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殉×愛×ハッピーエンド  作者: 神蔵(旧・和倉)眞吹
第一幕 江戸、下向
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第三章・第一話 縮まる距離

 初夜の出来事を、一通り掻い摘んで説明すると、邦子は「なるほど……」と言って口元に手を当てた。

 切れ上がった目を伏せてしばし考え込んでいた彼女が、やがて上げた目を和宮かずのみやに向ける。

「宮様のご推察、大方当たりかと存じますが」

「でも、推測の域から全然出てないよ」

「もちろんです。仮に当たっていたとしても、その女性とのあいだに何があったのか、どういう経緯で別れを余儀なくされたかは聞いてみないと事実は分かりません」

 ですが、と言いながら、邦子は口元に当てていた手を膝に下ろした。

「恐れながら、もう一つ伺います。宮様は事実を知って、どうなさりたいのですか?」

「分かんない」

 即答だった。本気で分からないのだ。

「分かんないけど……気になるんだもん」

 脇息を前に持ってきて肘を突き、両頬に手を当てる。

「もし……あたしと同じで、無理矢理好きな人と別れさせられて今回の結婚強要されたんだったら、あいつだって被害者じゃない」

 結果的に、和宮は熾仁たるひとへの想いには、自分で決着ケリを付けてしまった。よって、相手との『別れ』にだけは納得尽くだったと言えなくはないが、その切っ掛けや、そのあとの幕府方(及び、朝廷の降嫁推進派)のやり口にはまだ、腹の煮えるものがあるのは否めない。

「同情ですか?」

 どこか冷ややかに問われて、和宮は黙り込んだ。

(……同情……)

「よろしいではございませんか」

 邦子は、珍しく冷えた声音で続ける。

「あのように横暴な真似をして、宮様を熾仁様から引き離した幕府のおさでしょう? 被害に遭ったとしても自業自得ではございませんか」

「そんなのおかしい!」

 反射で和宮は叫んだ。

「そりゃっ……そりゃ、最初はあたしだってそう思った! だけど違う、そうじゃない。もし……もし本当にあの人にも愛する相手がいて、無理矢理別れさせられたなら、やっぱり被害者だよ! だとしたら、公武合体なんてあの人が考えた政策じゃない可能性だってあるし、第一政略の為に自分の愛する人を切り捨てられる!?」

 瞬時、目を丸くした邦子は、「恐れながら」といつもの口調で返した。

「武家の者にはできるかも知れません。彼らを、我々と同じ『人間』と考えるのは無理があるかと」

「姉様!」

「宮様とて、思い知ったはずではございませんか。とことん話が通じぬやからどもだと」

「でもっ……!」

 邦子の言うことにも、一理はある。

 確かに、この江戸城大奥の住人には、とことん話が通じなかった。多分、幕府に勤める全員がそうなのだろう。

 己の都合しか考えず、和宮を始めとする京から来た人間を『駒』か『人形』としか思っていないのだ。

 けれども、よくよく考えれば、家茂いえもちだけは違った。

『そりゃ、その時までの運がよかっただけだろ』

 投げるように言っていても、和宮の言い分に対して答えをちゃんと返してくれていた。

『分からねぇな。さも自分だけが、無理矢理政略結婚させられた、みたいな顔してる人間の気持ちなんか』

 いや、『ちゃんと』とするには、かなりなかったのは否めない。ただ、和宮に対して憎悪を抱いてしまうほどの『何か』があったのは間違いないだろうが、それを全部和宮にぶつけることもしなかった。

「……聞かなくちゃ」

「宮様?」

「とにかく、話を聞かなくちゃ。だけど、昨夜ゆうべの様子じゃ、本人はとても素直に話してくれそうにないし……」

 されど、邦子も江戸城の住人にはかなり不満や不信感があるのははっきりしている。和宮自身もそうだから、その点はどうにもならない。

「……分かった。姉様が嫌なら、調べてくれなくても大丈夫。ごめんね、ありがと」

「宮様。一つ、申し上げておきますが」

「何?」

「わたくしを、江戸城のお歴々と一緒になさらないでいただけますか」

 そう言った邦子の表情は、今までに見たことがないくらい冷たい。

「……はあ、えと、どういう意味?」

「一度引き受けた任務を、どういう理由であれ、個人的感情がどうであれ、反故ほごにすることはいたしません。少々……いえ、かなりお時間をいただくとは思いますが、いずれ事実を明らかにいたしますので」

 では、と今度は和宮が何を言い返すもなく邦子は立ち上がる。流れるような動きできびすを返す彼女の動きに、つややかな黒髪が従ってサラリと揺れた。

 和宮は、それを苦笑と共に見送る。

(……忘れてた。姉様ってたまに訳分かんない負けず嫌い発揮すんだよね)

 それは自身も同じだということに気付かないまま、和宮はそっと溜息をいた。


***


 それから一週間ほど経っても、相変わらず家茂は総触れをしなかった。つまり、会いに来ないのだ。

 いくら初夜が気まずかったからと言って、一週間も会いに来ないとなると、さすがに『名目上の妻』と理解していても、立つ瀬がない。

 部屋に引き籠もっていても、女中連中がそのことで後ろ指を指して陰口を叩きまくっているのも知っている。

 江戸城内に入ってから約二ヶ月もこのような環境に置かれていた精神的負荷が、ここへ来てついに爆発した。

(……も――――だめ、無理! このまま籠もってたら腐っちゃう!)

 脳裏でそう叫ぶと、その日の朝食を終えた和宮は、さっさと身支度を始めた。

 乳母めのとの藤に、髪を頭頂部で纏めて整えさせているところへ入室して来た邦子は目を丸くする。腰を落としながら、首を傾げた。

「……あの、宮様。何をなさっておいでで?」

「姉様。ちょうどいいわ、付き合って」

「え、あの、何にです?」

「こんだけ広いお城だもん。馬場くらいあるでしょ? 場所分かる?」

「え、あ、はあ。少々お時間いただければ」

「お願い。考えてみれば、江戸こっち来てから碌々動いてもなかったもん。いい加減(なま)っちゃう。今日の内に、弓の練習できる所も聞いておいて」

 矢継ぎ早に言う和宮に、邦子はもの問いたげな表情をする。だが、「かしこまりました」とだけ言って、一度部屋を辞した。


 大奥を出る際には、もう一悶着あった。

 だが、一番最初に江戸城で天璋院てんしょういんと対面した折のあれこれを、庭田にわた嗣子つぐこが逐一細かく朝廷へ報告したお陰で、兄帝からかなり厳しくお灸を据えられたらしい。

 江戸城内なのに奥から出るのも禁止するというのなら、それも兄帝に申し上げる、と言ったらあっさり通してもらえた。

(う――ん、爽快!)

 久し振りに風を切って走る感覚、蹄の立てる音や揺られる振動、何もかもが心地好い。

 本当に馬に乗るのは久方振りで、正直勘がにぶっていないかと不安だったが、杞憂だった。

 並足より早い程度の速度で駆けていると、この二ヶ月の憂鬱も、風と一緒に吹き飛んでいくようだ。もっとも、気分は一時的なことだと分かっているが、今だけでも忘れていたい。

「……どう!」

 馬場の中を何周かして、和宮はやっと馬の手綱を引いた。

 ぶるる、と微かにいなないた馬が、指示に従って速度を緩める。

「よーしよし。いい子ね」

 手綱から片手を離して、馬の首筋を撫でてやると、馬もチラリとこちらを見上げてまた一つ嘶く。

「……驚いた」

 直後、前から聞こえた声に顔を上げた。そこには、約一週間振りに会う男――家茂がいる。やはり彼も馬に跨がっていた。

「誰かと思ったら……意外に名騎手なんだな」

「あ……」

 どう答えたらいいか分からなくなって、和宮は俯く。馬の足は、完全に止まっていた。

(そりゃ……邦姉様のお墨付きだし)

 肝心の邦子は、遅れて和宮の横に馬を付け、家茂に向かって顎を引くようにして会釈する。そのまま、臣下の礼儀として顔を伏せてはいたが、表面上だけだ。

 先日の会話から、邦子は和宮が思うより深く、幕府側をよく思っていないのは分かっている。

「……なあ。少し、時間ある?」

「えっ」

 不意にまた話し掛けられて、和宮は顔を上げた。その表情には、初夜の時に見せた敵意も憎悪も一切見られない。

「無礼な!」

 しかし、和宮が答えるより早く、邦子が声を上げた。

「いくら将軍と言えど、皇女であられる宮様よりお家の格は下の出と、いい加減ご自覚ください! お言葉遣いからお改めになられますよう」

「やめて、姉様」

 静かに遮ると、邦子が息を呑んだように押し黙る。その視線が、「なぜ」と問うているのが分かるが、和宮はそれには答えなかった。

「いいけど……あんたこそ、時間あるの?」

「……ええ。昼食までは今日は自由なので」

 邦子の手前か、口調を改めた家茂に、和宮は苦笑する。

「……あんたもやめて。いいわよ、フツーで。今更改められても気持ち悪いだけだし……あたしたち一応夫婦でしょ?」

 だから、対等で構わない。言外にそう示した和宮に、今度は家茂のほうがはじかれたように目を丸くした。

 その驚いたような表情は、徐々に苦笑のそれに変わる。

「……分かった。じゃあ、お言葉に甘えるよ。時間があるなら、ちょっと遠乗りでもしないか?」

 言われて一瞬、息が詰まる。

(……本当は熾仁兄様と遠乗りしたくて覚えたのに)

 その想いも、すでに遠い過去のものだが、複雑なのは否めない。

「……いいけど……護衛、とかは? 姉様も一緒でいい?」

「姉様って……隣の上臈御年寄じょうろうおとしよりか? 名前は、桃の井だったな」

 桃の井、というのは、大奥に入ってからの邦子の呼び名だった。宮中や貴族社会で言うところの、女房名のようなものだろうか。

 上臈御年寄りとは、通常は、公家から嫁いできた御台所みだいどころの侍女が就く役職だ。大叔母の姉小路局あねのこうじのつぼねこと勝光院しょうこういんも就いていたと聞いている。

「そいつ、そんなに腕が立つの?」

「現役武士並と思ってもらっていいわ。物心付く前からの侍女兼護衛よ」

「なるほど。じゃあ、心配無用だな。行こう」

「あっ、待ってよ、家……っじゃない、上様のほうの護衛は?」

 すでに馬首を返していた家茂は、顔だけこちらへ振り向けた。次いで、苦笑して肩を竦める。

「そっちこそ今更改めんな。呼び捨てでいいよ。自分で自分の身は守れる」

 進行方向へ顔を戻し、駆け出した家茂の背を、和宮は慌てて追った。


 遠乗り、なんて言うから城外に出るのかと思っていたら、目的地はやっぱり城内だった。

 そこは、吹上ふきあげと呼ばれているらしい。

 かなり広い城だということは分かっていたつもりだったが、城内と言われても別世界に思えた。タガの外れた広さのある、庭園のようだ。

「……てゆーか、城内なら護衛なんか要らなかったじゃない」

 早く言ってよ、と言わんばかりに若干頬を膨らすと、和宮の横を並足で馬を歩かせている家茂は、呆れたような流し目をくれた。

「お前が勝手に勘違いしたんだろ。第一、城内だからって護衛が要らないって論理が意味分かんねーよ」

「だって、お城の中なら刺客なんて入りようがないじゃない」

 主要な各門には見張りの武士がちゃんと立っているはずだ。しかし、家茂は容赦なかった。

「このご時世なのに、皇宮はそんっなに平和なのか」

「なっ」

「その理屈で行くと、毒味役も必要なくなるぜ。見張りが立ってて刺客も入り込みようがないなら、毒を入れるよーな不届きなやからはいないって寸法だもんな」

「ぅぐっ……」

 ぐうの音も出せずに黙るしかない。確かにその通りだ。

「……こないだは、悪かったな」

「へ?」

 しばしの沈黙ののち、不意に話題を転じられて、和宮はいつの間にか伏せていた目線を家茂に戻す。

「婚儀の日の夜のことだ。少し……言い過ぎた」

「あ……ああ……」

「ごめん。もう少し早く謝りたかったんだけど、その……きっかけが掴めなくて」

「……別に……」

 チラリと彼のほうを見ると、こちらに向けた横顔の中で、綺麗な黒曜石は伏せられた瞼の下に半分隠れているのが分かる。

「あ……あたしこそ、ごめんなさい」

「え?」

「あ、あの……あたし、あんたも同じだって知らなかったから。その……あんたにも好きな人がいたって。だったらこの結婚、あんただって同じように嫌だったに違いないのに……」

「俺、言ったか? 恋人がいたって話」

 キョトンと問われて、なぜかムッと唇が尖る。

「あのねぇ。あんな言い方、言葉の裏を返せば『自分にも好きな女がいた』って告白してるも同然でしょ」

「あー……」

 ばつが悪そうに、彼はウロウロと目を泳がせた。

「そう……だったか」

「そうよ」

 どれだけにぶい女だと思われているのか。そう思うと若干苛立つが、その苛立ちはすぐに陰をひそめた。

(……どうしてかな)

 確かに、相手は邦子の言う通り、格下の家の出の男だ。しかも、将軍と言っても先代の実子ではなく、分家から養子に入る形で将軍の座に就いたと聞いている。

 だが、ふと気付けば、対等な口を利くのを許していた。初夜の時はあんなに腹が立ったのに、今はそれが当然のような気がしている。

 綺麗な横顔をじっと見つめていると、その視線に気付いたのだろう。家茂は、こちらへ向けた顔を、「どうした?」とでも言うように少し傾げる。何でもない、と目を伏せることで答えて、和宮は首を振る。

 今なら、訊けるかも知れなかった。

 初夜の日、彼の瞳に籠もっていた憎悪の意味を。

 愛しい女性と無理矢理引き離されたという、それだけでない、『何』があったのかを。

 けれど。

(……怖い)

 キュッと手綱を握る手に力が入る。

 なぜかは分からない。ただ、確かに怖かった。

 温かなほうへ変わり始めた彼とのあいだを、冷たいものに戻すのが。

 よく考えれば、家茂とのあいだがどうなろうが、どうだっていい。この結婚に際しての武家のやり口は、未だに腹に据え兼ねている。たとえ家茂が公式には夫であろうと、形だけの夫婦だって一向に構わないはずだった。

 だのに、今日になって生まれた彼とのこの関係を、壊してしまいたくないと思っている自分がいるのもまた、紛れもない事実だ。

 チラリと目を上げると、彼の黒曜石と視線が重なる。

 淡く微笑した彼に、思わずドギマギして目を逸らした。


***


「……お前さぁ。ホントーに皇女サマかぁ?」

 翌日。

 感心と呆れが半々になったような口調で言ったのは、家茂だ。彼の視線の先にあったのは、矢が数本刺さった的である。刺さっている場所は、一本を除いてすべてど真ん中か、その周辺だった。

「うるさいな。どーせ皇女らしくない趣味よ」

 ふん、と鼻を鳴らして、弓を下ろす。

 昨日、遠乗りの帰りに矢場がないかを家茂に訊ねた。すると、同じ時刻に吹上に来ればできるようにしておく、と言ってくれたのだ。

 さすがに弓術は、二ヶ月も休めば自明という結果で、何本かは外してしまった(とは言え、的には刺さっているのだが)。

 だが、数矢射れば勘が戻るのは時間の問題だった。何矢目かを的の真ん中へ叩き込んだ直後、やって来た家茂が放ったのが先の台詞だ。

(……これだって、熾仁兄様にこっち向いて欲しくて始めたのに)

 まさか後々(あとあと)、憂さ晴らしに役立つなんて、思ってもみなかった。

「別に。俺はそうは思わないけど」

 言いながら、家茂は和宮の隣に立つ。

 彼も、来た時から弓矢を手にしていた。彼のあとには、初めて見る男性が一人付いて来ている。ほっそりとした長身の細面ほそおもての男で、邦子と同様の侍従なのだろう。

 弓に矢をつがえた家茂は、いくつか並んでいた的に向かって矢を放つ。三十(けん)〔約五十メートル〕先に設置された的の、やはりど真ん中に、その矢は吸い込まれるように突き立った。

「やっぱり、宮中もそれなりに物騒ってことだろ?」

「……さあ」

 彼の弓の腕に、思わず見とれていた和宮の反応は、一拍遅れる。慌てて的のほうへ顔を向けながら続けた。

「あたし、皇宮で育ったわけじゃないから。宮中がどうだかはよく知らない」

「そうなのか?」

「うん。あたし、おもう様……先帝だった父が亡くなってから生まれたのよ。だから、生まれた場所も皇宮の外。初めて参内したのは三歳の時だけど、そのあともずっと皇宮の外で育ったから」

「そっか。俺も同じだ」

「えっ?」

 思わず彼へ視線を戻すと、彼はもう一本矢をつがえたところだった。

「俺も、父の顔を知らない。生まれるちょっと前に亡くなったからな。そのあと、紀州藩主を継いでた叔父の元に養子として引き取られて、藩主の座を継いだのが三つの時だ」

「じゃあ、紀州にいたの?」

「いんや」

 と答えると同時に放った矢は、やはり的の真ん中に吸い込まれていく。

「生まれたのも育ったのも、江戸の藩邸。だから、紀州が故郷って言われても、あんまりピンと来ない」

「そう……」

「まあ、でも……同じ江戸の中って言っても、引っ越しは不安だったな」

 クス、と漏れた苦笑は、どこか自嘲めいていた。

「何しろ、江戸城だろ? ガキの頃、一度だけ来た時はとにかく怖いって印象しかなかったし」

「……来たことあったの?」

「ああ。元服の時にな。つっても、五歳の時だ。あの頃はもう笑えるくらい人見知りで泣き虫でさ。『今日はあなた様にとって大事な日ですから、泣くんじゃありませんよ』って、侍女か誰かに言われて送り出されたのに、先々代上様とその頃はまだ若君だった先代上様の前に立ったらもうギャン泣き」

 また一つ、自嘲の笑いをこぼして、家茂は言葉を継ぐ。

「どうにか元服と従三位じゅさんい常陸介ひたちのすけ叙勲の儀式を終えたら、ソッコー下城。せっかく来たのに見物もしないでよ。後々(あとあと)、ここのあるじになるなんて思ってもみなかったけど」

「へー……」

 すると、何を思ったのか、家茂はその薄く引き締まった唇をやや尖らせた。切れ長気味の目を殊更細めて、流し目をくれる。

「……何だよ、その意味ありげな『へー』は」

「いや、何か意外だったから」

「意外? 何が」

「あんたにもそんな頃があったんだなって」

「は? どういう意味だよ。いきなりこの年になったとでも?」

「そういうわけじゃないけど」

 何となく親近感を覚えた、なんて素直に言えるわけがない。誤魔化すように矢をつがえ、引き絞って放つ。

 和宮の手から放れた矢も、今は一定して的の真ん中に飛ぶようになった。完全に勘が戻ったらしい、とホッと息を吐く。

「その様子だと、剣術とか体術もたしなんでるのか?」

 家茂も吐息を挟んで話題を転じた。

「ううん。弓術と馬術だけ。全部やりたいって言ったんだけど、邦姉様が教えてくれないから」

「邦?」

「あ、桃の井のこと。本名は邦子なの。ずっと一緒にいるから、あたしは邦姉様って呼んでる」

 異母姉である敏宮ときのみやとは、実は顔を合わせたことがない。実の姉より姉に近いというのも、何だか奇妙な話だが。

「お前こそ意外だな」

「へ?」

 的のほうへ向けていた顔を振り向けると、彼もまた次の矢をつがえている。

「皇女にしては活発って言うか……皇族の姫君は普通、家に籠もってする習い事のほうが得意なんだと思ってた」

 始めたきっかけは、熾仁にこちらを向いて欲しかったからだ。しかし、それは口に出さずに「ちょっと興味があったから」とお茶を濁した。

「やってみたら向いてたみたい。面白いし、身体動かすのもいい気分転換になるし」

「じゃあ、今度は剣道場に来るか?」

「えっ?」

 問い返すと同時に彼の手から放れた矢が、やはり的の真ん中に向かって飛ぶ。それを見送るのもそこそこに、彼は不敵な笑みを浮かべてこちらを見た。

「やってみたいんだろ? 弓術や馬術の動き見てると、筋は良さそうだ」

「ホント!?」

 思わず身を乗り出すのと、いつものように傍にいた邦子が鋭く、「なりません!」と割って入るのとは、ほぼ同時だった。

「え、あの……」

「剣術や体術など、皇女様のなさることではございません。わたくしが付いておりますので、その儀だけはどうか」

「で、でも」

「随分過保護なんだな」

「へ?」

 和宮が間抜けな声を出し、邦子は瞬時唖然とする。そのに踏み込むように、家茂が二人に肉薄した。

「いいじゃねぇか、本人がやりたいって言ってんだからやらせてみたら」

「粗野な武家の者と一緒になさらないでください。宮様は皇女様ですよ」

「武士が粗野なのはある程度否定しないけどな。身分によって息抜きや趣味まで、偏見でらしいらしくない決め付けられちゃ、たまったもんじゃねーんだけど」

 吐き捨てるように言われて、邦子が珍しく息を呑む。

 彼女が怯んだ隙に、家茂は和宮に目を向けた。

「その気があったら、明日も同じ時間だ。道場の場所は知らねえだろうから、迎えをやるよ。断ってくれてもいいけど」

 クス、と小さく不敵に笑って、家茂は再度的に向かう。

「……宮様?」

 彼の背をぼんやりと見守る和宮の耳を、怖ず怖ずと声を掛けてくる邦子の声は素通りしていった。


©️神蔵 眞吹2024.

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