◆第一話『変質者の到来』
歩くたびに足がぐっと沈み込む。
樹冠から零れる陽光が頼りないからか。
木屑まじりの土はわずかに湿っていた。
「もうそろそろだったはずだが……」
ロアは生い茂る草木をかきわけながら、ぐんぐん進みつづける。
ゆえあって1ヵ月ほど森暮らしをしていた。
だが、それも本日で終わり。
これから約束を果たすため、ある場所に向かっていた。
まもなくして──。
森を抜け、ひらけた場所に出る。
と、思わず目を見開いてしまった。
まさに城としか思えないほど巨大で荘厳な建物が待っていたのだ。
「へぇ、これが王立戦姫学園か。なんとも立派なことで」
緑豊かでゆったりとした前庭。
側面や奥側には訓練場と思しきものも見える。
さらに驚くべきは、それら施設を擁する広大な敷地がすべて塀で覆われていることだ。
「さすがお嬢様たちの園。金がかかってるな」
アスフィール王立戦姫学園。
その名称通り戦姫を養成する機関だ。
戦姫とは、王国の戦士となった貴族の娘のことを指す。身分上、一介の兵士と区別する必要があるため、例外的に呼称されている形だ。
「まさかこんな場所で教師をするなんてな……」
今年で25歳。
そこらの人間よりは面白い経験をしてきたという自負はある。
だが、正直に言って貴族の娘に教えられるようなことはほとんどない。そう思っていたのだが……。
ここの学園長から是非にとお願いされてしまった。
相手は古くからの馴染み。
しかも大恩ある身とあって断るに断れなかった。
「ま、受けたからにはやるしかないよな」
学園の正門は閉まっていた。
守衛室はあるが、いまは留守のようだ。
仕方ないのでひょいと塀を飛び越えた。
本日からここの教師となるのだ。
問題はないだろう。
ひとまず到着したら学園長のもとを尋ねるよう言われていた。ただ、校舎はとてつもなく大きい。探すのも面倒なので誰かに訊きたいところだが……。
そう思いながら辺りを見回す。
と、校舎の一角から女子集団がぞろぞろと出てきた。
おそらくとも言わずここの生徒だろう。
つまり彼女らがいま着ているものが制服ということか。
青基調の上衣に短めの白パンツと同じく白いブーツ、と。
なんとも動きやすそうな格好だ。
「朝から訓練なんて……あまり気が進みませんわ」
「まあ、そんなお姿をカイン先生に見られてもいいのですか?」
「あの方の前ではすぐに正しますから問題ありませんわ」
歳相応に声も高いし元気一杯といった様子だ。
見ているだけでも瑞々しさが伝わってくる。
これから戦闘訓練でもするのか。
彼女らは訓練場のほうへ向かっているようだった。
だが、1人がこちらに気づいたのを機に、ほかの者たちも足を止めた。かと思うや、ひそひそと話しはじめる。……どうやら警戒されているらしい。
ただ、こちらは本日から教師となる身。
なにもやましいことはない。
そう自身に言い聞かせ、ロアは彼女らに声をかけることにした。
「お前たち、ここの生徒だろ? 悪いが婆さん……じゃなかった。学園長の──」
「ひっ、きゃぁあああ──!」
「ちょっ、おい!」
恥ずかしくて逃げられた。
──なんて勘違いが出来ないほどの拒絶具合だ。
「どうして男が……」
「なんてみすぼらしい格好だこと」
「それよりも、あの毛はどうなっていますの。まるで獣ではありませんか……!」
ひどい言われようだった。
たしかに森暮らしのせいで布着はボロボロ。
髪も髭も伸びに伸びている。
だが、だからといって獣扱いはいかがなものか。
「俺は怪しいもんじゃない。今日からここで教師として働くことになってる」
「獣が喋りましたわ!」
「離れなさい! 噛みつかれるわよ!」
だめだ。
まともに会話すらできない。
「話が出来る奴はいないのか……」
「残念ですが、ここは男子禁制です。男の教師が働くなんてことはありえません。よってあなたが嘘をついている、ということになります」
「もっとも、例外はありますけど」
「ありますけど!」
その例外とやらについてはともかく。
いまは不審者扱いされている状況をどうにかしなければならない。
「……もういい。ひとまず学園長に伝えてくれ。ロアって奴が呼んでるってな」
「なんてこと、まさか学園長を追いかけてこんなところまで来るなんて……」
「あなたのような下賤な者では、学園長とは絶対に吊り合いません!」
「「そうよそうよ!」」
あちこちから飛んでくる同調の声。
敵意交じりでほとんど罵声と同じだ。
「たしかに婆さん以上に良い女は見たことないが」
「まぁっ、学園長をババア呼ばわりなんて」
「いやババアとまでは言ってないだろ。てか53歳だぞ? 婆さん」
「年齢なんて関係ありませんわ!」
「そうです! 重要なのはどれだけ美しいか! これに尽きます!」
気づけば話が脱線していた。
だが、そこを正そうとする暇はなかった。
「皆様?」
「ええ、わかっています。この獣を学園長に近づけさせるわけにはいきません」
「そうでなくとも学園に男を入れるなどあってはならないこと!」
女生徒たちが頷いて右手を伸ばした。
瞬間──。
彼女らが揃って身につけたブレスレット。
そこに取りつけられた青い宝石が発光した。
同時、彼女らの右掌に無数の燐光が現れはじめた。
それらは瞬く間に広がり、輪郭を持ち──。
ついには様々な形状の得物と化した。
種類は女生徒によって様々だ。
長剣や刀。短剣。槍や棒。
弓といった代表的なものが揃っている。
あれは魔装。
魔鉱石と呼ばれる特殊な鉱石を加工したものだ。
魔鉱石は人の意志に反応するだけでなく、その欠片を練り込んで造られた武具を瞬時に展開、収納できる。
ただ、便利な反面、加工が難しい。
それゆえ魔装は高価な品とされているのだが……。
眼前の女生徒は全員が魔装持ち。
さすがはお嬢様学園といったところか。
「あー、お前ら。相手はちゃんと選んだほうがいいぞ」
「もちろん選んでいますとも。変質者!」
「大人しく縄に繋がれなさいっ!」
いつの間に不審者から変質者に降格したのか。
気になるところだが、知る権利はないらしい。
すでにこちらへ向かって矢が放たれていた。
さらに矢を追いかける形で1人の女生徒が槍を手に駆けてくる。
矢に続いて正面から向かってくる槍の突き。
勢いはあるが、あまりにも真っ直ぐ過ぎる。
どちらも歩いて横にずれる形ですっと回避した。
直後、通り過ぎた槍持ち女生徒から悪態が飛んでくる。
「避けるなんて卑怯ですわっ!」
「いや、避けないと死ぬだろ」
ほかの女生徒たちも次々に迫ってきた。
色んな角度、方向から順々に仕掛けてくる。
ただ、どれも読みやすいものばかりだった。
最初と同じく最小限の動きで躱していく。
「さすが姫なんて言われてるだけある。攻撃がどれもこれもバカ正直だ」
そもそも本気で仕留めにきている様子はない。
当人たちは変質者を撃退すると意気込んでいるようだが……おそらくその〝撃退〟の結果が漠然としているのだろう。
「なんてすばしっこいんですのっ!」
「この獣、やりますわ……!」
「ですが所詮は獣です! 追い込めばっ!」
どうやら連携する気になったらしい。
こちらを囲むように陣取った6人の女生徒。
彼女らが得物を突き出しながら、一斉に間合いを詰めてくる。
動きをあわせるまでは悪くはない。
だが、〝欠点〟は相変わらずだ。
彼女らの得物が体に触れる、直前。
ロアは勢いよく屈んだ。
標的を失った女生徒たちの得物が頭上で衝突。
がちゃがちゃと音を響かせる中、ロアは回し蹴りを繰り出す。と、女生徒たちが「きゃぁっ!」と悲鳴をあげてその場に倒れた。
「追い込めば、なんだって?」
ロアは一旦飛び退いたのち、問いかけた。
それがどうやら煽っているととられたらしい。
先ほど倒れた女生徒たちが揃って下唇を噛んでいた。
「何度も言ってるが、俺は獣じゃなくて人間だ。まあ、比喩的な意味でケモノってんなら同意するけどな。お前たち生娘は知らんだろうが、発情した男ってのはそりゃすごいもんだぜ」
「「ひっ」」
女生徒たちが漏れなく後じさった。
やはり生娘の反応は面白い。
次はどんな言葉でからかってみようか。
などと現状の打開をそっちのけで考えはじめた、そのとき。
「これはいったいどのような状況ですか?」