはお見舞いに行くどころではなかっただろうし、タイミングの問題としても、家族だって嘆きが深くなろうというものだ。
ラプンツェルが大事だし、だからラプンツェルをあんなに苦しめたことは、やっぱり許せない。
でも、その呪いを解くために自分が苦しい思いをしたことや、「後遺症」に関しては、あんまり恨む気にはなれなかった。
まだ若かっただろうに、家族を残してこの世を去る虚しさ、寂しさ、申し訳なさは、私だってよく知っている。
体の中で消化した呪いの核になった「想い」はそんな家族に対する感情や、愛している相手に愛されない苦しさでいっぱいだった。
全部、自分も心当たりのある気持ちだから、もう、いいかなって思う。
――安らかに眠ってください。
こっちも痛い思いをしたから、小さな手を合わせて祈って、それでもう忘れてしまうことにした。
セルジュは、その話を聞いたらアーデルハイドちゃんが烈火のごとく怒り出すと思っていたらしく不思議そうな顔をしていたけれど、死んだらみんな仏様っていう感覚は、きっと説明しても分かってもらえないだろうなって思う。
それでいい。ラプンツェルが無事だった。私にはそれが一番大事で、結局、それだけでいいのだ。
* * *
「姫様ー、こちらですよー」
「むっ、んっ」
エリナの呼びかけに両手を床について足を踏ん張り、よちよちと歩く。
体力が回復しはじめればいつもの調子に戻るのに、そう時間はかからなかった。赤ちゃんの体感時間だとそれでも結構かかった気はするけれど、日中は時々セルジュとクリスが訪ねてくれて、たまに夕方は執務を終えたパパが顔を出すようになって、夜中に気まぐれにマルグリットもやってくるので、あまり退屈もしなかった。
夜は睡眠時間だと言ったのは、なし崩しのうちに忘れられた気はするけれど、頻度は下がったし、何より今は返すめどのつかない負債があるので短時間の相手くらいは利子を返すつもりでやっている。
「んむーっ」
腰を落として屈んだエリナの手に倒れ込むと、しっかりと抱きとめてくれる。傍でカミラとサラサ、テレサのメイド四人組もにこにことその様子を見ていた。
「たくさん歩けてすごいです。もうすっかりお元気ですね!」
「むふっ!」
どやぁ、と胸を逸らせば我が育児室の美少女四人は優しく微笑み、まるで妖精の園である。アーデルハイドちゃんが男の子だったら将来のお妃様の理想が天井知らずになるところだった。
クッションを腰に当ててアーデルハイドちゃんを囲む形で円座になり、メイドたちは今日も姫様可愛い、姫様賢いとアーデルハイドちゃんの自己肯定感を上げるのに余念がない。ただ、年長のテレサはサマードレスの半そでから伸びるもちもちの腕を切なげに撫でていた。
そこにはラプンツェル譲りの白い肌に赤黒い色の痣が浮かんでいた。これが今回の「後遺症」である。
渦巻く唐草のような形は痣というよりちょっと趣味の悪い入れ墨みたいに見えて、両腕だけじゃなく体中に残っている。
魔女と二人の魔法使いに吸い取ってもらってもなお体の中に残った消化しきれない呪いは、こうして肌に表れることで落ち着いた。幸い顔だけは免れたものの、首から下は二の腕から太ももの辺りまで全身、蔦が這うような形の痣が残ってしまっている。
正直この時代だと、お姫様でもかなり致命的な痕だ。政略結婚ですら相手は望めないレベルで、成人まで消えなかったらよほど両親の強い希望がない限り修道院に行くしかないくらいである。
どうせ政略結婚なんて身分と身分の関係なんだから、容姿とか痣の有無なんてどうでもいいじゃん、とはならないのが世知辛い。王族でも貴族でも、女は美しくてなんぼというルッキズムはこの世界でも立派に存在するのである。
そういう関係もあって、クリスとの婚約はいったん白紙を前提とした保留になった。四人以外は知らないけれど、ラプンツェルの命が助かったのはアーデルハイドちゃんが命を張ったからだしね。将来王配を視野に入れた婚約のほうは、報酬なしということだ。
ただ王宮の認識としては、王弟妃の回復はクリスとセルジュの功績ということになるらしく、両国のつながりはこれまで以上に強くなったし、クリスは今後、交流を深めるために時々来てくれるらしい。
僕は痣があってもなくても構わないよ。そうそっと耳打ちされたけれど、当年取って十二歳の王子殿下がどこまで本気で言っているのか、赤ちゃんにはよく分からない。
「うー」
腕を翳せば、テレサが痛ましい目を向けるのも仕方がない、禍々しい感じの痣がくっきりと浮いている。
魔力が肌に沈着しているものなので、通常の痣とは違う。幸いアーデルハイドちゃんの体は人間としては魔力との親和性が高いので、時間を掛ければ少しずつ代謝されて消えていくだろうし、大規模な魔法を使ったり、機会があれば別の呪いを正しい形で解呪することがあれば、そのついでとして薄くなっていくだろう。
要するに、生きていればどうにかなる。ラプンツェルもアーデルハイドちゃんも生き残ったのだ、不満はない。
きゃっきゃっと赤ちゃんらしく機嫌よく笑っていると、テレサはふっと表情を和らげた。
こんな痣が全身に浮かんだことでアーデルハイドちゃんの王女としての価値は下落の一途だろうに、乳母もメイドたちも変わらず優しく、回復を喜んでくれている。
「んむ……」
口の中がむずむずして指をしゃぶろうとすると、だめですよーとカミラに手を取られてしまう。最近ますます口の中がむず痒い。もしかしたらそろそろ、上の歯も生えてくるかもしれない。
何かを口に入れたい衝動と戦っていると、控えめなノックの音が響き、テレサがすっと立ち上がった。この時間だとセルジュかクリス、もしくはその両方だろうと思っていると、ふわっ、となにかいい匂いがする。
慌てて顔を上げて、ついでに勢いよく立ち上がった。ふらふらとうしろにタタラを踏んだのをさっとカミラが支えてくれたけれど、それどころではない。
油断して周囲を魔素で探っていなかったことを後悔した。いつも通りそうしていれば、きっともっと早く、気づいたはずなのに。
「まっま!」
「アデル!」
入室してきたのは、愛しい愛しい我が娘にして母、世界で一番可愛くて美しくて優しくていい匂いのする、ラプンツェルだった。