18.結婚と明るい未来
『ワタシ、ケッコンスる!』
悩む時間はそう長くはなかった。
今日明日にどうにかなるわけではないとは言われても、ラプンツェルは今この時だっていわれのない呪いで苦しんでいるのだ。それをどうにかしてやれるなら、この身のひとつやふたつ、投げ出すくらいどうということもない。
アーデルハイドとしての人生をゼロ歳で決めてしまっていいのかという葛藤はあるし、今後も付きまとうだろう。けれど、どうしたってラプンツェルを衰弱するに任せる選択は出来なかった。
ラプンツェルには満たされて、幸せになってほしい。いつだって笑顔でいてほしい。魔女なんかに育てられて不自由な暮らしをさせてしまった、それが私の償いだ。
そのためならなんだってやる。
「よし、じゃあ折を見てクリスと引き合わせる。なに、あいつは話が分かるやつだ。お前とも上手くやっていくさ」
ゼロ歳児の赤ちゃんと上手くやる少年なんて、その時点でどうなのという気がしないでもないけれど、魔法使いの少年のほうはほっとしたらしく、赤い瞳には珍しく人間らしい安堵の色が滲んでいた。
「後の問題はあの王妃だが……今のところ大人しくしているようだし、変に突かない方がいいんだろうな。あの手のタイプは現王が退けば、そっと姿を消すタイプだろう」
タイプといえるほど魔女が王妃になるケースがあるのだろうか。そう考えているのが顔に出ていたのか、感覚を接続しているロビンが小首を傾げたことで伝わったのか、魔法使いの少年はたまにあるんだよ、と綺麗な顔を顰めてみせた。
『タマニ、あルンダ……』
「魔女ら、手加減とか知らないだろ。なんらかの理由で人間の権力を利用したいなら、男爵家か子爵家あたりの妻でも十分なのに、一番偉けりゃ一番いいって雑な考えでひょいと王妃に紛れ込んだりするんだよな」
「だぁ……」
かつて魔女だった感覚として、なんとなくそれも理解できる。私は人間と深く関わることのない魔女ではあったけれど、ラプンツェルと話し合わずに塔から追い出したり、それに絶望してほとんど自死みたいな寿命の迎え方をしたりと、今思うと極端だったなと思う行動には心当たりがあった。
「それで、そういう国ってどういうわけか、次代は一番継承権の高い十代半ばくらいの少女が王位を継ぐことが圧倒的に多いんだよ」
つまり、アーデルハイドちゃんの婚約者になっておけば、十数年後には次期王配になる可能性がかなり高いということらしい。
王様であり伯父である現王もかなり若そうなのに、あと十数年少々で王位を継承したりすることあるのかな。
パパだって、その頃はまだ三十代になったばかりじゃないだろうか。その二人を押しのけてアーデルハイドちゃんが女王様になるなんて、あまり明るい未来とも思えない。
「魔女が王妃やってること自体、国の毒っちゃ毒なんだがな。お前も苦労するかもしれないが、クリスはいいパートナーになると思うぜ」
変なフラグを立てるのはやめて欲しい。
それってマルグリットが何かしら悪さをして、国が荒れ果てて、即位した後は復興に尽力しなきゃいけないとかそういう話なのではないだろうか。
十代半ばの女王様にパパよりちょっと若いくらいの隣国の王族の伴侶がついている状態って、やっぱりあんまり明るい未来ではない気がする。よっぽどアーデルハイドちゃんがしっかりしていて、クリスって子を尻に敷くくらいでないと、下手をしたら国の乗っ取りなんてことが起きるのではないだろうか。
その後の展開なんて、大体想像がつく。
アーデルハイドちゃんが次の後継ぎを産んだら、コロッと逝ってくれたほうがクリスって子には都合がいいだろう。後継ぎの後見人をしながら、後は実質国王として思いのままだ。
「だぅ……」
あれ、これって全然明るい未来じゃなくない? 最悪の場合、国は荒れ果て、パパとラプンツェルも全然幸せではない結末の上に、アーデルハイドちゃんも若くして……みたいな感じになってない?
「何を考えてるか大体分かるが、そんなに悲観するなよ。いいか、クリスは強かで計算高いが残酷なやつではないし、王位を継ぐならお前だって人に言われるまま流されてるようじゃダメだろ。外圧にいいようにされないように、努力しろよ」
それ、母親のラプンツェルの身柄を半ば人質にしてるあんたが言う? じっとりとした目を向けていたのだろう、魔法使いの少年は不服気な様子だった。
「俺とお前の間にあるのは契約であって、脅しじゃねえからな。こっちだって呪いの解呪なんて面倒なこと、できればやらずにとっとと国に戻りたいところなんだよ」
『ワカッテる』
まあ、それはそうだ。呪いというのは本当に面倒だし、下手をすれば何百年と作用したりする。魔女の力があれば自分で何とかする方法もあったかもしれないけれど、無力なゼロ歳児の自分に出来ることがこれだけなのだから、仕方ない。
弱みに付け込まれた形ではあるけれど、これは正しく契約なのだ。そして契約を反故にすれば、それこそこの魔法使いが黙っていないのだろう。
しかし結婚って、了承しておいてなんだけれど、全然実感が湧かなかった。魔女だった頃は結婚なんて考えたことも無かったし。
いや、マルグリットは魔女だけど結婚しているけれど、あれはマルグリットがものすごく変わっているだけで、恋愛も生殖も必要としない魔女は基本的に伴侶なんてものを求めないものだ。
日本人だった頃は、魔女の感覚を引きずっていたせいかいまいち異性に興味を持つことが出来ず恋愛とは縁遠かったし、家と仕事の往復をしているうちに若くして人生を終えてしまったので、やはり結婚という言葉にかすりもしないままだった。
アーデルハイドとして生まれた途端、ゼロ歳児にして婚約者候補らしき人が現れるとは、ハンドルを切りすぎではないだろうか。
「契約だからな、お前のママのことに関しては、俺とクリスが責任をもってなんとかしてやる。お前は……まあ、精々クリスと上手くやれるよう頑張るんだな」
赤ちゃんになんてことを求めるのだ。そうは思うものの、当面他に出来ることもないだろう。
『オニイチャン、ナマエ、なンテいうの?』
そろそろロビンの就業時間が終わる。最後にそう聞くと、少年はうん、と眉を寄せた。
『ズット、マホウツカイ、じゃ、ヘンデしョ』
「――セルジュレティ。セルジュでいい」
『セルジュオニイチャン』
「ただのセルジュだ」
こんなに可愛い赤ちゃんにお兄ちゃんよばわりされて何が不満なのか、魔法使いの少年……セルジュは僅かに苛立ちを浮かべてそう言うと、窓を開けてひらりと出て行ってしまった。
窓は一人でに閉じて、勝手に鍵までかかる。マルグリットもそうだけれど、人間の中で生きている異能の存在というのは、意外と後のことまでちゃんと考えて行動するんだなあと感心した。
あ、窓閉められたら、ロビンが出ていけないじゃん。
「だぁ、ばぶ」
朝になればメイドの誰かが窓を開けてくれるし、今夜はここで寝る? そう聞くと、不満がひしひしと伝わって来るものの、離乳食にまじって出た小さなパンをちぎってベビーベッドのシーツの下に隠していたものを差し出すと、ころりと機嫌がよくなったのが伝わって来る。
ほんとは小鳥にパンってあんまりよくないんだけどね。対価の支払いは出世払いということになっているけれど、小鳥を夜中に働かせているのだ、時々はこうして心付けを渡すくらいはしたほうがいい。
ごろり、とベビーベッドに寝転がって、見慣れた天井を眺める。
みんなが幸せで、ラプンツェルが笑っている明るい未来って、どうやったら手に入るのかなあ。
私は――アーデルハイドちゃんは、どうしたらその未来に行くことができるのだろう。
ようやく手に入れた静かな夜だというのに、今夜も悩み深い夜になりそうだった。