◆第六話『最高のご挨拶』
「あー、さっぱりした」
初めての教務。
もとい湯浴みを済ませてきた。
ついでに髭も剃って口周りもすっきり。
服もボロボロの布着から教師用のものに着替えた。
ちなみに教師服はカインと同じだ。
紺色を基調に落ちついた色合いのもので大した特徴もない。
ただ、少し胸部がきつかったので上のボタンを1つ外していた。もちろん、カインから「外すな」と言われたが、押し切った形だ。
ともかく、これでもう変質者呼ばわりされなくなるはずだ。
「どうしてボクはこんな男に付き合っているんだろうか……ああ、頭が痛い」
そうぼやいたのは前を歩くカインだ。
いまは彼──。
彼女に連れられるがまま学園内を歩いているところだった。
「お前も一緒に入ればよかったのに」
「ど、どうしてボクがきみなんかとっ」
「べつにいいだろ、男同士なんだし」
「よくないっ! 大体、こんな朝から学園でわざわざ入るわけないだろ!」
打てば響く。
こんな同僚を見つけられてなんとも幸先がいい。
それにしても──。
ロアは改めて周囲を見やる。
外からでも壮観な造りだったが……。
中はもっと衝撃的だった。
天井は高いし、窓も無駄に大きい。
赤の絨毯が敷かれた廊下も異様に長い。
どれも小国の王城なら軽く凌駕する規模だ。
ただ、無駄に派手な意匠や装飾はない。
上品さが窺えるほどに上手く抑えられている。
清潔で、華やか。
まさに乙女の園といった印象だ。
「どうせきみのことだ。この学園のこと、ほとんど知らないんだろ」
「戦姫を養成する場所だろ」
「……歩きがてら簡単に説明する」
赴任早々、親切な同僚と出会えて幸せだ。
カインが人差し指をピンとたてて説明しはじめる。
「このアスフィール王立戦姫学園は国内の令嬢たちが戦姫として大成するために学ぶ場所だ。全寮制で10歳で入学。その後、初等部から中等部、高等部まで各2年。計6年を経て晴れて卒業となる」
アスフィール王国内には戦闘訓練を教育課程に入れる機関は幾つも存在する。だが、多くの場合で3年だったはずだ。
それに比べると6年は長い。《神聖魔装》という特殊な能力が関係しているのはもちろんのこと、それだけ大事にされているということだろう。
「ちなみにきみが受け持つのは高等部の2年だ」
「もう仕上がってる奴らじゃねえか」
「あくまで試験的だからね」
「切り捨てても問題ないようにってことか」
若い頃に学んだことは大人になった際に大きく影響する。とくに精神面。そのあたりを危惧し、比較的影響の少ない上級生に割り当てられたのだろう。
ほかに理由があるとすれば……。
──魔神復活まで時間がないため。
そんなところだろう。
「で、お前は何年を担当してるんだ?」
「同じ高等部の2年だ。もっとも担当の教室は違うけどね。ボクは高等部3教室のうち1つを担当している」
どうやら受け持つ学年も同じらしい。
抜け目のないヴラディスのことだ。
この配置は偶然ではないのだろう。
「とはいえ、担当するってだけで教師ごとに得意な授業は違うから。担当外の教室を受け持つことはよくあるかな」
「お前が担当してるのは?」
「座学で、歴史を主に。もちろん実技も見たりするけど、最近は稀かな」
「そうなのか。勿体ないな、いい体してんのに」
「い、いい体!? きみはなにを言って──」
ロアは屈んでカインの太腿に掌を当てた。
そのままさすったり揉んだりしはじめる。
「とくにこの太腿がいいな。しなやかで変な張りもない。理想的だ」
「ひぅっ!」
カインが飛び退いてしまった。
もう少し堪能していたかったが、残念だ。
「な、なにをしてるんだきみはっ!? い、いきなりこんなところを触るなんてっ」
「男同士なんだからいいだろ、べつに」
「た、たしかにそうかもしれないけど……」
男同士と言えば、なんでも許される。
そう踏んでいたのだが、甘かったらしい。
カインが「……ん?」と顔を顰めた。
「っていうか男同士でもこんなこと普通はしないだろ」
「ああ、たしかにしないな」
「つ、つまり……きみはそっちの気があるのか?」
まさかその思考に至るとは。
だが、面白いので乗るしかない。
「そうだな。お前となら悪くない」
「────ッ! わ、悪いがボクにそっちの趣味は」
「冗談だ」
そう伝えた瞬間、カインが瞬く間に顔を赤く染めた。
からかわれたことを知ってか。
そのまま頬を少し膨らませながら睨んでくる。
「き、きみは……本当に意地の悪い奴だな」
これだけ弄っているのだ。
もっと罵詈雑言を浴びせられてもおかしくない。
だが、当のカインは息を吐くだけですっと怒りを収めてしまった。
「学園長からも散々言われたと思うけど……ここの子たちは貴族ばかりだ。ボクならまだしも、彼女たちにはくれぐれも失礼のないようにしてくれよ」
「って言われても俺は無礼を働いてるつもりはないんだけどな」
「……1番は言葉遣いをどうにかするべきだ。きみはボクのことをお前とか言ってるけど、それはダメだ」
「そうか。じゃあ、これからは親しみを込めてカインって呼ばせてもらうか」
「ボクのことじゃなくてっ!」
「よろしくな、カイン。ってことで俺のこともロアって呼び捨てにしてくれ」
言って、手を差し出した。
カインが呆けながら握手をしてくる。
「……よろしく。ロ、ロア」
「おうっ」
「って、そうじゃない!」
早々に手を振りほどかれてしまった。
ただ、嫌々ながらも応じるあたりカインは本当に律儀な人間だ。
「ちゃんと生徒を名前で呼んであげること。いいかい?」
「わかったわかった」
「……本当にわかってるのかな。あと下品な言葉遣いもダメだ」
「無言で教えろってのか? 難しいことを言う奴だな」
「きみの言語はどうなってるんだ」
そんな他愛もないやり取りをしているうち、ようやく辿りついたらしい。両開きの扉に向かう形でカインが足を止めた。
「ここがきみが受け持つことになる高等部2年の第1教室だ」
「つまり俺が好き放題できる城ってわけか」
「……ああ、胃が痛くて仕方ない」
そんな苦し気な声を漏らしつつ、カインが扉に手を添える。
「きみはボクが呼んだら入ってきて」
そう言い残し、カインが教室に入っていく。
と、黄色い声が幾つも聞こえてきた。
「どうしてカイン先生が?」
「理由なんてどうでもいいでしょう?」
「ええ、そうね。だってカイン先生を見られるんだもの……っ」
どうやらカインは女生徒たちから絶大な人気があるようだ。
前庭での反応を見る限り、ここの女生徒は男性への忌避感が強いようだった。
そんな環境の中で、あれほど好かれるとは。
同じ男という立場ながら、すでに大きな差があるようだ。
「静かに。早速ですが、これから皆さんに新しい教師を紹介します。……どうぞ」
促されるがまま、ロアは教室に踏み入った。
直後、教室内で大きなどよめきが起こった。
「うそ、カイン先生以外の男なんて……」
「とても野性的な感じのする方、ですわね」
「でも、あんまり悪くない感じ……」
「……え、ちょっと待って。どこかで見たような……」
「まさかっ、今朝の!?」
なんという偶然か。
どうやら前庭で盛大に出迎えてくれた女生徒たちだった。
ロアは教壇に立って生徒たちを視界に収めた。
およそ30人。
生徒の席は後列に行くたび段が上がる構造だ。
おかげで全員の顔がよく見える。
当然と言えば当然だが……。
あどけなさの残る顔ばかりだ。
「あー、本日からこの教室を受け持つことになった、ロアだ」
そう告げた途端。
女生徒たちが騒然としはじめた。
信じられないといった声があがりはじめる。
中には、この世の終わりのように絶句している者もいた。
予想できた反応だ。
なんの支障もない。
むしろ教壇そばに立つカインのほうが騒がしくて支障になりそうだった。先ほどからずっと「おかしなことは言うなよっ。いいか? 絶対だぞ!」と何度も釘を刺してきているのだ。
特殊な学園だ。
配慮すべきことはたくさんあるのだろう。
だが、引き受けたときから決めている。
──好きにやらせてもらう、と。
ロアは意地悪く口の端を吊り上げ、高らかに告げる。
「ってことで、これからよろしくな。乳臭くて小便臭いお・じょ・う・さ・ま・が・た」