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第12話 僕に触れるな

 


 朝の霧が立ち込める路上を馬を走らし、シャルルはアッシュフォールド家に向かっていた。

 しばしの間愛馬に揺られ、目的地へたどり着く。


「お待ちしておりました。ソーティ様」

「ああ、どうもありがとう。こんなところにまで迎えに来てもらって」

「いえ、アッシュフォールド様の敷地は広大ですから。お一人だと迷われるかもしれません」


 屋敷の前に馬を止めると、一人の女性が門の前に現れ、礼をした。

 確か……アンネリーゼ様の付き人のレーナといったか。

 もう何度も訪れているので今さら迷う事なんてないのだが、彼女は律儀にシャルルを迎えに来てくれるのだ。

 流石公爵家に仕える人間、といったところか。その所作には洗練されたものがあり、普段から厳しく礼儀作法を叩きこまれている事が見て取れる。

 更にそれを特殊な生まれであるシャルルを相手にしても崩さずに徹底するというのは好印象だった。

 ちなみにメルティーズ家は立場柄、高貴な身分の人間の前に立つ事も多く、基本的な礼儀作法、失礼にならない所作というのは幼少より叩き込まれている。

 ほんのわずかな無礼で法廷にまで追及される処刑執行人という職業を続けるには、これは必要不可欠な事だったのだ。


 彼女に先導されながら屋敷へ向かう。

 門をくぐり、庭園へ。

 歩を進めるにつれ、気分が沈む。体も心なしか重く感じる。

 だが、あともう少しなのだ。

 後二日、後二日でこれも終わる。

 そう気合を入れ直し、表情筋に活を入れる。

 公爵令嬢殿にこれから会うという時に、陰鬱な面など晒すわけにはいかない。


 そうこうしているうちに、屋敷の玄関へたどり着いた。


「アンネリーゼお嬢様は、いつも通りお部屋に?」

「はい。シャルル様をお待ちしております」


 レーナが玄関の扉を開ける。

 シャルルは靴についた泥を落とした。


「上着をお預かりします」 

「ああ、これは失礼」


 彼女にコートを預け、屋敷に足を踏み入れた。


 その時――運が悪かったのか、ちょうど彼女と鉢合わせてしまった。


 マリー・マルク・アッシュフォールド。アッシュフォールド家長女。

 彼女がここにいたのは本当に偶然だった。これから、次の社交界に来ていくドレスを新調しに行く予定だったのだ。

 彼女の背後には付き人らしき執事が数人待機している。


 こうなっては無視する訳にもいかず、シャルルは立場を考慮し軽く礼をするだけにとどめた。

 こう周りの目がある中では、彼女も露骨な行動はとらないだろう。

 そう考えての振る舞いだったが――彼女の反応は、シャルルの予想していたものとはいささか違っていた。


「ひっ……」


 嗚咽のような悲鳴と共に、彼女の顔は歪んだ。

 まるで見てはいけないものを見てしまったかのような瞳。血の気が引き、蒼白となった顔色。

 それは、シャルルがよく知っているモノだった。


「お嬢様? どうなされましたか?」


 彼女の執事がその様子を見て、訝しげに尋ねる。


「い、いえ。何でもないわ。早く行きましょう」


 彼女はシャルルと目も合わせず、逃げるように外に出て行った。

 シャルルは、その場に立ち尽くす。


 バレた、のか。

 だとしたら僕は……。


 一瞬、自分が弾劾される様を想像するが、すぐに振り払う。

 いや、問題ない筈だ。彼女がどうやって知ったのかは分からないが、もし接触が当主に知られているのなら、自分は今日屋敷に足を踏み入れることなど出来ていないだろう。

 

 彼女はシャルルの正体を誰にも言わずに抱え込んだ。

 そしてそれは、処刑人と触れ合ったという事実を彼女が何より恥じているという事でもある。


 もう分かっている。こんな思いは何度もしてきた。

 だが、理解しているからといって、何も感じない訳ではない。

 あれだけ情愛を向けてきて、家が知れればすぐこれだ。

 子供の頃から何度経験してきた? いい加減に学べ、シャルル・メルティーズ。

 僕に向けられる感情は、全て偽物なんだ――



 ☆★☆



「経過は問題ないようですね、アンネリーゼ様。どこか違和感があるところはありませんか?」

「ふふっ、大丈夫です、シャルル様。どこもおかしくありません。完全に元通りですわ。流石ですわ。まさか2週間を待たずに治してくださるなんて」

「いえ、ここまで回復が早かったのは他ならぬアンネリーゼ様自身の努力の証ですよ」


 アンネリーゼの部屋。はしゃいで歩き回る13歳。

 そんな彼女の様子を、シャルルは微笑んで見ていた。


「まぁ、シャルル様。そんな……」


 アンネリーゼの銀髪が揺れる。

 俯いた彼女の顔は、ほんのりと朱に染まっていた。


「ねぇ、シャルル様。私、お礼がしたいですわ!」


 彼女はそう言うと、とても自然な動作でシャルルの手を取った。

 あまりに流れるような動作だったので、とっさに反応することもできず、そのまま触れられてしまう。


「アンネリーゼ様。お気持ちはうれしいですが、以前も言ったように僕は貴方に触れる事を禁じられています。このような事はお止めください」

「もう。いいじゃありませんか。誰も見ていませんよ」


 とん、と。

 彼女は頬を膨らませ、シャルルに体を預けてきた。

 体に、いやおうなしに彼女の体重とぬくもりが伝わる。


 ――あ、まずい。吐きそうだ。


 この女も。この女も同じなのだ。

 こうして好意を寄せてきても、結局は仮初。人皮の表面しか見ていない。


 普段ならば、シャルルはアンネリーゼの甘えを受け流せたかもしれない。

 しかし、先ほどの玄関先でのマリーとの邂逅は、彼の心を思っている以上にかき乱していた。


 分かっているからと言って、平気だとは限らない。

 15歳の彼が、まるで大道芸のような人間の豹変を見て、自分に向けられる好意と悪意を叩きつけられて。

 完全に、父ジャンのような成熟した′処刑執行人′として振舞えなくなった事は、仕方がない事であろう。


 だから、思わず。

 

「僕に――触るなっ!」


 彼女の手を振り払い、突き放す。

 しまったと思った。だけど、一度表面に現れた感情は引っ込んでくれなかった。


「シャルル……様? な、何か、お気に障ることをしてしまったでしょうか?」


 アンネリーゼは唐突な拒否に驚いた様子で、おろおろしている。

 当然だ。いきなり突き飛ばされたら誰だってそうなるだろう。


「僕は……医者じゃありません」

「え……?」

「僕の本業は――処刑人です。罪人の首を刎ねる事です。その血で、僕は生きています」


 その独白は、果たして彼女に向けたものだったのか。

 それは彼自身にも分からなかった。


「本来なら、アンネリーゼ様のようなお方と会話する事すら許されないのですよ」

「――――」


 彼女は何も言わずシャルルを見ていた。

 大方、今まで自分を診ていた男が、美しい顔をした男が、人の皮をかぶった死神だった事に絶望し、言葉が出ないのだろう。


 ――父に、迷惑をかけてしまうな。


 アンネリーゼ様を、公爵家のご令嬢を突き飛ばしてしまった。触れてしまった。処刑人風情が。

 訴えられてもおかしくない事だ。

 

 シャルルの頬に一筋の涙が伝った。

 自分は、こんなに弱かったのか。

 もうあの泣いていた頃のシャルルはいないと思っていたのに。死体を前に、泣いて許しを乞うていた自分はいなくなったと思ったのに。

 情けないのか、悲しいのか。自分の感情が判別できないのは久しぶりだった。


「シャルル様――泣いているのですか」


 そんなシャルルの様子を見て、彼女はあろうことか――近づいてきた。


「な、なにを……」


 気味悪がることも、罵倒する事もなしに。

 シャルルに近づいてきた彼女に戸惑う。


 そして、彼女はシャルルの頬にその手を伸ばし、その涙をぬぐった。


「アンネリーゼ様……僕は、処刑人なのですよ……? 怖く、ないのですか?」


 彼女は、その問いを受けて柔らかに微笑んだ。


「怖い訳がないでしょう? だって――シャルル様は、シャルル様ではありませんか」


 その瞬間、シャルルの脳内に古い情景が蘇る。


 幼い時。

 町で遊んだ、唯一の友達。

 彼との時間は、日々の()()と家名の持つ重みから、シャルルを解放した。

 そんな彼と、本当の友人になりたいと、本当の名前を告白して――


 ′気持ち悪い′


 ――違うんだ。

 ――僕の期待していた言葉は。

 ――本当に欲しかった言葉は。


「貴方は、僕を差別しないのですね……」

「えぇ、だって私は、アンネリーゼは。シャルル様を愛していますもの」


 彼女と目が合った。

 初めて、本当の意味で見つめ合う。


 その双眸は、今までシャルルを見つめてきた瞳のどれとも違うものだった。

 いや、最初から彼女の瞳は変わっていない。見ようとしていなかっただけだ。


 あぁ、そうか。

 

 ――僕は、僕の存在を認めてくれる人が欲しかったのか。


 吐き気は、いつの間にか止まっていた。

 

 

 

 

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