第8話 こんにちは、王子様。
アンネリーゼが逆行転生してから、1年の月日が流れた。
現在のアンネリーゼは――ベッドの上で寝たきりになっていた。
12歳だった体はこの一年でそれなりに成長した。幼さと美しさの中間に位置するその造形は見る者を惚けさせた。流れるような銀髪も腰のあたりまで伸び、儚げな雰囲気を醸し出している。
アッシュフォールド家の三女は絶世の美女となるだろう。そう噂され始めた頃だった。
ある日突然、体に異変が現れた。
最初はちょっとした違和感だった。朝起きた時に足に力が入らず、立ち上がるのに時間がかかった。すぐに違和感は消え、その日は問題なく動けた為に特に気にせず過ごしたのだが、毎日起こるその不調は次第にひどくなっていき、遂にはベッドから立ち上がる事すらできなくなっていた。
「あぁ、アンネリーゼ。可哀想に。もうすぐに新しい医者が来るからね」
心配した顔でアンネリーゼの手を握るのはローベンである。
彼は娘の身体に突然起きた異変を嘆き、手をさすった。
ここのところはずっと横に座り、こうしている。
「お父さま。アンネリーゼは大丈夫です。ですから、心配しないでください。お父さまがお仕事をしないと困る人がたくさんいるのでしょう?」
「しかし、私は心配なんだアンネリーゼ。前に呼んだ医者はお前の血をありったけ抜いてしまったが、まるで症状が改善しないじゃないか。あんな籔を選んでしまった事をどうか謝らせてくれ。何か、何か私にしてほしい事はないのか?」
その顔は娘を案じる父親のものであった。何も知らない者は、まさか彼の趣味が拷問だなんて思いもしないだろう。
「お父さま、ならこれ以上私の周りに人を増やさないでください。私はレーナさえ居てくれたら問題ないのです。それ以外の使用人は必要ありません」
レーナの名前が出た瞬間、ローベンの眉がぴくりと動き、部屋の隅、扉の傍に控えていた彼女を一瞥した。
それを受け、今まで親子の間を邪魔しないようにと黙って下がっていた彼女は深く礼をした。
はた目には、お気に入りの使用人の名前を挙げる令嬢とそれに対して礼をするメイド。
しかし、実態はある種の牽制。レーナの生存に関するやり取りである。全く動じていないように見えて、自分の命がかかっている彼女の内心はビビりまくっていた。
「……1年ぐらいだったか。随分と彼女を気に入ったようだね。アンネリーゼ」
「ええ。だから絶対彼女を辞めさせないでくださいね。お父さま」
強調した物言い。レーナを持っていかれない為に、ここ1年何度か仕掛けたそれとない言い回しというやつである。
効果はあるのか。屋敷でローベンがレーナを呼び出すような事は1度もなかった。
「しかし、本当に何もないのか? 父に頼みたい事があるなら、何でも言ってくれ」
「ですから、大丈夫ですって」
実際、アンネリーゼは病魔に侵された自分の現状をあまり悲観していなかった。
理由は単純で、治ると知っていたからだ。1回目の人生でも、同じような時期に同じような病気にかかり、1か月ほど寝たきりになったことがある。その際は途中で父が呼んできた医者によって、体は完治し事なきを得ていた。まぁ今回も同じだろうと思っているのである。
しかし、知っているからと言って辛い事には変わりなく。最初に症状を見られた医者には治療と言われて大量の血を抜かれ、ひどい貧血になった。
部屋の扉が外からノックされる。
レーナが扉を開け、客人を迎え入れる。
「旦那様。お嬢様。お医者様が来られました」
入ってきたのは、医者には似つかないほど大きな体躯を持った男だった。雄々しげな顔立ちをしており、仕立ての良い服を着ていなければ市井の労働者に見えただろう。
「アッシュフォード公爵閣下殿。ご要望に預かり参上いたしました、ジャン・ソーティと申します」
男の所作は所謂貴族社会においても問題のないものであり、礼儀作法には精通している事が見て取れる。
だが、アンネリーゼが注目したのはそこではなかった。
ジャンと名乗った男の後ろから、一人の青年が出てきた。
年の頃は14~5歳程度か。隣に並ぶ男ほど大きくはないが、平均よりは高い身長と、目を奪われるような美しい顔。そしてその顔は、確かにアンネリーゼには覚えがある。というか、この1年ずっと想像していた、愛しの人の顔であった。
「シャルル・ソーティです。父の手伝いとして参りました」
1度目にて、彼女の首を落とした張本人。
シャルル・メルティーズその人であった。
(シャ、シャルル様!? な、なんで?)
思いもよらぬ展開に、驚愕するアンネリーゼ。
同時に彼女の脳内に思い起こされた薄い記憶がつながり始める。
(そ、そういえば1度目の時も医者と一緒にその息子が来ていたような……。という事はシャルル様と私はあの時点で既に見知っていたという事!? 思い返せばそんな事を処刑直前に言ってらしたような……。あぁ! 私の記憶力のなさが恨めしい!)
自分の余りの覚えていなさに、思わず辟易する。
だって当時は本当に興味がなかったんです。平民は『平民』という種類の動物だったんです。と心の中でアンネリーゼは言い訳した。
でも、一つ気になる事がある。
シャルル様はメルティーズという家名の筈だ。代々処刑人の家系で、王都の処刑執行人を任された家であり、革命時にはその全ての処刑を担当し、名前を轟かせた筈である。
どうして違う名前を? とアンネリーゼが疑問に思っていると、ローベンが立ち上がり口を開いた。
「分かっているとは思うが、娘には決して触れるな」
「はっ。理解しております」
「なら良い。治せなかった時も相応に罰が下ると思え」
治療しろと言うのに触るなと言うローベンの高圧的な態度に、アンネリーゼは察する。
父は目の前の二人が処刑執行人であるという事も知っている。
知った上で、仕方がないからメルティーズに娘の治療を依頼したのだ。
処刑執行人は仕事柄、人体の構造に詳しい。高い医療技術を保有し、副業として医者をやっているところもあると聞いた事がある。
最初に呼んだ医者はアンネリーゼを治せなかった。次こそは確実な腕を持つ医者を選ばなければならないといったところで、苦渋の決断で彼らを呼んだのだろう。
となると、偽名を使っているのはアンネリーゼ含む家族への配慮か。
処刑人がアッシュフォールド家の屋敷に足を踏み入れたなど、到底受け入れられない者もいるだろう。故にローベンが命じて偽名を使わせたのだ。
恐らく、同じ事を前の人生でもやっていたのだろう。だからアンネリーゼの中でこの時の医者とメルティーズの名前が結びつかなかった。
そもそも顔覚えてないんだから関係ないだろ。とは突っ込んではいけない。
どちらにせよ、アンネリーゼにとっては思わぬ僥倖。喜ぶべき偶然。
思わずにやけてしまうアンネリーゼに気付いたレーナが若干引いた目で見ているが、どうでもいい事であった。