第11話 手が気になりますか?
「マリーお姉さま。最近、社交界はどうですか? 良い殿方はおられましたか?」
「それなり、ね。それよりアン、足はもう大丈夫なの?」
「はい。お医者のおかげで、随分と良くなりましたわ」
かちゃん。と。
室内にティーカップを置く音が響いた。
二人がこうして同じ卓に座り、歓談しているのはアンネリーゼがマリーを誘ったからだ。
一見すると、仲が良い姉妹のひと時。憩いの交流。
しかし、実態はそうではなく、二人の間には分かる人にしか分からない壁のような雰囲気があった。
「それにしても、こうして話すのは久しぶりね。ここ1か月はアンは部屋から出てこられなかったから」
「ご心配をおかけしましたわ。お姉さま」
本当に心配しているのであれば、自分から様子を見に来るだろうに。
そうしなかったのは、アンネリーゼの事などあまり気にしていないという事の証左だろう。
マリーも14、いやもうすぐ15になる。
もう妹を虐めて楽しむといった歳ではなくなったという事か。事実アンネリーゼもここ最近はあまり絡んでこないな、と思っていたところだった。
半年ぐらい前に、ちょっと面倒くさい絡み方をされたから、アンネリーゼは強めに反撃した事がある。それで少しマリーはおとなしくなった。まぁ大方お母さまにきつめのお灸を据えられたというとこだろう。
少し飲みやすい温度になった紅茶を一口飲み、アンネリーゼは息をついた。彼女の銀髪がかすかに揺れる。
姉たちは精神的に成長し、露骨に態度に出さなくなっただけで、姉妹仲が特段良くなった訳ではない。一度目の人生の時と同じく、アンネリーゼへの関心がなくなったに過ぎない。そしてそれは彼女自身も望む事であった。
だから、特にアンネリーゼの側から何かを仕掛けようという気はなかったのだが……シャルルに手を出されたとなったら別である。
「そういえば、ミアお姉さまは最近どうなのですか? 屋敷では見かけませんが」
「あら、知らないの? ミアは今外国へ留学中ですわ。あぁ、ちょうどアンが寝込みきりになる前あたりですか。学園への入学が決まって、2週間ほど前に出発しましたよ」
初耳である。
両親は病床の身を慮って伝えなかったのかもしれない。まぁ、アンネリーゼも姉の人生に大して興味があるわけではなかったが。
こうして自分の耳で聞いて、ようやくあぁそういえばミアお姉さまはそうなるんでしたわね。と思いだす次第である。
一度目の時はミアはどうなったのだろうか。国外にいた彼女はあの革命から逃げ切れたのか。
一瞬考えてみるが、すぐに自分には関係ないと思い直し、思考を切った。
「それで。もういいでしょう? 今日は何故呼んだの? 執事を外してまで」
マリーお姉さまがしびれを切らしたかのようにテーブルの上に肘をついた。
婦女の雑談はもう十分行った。そろそろ本題に入れという事だ。
アンネリーゼは一瞬――目の前にいるマリーすら気づかない程度に笑った。そして、すぐに神妙な面持ちを作り出す。
「マリーお姉さま。私を見てくれているお医者を知っていますか?」
「……そんなの知ってる訳ないでしょう? 私は会った事もないのだから」
マリーは平然と嘘を言った。
しかし、アンネリーゼは彼女とシャルルが会っていた事を知っている。嘘をついても意味はない。
「そうなのですね……。実はそのお医者の事で、相談があるのです」
マリーの目が細くなった。
その目には何か、警戒の色が見える。
「言ってみなさい」
「はい……。実は、お医者は親子で私を診ていらしたのですが、私聞いてしまったのです」
「何を?」
「お二人が罪人の処刑について話しているところを……」
マリーの目が驚愕に見開かれた。
「何をふざけたことを。それでは、貴方は彼らが処刑執行人だとでも言うのですか? そんなこと、お父様が許す筈がありません」
「ですが、おかしいとは思いませんか? お父さまは彼らに私には決して触れるなと命じたのですよ。そんな事、お医者に普通言うでしょうか。それに、処刑執行人は高い医療技術を持つと聞いたことがあります」
「そ、そんな……」
マリーは慄きながら、下を向いた。
前髪の隙間から見える顔色は、相当悪く見える。
「あぁ、それにしても良かったですわ。息子のシャルル様はとてもお美しい方でした。私は知らずに呪われた一族に触るところで……あら? お姉さま。どうしましたか? 手が気になるのですか?」
「!!」
先ほどから右手をずっとさすっている様子を指摘する。
アンネリーゼの言葉を受けて、マリーは面白いぐらいに狼狽した。
「そ、それで。この事は誰かに……?」
「言う訳がありません。私が処刑人などに関わったなどそんなおぞましい事」
「そ、そうよね。ええ、ええ。それがいいわ」
マリーは今にも倒れそうな程に顔面蒼白となっていた。
この様子なら、シャルルが処刑人という事も、彼と関わったという事も他言する気はないだろう。
そんな事をすれば、自分が処刑人に触れたという恥を外に吹聴するだけだ。
そんなの、できる訳がない。
もし周りに噂にでもなれば、マリーの地位は失墜し、社交界でも晴れ者扱いされる。
というか、最早彼女はそんな事を考える余裕すらないだろう。今の頭の中は、自分が惚けた顔をして誘った相手が実は悪魔だったという絶望と恐怖でいっぱいの筈だ。
手をしきりに気にしているのは、汚れた部分を今すぐ洗い落としたいのだろう。
触れ合った部分に腐った血肉がこびりついているような感覚がして、吐き気が止まらない。といったところか。
「ちょっと、席を外すわ」
「どうぞお姉さま。お気になさらず」
にっこりと微笑んで彼女を見送る。
ふらふらとおぼつかない足取りで部屋を出ていく彼女の背中が消えたところで、アンネリーゼは残った紅茶を飲み干した。
(ふぅ。あの様子ならもうシャルル様に関わったりはしないでしょう。引き下がるならもう少し追い込むことも考えていたのですが、必要なかったですね)
「お嬢様。もうよろしいのでしょうか」
マリーが出ていったのを確認してから、外に待たせていたレーナが入室し、アンネリーゼに話しかける。
「ええ。もしまだマリーお姉さまがシャルル様に近づこうとしたなら、私に報告してね。レーナ」
これで邪魔な虫は取り除けた。
アンネリーゼはコップのふちを指でなぞりながら、ふふふと笑った。