第1話 一撃必殺の魔導士
彼女は胸元の双丘を忙しなく上下させながら血を吐くように漏らす。
「ハァハァハァ……もうわたしは終わりだ」
背後は岩壁。退路は断たれ【生命力】も【マナ】も残りわずか。回復ポーションもすべて飲み干し、刃こぼれしたボロボロの二本の剣を杖のようにして辛うじて立っている状態だ。
それなのに前方からは――土煙を上げながら《《大量の魔物》》が押し寄せてきている。
冒険者育成機関【王立冒険者アカデミー】の新入生ジュリアンはダンジョンの草原エリアの片隅で生と死の瀬戸際に立っている。
不運なことに他の冒険者が引き起こした大規模な【スタンピード】に彼女は巻き込まれている。
肝心のスタンピードを発生させた冒険者パーティーはすでにいない。とうに全滅してしまったからだ。
攻撃対象を失った大群の矛先は、未熟な癖に正義感だけは一丁前の愚かな新米冒険者に向けられているというわけだ。
(弱っちいくせに冒険者を助けようとスタンピードなんかに手を出したわたしが馬鹿だったんだ……)
悲しくて情けなくて悔しくて涙がとめどなく溢れ頬を伝う。
(こんなことになるならソロでダンジョンに挑むんじゃなかった……)
浮かんでくるのは後悔ばかりだ。
(わたしはここで死ぬんだ……もっと強くなりたかった。もっとダンジョンで活躍したかった。せめて一度くらい本気の恋をしてみたかった――)
彼女が短い人生の終焉を覚悟したその時だった——突如として岩壁の上から人影が降ってくる。
目つきの鋭い白髪青年がマントをはためかせ彼女の眼前に軽やかに着地する。魔導書が腰にぶら下がっているのを見るにジョブは魔導士か。
「くそったれ。魔物の大群なんかに絡まれやがって。貴様のせいでしばらく全身筋肉痛確定だ」
白髪青年は背後の彼女に一瞥もくれることなく憮然とした様子で魔導書を開くと、ブツブツと魔法アビリティを唱え始める。
「……え? まさか戦うつもりですか? 無謀です! 死にたいんですか! わたしが魔物の敵視を買ってる今のうちに逃げてください!」
「うるさいぞ女! 俺様の邪魔をするな! 死にたくなければ口を閉じてろ!」
なぜか怒られる。開いた口が塞がらないとはこのことだ。人が善意で忠告しているのになんて人だろうか。
だが、彼女はそれ以上なにも言わなかった。事実、彼女は絶対に死にたくなかったからだ。
(蘇生魔法のアビリティで生き返ることはできるけど……)
ただし蘇生には『死亡して肉体から魂が離脱するまでの丸二日』という期限がある。パニックになり無計画に逃走した自分が悪いのだが、こんな辺鄙な場所で死んだら遺体が発見されるのは早くて数日後だろう。
抜け殻となった肉体はやがて朽ち、いずれ骨となり、最後はこの【無限迷宮】の肥やしになる。
そんな寂しい終わり方は絶対に嫌だった。
どこの馬の骨とも知れない偉そうな青年だが、今は彼の自信ありげな態度を信じるしかない。
白髪青年が幾つかの強化魔法アビの詠唱を終えると、魔物の大群は目と鼻の先だった。彼女の全身は恐怖に震えている。両手を胸の前で握りしめただただ祈ることしかできない。
この期に及んで『本当にこの青年を信じていいのか?』という不安に押し潰されそうだ。
一方、眼前の白髪青年は慌てる素振りもない。彼は片手をゆっくりと突き出して――アビリティを発動させる。
【――――〈キャストオフ・ディストラクション〉――――】
刹那、白髪青年の掌から解き放たれる爆発的な衝撃波。圧倒的な熱量によって彼女の視界が包まれる白一色に――。
ほどなくしておぼろげに視界を取り戻す。信じられないことに魔物の大群は跡形もなく消滅していた。
黒髪の少女の目の前には、真夜中のごとき静寂と隕石でも衝突したかのようなえぐれた大地があるだけだった。
「一撃必殺の魔導士……」
気づくと彼女は熱に浮かされるようにそう呟いていた。
後にこの白髪青年が王立冒険者アカデミーの同期だと知る。
傲岸不遜な奴だと学生たちから煙たがられている【灰色魔導士】――――レヴィン・レヴィアントであると。