23.しおれた花と小鳥の休暇
窓辺にひらりと降り立つと、ちょうど部屋の主は目を覚ましていて、ベッドに体を起こしていた。
傍にはお見舞いに来ていたらしいセルジュとクリスもいて、どちらも沈んだ表情をしている中で、ロビンに気づいたラプンツェルがふわりと微笑む。
「あら、小鳥さん。また来てくれたの?」
声は弱々しく張りのないものだけれど、切なくなるくらい優しいものだ。部屋の中に降りたち、とっとっと跳ねるようにベッドに近づき、ラプンツェルが差し出してくれた指に止まる。
「ふふ、いい子ね。果物をどうぞ」
ガラスの器に盛られたカットフルーツを一つつまみ、差し出されて、ありがたく突く。一国の王子妃に供されるだけあって、とても甘いブルーベリーだった。
「最近、よく来てくれる小鳥なんです。人にとても懐いているから、どこかで飼われているのかも」
「王宮の中は平和ですから、鳥も丸々と太っていますね。街にいたらとっくに猫にやられていることでしょう」
「あら、魔法使い様ったら」
ロビンのセルジュに対するじっとりとした感情が流れてくるけれど、シニカルなセルジュの言葉を受け流し、ラプンツェルが差し出した指先に止まる。
ロビンの視点を借りて毎日こっそりラプンツェルを見に来ていたのだけれど、案外気配に鋭いところのあるラプンツェルに、すぐに見つかってしまった。
ラプンツェルは野鳥を追い立てるようなことはせず、こうして招き入れて、果物やパンくずをくれたりする。
そういえば、ラプンツェルは昔から妙に動物に好かれる子だった。ラプンツェルがいる時は台所に巣食っていたネズミも悪さをしなかったし、塔でもよく鳥やリスが遊びに来ていたものだ。
優しくて穏やかな気質が周囲を安心させるのだろう。実際、指先で首の後ろをかりかりとされると、ロビンの感覚を通して、猛烈に湧き上がる好意が伝わってくる。
この気難しくて偏屈で契約主義の小鳥をこんなに簡単に懐かせるなんて、流石と言う他ない。
ロビンが抗議するような思念が伝わって来るけれど、本当のことなのでそれは無視する。
しばらく傍で寛いだり撫でてもらったりしていると、ラプンツェルは静かに、窓の外に視線を向けていた。
庭の木立ちに遮られて、ここからでは建物は見えないけれど、その先にはアーデルハイドちゃんの育児室がある離宮だ。
「私ね、行きたい場所があるの。でも、もう歩けなくなってしまって。小鳥さん、よかったら、私がここからいなくなったら、お庭の向こうにある建物に、遊びに行ってあげてくれないかしら」
ぴちち、とロビンが鳴くと、ラプンツェルがこちらを向いて、微笑む。
儚くて、今にも消えてしまいそうで、それなのに涙が出そうになるほどきれいな笑みだった。
「とても可愛い子がいるの。賢くて優しい子よ。あなたもきっと気に入るわ」
ロビンの感覚を共有して響くその言葉は、自分はもう、その子の傍にいることが出来ないからという諦めを滲ませたものだった。
胸が張り裂けそうに痛むのを、ぎゅっと押しとどめる。
ロビンも今は、文句を言わなかったから、多分大丈夫だろう。
「クリス殿下と、魔法使い様も、あの子を気にかけてやってくださいね。きっと、素敵な女の子になると思いますから」
「そのような気弱なことをおっしゃらないでください。妃殿下が傍にいれば、必ず素晴らしい姫君になることは、分かっていますので」
クリスの言葉にうんうんと頷くと、余計なことはするなとセルジュから無言の圧が伝わって来る。仕方がないじゃん。今はロビンと体の感覚を共有してるんだから、ついそうなっちゃうんだよ。
それに、そろそろ制限時間が来る。あまり長くいることはできないので、ベッドから羽ばたき、窓枠に止まる。
「あら、もう行くの?」
ぴちち、と鳴くと、ラプンツェルは優しく笑った。
「さよなら、小鳥さん」
またね、と言ってくれないラプンツェルに、振り向かず、空に飛び立つ。
夏の空は晴れていて、真っ青で、その青さに思い切り声を上げて泣きたくなった。
どんどんしおれた花のようになっていくのに、助けると約束したセルジュやクリスを責める気にはなれない。
彼らがいなかったら、きっと今日、ラプンツェルに会うこともできなかっただろう。
でも、これ以上はきっと、限界だ。
――ロビン、私の部屋まで来てくれる?
感覚の共有を切ったあとでそう願うと、もう今日の仕事は終わりだと文句が出る。ラプンツェルの部屋で果物を貰ったので、お腹も満ちているのだろう。
宥めすかしてなんとか了承を取った瞬間、窓に現れたロビンに、どうせこっちに向かっているならとっととOKくれてもよかったじゃん! と文句を言ったものの、つれない小鳥はどこ吹く風という態度だった。
* * *
ロビンと感覚を共有して外にいる間は、アーデルハイドちゃんはお昼寝というテイなので、メイドたちも他の仕事をしている。
育児室のメイドたちの仕事は、基本的にはアーデルハイドちゃん最優先だけれど、彼女たちにもそれなりに別の役割の割り振りがあったりするのだ。元々は貴族の令嬢たちだし、行儀見習い中とはいえブラックな環境で働かせるわけにもいかないので、案外入れ替わりでお休みを取っていたりもする。
ダメ押しで、ベビーベッドに注意が向かないようにそれとなく魔素を操っておいて、むくりと体を起こす。
――ロビン、お話があります。
改めて言うと、ロビンもだらりと広げていた羽をただし、ちょこんと座る。私の前では傍若無人に振る舞うけれど、ロビンはやろうと思えばできる小鳥なのだ。
――実は、契約解除をして欲しくて、まって、最後まで聞いて、怒らないで。
三秒でお湯が沸く高性能の湯沸かし機みたいな怒り方をする使い魔を宥めて、用意しておいたパンくずを差し出したものの、ラプンツェルの部屋で美味しい果物を貰ったばかりで見向きもしない。
――少しの間だから! それが終わったら、また契約をしなおすから!
どういうことだという疑念に、少し落ち着いたのを感じて、ほっと息を吐く。
アーデルハイドちゃん、ちょっと体が大きくなってきたけどそれでもまだゼロ歳児である。はっきり言ってフィジカルは弱い。小鳥にだって負ける。
――今晩、ある儀式をやろうと思うの。大した儀式じゃないんだけどね。この体はちっちゃいから、何かあったらロビンにも影響が出るでしょ。ちょっとお腹が痛くなるとか頭が痛くなるとかだと思うけどさ。嫌でしょ、痛いの。
自分ファーストで普段は悲しみや喜びすら大きすぎる感情をぶつけるなと文句を言う使い魔である。まして苦痛など、これっぽっちも伝わって欲しくないはずだ。
――だから、その儀式の間、ちょっとだけ契約を解除してほしいの。その影響が治まったらまた同じ条件で契約するし、その間は休暇だと思って楽しんでよ。
ロビンはしばらく黙り込み、それからぴちち、と鳴いた。
出世払いになっている十年と七カ月と二週間の間毎日提供される果実を、十二年にしろというものだ。この強欲小鳥! 休暇をあげるといってるのに賃上げの交渉なんて、絶対おかしい。
でも、まあいい。
――わかった、十二年にするから、ねっ。
あっさり条件を飲み過ぎたせいか、訝しむような目で見つめられたけれど、それ以上文句をいう理由も見つけられなかったのだろう、ロビンから了承の意が伝わってくる。
ロビンを手に載せて、小さな胴体に頬を寄せる。
――汝、アーデルハイドの使い魔よ。ここに互いの合意の元、主従の契約と制限の全てを解除し、自由の身とする。
念じれば、すう、とロビンの中に馴染んでいたアーデルハイドちゃんの魔力が抜けていく。漆黒だったロビンの体は元の色に戻って、あれだけ手に取るように分かった感情も、ぼんやりと薄れたものになった。
使い魔は一心同体だ。この生意気で意地汚い小鳥を、いつの間にか随分、大事に思っていたらしい。
「あう、だぁ」
行っていいよと窓を指さすと、ロビンは――名もない小鳥は、恨みがましそうな目を向けたあと、飛び去っていった。
休みをあげると言っているんだから、もっと嬉しそうにしたらいいのに。
やっぱり、彼は気難しい小鳥である。