20.魔女の契約と好きな物
「ルイとの出会い? お城のパーティにデザートを食べに来たら、うっかり靴を落としちゃってね。失くしても戻るまじないを掛けてあるから放っておいたんだけど、戻ってきた時に、ルイがおまけについてきたのよ」
そう言いながら、今日もマルグリットはパクパクとクッキーを口に入れている。そんなに食べて太らないのだろうかと思うけれど、黒づくめの恰好をしているのを差し引いてもマルグリットは全体的にすごくスリムで、シャープな体つきをしているので大丈夫なのだろう。
もしかして、魔女っていくら食べても太らないのだろうか。前世で体重計の数字に一喜一憂していたのを思い出すと、魔女だった頃にもっとあれこれ食べておくべきだったかなんて思ったりする。
でも、魔女だった頃の私はあんまり食欲というものを意識することはなかった。不味い物を口に入れたいとは思わないし、かといって美味しいものを食べたいという欲求も無かったように思う。
地脈と接続していれば全くの飲まず食わずでもいいということもあるけれど、考えるのはラプンツェルに十分な食事を与えることばかりで、自分の食事にまで気が回らなかった。
せめて、ラプンツェルと一緒に食事をするべきだったと生まれ変わった以降は何度も思ったものだ。それだけでもあの頃のラプンツェルが何を考えていたのか聞く機会が出来ただろうし、義母と娘としての関係性も、少しは違ったものになっていたかもしれない。
「ソレデ、ドウシタの?」
「一目惚れだって口説かれて、何度も訪ねてきてね。私が手土産の甘いものを喜ぶって分かってからはお菓子を持参するようになって、毎日好きなだけデザートを食べさせてくれると言うからそれならって結婚したの」
思ったより雑な成り行きだと思ったものの、パパとラプンツェルだって行きずりの男と女が出会って恋に落ちて子作りしたようなものなので、探し出して結婚を申し込んだ王様のほうがいくらかきちんと手順を踏んでいると言えなくもないのかもしれない。
アーデルハイドちゃんがゼロ歳児にして政略結婚の話が出ているというのに、我が父と伯父はそれでいいのか。
いや、上の世代がそんなだから、アーデルハイドちゃんには今からまともな外交の相手をという切実な願いが込められているかもしれない。
「あなたもね、結婚するならちゃんと対価を用意できる人を選んだ方がいいわよ。私は人間の愛ってよく分からないけれど、使い魔にだってお互い納得できる対価を支払って契約するものでしょう?」
「ばぶ……」
傍にいるロビンに視線を向けると、ロビンもじっとこちらを見つめて、同意するように黒い体をふるふると震わせる。
今夜の深夜料金はツケだという意識が頭に流れ込んできて、我が使い魔は今日もブレていない。
「その対価は、あなたがそれと相応しいと認めたものであることと同時に、あなた自身に利益があることが大前提よ。いいこと? あなたの大切な人を助けてあげるからあなた自身を差し出せなんて契約、絶対に受けてはいけないからね」
人間について全く興味も関心もなさそうなマルグリットにすら見透かされるようなことを言われて、ううん、と考え込んでしまう。
私にとって、ラプンツェルを助けるということは、人生を差し出すのに十分な対価と言える。
だからこそ婚約を了承したし、パパを納得させる演技だってした。
パパは面白くなさそうだけれど、ひとまずアーデルハイドちゃんが満更でもなさそうな様子なのに、婚約の話はどんどん先に進んで、伯父である王様もそれについて承認の方向で動いているらしい。
なにしろ第二王位継承者である王女と、隣国の王子の婚約だ。慎重に検討する必要があるのは当然のことなので、整うとしても数年単位、少なくともアーデルハイドちゃんが物心つくまでは正式な発表はされないだろう。
今は内々に調整を行っている、そういう段階のはずだ。
そして、その話を耳に挟んだマルグリットが久しぶりに夜の訪問をすることになった。あらかじめマルグリットの使い魔である漆黒の蛇がそれを伝えてきたので、こうしてロビンにも夜勤を頼むことが出来た。
この世界の既婚者で、会話が出来るのはマルグリットだけなので、結婚の経緯について聞いてみたものの、魔女の結婚観はあまり参考になるものでもなさそうだ。
「――なんなら、あなたのママのこと、私が助けてあげましょうか?」
それはいつもの、何を考えているのか分からないのんびりとした口調とは違ったものだった。
いうなれば、とても「魔女」らしい、たっぷりとした誘惑と、邪推すればひと匙の悪意さえ込められているような、甘ったるい言葉だ。
「呪いは私の本分だし、白魔法を使う連中より上手く対処することが出来ると思うわよ。あいつら、いまだにあなたの使い魔があなたのママに接触することも許していないんでしょう? 確認できない以上、あなたのママがただの病気なのか、本当に呪われているのかだって、分からないじゃない?」
普段マルグリットが食べている糖分は一体どこに消えているのかと思っていたけれど、案外こういう時の言葉に乗っているのかもしれない。そう思うくらい、濃密で、蕩けそうな言葉が赤く塗られた唇からこぼれだしてくる。
魔女にも色々といるし、中には言葉巧みに誘惑する魔女だっているのだろうけれど、マルグリットがそのタイプとは思わなかった。意外な魔女らしさを見せられて、なんというか――すごく感心してしまった。
今までのマルグリットの態度は王妃らしくも魔女らしくもないと思っていたけれど、意外とやるじゃんという気持ちだ。
セルジュの言う通り、ずっとこの調子なら国のひとつふたつ、傾けるかもしれないとも思わせる。
「対価にあなたの人生を寄越せなんて、強欲なことも言わないわ。私の目的は最初からひとつだけ。わかるわよね?」
「ワタシヲ、ヨウジョにシタイ?」
よく出来ましたというように、マルグリットは目を細い月のように細める。黒ずくめのドレスに真っ黒な長い髪、赤く塗られた唇でそうされると、本当に怖い魔女みたいだ。
夜中にそんな表情をする黒ずくめの魔女と、きらきら金髪碧眼の赤ちゃんの構図は、はたから見ると大分絵面がよくないものではないだろうか。
「マルグリットハ、オカシダケジャナクテ、チャンと、オジサンが、ダイスキナンダね」
「………」
「ワタシも、パパトママガダイスキナンダ。ダカラ、マダパパトママノコドモデイタイの」
マルグリット自身は、全然人間に興味がない。国政にだってそうだろう。子供が出来なくても王妃の立場で毎日お菓子が差し出されていれば、王様との契約は果たされていることになる。
後継者の問題とか、側室を拒んでいる王様の立場とか、そんなことを考える必要は、本来マルグリットには無いのだ。
それなのに、パパと接触して養女にすることを促したり、夜な夜な育児室を訪ねてアーデルハイドちゃんと仲良くなろうとしていた。そのやり方は全く人間というものを理解していないマルグリットらしくちぐはぐなものではあったけれど、我が使い魔であるロビンを見れば、自分の仕事じゃないことをサービス残業してやっているようなものだ。
そんなことをする理由なんて、そう多くはないだろう。
人間に興味がなかった魔女の私も、ラプンツェルのことは深く深く愛していた。
ならば人間に興味がないマルグリットが、王様を大好きでいても、別に不自然なことでもない。
「ワタシ、アンガイ、マルグリットノコト、スキダヨ」
「そんなこと言っても、無対価であなたを助けたりはしないわよ?」
「タイカナシデモ、ダレカヲスキニナッテモイインダヨ」
そう伝えると、漆黒の魔女はぱちぱちと瞬きをしたあと、ふっと緊張感を解いた。
先ほどまでの蕩けるような甘い空気も同時に霧散して、いつものちょっと何を考えているか分からないマルグリットに戻っている。
「あなたって、誘惑しがいのない子ね」
「ダブルブッキングハ、トラブルノモトダカラネ」
「おまけに時々、何を言っているか分からないわ」
すでにセルジュを通してクリスと契約を進めているところだ。
裏でマルグリットとも契約をしていたと知られれば、あちらもいい気持にはならないだろう。
正直、ラプンツェルを助けてくれるなら相手がどちらでもいいけれど、契約には信頼が必要だ。ロビンだって二十年分の対価を与えると言われてほいほいと鞍替えしたりはしないし、そういうものだ。
――しないよね?
ちらりと手の中に収まっている黒い小鳥を見下ろしたものの、ロビンはぴちち、と小さく小鳥らしい鳴き声を漏らし、それに返事はしなかった。
信じてるからね! 契約者と使い魔は一心同体だから!
マルグリットは再びクッキーをつまんでいる。
けれどなぜか、いつもより妙に機嫌がよさそうで、口元には笑みが浮いていた。
ロビンはやがて、業務時間が終わってマルグリットが開けた窓から出て行ってしまった。
ロビンがいなくなった以上話も出来ないし、夜が更けて眠いし、そろそろ帰ってくれないかなあなんて思ったものの人間の機微にも赤ちゃんの生理現象にも疎いマルグリットは、のんびり機嫌良さそうにしているだけで、結局明け方まで帰ってくれなかった。