12.魔女・魔女・魔女・パパ・魔女
宮殿の夜は案外早い。
夜のパーティがある時は別かもしれないけれど、基本的に日が暮れるとみんなあてがわれた部屋に入って外に出ないし、ウロウロと歩き回ったりもしないのが普通らしい。魔素を手繰って城の内部を探っていると、時々犬が走り回っているから、多分夜間に放たれている番犬に襲われても自己責任という決まりでもあるんだろう。
そして、そんな決まり事などきれいさっぱり無視する存在もいる。つまり今ベビーベッドの横にいる黒髪黒目の存在などがそれだ。
「それでね、王領の荘園にちょっと珍しい毒草が生えている土地があるのよ。根っこは太いけど地上に出ている部分は小さくて見つかりにくいの。本来なら成長に四十年くらいかかるのだけれど、荘園が地脈の上にあるから成長も良くてね。花びら一枚で、そうね、あなたくらいの大きさの人間なら二十人くらいはコロッといくスープを作ることが出来ると思うわ」
長い黒髪に漆黒の瞳、全身黒のドレスという「いかにも」なマルグリットの言葉には異様に含みを感じられるけれど、クリームをたっぷりと盛り付けたタルトを優雅なしぐさで齧りながら話す口調には毒気のようなものは全然含まれていなくて、これが単に世間話の一環なのだというのは、私も段々理解できてきた。
「うん……」
それってマンドラゴラかマンドレイクじゃないだろうか。
引っこ抜いたら叫び声をあげる半植物半魔物で、その絶叫を聞いたら良くても発狂、悪いと死ぬというあれだ。
まあ、マンドラゴラ類とその亜種は日陰のじめついた土を好むので、土ごと掘り起こして植木鉢に植え替えて、日向に置いておくと勝手に干からびて死ぬから、その後に使えばいい。地上部は花も葉も茎も全て強めの毒を持っているけれど、根の部分は毒の成分は少なくて、量を調節すれば滋養強壮の薬になる。
私も魔女だった頃は時々家を訪ねる子供のいない夫婦に頼まれて、その手の薬を作る材料にしたものだった。
魔女自身は食事の必要はないしオシャレにも全然興味がなくてボロでも着てれば十分だったけれど、育児書はそれなりに高くて物入りだったし、娘は肌が弱くて硬い布だと肌荒れを起こしたので、絹のワンピースを買うのにあの頃はよく色んな薬を作ったものだった。
しかし、マルグリットにお金は必要ないだろう。何しろ一国の王妃の立場だ。夜な夜なアーデルハイドちゃんの寝室で甘いものばかり飲み食いしているから彼女は食べることが好きなのだろうし、世の中にはファッションに興味のある魔女もいるかもしれない。
どちらにしたってマルグリットが衣食住すべてに不自由があるとは思えなかった。
「ねえ、聞いてる?」
「あう」
「まあ、人間をコロッとするのにスープなんて手間のかかることをする必要はないのだけれどね。心臓に流れている電流に干渉するだけで、傷をつけずにコロッと出来るのよ。逆に、もうコロッとしてる人間を生き返らせるのにも使えるの。面白いでしょう?」
「うん」
コロッとする方は分からないけれど、蘇生はAEDみたいなものだろう。どんな死因でも使えるわけではないにせよ、この世界では中々画期的な発見な気がする。
初日はいかにも気だるげな様子だったけれど、毎晩通っているうちにマルグリットはどんどん饒舌になっていった。こちらはほとんど相槌を打っているだけだけれど、お菓子を食べながら自分の興味の赴くままに元気に喋り続けている。
マルグリットが初めて育児室を訪れてから、まだ一度もパパの来訪もない。今週外から来た人で一番アーデルハイドちゃんに会っているのは、ぶっちぎりでマルグリットになりつつある。
両親には会えず、よなよな訪れる魔女の怪しげな話に相槌を打つ日々。なんと赤ちゃんの情操教育に良くない環境だろう。
「私、人間の作るものは結構好きなのよ。芸術もいいと思うし、特にこの王宮のシェフは甘い食べ物を作るのがとても上手なの。そういう人間を捕まえて飼ったこともあるのだけれど、知ってる? 人間って一匹……いえ、一人だけで飼うと、全然長持ちしないのよ。その子は五十年くらいは持つのかなと思ったのに、五年くらいでコロッといっちゃってね」
「あばぁ……」
知るか、そんなこと。知りたくもないわ。
私は色々と間違ったし反省することばかりだし、娘が飛び抜けて素晴らしかっただけかもしれないけれど、ラプンツェルはちゃんと大人になったもん。
「後で調べたら、人間って群れの中で飼わないと中々飼育が難しいらしいのよね。なんだっけ、ストレス? そういうものがかかるらしいわ。健康そうに見えても、ものすごく弱いのね」
「うん……」
「だから、いっそ自分が人間の群れの中に交じってみようかなと思ったの。幸い、このお城ってかなり太い地脈の上に建っているから糧には困らないしね。色々と面倒は多いのだけれど、結構面白いものよ」
「………」
ここ数日一方的に聞かされた話を総合すると、マルグリットは人間の文化を好ましく思っているけれど、それを生み出す人間を単体で所有するとすぐに駄目にしてしまうので、魔女であることを隠してここにいる、ということらしい。
直接話を聞いたのだし、嘘を吐く理由もないだろうから、それはそうなのだろうけれど、そんな魔女がいるのかと信じがたい気分だ。
繰り返すけれど、魔女は人間とは全く違う生き物だ。その考え方も価値基準もズレているし、決して同一にはなり得ない。
マルグリットがしていることは、人間に例えれば、蜂の巣のハニカム構造が好きだから自分も蜂になって蜂の群れに紛れ込んで、好きなだけ蜂の巣を堪能しているとか、そういうレベルの気の狂い方だ。
人間と蜂で話が合うわけがないように、魔女と人間で話も合わないだろうに。
相当に変わり者だし、変態で、狂人だ。
害意がないことはよく理解できたけれど、正直ますます怖くなった。
「あそこの荘園の沼地は色んな毒魚が獲れるのよね。毎晩こんなところにいるのも退屈じゃない? これから行ってみる?」
「んーん」
「あら、行きたくない?」
「うん」
もう初夏が近いとはいえ、夜中に薄い寝間着のまま箒からぶら下げられて運ばれては、小さな体では耐えきれないだろう。
そんなことは分からないのだ、マルグリットには。
「そう。この部屋が好きなのね」
「うん」
人間のことなど何も分かっていないマルグリットではあるけれど、拒絶をすれば強要するようなことはないのは助かった。案外人間でも人の話を聞けない奴というのはいるものだけれど、マルグリットは人の話が聞ける人外らしい。
しかし、こんな調子でどうやって王様と夫婦なんてものをやっているのだろうか。そもそも目立たない使用人ならともかく、何をどうして王妃なんてものに収まったのか。
王族としての社交なんて、満足に出来るとも思えないのだけれど。
「ねえ、私たちもう相当仲良くなったと思わない? 私のことママって思って来た?」
「んーん」
「まだなのね。何日くらいかかるのかしら」
ちょこん、と首を傾げると、マルグリットは逆の方に首を傾げて、ほう、とため息をついた。
「まあ、小さいと言っても五年くらいは記憶は持つわよね。気長にいくわ」
「うん」
「また来るわ。さよなら」
ばいばい、と手を振ると、マルグリットは初日と同じようにソファを消して、歩いて育児室を出て行った。
途端に大きなあくびが出る。
明日もまた、来るんだろうなあ。
最近昼間は寝てばかりなので、マーゴやメイドたちも不審がる様子を見せ始めている。
かといって、昼間寝ないと夜起きていられないのだ。マルグリットは今のところ相槌を打っている間は大人しいけれど、だからってその横で寝こける気にはまだまだなれない。
そんな悩ましい日々、今日も朝から昼寝を続けていると、魔素で張り巡らせた網にぴょこんと違和感が引っかかって、目を開く。
まだ外は明るいけれど、そろそろ夕暮れの気配が近づき始めているような、そんな頃合いだ。ベビーベッドの上で体を起こすと、ちょうどドアから長身の男性が入って来たところだった。
「ぱぁぱ!」
久々のパパである。十日ほども間が空いたのではないだろうか? 少し疲れが見えるけれど相変わらずの美形で、アーデルハイドちゃんと目が合うとぱっと青い瞳を輝かせた。
「アディ、すこし間が空いてしまってすまないね。いい子にしていたか?」
「ぱぱ、ぱぱぁ!」
じたじたとベビーベッドの手すりを乗り越えようとすると、驚いたマーゴにひょいと抱き上げられる。アーデルハイドちゃんも大分重たくなってきたので、抱っこされたままじたばたと空中遊泳すればぼちぼちマーゴの手に余るらしい。
持ってこさせた手水で手を洗っている最中だったパパは、慌てて差し出されたタオルで水気を取ると、マーゴから受け取ってくれた。
「ぱぱ!」
「アディ、寂しかったのか? すまないね、こんなに寂しい思いをさせているとは」
「んむぅ……」
小さな手足でぎゅっとパパに抱き着くと、ここ数日積み重なったストレスがすうっと抜けていくのが分かる。
はぁ、癒される、パパ。
まさか愛するラプンツェルの元にこそこそ通っていた男に抱っこされて癒される~なんて思う日が来るとは想像もしなかった。
パパは抱っこしたままソファに座り、宥めるように背中を撫でてくれた。大きな手に撫でられていると、何だかすごくほっとする。
「すまなかったね。あの後、隣国からお忍びで王族が来訪していてね。そちらの相手をするので手一杯だったんだ」
「だう」
「まだしばらく滞在しているけれど、仕事の時以外は自由に遊びたいというので、私はお役御免だよ」
よほど私が口うるさく感じられたらしいとパパは笑っているけれど、それって、いいの?
何かあったら国際問題にならない?
「ああ、護衛にかなり強い魔法使いがついているんだ。まだほんの少年だが、しっかりしている子だったし、彼が付いている間は何の心配も要らないだろう」
魔法使い! 人間の中でもかなり珍しい存在だ。おまけに少年とは、かなり稀有なのではないだろうか。
魔女が全て女性の姿を取っていることに関係があるのかないのか、人間も強い魔法使いはほとんどが女性だ。
機会があれば会ってみた……くはないな、別に。そいつらの面倒を見ていたから、パパは育児室に来れなかったみたいだし、あまり面倒を掛けずに大人しく観光でもして、パパはこちらに返して欲しいものだ。
「ぱぱ」
「うん?」
「うふふ、ぱぁぱ」
「どうしたんだい、アディ?」
くふくふ、と笑うとパパも蕩けるように笑ってくれる。
ああ、なんて美しい父と娘の時間だろう。
「最近、姫様のご様子が変わっていたのは、殿下に会えなくて寂しかったんですね」
「ええ、きっとすぐに戻って下さるでしょう」
魔素を介して、マーゴとメイドたちがこちらに聞こえないように、そんな話をしているのを拾ってしまう。
なにか、昼間も起きていられる方法を探そうかな。それこそマンドラゴラの滋養強壮の薬があれば、十日くらいは寝なくても済むはずだけれど。
いや却下だ。
アーデルハイドちゃんは赤ちゃんである。そんな強い薬を使うわけにはいかない。
「うーん」
考え込むように唸ると、パパが背中をとんとんと叩いてくれる。そうすると無性に安心して、眠くなってしまう。
だめだめ、久しぶりのパパとの時間だ。たっぷり堪能しないと勿体ない。
勿体ないんだけれど、赤ちゃんの体は、眠気に耐えられるように出来てはいない。
「ぱぱぁ」
「大丈夫、アディ。傍にいるよ」
「うん……」
パパの膝にしっかりとしがみついて、離さないというように力を込めたのだけれど。
目が覚めるとまた夜になっていて、ベビーベッドを覗き込んでいるマルグリットにぴゃっ、と悲鳴を上げることになったのだった。
ああ、世は無情である。