第3話 姉妹の仲
「お母さま、できました」
「本当に? 随分早いわね。見せてみなさい」
アンネリーゼは目の前の女性に解答用紙を手渡した。
均等のとれた顔。温和な印象を感じる垂れ目。美しく手入れされた長髪。
公爵夫人シャルロット・マルク・アッシュフォールド。アンネリーゼたちの実母である。
アンネリーゼは今姉たちと一緒に勉強をしていた。
長女のマリー。二女のミア。三女のアンネリーゼ。アンネリーゼが現在12歳なのと比べて、姉たちは二人とも13歳。整ってはいるが、父親に似たのか吊り目で少しきつい印象を受ける。マリーとミアは双子であり、顔の特徴がよく似ていた。それほど年が離れていないという事もあり、勉強は一緒になってやっていたのだ。
貴族の家に生まれた子供は、男女関係なくある程度の教養を得る必要がある。7歳から学び始め、男児であれば剣術や立ち振る舞いを学ぶことが重視された。女児の場合は読み書きや薬草の知識などが求められた。勿論どこまで教養を深めるかは人によりけりだったが、基本的なところは母親が直接教えていたことが多い。
アッシュフォールド家でもこれは例外ではなく、母シャルロットが3人の娘の先生役となっていた。
「あら。アンすごいわ。全部正解。頑張ったのね」
アンネリーゼの答案を採点し終わったシャルロットが感心した表情で言った。今は文法の授業中でシャルロットから指示された問題を解いていた。
今は子供の身なれど、アンネリーゼの中身は18まで生きた公爵令嬢である。流石に12、3の子供が学習する程度の内容が分からない筈がなく、同じ問題を課せられた3姉妹の中で最も早く解き終わった。
「お、お母さま! マリーもできました!」
「ミアもです!」
妹に先を越された――
そう思い焦ったマリーとミアの二人は急いで問題を解き、母に提出する。
「マリーはこの問題を間違えてるわね。ミアはここのスペルが違うわ」
「嘘!」
「えぇー!」
「二人とも、しっかり復習しましょうね」
駄々をこねる二人の頭を撫でるシャルロット。
しばらく娘の頭の感触を楽しんだ後、微笑みながらシャルロットは言った。
「あなたたちもいつか他所に嫁がなければなりません。その時に恥をかかない為にも努力を惜しんではいけませんよ。それが貴族に生まれた女というものです」
マリー、ミア、アンネリーゼの三人は、それを黙って真剣な表情で聞いていた。
「さてと。マリー、ミア、アン。母は少し予定があるから外すけど、時間までしっかりお勉強するのよ」
部屋を出ようとするシャルロットの背中を三人は見送る。
そして扉がぱたんと締まり、部屋には姉妹のみが残された。
「アン、やってくれたわね」
「……? どうかしましたかマリーお姉さま」
「ふん、しらばっくれて! あんなにあからさまにあてつけるなんて恥はないのかしら」
母が出ていくや否や、表情を変えアンネリーゼを叱責するマリーお姉さま。
その様子を見て、アンネリーゼは思い出した。
(ああ……そういえば、この頃の私はお姉さまたちに随分と虐められていましたね……)
「アンの分際で、マリー姉さまとミアより先に問題を解くなんて、いったいどんな不正をやったの?」
マリー姉さまとミア姉さま。一回目の人生ではアンネリーゼはこの二人に虐められていた。
といってもそれもアンネリーゼが13歳になるまでの事。
1年後には14歳になった姉たちは内々の鬱憤晴らしに飽きて、社交界で良い男をひっかける事に夢中になっていたのだが。
「そういえば、最近使用人たちに聞き回っているそうね。何か欲しいものはないかって。本当に嫌だわ。アッシュフォールド家の人間が平民に媚を売ろうとしているなんて」
「貴族としての誇りがアンにはないのじゃないの?」
貴族としての誇り。
思わず声を出して笑いそうになった。
1度目のアンネリーゼは、あの時あの瞬間、シャルルに首を切られ死んだ。正直言って今は、貴族とか平民といった身分には大して拘りはない。
ただ、貴族として生きていた経験から言わせてもらうと、今の姉二人の振る舞いは誇りを語るには余りに不格好で滑稽に見えてしまう。
「ちょっと、何を笑っているの?」
「いえ、ごめんなさい」
おっといけない。顔に出てしまっていたようです。
顔を引き締め、アンネリーゼは気を正す。
「マリーお姉さま。ミアお姉さま。ごめんなさい。ただお母さまに褒めてほしくて。お姉さまたちへの配慮が足りませんでした。そうですよね。年が下の妹が先に問題を解き終わって、しかも満点だなんて。私の考えが足りませんでした。2問ぐらいはわざと間違えるべきでしたわ」
「なっ……」
「アン……!」
二人の顔色が変わる。アンネリーゼの思わぬ反撃に怯んだようだ。
「アンネリーゼ……! ちょっとくらい見た目がいいからって調子に乗らない事ね……!」
マリーがアンネリーゼを睨み、そう言った。
結局のところはそう。マリーとミアはアンネリーゼの優れた容姿を疎んで虐めていたのだ。
当時は訳も分からず、自分が姉たちから虐められる理由も分からなかったアンネリーゼだが、今ならば分かる。
貴族の娘に美しさは絶対条件。幾ら教養と礼節を見に付けても、最後の優劣はそこで決まる。
幼い時でもそれを知っていた姉たちは、自分では手に入らない生まれながらの造形美に嫉妬したのだろう。
ただ、散々言うがアンネリーゼはもうその在り方に興味はない。
そんな事よりも、斬首。斬首である。斬首を見たいわ! 誰か見せてくれない? え、無理? そんなー。
「ふん! 気持ちが悪い。首を吊ったまま死んでしまえばよかったのよ。やっとお前がいなくなるとせいせいしたのに」
「まぁ! それはごめんなさいお姉さま。アンネリーゼは自殺もできない無能な妹です。無能罪で斬首されたい気分ですわ」
ぎり、とマリーから歯軋りの音が聞こえた。
「マリーお姉さま。この子この前から何かおかしいです」
「……! そうね。アン、何があったか知らないけど、あまり調子に乗らない事ね。そのふざけた冗談も次に言ったら許さないわよ」
「ええお姉さま方。勿論、心得ていますわ」
割と後半は本気なのですけどね。までは流石に言わなかった。
飄々とした態度を崩さないアンナリーゼに、マリーとミアは不機嫌さを隠そうとしない。
ついこの間まで虐めたらすぐに泣いていた妹が、急にこれほど強気に出るようになった事が気に食わない。
が、そこで姉妹内闘争はいったん終わる。時間切れだ。
会話が消え、あとは静かに勉強する子供たちの姿だけが残った。