第9話 私に触れて
「成程……その症状なら覚えがありますな」
ジャンはローベンに言われた通り、診察中にアンネリーゼに触る事は一度もなかった。
脈を測る時などは糸を使い、伝ってくる振動で測った。それ以外に何か触れなければならない時は、レーナを通じてそれを行った。
症状の出方、どのように麻痺しているのか。痛覚や触覚は残っているか。瀉血はどの程度されたのか。その際に足の麻痺は変化があったか。
諸々の質問に答え切った時、ジャンは頷き、その病気なら知っていると言った。
「本当か? 治せるというのか?」
「はい。適切な治療と食を見直せば、すぐに寛解します。その後は少し訓練すれば元のように動けるようになるでしょう」
「どれくらいかかる」
「ある程度動けるようになるまで1週間。その後の訓練で1週間。合わせて2週間ほどでしょうか」
「分かった。2週間まで貴様たちがここに立ち入る事を許す」
ローベンは険しい表情を崩さずに冷たく言い放つと、扉に向かう。
「レーナ。もし彼らが娘に触れる、もしくは不審な行動をとり始めたら、直ちに私に報告しなさい」
「かしこまりました。旦那様」
ローベンの背中を見送った後、ジャンとシャルルはアンネリーゼに向き直り、頭を下げる。
「改めてご挨拶を。私はジャン・ソーティ。これから2週間アンネリーゼ様の治療に携わらせていただきます。こちらは息子のシャルルです」
「ジャンの息子、シャルル・ソーティです」
受けるアンネリーゼは、平静ではない。
あれだけ想っていたシャルルが目の前にいるのだ。診察中も、常にシャルルを目で追ってしまった。あぁ、あの綺麗な双眸で見つめられると気分が高まってしまう。あの美しい陶器のような手で、剣を振り、そして私の首が――おっと、いけない。そこまで妄想したところで、アンネリーゼは正気に戻る。
「は、はい。アンネリーゼ・マルク・アッシュフォールドですわ。よろしくお願いします」
できる限りニヤケ顔が出ないように、努めて挨拶を返す。
こうして、ジャンとシャルルによるアンネリーゼの治療が始まったのだ。
☆★☆
ジャンによるアンネリーゼの治療は、順調に進んでいった。
患部に特殊な軟膏を塗り、一日一度、ジャンが調合した薬を飲む。たったそれだけでジャンの宣言通りアンネリーゼの足の不調はほとんど改善していった。
ようやく立てるようになると、今度は再び歩けるように動きの練習をしなければならない。無論、ソーティ家の人間はローベンの命により、アンネリーゼに触ることが出来ないため、これはレーナを介して行った。
アンネリーゼにとって最も幸運だった事は、父親であるジャンの方は時たま本業の都合により、アッシュフォールド家に来られない日があった事だ。
その場合、シャルルのみが屋敷を訪れ、アンネリーゼの経過を確認し、再び歩くための訓練を手伝う。
必然的にシャルルと会話する回数も増え、彼と少しでも話したいアンネリーゼにとっては、願ってもない機会だった。
「シャルル様、もっとこちらによってもよろしいのですよ?」
「いえ、それは……」
現在、アンネリーゼは庭園の長椅子に腰かけていた。シャルルと二人で。
触れ合わないように、二人の間には距離が開いていが、これは嫌がるシャルルを無理やりアンネリーゼが座らせた結果である。
今は治療を開始してから1週間と3日目、期限である2週間まであと4日と迫っていた。
しかし、現時点でもアンネリーゼの足はほぼ完治しており、後はもう放置していても問題はない。未だにシャルルが屋敷に来るのは、公爵からの依頼に万が一があってはならないという点で、万全を期すためである。
治療も進み、シャルルと出会える機会もあと僅か。
それに焦ったアンネリーゼが、「今日は外で動きたい気分ですわ」と無理を言い、レーナに協力させ、ここに連れだしたのだ。
今までもあの手この手で距離を詰めようとしたが、どうにも距離を、というか壁を感じる。
「シャルル様。私は本当に感謝しているのですよ。ジャン様とシャルル様。お二人のおかげでここまで元気になれました。父の言いつけなど、気にする必要はないのですよ?」
シャルルはアンネリーゼの感謝の言葉を受け、ぎこちなく笑って顔を伏せた。
「僕は、貴方と触れ合って良いような人間ではありませんので……」
「シャルル様……」
返す言葉がない。
アンネリーゼはシャルルが処刑執行人の家系である事を知っている。知った上で好意を持っているが、まさかそれを告白する訳にもいかなかった。
シャルルの人柄は、アンネリーゼが想像していたものとは少し違っていた。
彼女を処刑した時の落ち着いた、整然とした様子より頼りなく見える。これから年を重ねて、あのような性格に変わっていくのかもしれない。
(どちらにせよ、シャルル様には変わりなく。私としてはどちらのシャルル様でも愛しいのですが……。身分を偽っているこの状況が余計にややこしい感じにしていますわね)
「分かりましたわ。感謝の気持ちと一緒に、握手ぐらいは、と思ったのですけれど。諦めます」
アンネリーゼは椅子から立ち上がり、足を踏み出す。
「ア、アンネリーゼ様。お一人で歩かれるのはまだ……!」
焦ったシャルルが止めようとするが、時すでに遅し。
それなりに動くようになったとはいえ、アンネリーゼの足はまだ元通りには程遠い。案の定地面につまずき、もつれて倒れそうになる彼女を思わず手を引いて止めた。
「あっ……」
しまった。そう思うと同時にシャルルの顔が失態に歪む。
シャルルがアンネリーゼを抱きかかえる形になり、二人の顔は至近距離まで近づいた。
「ふふ……。そんな顔を為されなくても、父にバレる事はありませんわ。それより、やっと触ってくれましたね」
アンネリーゼは顔を赤らめ、シャルルを見つめた。
白い肌がほのかに染まる。無邪気さが混じった微笑みには、年相応の愛らしさがあり、年頃の男であれば誰しもが彼女に見惚れるであろう。
「……お付きの人が戻ってくるまでは、座って待たれた方がよろしいかと。僕では貴方をエスコートできませんので」
しかし、シャルルの表情が変わることはなかった。
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