21.悪い知らせ
クリスとの面会を果たして数日が過ぎた。
暫定ではあるものの婚約を前提として、それから毎日のようにパパとともに育児室に訪れ、短い時間だけれど交流を持つことになった。幼い王子と姫君が、心温まる交流の中でお互いに運命を感じ取り……という流れにしたいんだろうな、多分。
いくら女の子が早熟だからって、アーデルハイドちゃんゼロ歳に恋もなにもあったものではないけれど、クリスは目が覚めるような美少年ではあるし、アーデルハイドちゃんもパパとラプンツェルの血を引いているのだから、間違いなく美形の赤ちゃんのはずだ。あと五年……ギリギリ三年もあれば、それなりに絵になるだろう、多分。
「アディは本当にいい子だね。大人しいし全然泣かないし、ご機嫌いいのかな?」
「だぁ、ばぶ」
「ふふ、小さな手、可愛いね」
何しろ魔女と社会人女性の記憶が入り込んでいるので、アーデルハイドちゃんはあんまり赤ちゃんらしい赤ちゃんとは言えないだろう。
だがクリスも、本当に十二歳の少年か? と思うくらい落ち着いているし、理性的にゆっくりと喋る。何しろ前世には弟がいたので、この年頃の男の子は一時もじっとしていないというイメージがある。暇があればそこらへんを走り回り、カエルを捕まえて振り回し、トンボを捕まえて羽を毟り、セミを捕まえて足に糸を結んでぶんぶん飛ばして蟻の巣に水を流し込むものだろうに。
思い出して、子供の無邪気な嗜虐性はどうやら通り過ぎているらしいことにほっとするやら、もしあれをこの穏やかできれいな笑顔の下に隠し持っていたらどうしようと思うやらで、にこにこと交流するのも一苦労だ。
弟もあれで学校の成績は良かったし、足が速いから女子にもそれなりにモテていた。もっとも本人は友達と遊んでいる方が楽しくて、冬でも半袖でそこらを駆け回るような子だったけれど。
しんみりと、弟と金魚のポンポンは元気かなあなんて思っていると、小さな手でなでなでと頭を撫でられる。
「ふふ、短い金の髪。かわいい」
「だぁー」
いけないいけない。今の私は天使のように愛らしい少年に懐ききった無邪気な赤ちゃんである。感傷を振り切って、きゃっきゃっと笑っているうちに、その日の面会も終わりを告げた。
「またね、アディ。すぐに来るからね」
「あう!」
「アディ、パパも一緒にくるから、寂しくないぞ」
アーデルハイドちゃんがクリスとばかりいちゃいちゃするので、すっかり拗ねた様子のパパが急いで付け加える。
パパ、大人げないよ。大丈夫、アーデルハイドちゃんは、ちゃんとパパが大好きだし、クリスだっていつまでもこの国にいるわけじゃない。
ラプンツェルの呪いが解けて元気になれば、婚約を整えた後は国に戻るだろう。そこから手紙のやりとりをしつつ、数年に一度会って、成人したら結婚という流れになるんじゃないかな。
クリスは第三王子で王位継承の可能性はほとんどないので、もしかしたらもっと早くうちの国――リッテンバウム王国の文化を知るためという名目で、留学してきたり、仕官する可能性もあるかもしれない。
どちらにしても、未来は着々と動き始めているのだと、感じることが増えた。
「……どうも、お前のママに掛かってるのは大分厄介な呪いらしい。少し時間がかかるかもしれない」
そんなとある夜、相変わらず窓から訪ねてきたセルジュは、非常に機嫌が悪そうな顔で告げた。
赤い目がギラギラ光っててなんか怖いし、態度もいつにもまして荒っぽい。最近はクリスの後ろで大人しくしている姿しか見ていなかったから、余計にそう感じてしまう。
何か言いたいけれど、今はロビンはいないしなと思っていると、セルジュはマントの内側を探り、ぽい、とベビーベッドの中に黒い塊を放り込む。慌ててキャッチすると、ぶるぶると震える我が使い魔だった。
「そら、お前の鳥だ。話せないと不便だから連れて来た」
ピ、ピィ……と情けなく鳴くロビンがあまりに可哀想で、赤ちゃんの手で撫でさする。
使い魔の契約によって寿命が延びて体も多少頑丈になっているとはいえ、本来小鳥というのは、本当にちょっとしたことで骨が折れたり驚きすぎて死んでしまったりするものだ。断じて鷲掴みにして内ポケットに詰め込んだり、取り出して放り投げていいものではない。
意識を繋げると、怖い思いをしたことがひしひしと伝わってきて、なんとも哀れである。
「カワイソウデショ、ロビンにヒドイコトしナイデ!」
すっかり委縮しているロビンに喋ってもらうのはやや骨が折れた。おまけにセルジュに強い言葉を放ちたくないらしく、抵抗する心が流れ込んでくる。
だがちゃんと言わないと、この手のタイプには忖度というものは一切備わっていないのだ。また用があるたびに寝ているところをむんずと掴まれて狭苦しいポケットに押し込まれる羽目になると意識で伝えると、後悔の感情がどっと流れ込んできた。
ちょっと、使い魔になったことへの後悔じゃないよね!? 私はちゃんと契約主のマナーは守ってるでしょ?
セルジュには委縮していても、アーデルハイドちゃんには恨みがましい目を向けることに抵抗はないらしく、ロビンは黒い瞳でじーっとこちらを見つめてきた。
「おい、使い魔との心温まる交流は後にしろよ」
「……ノロイ、トケナイノ?」
セルジュのプライドがかなり高いことは、短いやりとりでも十分に伝わってくる。そう聞かれて相当に面白くないらしく、チッ、と鋭く舌打ちが響き、手のひらの中のロビンがびくびくと体を震わせた。
「呪いの元を辿ったが、この王宮の中で消えていた。おそらく呪いの主はもうこの世にはいない。それがどういうことか分かるか?」
「………」
呪いに必要なのは、呪う対象がはっきりとしていること――できればその対象の体の一部と、相手を呪うだけの強い感情。そして具体的な呪いの達成目的とその代償だ。
例えばロビンを呪うとしたら、ロビンの姿かたちをはっきりと知っている必要があるし、出来れば羽の一枚もあればなおいい。そしてロビンを呪わしく思う強い感情と、呪われた結果、毎晩悪夢を見てほしいのか、病気になってほしいのか、あるいは死んでほしいのか――明確な結果をイメージする必要がある。
呪いの結果が大きければ大きいほど代償も大きくなる。小鳥の命なら小鳥の命を、人の命なら人の命を……だから、人を呪う時はそれがどれだけ厄介なものでも、術者の命にもかかわることなので、死ぬことは滅多にない。
けれど、すでに術者が死んでいるとなれば、話は別だ。自分の命をすでに代償として払っているのか、それとも呪いをかけている最中に別の理由で亡くなったかにもよるけれど、術者自体をどうこうして呪いを中断させることが出来なくなってしまう。
手のひらをツンツンと突かれて、思考が途切れた。
なんで呪いの想像を自分でするのかと抗議する感情が流れ込んでくる。仕方ないじゃん。お世話してくれるマーゴやテレサ、サラサ、カミラ、エリナでそんな想像したくないし、パパやラプンツェルはもってのほか。クリスやセルジュだってまだ子供だよ。
その点ロビンは私の使い魔で身内のようなものだし、小鳥とはいえ成鳥だ。ロビンが呪い殺されたりしたら、契約者のアーデルハイドちゃんにだって影響が出る。一番身を切った想像だろう。
相変わらず抗議の感情は伝わって来るけれど、よしよしと撫でて強引に途切れさせる。
「ママ、タスカル? ダイジョウブ?」
「お前のママは必ず助けてやる。そういう契約だからな。ただ、すぐにというのは難しいと伝えにきただけだ」
態度は悪いけれど、意外と律儀なところがあるものだ。
「いつまでも結果が出ないからと、クリスをフラれたら困るからな」
少しは見直させて欲しいものだと思うけれど、セルジュはそういうことだと吐き捨てるように言うと、また窓から出て行ってしまった。
再びロビンは取り残された形になるけれど、セルジュとともに出ていくのも嫌だったらしく、窓が閉まるまで大人しくしていた。
――ねえ、もう育児室で飼われちゃう?
なんとかアーデルハイドちゃんの飼い鳥になれば、餌も与えられるし毎度深夜出勤させられることもなくなるはずだけれど、それに対しての返事はノーだった。
ロビンは誇り高い野鳥ということらしい。
「だぅ……」
寝転がり、慣れた様子でアーデルハイドちゃんの枕元で二度寝の体勢になったロビンを眺める。
術者は死人かぁ。
セルジュは何とかすると言ったけれど、本当に、困ったことになった。
死人は明確な意思がどんどん薄れていく。つまり、呪いを発動させるのに必須の対象に対する強い感情を維持することができない。
そのくせ呪いの思念だけはしっかりと残ることが多いので、呪いは段々指向性を失い、本来の目的……例えばちょっとした不運が続くとか、好きな人とすれ違うとか、育てていた花が枯れるとか、そうした呪いの目的すら輪郭が曖昧になって思わぬ作用が出たりする。
ラプンツェルが、面会した最初の時は少なくとも自分の足で歩いて育児室に通いアーデルハイドちゃんを抱っこしていたのに、どんどん悪化して会いに来ることも出来なくなったのも、そのせいだろう。
――ラプンツェル。
思い出すのは、火が付いたように泣き叫ぶ赤ん坊のあの子。
立ち上がり、走り出し、笑っていた子供時代。
長い金の髪をたらして、塔を登れば、おかえりなさいと笑ってくれた、あの笑顔。
大好きよ。愛してるわ。
あなたのためならなんだって出来る。本当よ。
赤ちゃんの感情制御の甘さで、わんわんと泣き出したくなるのをぐっとこらえ、洟を啜る。
「ばぶ」
ロビン、お願いがあるの。
そう伝えると、つれない小鳥は今夜はもう営業終了だと羽を震わせた。
本当に、雇用主に対して塩対応な使い魔である。