14.王宮探索と急襲
ロビンを介しての王宮探索は、ひとまず順調だった。
まず移動できる範囲が飛躍的に広がったし、小さな体であちこちに隠れることが出来るので、盗み聞き……もとい諜報活動にももってこいだ。
王宮にいる人たちの中で声高に喋るのは大抵が貴族だけれど、話している内容は大抵領地がどうとか最近手に入れた宝石箱がどうとかと実のない内容が殆どだった。
逆に、小声だけれど意外と役に立つのが休憩中や宿舎の近くにいるときの使用人たちの会話だ。
使用人の中でも王族の臣下に近い上級使用人や貴族の家から行儀見習いに来ている侍女などは、プライベートでも主のことを口にすることはほとんどないけれど、王宮のどこにでも下働きの下級使用人はいて、彼らは比較的フランクに噂話を楽しむ習慣がある。
面白おかしく脚色されていることも多いけれど、情報は質も大事だけれど量だってそれなりに大切だ。地道に会話を拾うことで、いくつか有益な情報も手に入れることが出来た。
王様とマルグリットが結婚したのは五年前。王様が外遊先から連れて帰った絶世の美女が客人としてもてなされて、そのままお妃様になったらしい。
そんなことあるの? と思うけれど、当時は特に反対意見が出ることもなく、空位が続いていた正妃の座に座る女性が現れたことに対して、宮廷も国民も祝福のムードだったらしい。
そこから三年が過ぎ、次にしばらく行方不明だった王弟――パパのことだ――が、再びどこからか美しい女性を連れ帰った。これが娘ことラプンツェルで、二人は随分大変な思いをしたらしく、王弟の顔には大きな傷が残っており、娘もそれなりに酷い有様だったらしい。
パパの顔の傷に関しては国中の治療師や薬草師が効果のありそうな治療を行ったけれど、目の機能を回復させるだけで精いっぱいだった。ラプンツェルはしばらく寝付いてしまい、パパが甲斐甲斐しく看病を行って、その姿に城の人間もすっかり絆されて、二人の結婚もそれなりに温かいムードで行われたようだった。
これを聞いた時にはベビーベッドの上で大泣きしてしまった。
別れた時の状況を思えば、あの後ラプンツェルが苦労したのは十分に予想出来たし、パパだって目を怪我してそれが癒えるまでどこをどう彷徨っていたか分かったものじゃない。塔は森の奥にあったし、魔女の結界が張られた外には狼や熊のような危険な野生動物だってそれなりにいた。
無事に再会して、二人ともお城に戻れたのは、奇跡に近いだろう。揃って命を落としていた可能性のほうがずっと高かったはずだ。
改めてなんてことをしてしまったのだという感情に、ゼロ歳児の理性では耐えられず、ひきつけを起こすまで泣いて、その日の探索は終わった。
ついでに翌日、育児室にやってきたロビンにいきなり強すぎる感情をぶつけるのは止めろと苦情まで言われてしまった。
そんなトラブルもありつつ、少しずつ雑談を集め、どうやらラプンツェルがいるのは西側の離宮であると突き止めたのは、ロビンと契約して五日ほどが過ぎた頃だった。
育児室からは少し離れているけれど、馬車が必要というほど離れてはいない。健康な大人なら歩いて十分くらいの距離だろう。
それでも、貧血なのかふらふらとしていることの多いラプンツェルが自分の足で移動するには結構な距離だ。体調が悪いのに、こんな道のりをアーデルハイドちゃんに会うために通ってくれていたのだと、改めて泣きそうになり、さすがに連続で突然泣きわめくとマーゴたちに怪しまれると必死で耐えた。
離宮とはいってもかなり大きな建物で、日本人の感覚からするとちょっと大きな市役所くらいの規模はある。ラプンツェルの姿を探して数日ウロウロとしたものの、一日の時間制限もあり、中に入る隙間すら見つけられない日々だった。
本宮は空気取りの窓からあんなに簡単に入り込むことが出来たのに、おかしい。ロビンもやりにくそうで、契約主の命令とはいえこの辺りに近づきたくないという意思が伝わってくる。
離宮全体に、魔法除けの結界が張られているんじゃないだろうか。
マルグリットが何かしているのかと思ったけれど、魔女が行使するほどの明確な魔法は感じられなかった。もっと自然というか、あったとしてもとても弱い力だ。
その弱い力に対抗できないのが今の自分だということに少し落ち込むけれど、そこは嘆いても仕方がない。命の木と庭園がない状態で魔法を使えること自体、人間の中では一握りの稀有な才能なのだ。
それでも諦めきれず、ウロウロと入り込む隙間を探す日が続いた、そんなある日の夜だった。
その日も夜の離乳食を食べるととっととベビーベッドに横たわり、マルグリットに起こされるまで短い睡眠を貪っていたところ、ガラスの割れる派手な音で飛び起きた。
「びぃぃ!!」
なんだなんだとベビーベッドの手すりにつかまって立ちあがったところで、聞き慣れた鳥の声が響き、頭にわしっ、と爪を立てて止まられる。勢いあまりすぎたのだろう、細い髪に爪が絡んで思い切り引っ張られる形になった。
「あぶっ!」
痛いと思ったものの、契約を介してロビンの切羽詰まった恐怖がビンビンに伝わってくる。契約で多少強化されているとはいえ、まさかロビンが閉じた窓を割って入って来たわけでもないだろうとそちらを見ると、割れた窓を蹴飛ばして吹き飛ばし、窓枠からのそりと人影が侵入してきたところだった。
「何だここ。女の部屋か?」
「あぶぅ!?」
声はかなり高い。月あかりに浮かび上がったシルエットの細さと相まって一瞬女の子かと思ったけれど、剣呑な目つきでこちらを見据えられてぎくりと体が強張る。
森の奥の湖のような、キラキラと光る青い髪が神秘的な少年だった。年は十歳……八歳くらい? 男の子の年はよく分からないけれど、小学生くらいで間違いないだろう。
ただ、少年らしい無邪気さとは無縁の鋭い視線が、何だか怖い。
「何だお前、魔法使いか?」
「だう?」
「赤ん坊みたいだけど……いや、お前、なんか違うな」
「うぅ?」
ひとまずまともな登場の仕方でないことは確かだ。赤ちゃんぶって誤魔化してみようとしたものの、少年は細い指をぴたり、とアーデルハイドちゃんの頭に向ける。
「その鳥、お前の使い魔だろ?」
「あぅ……?」
えっ、鳥なんてこんなところにいたんだ! 知らなかった! そんな演技をしてみると、ロビンが抗議するようにピィビィと悲鳴を上げる。
分かってるよ。見捨てたりしないよ。
使い魔の契約を結んでいる以上、その保護は契約主の役目だ。
ロビンは夜目が利かないけれど、例外的に契約者の位置だけはどこにいても分かる。その契約の細い糸を手繰って助けを求めてここまで逃げてきたのだろう。
窓が割れたということは、道々で攻撃されていたのかもしれない。
「あう、だう」
「何を言っているか分からないな」
すたすたとこちらに向かって近づいてくると、少年の神秘的な髪とは裏腹に、瞳は血のように赤い色をしていることに気づく。禍々しいくらい赤い瞳に怯んでいると、少年は面白くなさそうにフン、と鼻を鳴らした。
「なんか、ただの赤ん坊なのか魔法使いなのか、よく分からんな。その鳥と契約をしているのは確かみたいだが、魔法使いらしい特徴がなにもねえし」
赤い瞳は、強い魔力を持っている人間によく出る色だ。今世で鏡を見たことはないけれど、パパも娘も金髪に青い瞳なので、多分アーデルハイドちゃんもそれを受け継いでいる可能性が高い。
しばし少年は観察するようにこちらを見ていたけれど、やがてうん、と納得したように頷いた。
「離宮を探っていたみたいだし、念のために殺しておくか」
「だう!?」
「まあ、俺も女子供をどうこうするのは気が進まないけどさ、これも仕事だからな。悪く思うなよ」
待って! 話せばわかる! いや私は話せないけど!
魔法使いジョークかと思ったけれど、赤い瞳にはちっとも冗談の色は浮いていなくて、震えるロビンを抱きしめてこちらまでがくがくと震えがきた。
どうしよう、どうする? 結界を張るなんてこの体では魔素を練っても形にならないし、血を介した移動魔法は……多分絶対発動しない。
何をするにも魔力が足りないのだ。手をかざされて、そこに自分のものとは比べ物にならない高出力の魔力が集まっていくのが視認できるのが、なおさら恐ろしさを増した。
「出来るだけ痛くしないようにしてやるから。じゃあな」
「び、びぇえん!」
恐怖が弾けて、赤ちゃんの本能に任せて泣き声が上がる。それとほとんど同時にドンッ! と大きな音が立って、思わずそちらに目を向けると、丈夫な樫のドアが弾き飛んで反対側の壁にぶつかったところだった。
「あら、お客さん? めずらしいのね」
そうして入ってきたのは、長い黒髪に黒い瞳の、闇を煮詰めたような魔女だった。片脚を上げているけれど、あれでドアを蹴破ったらしい。
「それにしても、レディの部屋にこんな時間に忍んで来るなんて、悪い子がいたのね」
「年増の王妃じゃねえの。そっちこそ若いのに夜這いって言っても限度があるだろ」
パチパチと、音を立てているのは高出力の魔力が空気の中で弾けているからだ。
助かったという気持ちと、本当に助かったのか? という気持ちの板挟みの中、緊張感に耐えられなかったらしいロビンはとっくに私の手の中で気絶していた。
正直私も気絶したい。
アーデルハイドちゃんの眠れない夜は、まだ始まったばかりだった。




