15.喋る小鳥と思い出のヒキガエル
魔女の力は、人間にとってははっきり言って理不尽といっていいほどに強い。
何しろ単体で、それも個人の気まぐれで国を亡ぼすことも可能なのだ。半ば放置されているのは、魔女の個体数がとても少ないということと、その気まぐれがそうそう起きないということもあるけれど、藪を突いて蛇を出すような真似はしたくないという人間側の知恵でもある。
そもそも生まれ方自体が地脈と魔力の融合からこぼれ落ちるようなものである魔女は、魔法との親和性が非常に高い。食事をする必要も、老いも病もなく望めばほぼ永遠に生きるような、そんな存在に敵対したいと思う者もいないだろう。
けれど人間の中にも時々、非常に魔法を操ることに長けた者が現れることがある。魔女に近いレベルとなると歴史上の人物扱いで、魔女そのものよりさらに個体数は減るにせよ、ある程度の魔法使いというのは、一つの国に数人くらいはいる、らしい。
なにしろアーデルハイドちゃんはゼロ歳だし、魔女だった頃も人間の文化にあまり興味はなかった。魔女として長く生きている間に耳に挟んだ話を総合したらそうらしいという程度の知識しかないけれど、多分この少年は、その魔法使いの類なのだろう。
こんなに小さい子が? と思うけれど、何百年も生きて少女のような容姿のままの魔女もいるのだし、 多分似たようなものなのではないだろうか。肉体の特徴など、体内を巡る魔素を操作すればどうとでもなる。だとすれば、見た目通りの年齢でない可能性のほうが高い。
「この王宮は私の庭なの。魔女の庭を荒らしておいて、タダで済むとは思っていないわよね?」
「なるほど、どこかに魔女の木があるってことか。いちいち地脈をなぞって探すのは面倒だ。いっそ王宮を全部焼き払ってみるか?」
「あら、西の離宮を水で沈めるほうが早いわよ? どこかの王子様が滞在しているって話だけれど、事故はどこにでも転がっているもの、火事になったら水を使うのは仕方ないわよね?」
魔素と魔素がぶつかるパチパチとした音が、雷のような音に変わっていく。一触即発、もういつ攻撃魔法がどちらからぶっ放されても不思議ではない空気だ。
冗談じゃない。この王宮にはパパの庭もあるし、西の離宮にはラプンツェルもいる。どこか人気のない山奥でやるなら止めないけれど、ピンポイントでアーデルハイドちゃんの大切なものを巻き込まれてはたまらない。
いや、大切な物どころか自分自身の命さえ風前の灯なわけだけれど。
『ヤ、ヤメテぇ』
甲高く、どこか気の抜けた声が響き、一拍おいてマルグリットと名も知らぬ少年がこちらに視線を向ける。
強引に揺り起こしたロビンの不満がびしびしと伝わってくるけれど、こっちだって必死だ。魔女と魔法使いがやりあって、飛んできた瓦礫のひとつでも頭に当たったら、それで今世が終わりかねない。
今こそ使い魔としての本領を見せる時だ。頑張れロビン! アーデルハイドちゃんもがんばれ!
「オネガイ、ケンカしナイでェ」
ロビンを使い魔にしたのは、どこにでも飛んで行けて、体が小さく契約に必要な魔力が少なくて済むという利点もあるけれど、もうひとつの目的がこれだった。
鳥はかなり器用だし、声帯も発達している。
黒ツグミはツグミという名前だけれど、仲間としてはカラスに近い。そしてカラスは人の言葉を真似て喋る能力がある。
アーデルハイドちゃんはまだ舌と喉が成長していないのできちんと喋ることが出来ないけれど、鳥に代わりに喋ってもらって、マルグリットにもう夜に来ないように伝えられないだろうかという目論みもあった。
流石に人間そのものにはあんまり興味がないマルグリットにも、異質だと分かるだろうか?
魔女とばれることは今のところなさそうだれど、異物と思われたら排除される可能性だってゼロではないから、これまで実行には移さなかったけれど、もはや手札を惜しんでいる場合ではない。
『ワタシ、アヤシイっ、アカチャンじゃナイヨ。ママにアイタかっタ、ダけダヨ』
ロビンの声帯を借りての言葉なので、どうしてもたどたどしいものになってしまうけれど、ギリギリ意味は通じるはずだ。
魔法使いの少年が魔女を挑発出来るくらいには力があることを考えれば、使い魔の小鳥くらい始末するのは容易かったはずだ。それでもロビンがここまで逃げ切ることが出来たのは、少年がロビンを適度に追い詰めて、契約主のところに案内させたからだろう。
そしてその目的は、王宮内を探っている小鳥の主の始末――いきなり話が物騒になるけれど、間諜を疑ってのことだろう。
けれど、アーデルハイドちゃんはこの国の王位継承者の第二位で、おまけにマルグリットが王妃であることも知っているらしい。
それにも関わらず排除や挑発を行っているということは、この国に仕える魔法使いではない。そして西の離宮に反応したということは、パパが言っていた隣国からの来客の護衛の魔法使いの可能性が高い。
だったら、間諜の疑いを解けば積極的に敵対する理由もなくなるはずだ。
「ママ?」
訝しげではあるものの、こちらの言葉が通じたように少年が眉をよせる。手ごたえを感じてよしっ、とロビンを抱く手に力を籠めると、抗議の意思が伝わってきた。
ええい、あんただって私とひとまとめに始末されるかどうかの瀬戸際なんだからね! 契約を後悔してももう遅い! 相手が赤ちゃんだからって安全とは限らないって、私だって知らなかったよ!
『ママ、ニシノリキュウにイルッてキイタ。ママにアイタカッタ、ドウシテるか、ダケでもシリタカッタ。ソレダケダヨ』
「……王弟妃ラプンツェルか。確か、魔女に育てられたって噂があったが、赤ん坊まで変なのかよ」
『ヘンジャナイヨ!』
「いいか赤ん坊。使い魔を持つ赤ん坊っていうのは、変なんだよ」
まったくもって正論ではあるけれど、どう見ても年齢ヒトケタで魔法使いをしている少年に言われると、なんとも理不尽な気持ちでいっぱいである。
『タタカワナイデ。ダメナラもうシナイ。マルグリット、マジョダケど、ワルイマジョじゃナイヨ。オカシとオシャベリがスキなダケダヨ』
たぶん。
赤ちゃんの扱いは乱暴だし夜中に訪ねて睡眠不足の原因を作ってるし一方的に喋る内容は情操教育にも悪いけれど、洗脳の魔法を使うようなことはしなかったし、これだけ毎晩通ってきていてもトラブルが起きていないということは、乳母やメイド、兵士たちに見とがめられないよう消音の魔法や人除けの魔法なんかを使って余計ないざこざを起こさないようにしているのだと思う。
仲良くなれば引き取る問題が解決するというマルグリットの目的が何かは分からないけれど、魔女ならばもっと手っ取り早い方法はいくらでもあるのだ。
そうした短絡的な方法を使わずに、明後日の方法ではあるけれど仲良くなるための努力をしているだけ、人格破綻している魔女というわけではないと思う。多分。
最悪マルグリットと戦うにしても、ここ以外にして! ほんと切実に!
「……そういや西の離宮の端に、王弟妃の部屋があるって話だったな。寝込んでいるから気にしなくていいと言われていたが」
『ダメナラもうシナイ! オコラナイデ! コロサナイデ!』
「こいつ、そんなことしようとしてたの? 人間って小さな人間をとても大切にするものなのに、感情というものがないのかしら」
白けたように言うマルグリットに、少年は気を悪くしたような様子だったけれど、赤ちゃんと小鳥にうるうるとした目を向けられていることに気が付いて、ちっ、と乱暴に舌を打った。
「魔女に人間の感情を語られたくねえよ」
少年は吐き捨てるように言って、懐から短い杖を取り出して軽く振る。壊れた窓の周りに散らばっていたガラスが、時間が遡るみたいに宙に浮いて、それぞれのかけらが復元した窓枠に収まっていき、しばらくすると綺麗に戻っていた。
「扉はそっちの魔女がやったことだから、てめえで何とかしろ。あと、その黒ツグミの気配は覚えたから、好きに飛び回らせて構わない」
『……イイノ?』
「こっちの仕事に関わらなければいちいち潰す必要もないからな。魔女、戦いたいなら続きをするのは構わないが、王宮が炎上するのは覚悟しろよ」
マルグリットは、会話をするのも面倒だというように軽く肩を竦める。軽く手をかざすと、壁にめり込んでいたドアがふわっと浮いて元の位置に収まった。
「この離宮には、この部屋を除いて眠りの魔法を施してある。朝日とともに解けるように組んであるから、放っておけばいい」
「あっそ。じゃあバイバイ」
マルグリットの雑な言葉に不愉快そうに眉を寄せたものの、少年は踵を返すと窓を開けてひらりとそこから飛び降りた。
ここ、三階なんだけどな。まあ、入って来た経緯を考えれば問題ないんだろうけれど。
マルグリットが指先でちょいと力を放つと、窓は音もなく閉まる。それきり、突然やってきて唐突に去っていった少年のことなど一瞬でどうでもよくなったらしく、ベビーベッドを覗き込んでくる。
「あなた、喋れたのね! すごいわ」
『ロビンノチカラ、カリナイと、シャベレナイ』
「それでもすごいわぁ」
一難去ってまた一難。マルグリットと残されてどういう成り行きになるかと思ったけれど、当初の怪しまれて排除されたらという杞憂は、どうやら杞憂のままに終わったらしい。
マルグリットはいつもと同じ一人掛けのソファを取り出し、小さなテーブルを取り出し、そのサイズに見合わない三段重ねのケーキを取り出した。相変わらず女子の致死量のような量を切り分けて、ぱくぱくと口に運んでいる。
「私、面白い子は大好きよ! 百年くらい前に沼地に出たヒキガエルも面白い子で、ゲコゲコって時々混じって聞き取りにくかったけど、あの子も喋ることができたのよね。使い魔にして二百年くらい一緒にいたんだけど、番と一緒に生きたいからって契約を解除しちゃってね」
――いや、去っていないかもしれない。
相当に思い出深いヒキガエルだったらしく、まるで魔法使いと対立したことなど一瞬で忘れてしまったように一方的に二百年の思い出を聞かされる羽目になった。
『アノネ、アカチャンはヨルねナイト、チャンとオオキクナレナイノ』
ようやくそう伝えられたのは、まさに朝が来る直前、離宮の魔法が溶けるほんの少し前の事だった。