第2話 興味なし
アンネリーゼが部屋で自殺未遂を図ってから、アッシュフォールド家では常に誰かしらが彼女の傍につくようになった。いや、前から大抵の時は誰かが仕えていたのだが、今は前にもまして一挙一動が観察されているのだ。
あの後、目を覚ましたアンネリーゼは家族や使用人から質問攻めにあった。
「何があったんだ」「何か悩みでもあるのか」「母に教えて頂戴」「何故あんなことをしたんだ」
矢継ぎ早に投げかけられる質問に、まさか絶頂きたいから首を吊りました。とは言える訳がなく。
アンネリーゼの思いつく限りの適当な理由をつけて、のらりくらりと躱そうとするが、公爵令嬢それも12の子供が自殺を図ったともなるとそう簡単に流せるものでもない。
結果として、アンネリーゼの周りには以前よりも多くの人間が配置され、彼女の機嫌をうかがうようになったのだ。
(全く……お父様もお母様も皆心配性が過ぎるのよね)
現在、アンネリーゼはメイドと共にアッシュフォールド家の所有する庭園でお茶を飲んでいる。
アンネリーゼの心の状態を案じた両親、特に父であるローベンの強い要求で、彼女の安らぎのために一日に一度庭で日光浴をすることになったのだ。
アンネリーゼ本人からすれば別に鬱病でも何でもないのだから余計なお世話な訳だが、実際に首を吊ったのは事実。強く言われたら従うしかなかった。
「アンネリーゼお嬢様。お加減はいかがでしょうか? 何か不快なところはございませんか?」
「いえ、大丈夫よレーナ。このままにしておいて」
「ですが……」
「大丈夫だと言ってるでしょう。今は一人になりたいの。見ててもいいから私の視界に入らないで」
「かしこまりました」
事細かに様子を確認してくるメイドのレーナを追い払い、思考に集中できる環境を作る。
この庭園は考え事をする場合には都合がよかった。
メイドさえ追い払えば、花に囲まれた静かな空間の出来上がり。
誰にも相談できない悩み事がある身としてはありがたい。
今の彼女の悩みというのは、どうすればあの時の快感をもう一度得られるのか、というものだ。
あの時の衝撃。シャルルという処刑執行人に斬首された時の絶頂は想像を絶するものだった。
普通ならば、人生において一回しか得ることができない筈の快感。死と引き換えにしか浸ることのできない絶頂を、アンネリーゼは一度経験した状態で今生きているのだ。一度ハマってしまえばもう普通の情事で得られる快感などゴミのように感じてしまう。
即ち――アンネリーゼは端的に言って不感症になってしまったのだ。
さらに質の悪いことに、彼女は性欲が強い方である。そんな彼女にとって今のイきたいけどイけないという状況は地獄のようなものだった。
(いろいろと試したんですけれど……結局どれも微妙でした。死ねば同じ快感を得られると思ったけど、首吊ったときはただ苦しいだけでしたし……)
本当は、すぐにでも広場に言って公開処刑を見たかった。
アッシュフォールド領には専属の処刑執行人がいる。この国では、領地内で起こった犯罪は領主の裁量によって罪状が決められ、刑罰を科すことができる。その処刑を公開する事で、民の不満や息抜きをしているのだ。
前の人生では、処刑なんて別段見たいとも思わなかった。平民が死ぬところを見て何が楽しいのですか。時間の無駄です。これがアンネリーゼの本心であった。故に処刑に興味がなく、領地の処刑執行人が誰でどんな顔をしているのかすら知らなかったが、あの絶頂を知った今なら別だ。
つい先日父が書類を見ているのを盗み見て、近々斬首刑に処される罪人がいる事を知った。
だから、できるだけ早くアンネリーゼは外出するためのルートを確保しなければならなかったのだが……。
現在のアンネリーゼは自殺未遂のせいで常に監視されて自由に動けない状況。ここにきて自分の短慮な行動に後悔し始めるアンネリーゼだったが、だってしょうがないではないですか、寸止めは苦しいのですもの。とは本人の談。
「レーナ。もうよいですよ。そろそろ切り上げましょう」
「了解しました」
声をかけると、どこからともなく瞬時に現れるレーナ。
彼女は有能である。子供の姿に戻る前――つまり一回目の人生でも有能でアンネリーゼは彼女をおつきのメイドにしていた、ような記憶がある。
しかし、何時ごろからか忘れたが姿を見なくなった、ように思う。
辞めたのか、それともアンネリーゼが追い出したのか。どっちだったか。
アンネリーゼの記憶があやふやなのは、彼女が本当に平民の顔を覚えるのが苦手だからである。
レーナの顔をじっと見て、記憶の底から前のレーナの情報を引き出そうと試みる。
「…………」
「お嬢様? どうかなされましたか?」
「いえ……何でもないわ」
結局、考えても思い出せなかった。
途中からいなくなったことは確かなのだけれど、それが何故だったか。
今のアンネリーゼの監視役である彼女をこちらに引き込めれば、手引きしてもらってお忍びで処刑場まで行けるかもしれない。その説得に何か使える情報がないかと思っていたのだが、人生2回目というアドバンテージも、1回目の事を細かく覚えていないと大して意味はないものね、と独り言ちる。
結局、別の手段を考える必要がありそうだ。
しかし、どうすればいいのか。しばらく考え、アンネリーゼははっと思いついた。
そうだ、シンプルに懐柔しよう。
「レーナ。何か私にして欲しい事はありますか? ほら、何か困っている事とか。いつも仕事で大変でしょう?」
「は?」
アンネリーゼの言葉を聞いて、何故か目を丸くするメイド。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ。ただ驚いてしまって……そうですね。私がお願いしたい事はお嬢様がただ健やかにお過ごしてくださる事……ですかね」
「何ですかそれ。そういう事ではなくて、あなた自身が私にして欲しい事を聞いているのです」
「あの……お嬢様? もしかして体調が優れないのですか?」
本当に心配したような表情でこちらを見るレーナに、流石にむっとしてしまう。
何? そんなに私が家臣を心配するのが珍しいというのですか。
アンネリーゼは覚えていないが、本来のこの頃の彼女は、周りに対してやりたい放題のわがまま娘であった。そんな彼女がいきなり下の人間を心配し始めたのだからメイドの驚きも当然である。
結局、レーナからは上手く聞き出せず、その後アンネリーゼは他の使用人にも手当たり次第に望みを聞き、労をねぎらった。
その目的は両親よりも自分の命令で動く駒が欲しかったからなのだが、それを彼女以外が知ることはない。
アンネリーゼ様がお優しくなられた、と使用人たちの間で囁かれるようになったのは言うまでもない。
☆★☆
アッシュフォールド領ジュナール。
アッシュフォールド家の屋敷は敷地面積も大きく、その分使用人も数多く雇われている。
屋敷を中心として広がる広大な庭園。その端にある馬小屋。
ここにはアッシュフォールド家が所有する高級で品質の良い馬が育てられている。
もちろんここで働く馬丁も優秀な人材を雇用しており、馬丁として20年、その道のベテランとして馬を見る目には自信があった。
そのベテランの目から見て、今日の馬は何か落ち着いていない。
「どうしたんだ? お前」
一頭の馬が、居心地悪そうに身を震わせた。
馬を撫でて落ち着かせようとするも、一向にうまくいかない。長いキャリアの間で積み上げてきた経験をもってしても、初めての事だった。
理由が分からず途方に暮れる。
だが、放置する訳にはいかない。自分は高い賃金で雇われているが平民だ。アッシュフォールドの馬に何かあったとあれば、冗談ではなく物理的に首が飛ぶ。
取り合えず、馬を小屋から出し中を調べる。
中を掃除すれば落ち着くのではないかと考えての事だったが、ちょうど奥の隅に置かれた藁をどかした時、それは見つかった。
「な、なんだこりゃ!?」
そこにあったのは、小鳥や子猫。小動物の死体であった。それも1つや2つではない。ぱっと見て10は軽く超えている。
そしてその全てが、首から上が切断されていた。
「な、なんちゅーひでぇ事を……可哀想に」
目の前に広がる残虐な光景を見て、怒りがわいてくる。
まるでおもちゃのように扱われて殺された動物を見るのは、動物にかかわる仕事をしている彼にとって気分の良い事ではない。
しかし、同時に彼の背筋が凍る。
「こんなもん報告したら……俺が殺される……」
小動物を残虐に殺し、馬小屋に捨てた犯人は結局判明しなかった。責任を取らされることを恐れた馬丁が隠ぺいしたからだ。