大空、目が眩むし胸はときめかない
秋晴れの空は雲ひとつなく、どこまでも澄み渡った青だった。
その中を、絨毯に乗って飛ぶという不思議体験に身を置いているアルマは現在、かつてないほど怯えていた。
5m四方の絨毯には中心にマレズテレサ。先頭に絨毯操縦者のズィニーダ。その隣に前方の警戒を担うトマリ。フィーカは後方の警戒のために一番後ろだ。マレズテレサの前には彼女の護衛としてマルスティーラ。後ろの護衛(一応)としてはロンディート、そしてアルマが座っている。
絨毯には風避けやら保温やら何やらが仕込まれているらしく、風に煽られて落下したり寒くて震えたりという心配はないが、ゴロゴロしながら快適に読書をして過ごすと言う目的の元に作られたせいか、思いの外絨毯が沈んで柔らかく身体を包み込む。普通の絨毯とは違い、人が乗るとその部分が延びるように沈み混むのだ。それが、アルマには無理だった。
重心が少し動く度に沈み混む絨毯。ぐっ、と沈む訳ではなく、一定のところで止まるがそれが空を飛びながら行われると恐怖しかないのである。
「軍師どの、軍師どの……っ!ムリかもしれません!!」
「アルマ殿、遠くを見ましょう。ここは足場のしっかりした城壁の上と考えるのです」
「城壁の床はこんなに柔らかくないんですよ!!」
アルマが叫んだ時、パリンと何かが砕ける音がした。
「凡骨の所に行く前に備えが無くなりそうだな」
「いいのです!これでアルマ殿が落ち着くならばいくらでも!!」
ロンディートがアルマの背に手を添えながらマレズテレサに元気に答えている。
アルマは現在、足元がおぼつかないというあまりの恐怖にロンディートにすがり付いている状況だ。膝立ち状態のロンディートの腰に手を回し、足場が沈み混んだり揺れる度に強く抱き付いている。その度にパリン、パリンとロンディートの防御用の魔石が弾け飛んでいるのである。
こんな状態なのでマレズテレサの護衛なんてできていないのが現状だ。
「こんなこともあろうかと大量に用意してきましたので!ここで散財せずにいつすると言うのか!」
「……お前は本当に我が伴侶と気が合いそうだ」
呆れたように告げるマレズテレサは椅子を空飛ぶ絨毯に置くわけにはいかないので絨毯に胡座をかき、頬杖を付いている。ある程度の風避けはされているがそれでも無風ではない絨毯の上でバサバサとはためく赤いマントに黒い軍服が似合っているが、その姿のせいか仕草が雑だ。今なら「実は男でした」と言われても信じそうだ。
「今までは釣り合うように身体を大きくすることばかりに注力していましたが、これからはアルマ殿が全力で抱き付いてきても折れない頑強な身体作りを目指します!」
そう言うロンディートは縦にひょろりと長いが、着痩せするのか抱き付いた感じはまぁそれなりに筋肉は付いている。魔法使いでこれだけしっかりとした体格のものはそういないだろう。鍛えているのは嘘ではないらしく、ルネよりはがっしりしている印象だ。前にルネが軽々と抱えていたが、魔法でも使っていたのだろう。たぶんルネは抱えられない。
十分に大きいし魔法使いとしては十分すぎる体格だが、アルマと比べれば誰もがひ弱になってしまう。アルマを基準とするロンディートの目標が高すぎるのかも知れない。
「しかし隊長、高いところダメだったんですね」
「いや、そう言うわけでは……」
マルスティーラの言葉にアルマは複雑な顔をしてこのような状態に陥る前のことを思い返した。
絨毯が空に高く舞い上がった時、最初は物珍しく周囲を見ていた。しかし、下で戦っている部隊をよく見ようと重心を変えた時、ぐにりと身体が沈み混んだ。そこからはもう無理だった。
下を見るのは止め、アルマは何か掴むものを探した。しかし絨毯の毛足は短く、掴めそうな部分と言ったら端にズラリと飾られている房飾りと魔石だけだった。
当然、それは掴めない。掴んでもまず間違いなく引きちぎるし、燃料である魔石が引きちぎられたせいで墜落したら大変だ。そもそも、掴むには端に行かなければならず、この不安定な足場で移動できるほどアルマの肝は座っていなかった。
仕方なく腰に差した短剣(護身用だがほぼ使わない)を握りしめていたが、揺れに思わずめきりと折ってしまったのを見たロンディートが己の身を差し出したのである。満面の笑顔と数珠のように連なった防御の魔石ネックレスを携えて。
「いくら強く抱き付いても防御の魔石があるので絶対に折れません!どうぞ!!」
「なに言ってるんですか……」
謎の自信に満ちた顔でそう言ってきたロンディートに当初は遠慮したアルマだが、逃げ場のない空ではロンディートに抱き付く以外の選択肢がなかった。
操縦や警戒を担っていない、唯一自由なマルスティーラに抱き付いたらその膂力で真っ二つに折りかねない。マルスティーラが死ぬ。
同性で神龍のマレズテレサは抱き付いても無事そうだが、不敬罪待ったなしだし、何よりマレズテレサの言いぶりから察するに怒り狂った炎神が乗り込んでくる。国が滅びる。
その点、ロンディートは大歓迎。二度言うが、ロンディートに抱き付く以外の選択肢がなかった。
「あっ、やべ」
「ズィニーーーーー??!!!!!」
受け入れ態勢万全のロンディートの姿に理性と恐怖が鬩ぎ合って踏み切れずにいたアルマの背を押すように、いや、押すというか張り倒すようにがくんと絨毯を揺らしたズィニーダの名前を叫びながら、アルマは躊躇う暇もなく目の前で膝立ちの状態で両手を広げていたロンディートの腰に抱き付いた。勢いよすぎたのが魔石が数個豪快に弾けた。
「上空は風の精霊共がよく遊んでるから気を付けよ。私はこの程度何ともないから気にせず揺らしていいぞ」
「はい!ありがとうございます!!」
「よくない!よくないぞズィニ!!!」
マレズテレサがカラカラと笑いながらズィニーダに注意しているがアルマはそれどころではない。動いたせいでぐにぐに沈み混む絨毯に腕の力も強くなり、弾ける音も手拍子のように鳴っている。
「アルマ殿、まずは動きを止めましょう。落ち着いて。昂った心は静寂の神が抑えてくれますよ」
魔石が豪快に弾けるのを尻目にロンディートが落ち着いた声色でアルマの背を撫でる。つられて、アルマの力も弱まる。何かの魔法だろうか。
「静寂の魔法にそんな魔力込める奴初めて見た」
「これくらい込めないと効かないので」
やはり何かの魔法らしい。しかも、魔法が効きにくいらしいアルマのために膨大な魔力を込めているらしい。ドン引きしたような顔で顔を歪めるマレズテレサにしれっと答えながらロンディートがポンポンと一定の感覚で背を叩くと徐々に心が落ち着いてきた。
これならロンディートから手が離せるかと思ってそろりと力を緩めれば、重心が変わって膝がぐにりと沈み混む。そしてまた冒頭のやり取りに戻る訳である。
「高いところは苦手ではない。それは本当」
足場が動くのが嫌すぎて少しも動けないアルマは結局ロンディートの腰に抱き付いたままマルスティーラの問いに答えた。本当に、高いところは大丈夫なのだ。今だって足場さえちゃんとしていれば物珍しい空の旅を楽しめただろう。
「確かに。たいちょ、翼竜と戦ったときに背中の上で立ったもんね?」
「立ってましたねぇ」
「立ってたなぁ」
前方のトマリが同意の声をかけてきた。フィーカもズィニーダも同意の声を上げる。
「だって……翼竜はこんなにぐねぐねしてないし」
「足場が心許ないのが怖いと言うことなのでしょうね」
「そう!それです!!」
翼竜と戦った時は背に剣を突き立てたらそのまま上空に連れていかれてしまった。その時はそこまで高くない所で首を落として魔法隊の風魔法で着地を補助してもらった。固い鱗に覆われた翼竜は多少は揺れるが足場がしっかりしていたので絨毯とは雲泥の差なのだ。ここまでの恐怖はなかった。
「絨毯の沈み混む機能を停止させることもできなくはないのですが……」
「え、嫌だぞ。尻が痛くなる」
「だそうですので耐えましょうね」
マレズテレサの一言でアルマの恐怖体験は継続となった。神様が否と言ったら人族は耐えるしかない。
それにしても、美神の口から「尻」という単語が出てきた。マレズテレサ様、どんどん雑になりつつある。おそらくは長時間の猫かぶりはできないのだろう。アルマと同類の匂いがする神様である。
あとどれくらい耐えればいいのだろうと顔をしかめていると、先頭のズィニーダだ「あっ」と声を上げた。
「隊長、遠くに湖が見えてきましたからあと少しの辛抱ですよ」
「えっ、もう?!」
「空は遮るものもないですからね。少し湖の上空を旋回してください。索敵魔法をかけてから降りましょう」
ロンディートに抱き付いている状態のアルマの位置からは青空と絨毯、マレズテレサとズィニーダ、トマリ、マルスティーラの背しか見えない。まだまだ時間がかかると思っていたが、アルマが騒いでいるうちに相当進んだらしい。
「陽動の者達はよくやってくれています。魔物達が続々と砦を目掛けて移動しています」
「魔狼に魔猪に……完全に魔物暴走ですね」
どうやら眼下では魔物達の大移動が始まっているらしい。総力戦を仕掛けるため、ミレー子爵や魔法使い達が樹木や土塊を魔法で作って簡易的な砦を作っておびき出すと言っていた。
おびき出すとは、つまり砦に兵士達を集めると言うことだ。戦闘が長引くほど数の少ないこちらが不利となるので時間はかけられない。
「湖に棲む魔物は健在ですので、湖から離れた位置であれば無事に降りれそうです」
索敵魔法を使ったのか、フィーカの声が聞こえる。アルマは動けないのでその姿は見えない。
「洞窟周辺の樹木がバァドゥルヴの魔力にあてられて魔樹になっていたようですね。お陰で移動したようで良い感じに広場が出来ています」
「丁度良いですね。そこに降りましょう」
ズィニーダの報告を受けて指示を飛ばすロンディート。アルマが抱き付いているせいで動けず、状況が確認できていないと思う。後でちゃんとお礼と謝罪をしなければならない。
「よし、それでは者共、降下せよ!」
マレズテレサが立ち上がり、バサリとマントを翻した。しかしまだ上空である。
魔石が弾ける音が開戦の鐘のように辺りに響き渡った。




