第13話 そうだ、没落しよう
最近、アンネリーゼはとても上機嫌だった。
朝起きてニコニコ。朝食を食べてニコニコ。お茶を飲みながらニコニコ。
治療が終わってからの主人のニコニコっぷりにレーナも若干、いやかなり引いていた。
あの日、あの拷問部屋で見た彼女の姿は、レーナの脳内に強く焼き付いている、
レーナにとってはいくら見た目が可憐でも、アンネリーゼは異常な存在であり、自分を救ってくれる人間なのだ。
端的に言って、何を考えているか分からないからめっちゃ怖かった。いつ豹変して捨てられるか分かんないし。
「あら、レーナ。あなた……」
「は、はひ! ど、どうかなされましすたか!?」
ニコニコニコニコと紅茶をたしなんでいたアンネリーゼが、急にレーナの方を見た。
突然のことで、気が動転して噛んでしまう。
「そんなところに突っ立ってないで一緒に座りなさい。立ちっぱなしは辛いでしょ?」
「いえ、しかし私のようなものが……」
「もう。いいじゃない。私が一緒にあなたと語りたいのです」
拗ねたように彼女が言う。
その所作は子供の照れ隠しにしか見えない。アンネリーゼの付き人としてずっと彼女を見ているレーナだからこそ分かる。年相応のアンネリーゼ様なんてほとんど見られないという事を。
いやほんとに。なんでこの人こんなに機嫌良いの? え、逆に怖いんですけど。
そんな風に彼女が警戒しまくっているのも仕方がない。
何故なら、もう1週間はアンネリーゼはこの調子だからだ。
「では、失礼して」
恐る恐る、椅子に座る。
「ほら。お菓子もあるわよ。食べて食べて。まぁあなたが用意したものだけど」
「は、はい。ありがとうございます……」
お茶菓子をかじりながらも、何だか居心地が悪いレーナ。
そわそわとしていると、目の前のご主人様がおもむろに呟いた。
「ねぇレーナ。私とシャルル様の事、どう思いますか?」
「え? まぁ、お似合いだとは思いますが……」
美男美女だし。
レーナもアンネリーゼがシャルルを慕っている事は知っていたので、変に刺激しないように肯定しておく。
実際、死体を見ても動じない少女と処刑人ってお似合いだと思うし、嘘は言っていない。
「ですよね、ですよね! あぁ、シャルル様は私の愛を受け取ってくれるかしら……」
レーナはアンネリーゼのその言葉に違和感を覚える。
「あ、あの~お嬢様? まさかとは思うのですが、シャルル様と、ご結婚なされたいのですか?」
「そんな……直接言われたら少し恥ずかしいです……」
「そ、それはまずいですって!」
公爵令嬢が処刑人と結婚? そんなの出来る訳がない。
「どうして? さっきはお似合いだって言ってたじゃない」
「そ、それはそんな深い関係を望まれるほど慕っているなんて思っていなくて……! せいぜい遊びだろうと」
「何ですって?」
アンネリーゼの眼光が鋭くなった。
その瞳に睨まれ、レーナは小さな悲鳴を漏らした。
「私の、シャルル様への愛が遊びだと。貴方はそう言うのですか?」
「あっいえ、そういう訳では……」
圧を増していくアンネリーゼの怒気に気圧されるレーナ。
これが本当に13歳の少女が出すものなのか。
思わず心が折れそうになるが、ぐっとこらえる。
流石にこれはお嬢様を止めなければならない。
「あの、シャルル様は処刑執行人ですよ? ローベン様がそんなの許す訳がありませんし。今の状態だってバレたら、お嬢様は勘当されるかもしれません」
「あら? 私は別にそれでも良いですよ。元よりアッシュフォールドに拘りなど在りませんし」
「な……な……」
何という人だろう。
レーナは戦慄した。
ぶっ飛んでいるとは思っていたけど、今本当にお嬢様の考えている事が分からなくなった。
普通、人はある程度共通の価値基準を元に思考し、行動する。
だが、目の前の少女はその基準が貴族とも平民ともあまりにかけ離れている。
だから、彼女の考えが想像ができない。
「というか、それいいですね。勘当。私にはちょうどいいですわ」
「え?」
「冷静に考えたら、このアッシュフォールドの名前ただ邪魔なだけですし」
「いや、お嬢様?」
「うん、そうだ――没落しましょう、私!」
その日、アンネリーゼは没落――厳密に言えば、少し意味が違うのだが――することに決めたのだった。