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第7話 ドブネズミ街道

毎度毎度すいません。今回も残酷描写、流血描写があります。

苦手な方はご注意をば。

 


 処刑台に登り剣を掲げた時、男は人生で初めて感じるような寒気を覚えた。

 この広場に集まっている人間は、全員罪人が殺される瞬間を見に来ている。それは分かっていたが、実際にこの場に立つと、想像の遥か上をいく重圧だった。足元から何かが崩れるような感じがした。


 男は娼婦の女が客と寝た時にできた子供だった。生まれた時から存在を疎まれ、まともな生活は遅れなかった。8歳になった時に、生きていくために初めて盗みをやった。1度目と2度目は成功したが、3度目は捕まった。店主に前歯が全部折れるくらい殴られ、顔が変形してしまった。そのせいで今でも男の顔は左右が不釣り合いで、唇には大きく裂けた傷跡がある。男を見た人間はみな彼をこう呼んだ。「ドブネズミ」と。


 男の人生が変わったのは、12歳の冬。その日は本当に凍えそうなほどの寒さで、しばらく何も食べていなかった男は道端で衰弱していた。


 あぁ、これはもうだめだ。俺はここで死ぬ。


 そう覚悟した時だった。誰かが男に毛布を被せ、目の前に温かいスープとパンを置いたのだ。一瞬何が起こったのか分からなかったが、霞んだ瞳で前を見ると、そこには体格の良い壮年の男性が立っていた。仕立ての良い服を着ていて、裕福な人間であることは一目で分かった。神の思し召しだと思った。全く良いところなんてなかった俺に、神サマが救いをくれたんだ。

 そう涙をこぼしながらスープに手を伸ばした時だった。伸ばした手を、男に掴まれた。その瞬間、ドブネズミの顔は絶望に染まった。貴族が今にも死にそうな貧民の前に飯を置いて、馬鹿にする遊びをしていたのだと思った。栄養不足で骨と皮しかないような体では、この男から食べ物を奪って逃げる事もできないだろう。顔を伝う涙が、悔しさに溢れたものになる。


 ――こんな、最後まで誰かの笑いものになって死ぬのかよ……。


 目から流れる涙が大粒のものになった。その全てが流れ落ちた時、目の前の男は語り始めた。自分の身の上を。ドブネズミに食べ物を渡した男は、自分を処刑執行人だという。男は言った。この飯を食いたければ、私の下について処刑人として生きろ、と。


 ドブネズミは今度こそ心から絶望した。これは、神の思し召しなんてものではない。悪魔からの契約なのだ。生きていたければ、罪人を拷問し、首を刎ねる処刑人になれ。さもなければ死ぬぞ。悪魔はそう言っているのだ。

 男は社会の底辺として生まれ、誰にも愛される事なく生きてきた。だが、神を思う心だけは本物だった。人だけは殺さなかった。あんな汚らわしい者だけには近寄らずにしていた。本心では、この手を握る男が処刑執行人だと知った時点で振り払って逃げたかった。極寒の川の水でもいい。体中を洗って清らかにしたかった。だが、もうまともに立つことすらできない。ドブネズミにはもうこの選択から逃げるすべは残されていなかった。


 結局、男はそこで決断する。

 自分の生を。どこに行ってもこれまで以上に蔑まれる悪魔の仲間になる事を。

 ドブネズミは、その日死神に生まれ変わったのだ。


 処刑人の仕事は、想像を絶した。毎日死体と向き合い、中身を暴き、手からは死臭がいくら洗っても取れなくなった。食事の時はその匂いが原因で飯が食えなくなり、人生2度目の餓死寸前まで追い詰められた。初めて親方の処刑に立ち会わせてもらった時、あまりの凄惨さと緊張で意識を失った。男が処刑人の弟子だと知れ渡ると、町の人間はみんな男に石を投げつけた。

 だが、それでも男は働き続けた。もうどうしようもなかった。


 そうして15年の時間を処刑人として過ごした。男はようやく処刑台を任されるようになり、ついにこの日初めてこの手で斬首刑を執行する。この処刑をこなせば、他の地方で処刑執行人として高い報酬が得られるようになる。ドブネズミだった頃のように飢えに苦しむ事もない。迫害される事にはもう慣れてしまった。


 だから男にとって、この処刑は完璧に終わらせなければならない。親方を納得させられるような斬首を執行しなければならない。

 そう意気込んでここに立った筈だった。


 膝をつき、差し出すようにうなじを見せる罪人が目の前にいる。

 その姿を見下ろした瞬間、男は自分の両腕がどうしようもないほど震えているのを自覚した。


 広場を見渡すと、多くの人間がこちらを見ている。

 全員が、死を渇望していた。人の最後すら己の慰みとして扱き捨てようとしていた。

 エクスキューショナーズソードを掲げたまま、止まってしまった男を見て、観衆たちは口々に囁いた。早く、早く殺せ、と。

 ちらりと横目で処刑台の近くに座る親方を見ると、何も言わずにこちらをじっと見ていた。その目には、弟子を手伝ってやろうなどという甘い考えは宿っていなかった。


 斬れ、落とせ、刎ねろ――!

 男の身体は自らの独白に突き動かされたように動いた。鉄の塊が罪人のうなじに衝突する。


「あ」


 思わず口から出た言葉だった。

 何度も何度も。それこそ血尿が出るほど練習した首の落とし方。一瞬で首を切断し、絶命させることができるポイント。

 刃が当たった場所は、そこから数ミリ下だった。


 罪人の首は切断できておらず、ぱっくりと開いたうなじからは骨が見えていた。

 罪人は――まだ、生きている。


 男にはもはや広場に広がる悲鳴も、罪人の絶叫も聞こえていなかった。


 まだ、処刑は終わっていない。



 結局罪人の首が落ちたのは、半乱狂となった男が6度目を振り下ろした時だった。




 ☆★☆




「全く美しくありませんわね……」


 あれだけ手の込んだ準備をして、やっと見に来た処刑はひどくつまらないものだった。

 周りの平民たちは飛び散る血と、発狂したかのように何度も剣を振り下ろす新人処刑人の様子に、興奮半分厭忌(えんき)半分といったところか。

 まぁ、観客の様子などはどうでもいい。それよりアンネリーゼが許せなかった事は……


(何ですかあの斬首は! あまりに雑念で汚れすぎです!)


 あの処刑はアンネリーゼの理想とはかけ離れたものであった。処刑台の上では処刑人と罪人。刎ねる者と跳ねられる者。それ以上の概念があってはならない。処刑人が振り下ろすエクスキューショナーズソードで、首を刎ねられる瞬間。それだけが人から身分も在り方も奪い去り、解放される一瞬をもたらしてくれる。

 断じてあのような、恐怖や苦痛に支配されたものではない。

 例えるならば、白なのだ。完璧な処刑とは、何十にも醜く色を重ねられたキャンバスを、真っ白に戻してくれる唯一の方法。少なくとも、シャルルの処刑はそうだった。


「お姉ちゃん。もう帰りますよ」

「うぅ……え? ちょっとリーゼ。もういいの?」


 横でゲロを吐きそうになっているお姉ちゃん(レーナ)の背を叩き、広場から離れる。


「うん。つまんない見世物だったわ」

「ま、待って! 一人で歩いちゃ危ないわよ!」


 後ろから駆け足で追いかけてくるレーナの気配を感じながら、アンネリーゼは思考を巡らせる。


(やっぱり私を絶頂させてくれるのはシャルル様しかいませんわね。あぁ、今はどこにおられるのでしょうか。多分私と近い年齢だと思うのですが……)


 まだ見ぬシャルルに思いを馳せながら彼の容姿を想像する。

 あれほどの美形。きっと子供の頃もイケメンに違いない。さらにあの気品溢れる佇まいとくれば、まさに白馬に乗った王子様みたいではないだろうか。

 きゃー、じゃあ私ってお姫様? とても素敵ね……。


「リーゼ。もう先に歩きすぎ。ちゃんとお姉ちゃんの後ろにいてね!」

「ちっ」

「えっ? いま舌打ちした?」


 いいところだったのに。

 妄想を邪魔されたアンネリーゼは「いいえお姉ちゃん。それより早く帰ろうよ」と言外にさっさと歩けと催促する。泣きそうになったお姉ちゃんだったが、流石にこれ以上はかわいそうなので妄想を邪魔した罰はこれくらいにしておこう。


 最後にアンネリーゼは後ろを振り返り、運ばれている罪人の死体と、うなだれた様子の処刑人を見た。


(それにしても、あの罪人かわいそーですね。人生最後にして最高のエクスタシーがあんな下手クソに台無しにされるなんて……)



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